聖地へと続くハヴォニワの国境近く。
 皇家の保養地ともなっている湖畔に程近い丘に、人目を避けるように墓が立っていた。
 名も刻まれていない岩を積み上げただけの質素な墓。ババルン・メストの墓だ。
 嘗て、ダグマイアが幼少期を家族と共に過したメスト家の別邸で、眠るように死んでいるババルンの遺体が発見されたそうだ。
 恐らくはそこで自身の記憶と人格を、コアクリスタルに転写する実験を行なったのだろう。
 ババルンの人格が記憶されたコアクリスタルを方舟に持ち込んだ内通者も後に逮捕された。
 嘗てハヴォニワの議員だった男で、方舟との戦闘で戦死したクリフ・クリーズの親類でもあった人物だ。

「父上……」

 憂いを帯びた表情で墓の前に立ち、ダグマイアは父の名を呼ぶ。
 シトレイユにとってババルンは国家反逆者であり、ガイアの復活を目論見、世界を混乱に貶めた大罪人だ。
 当然メスト家は爵位を剥奪され、領地や財産も没収となったが、それでも彼の犯した罪が消える訳ではない。
 戦争によって不利益を被った者は少なくはないのだ。そうした人々の感情を考えれば、ババルンの墓を国内に作るのは難しい。
 葬儀を執り行うのも難しい状況の中でフローラが手を回し、密かにババルンの遺体はハヴォニワへと運ばれ、この場所に墓が建てられたと言う訳だった。
 と言っても、罪人に立派な墓を用意する訳にもいかない。これがフローラに出来る精一杯であったのだろう。

「ダグマイア様……」

 墓に向かって黙祷を捧げるダグマイアの背中を、哀愁に満ちた表情で見守るエメラ。
 ダグマイアが生きていたことを嬉しいと思う一方で、複雑な想いもあるのだろう。
 ダグマイアが父親に対して強い憧れと、コンプレックスを抱いていることにエメラは気付いていた。
 それだけに、どう言葉を掛けていいのか分からない。
 いまダグマイアのなかでは理性と感情がせめぎ合い、様々な想いが渦巻いていると分かるからだ。
 どれだけの時間、そうしていただろうか?
 一瞬が永遠に感じられるかのような時間の中、背後からダグマイアに忍び寄る影があった。

「話には聞いてたけど、本当に縮んじゃったのね。うーん、でもこれはこれでありね。そう思わない? エメラちゃん」
「母上!?」

 突如、後ろから抱きつかれ、動揺するダグマイア。
 背後から忍び寄ってきた人物の正体は、ダグマイアの生みの親――カルメン・カルーザであったからだ。
 どうにか拘束を解こうと抵抗するも、カルメンの抱擁から逃れられず苦悶の表情を浮かべるダグマイア。
 とはいえ、相手は女性聖機師のなかでもトップクラスの実力を持つゴールドの護衛機師の一人だ。
 万全な状態でも難しいと言うのに、身体の縮んだダグマイアが抵抗できるはずもなかった。

「は、離せ!」
「母親に向かって、その口の利き方はよろしくないわね。これはお仕置きが必要かしら? えいっ!」
「ぐはッ!」
「カルメン様、何を――!?」

 首筋に当て身をされ、母親の腕の中で意識を失うダグマイア。
 これにはさすがのエメラも我に返り、抗議の声を上げる。
 ダグマイアをババルンの墓に案内するようにとエメラに頼んだのは水穂だ。
 その水穂からも、カルメンが保養地に来ていることは聞いていなかったのだろう。
 それだけにエメラの表情からは驚きと困惑が見て取れた。

「子供に戻ったと聞いて丁度良い機会だから、この子を鍛え直してあげようかと思ってね。ああ、別荘の使用許可はフローラ様にちゃんと貰ってあるから心配しないで」
「え、あの……それって、どういう……」
「言葉どおりの意味よ。この子の再教育=\―」

 勿論、手伝ってくれるわよね?
 笑顔でそう尋ねてくるカルメンに抵抗できるはずもなく、エメラは無言で頷くしかないのであった。





異世界の伝道師 第397話『エピローグ/母の役割』
作者 193






「カルメンを貸して欲しいと言うから何かと思えば、姉様も酷いことをするわね。ダグマイアちゃんを壊す気?」
「言い掛かりはやめてくれるかしら? 父親を亡くして傷心中のダグマイアちゃんに母子水入らずの機会を恵んであげただけよ」

 何も知らない第三者が聞けば良いことをしているように思えるが、カルメンのことをよく知るゴールドには分かっていた。
 フローラがダグマイアのことを心配していると言うのは本当のことなのだろう。
 しかし、その気遣いは傷心しているダグマイアの心を癒すためではない。
 これ以上、問題を引き起こさせないように性根をたたき直すためだと――

「余計に性格が歪まなければ良いけどね」

 先の戦争での反省からか、かなり性格は円くなったようだが人一倍プライドが高いところは変わっていない。
 まずは心を折り、人格の矯正から始めるつもりなのだろう。しかし、それは悪手でもあるとゴールドは考えていた。
 どう考えたって、頼む相手を間違えたとしか思えないからだ。
 確かにカルメンはダグマイアの母親だが、お世辞にも教育者に向いているとは言えない。
 母親としても不適合としか言えないくらい性格に難のある人物だった。
 まあ、フローラのことだ。それが分かっていて、カルメンに任せたのだとは思うが――

「相変わらず、趣味の悪い性格をしてるわね。こんな母親を持って、マリアちゃんが可哀想」
「娘にトラウマを植え付けて避けられてるあなたにだけは言われたくないけどね」
「人聞きの悪いことは言わないでくれるかしら? あれは教育≠諱Bお金の大切さを知ることは、為政者にとって必要なことでしょ?」
「あなたのは行き過ぎなのよ。実の姉を金儲けの道具に利用するくらいですものね。知ってるのよ? 賭けの胴元だけでなく、私のブロマイドを売り捌いて金儲けをしていたことくらい……」
「よくそんな昔のことを覚えてるわね。もう十年以上、昔の話じゃない。時効よ、時効」

 実の姉から厳しい追及を受けながらも、不貞不貞しい態度を取る妹。
 この姉にして、この妹と言ったところだろう。

「まったく変わらないわね。それで? 剣先生を取り引きの材料に使って、交易の主導権を握ろうと言う訳ね」
「姉様にもメリットのない話じゃないでしょ?」

 ゴールドは異世界との交易を開始するにあたって手始めに、タチコマや亜法結界炉を輸出しようと交渉を進めていた。
 現在、ゲートに最も近い惑星で進められている都市開発にタチコマが役に立つと考えてのことだ。
 しかし、あちらの世界にはエナが存在しない。厳密にはそれに近いものは存在するとのことだが、どこの惑星にでも存在すると言うものではない。
 そこで考えたのだ。ブレインクリスタルを輸出すれば、この世界にも十分な益があると――

「確かにハヴォニワ……いえ、この世界にとっても悪い話ではないわね」

 ゴールドの提示した案は、確かに悪くない話だった。
 ブレインクリスタルの採れる〈剣のダンジョン〉は、ユキネの故郷にある。現在ダンジョンの管理は、林檎が創設した探索者ギルド(元山賊ギルド)が行なっており、収益の三割はハヴォニワに税として納められている。ブレインクリスタルの輸出だけでも膨大な利益を上げることが出来るだろう。
 それにこの取り引きが上手く行けば、追々と交易で取り扱う品の種類や数も増えて行くはずだ。
 何より異世界との交流は、異世界人の召喚から新たな文化や技術を取り入れてきたこの世界にとって大きな意味を持つ。
 ハヴォニワだけでなく、すべての人々にとって悪い話ではなかった。

「納得して貰えたみたいね。それに根回しをしたのは事実だけど、いまの私は正木商会の一員よ。昔のことは水に流して、姉様とも仲良くやりたいと思ってるのよ」
「水に流してって……私の台詞だと思うのだけど?」

 まったく悪びれないゴールドの態度に、頭痛を覚えるフローラ。
 とはいえ、フローラも妹を利用したことがないかと言えば、そんなことはない。
 お互い様と言えば、似た者同士の姉妹であった。


  ◆


 山賊ギルドを解体するにあたって手に職を持たない荒くれ者たちに仕事を与え、犯罪を抑止するために作られたのが探索者ギルドだった。
 彼等の仕事は、ダンジョンに潜ってブレインクリスタルを回収することだ。
 極稀に見つかる宝箱からは高値で売れるアーティファクトが出現するとあって、大陸全土から一攫千金を夢見る者たちが集まり、村は大きな賑わいを見せていた。
 いや、もはや村ではなく街と言った方が正しいだろう。
 人口も少なく寂しかった谷間の集落は、いまや人口が十倍以上に膨れ上がり、急ピッチで再開発が進められていた。
 このまま人口が増え続ければ、大陸を代表する有数の都市となる日も、そう遠くはないだろう。

「ユキネ様、これがギルドから提出された今月分の収支報告になります」
「いまフローラ様への報告書を纏めているところなので、そこに置いておいて貰えますか? あと、出来れば様付けは遠慮して欲しいのですが……」
「そうしてあげたいところなのだけど、立場もあるからね。まあ、早く慣れなさい」

 イザベルに様付けで呼ばれるのには慣れないのか、戸惑いを覗かせるユキネ。
 とはいえ、いまの彼女はマリアの代役として、国とのパイプ役を担う重要な役目を任されている。謂わば、代官のようなものだ。
 そして、荒くれ者たちが集まる集落とあってトラブルは少なくなく、時には実力行使が必要とされることもある。
 ユキネ自身もかなりの実力者ではあるが、彼女に何かあってはいけないからと派遣されたのがイザベルだった。
 立場的には、いまのイザベルはユキネの護衛機師と言うことになる。様付けで呼ぶのは、そのためだ。

「なら、あたしよりもキャイア(あのこ)≠フ方がよかった?」
「えっと、それはそれで……」

 キャイアに畏まられるのも、ユキネとしては遠慮したいのだろう。
 実のところキャイアも、いまはこの集落に滞在していた。
 イザベルと交代でユキネの護衛に付くこともあるが、普段は他の探索者と同じようにダンジョンへ潜っている。
 一攫千金が目当てと言うよりは、実戦に身を投じることで自らを鍛え直すのが目的なのだろう。
 先の戦いで不甲斐なさを実感したというのもあるのだろうが――

「ダグ坊のことが好きならさっさと告白すればいいのに、ライバルに塩を送るなんて本当にバカな子よね」

 呆れた口調で、この場に水穂がいたら耳を塞ぎそうなことを口にするイザベル。
 実のところダグマイアの案内を、水穂から最初に頼まれたのはキャイアだった。
 しかし意地を張って、案内役をエメラに譲ったのだ。
 大方ダグマイアに合わせる顔がないとか、自分はラシャラの護衛機師だからとか――
 また自分に言い訳をしているのだろうと、イザベルはキャイアの考えを見透かしていた。
 今回の任務についてきたのも本当はダグマイアのことが気掛かりで、じっとしていられなかったからだろうと。

「ユキネちゃんも、マリアちゃんに遠慮なんてしないで素直になりなさいよ」
「え……そ、それは……」
「うちのバカ娘みたいに後悔だけはしないようになさい」

 太老への気持ちを見透かされて狼狽えるも、イザベルが自分のためを思って忠告してくれているのだと察して――
 はい、と小さく呟きながらユキネは心の中で感謝を口にするのだった。


  ◆


 同じ頃、地球の柾木家では――

「それでは、剣士くんは?」
「随分と注目を集めて、苦労しているみたいだね。聖機師が以前ほど特別な存在ではなくなったからと言って、太老や剣士が有望な結婚相手であることに変わりは無いからね。でも太老には既に婚約者がいるし、立場的にも王侯貴族に名を連ねない普通の聖機師が結婚を申し入れられるような相手じゃない。なら、まだフリーの剣士にって人気が集まるのは当然の流れだよ」

 鷲羽から剣士の置かれている状況を聞き、同情する正木かすみ。
 そうなっている原因の一端が自分の息子にあるのだ。
 なんとも言えない気持ちになるのは仕方のないことだろう。
 とはいえ――

「まあ、襲われても命の危険がある訳でもなし、責任を取る必要もないんだから役得みたいなもんだよ」

 そう言って、クツクツと笑う鷲羽。
 確かに割り切ってしまえれば、これほど男にとって都合の良い世界はないだろう。
 気に入った美女とやりたい放題で、子供が出来たところで責任を取る必要はないのだ。
 むしろ感謝されるのだから、欲望に忠実な若者にとっては夢のような世界だ。
 しかし、

「そんなことになったら、私は玲亜さんに会わせる顔がないのですが……」

 剣士はそういうタイプの男子ではないし、苦労の方が多いだろう。
 それに、そんなことになったら玲亜に申し訳が立たないと、かすみは溜め息を吐く。

「もしかして、桜花ちゃんが剣士くんを連れて行ったのは……」
「こうなることを予測してだろうね」

 太老の虫除けに剣士を使う算段だったと言うことだ。
 もっとも、その企みは上手く行ったとは言いがたい。
 さすがの桜花も、また別の世界に飛ばされるとは思ってもいなかったからだ。
 船穂の思惑も、桜花の狙いも、外されたと言うことになるだろう。
 いや、その程度で済めばいいが――

「また別の世界で、いろいろとフラグを立ててるみたいだからね。本当に飽きさせない子だよ」
「まったく、あの子ときたら……」

 まず間違いなく、この話はこれで終わらないと鷲羽は予測を立てていた。
 いや、太老のことだ。その予測すら軽々と超えてくるだろうと――

「鷲羽様、本当にこれでよかったのでしょうか?」
「さてね。でも、何が正しいかなんて神様にすら分からないんだ。仮に間違っていたとしても誰も責めたりしないさ」

 太老に関して言えば、訪希深ですら未来を見通すことが出来ないのだ。
 かすみの不安は当然だが、結局のところは自分に出来ることを信じてやるしかない。
 それに、まったく成果がなかったと言う訳ではなかった。
 今回のことで、太老の力の本質≠見極めることには成功したのだ。
 完全とは行かないが、特定の条件が揃えば太老の力を抑止できることも分かってきた。

「信じてやりな。自分の子供を――」
「そうですね。でも、鷲羽様。一つ、間違っています」
「ん?」
「わたしたち≠フ息子です」

 かすみの口から思ってもいなかった答えが返ってきて、目を丸くする鷲羽。
 しかし我に返ると「これは一本取られた」と、心の底から嬉しそうに笑うのだった。





 ……TO BE CONTINUED



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