太老が異世界へと通じるゲートを開いてから凡そ三ヶ月。
ゲートに最も近い惑星では、宇宙港などの設備を整えるための都市開発が始まっていた。
勿論、指揮を執っているのは樹雷第一皇妃の柾木船穂樹雷。そして、ZZZ財団が開発の資金を投じていた。
ちなみにZZZ財団というのは、太老の資産を効率的に運用するために設立された財団のことだ。
太老の発明品は本人の与り知らぬところで愛好家が多く、いまやギャラクシーポリスでも正式採用されるほどの人気を誇っていた。
そのため、太老のもう一つの名――哲学士タロの名は、この宇宙で(特にアカデミーでは)知らない者はいないと言っていいほど有名なものとなっている。そのため、莫大なパテント料が太老のもとには入ってきていた。
ギャラクシーポリスに所属する隊員の数だけでも二兆人を超えるのだ。当然と言えば、当然だろう。
更に付け加えるなら太老には樹雷から海賊討伐の報奨金と、連盟からもDr.クレーの逮捕に協力し軍の改革に貢献したということで協力金(口止め料)が支払われていた。
それらの資産を合わせると、いまや小国の国家予算数年分に相当する額に達している。
とてもではないが、個人で運用しきれる資産ではない。そこで考えられたのが、財団の設立であった。
紆余曲折あって財団の代表には船穂が就任することとなり、林檎率いる神木家の経理部も資産の運用に協力していた。
その結果、財団の資産は減るどころか、いまも増え続けていると言う訳だ。知らぬのは本人ばかりと言ったところだろう。
元々太老のパテントは子供に持たせるのは大きな額だからと、鷲羽と太老の生みの親である正木かすみが本人に内緒にしていたことも理由として大きい。まあ、それだけの大金を本人に渡したところで持て余すのがオチなので間違った考えとも言えない。実際ジェミナーにある屋敷の管理もマリエルがやっており、商会の経理もほとんど水穂とマリアが担っていた。
太老が大金を遣うことなど、ほとんどが自身の研究や開発に関わることばかりで、それも結局は商会の利益に繋がっている。
根が庶民なので桁の違う大金を見せられても、自分のお金だという認識が持てないのだろう。
「あれから三ヶ月ですか……」
太老がゲートを使い、ジェミナーへと帰還して三ヶ月。
船穂が都市開発を急いだ最大の理由は、この星をジェミナーとの交流の受け皿とする計画が進んでいたからだ。
この点については桜花やドールたちとも話が付いており、宇宙港の整備を終えてから早速開始する予定だった。
しかし、そろそろ第一報があっても良い頃合いなのだが、未だにあちらの世界から連絡が入る様子はない。
太老のことだ。また、何かトラブルに見舞われているのではないか、と船穂が心配するのは当然であった。
「船穂様、ゲートに反応が……」
「ようやくですか。では、手はずどおりに出迎える準備を――」
「待って下さい! 何か、様子がおかしいです!」
動揺を隠せない様子の女官の声と共に、瑞穂(船穂の皇家の船)のレーダーに無数の艦影が現れる。
ゲートから出現した艦隊。それは船穂の想像していたものとは大きく異なるものだった。
守蛇怪・零式ではない。それに話に聞いている方舟や〈星の船〉とも形状が違う。
旧式の宇宙船を繋ぎ合わせて造ったかのようなスクラップ艦だった。
太老が造ったにしては違和感を覚える。そんなスクラップ艦がトータルで百隻ほど。
更に、その中心に現れたのは――
「船穂様、もしかしてあれって……」
「ジェミナーの人型機動兵器のようですね。ですが、あの姿は……」
恐らく聖機人もしくは聖機神だと思われるが、見たこともないカタチをした機体に困惑する船穂。
しかし、船穂が知らないのも無理はない。
聖機人の倍以上はあろうかという巨大な真紅の機体。
それは、聖機神の原型ともなった機体――マジン≠ナあった。
異世界の伝道師 第396話『新たな世界』
作者 193
「お手数をお掛けしたみたいで申し訳ありません」
空間に投影されたモニターに向かって頭を下げる水穂
ここは太老の領地に停泊する方舟のブリッジ。通信の相手は、柾木船穂樹雷。
皇家の樹の繋がりを応用して、瑞穂に直接通信を繋いだのだ。
技術的には太老がゲートを開いた手法と同じだが、通信装置が完成したのはつい先日のことだった。
太老がいれば、もっと早くに連絡を取れていたのであろうが――
『太老殿が行方不明?』
「えっと、はい。一度はこちらへ帰ってきたのですが、そのあと問題が発生して……」
水穂の話によると『新生・銀河帝国』を名乗る勢力が、ハヴォニワが議長国を務める大陸連合に宣戦布告。
復活したマジンと共に千隻にも及ぶ宇宙船を率いて、ハヴォニワ・シュリフォン・シトレイユの三大国へ同時侵攻を開始したらしい。
首謀者の名はパパチャアリーノ・ナナダン。嘗て、宇宙のほとんどを支配した銀河帝国の貴族だった男だ。
黄金の聖機神が放った攻撃でブラックホールに呑み込まれ、死んだと思われていたのだが――
「ブラックホールに呑まれた後、時空の海を漂って数千年後の未来へ転移したみたいです」
と、水穂は説明する。
言ってみれば、過去の世界から現代へと転移したマリエルもといマリーと同じだ。
ただ彼女と違うところは、パパチャが転移したのはこの星≠ナはなかったと言うことだ。
パパチャが漂着したのは銀河皇帝のお膝元、銀街帝国の首都として栄えた惑星の廃墟だった。
そこに眠っていた古代遺物から船を修復し、戦力を整えつつ復讐の機会を窺っていたと言う訳だ。
『ブラックホールに呑まれて無事に生還するとは、凄い幸運ですね』
「この場合、悪運が強いと言った方が正しいと思います」
『それは……まさか、天南家の御子息のような?』
「はい。考え方によっては、太老くんから逃げ果せたとも取れる訳ですから……」
それがどれほど難しいことかを知るだけに、船穂は心の底から驚きと感心した様子を見せる。
これまで太老の能力の影響下にあって、逃げ果せた者など一人として記憶にないからだ。
ましてや、あの零式を相手にして生還するなど、余程の悪運がなければ不可能なことだ。
それこそ、確率の天才に限りなく近いほどの悪運を有していると言うことになる。
『ですが、それならば納得が行きます』
「では、やはり……」
『はい。残念ですが……』
パパチャは捕り逃がしたことを船穂は水穂に伝える。
敵か味方分からず判断が遅れたと言うのも理由の一つにあるが、艦隊を囮にしてランダム転移されたことで〈皇家の船〉――瑞穂のレーダーでも追い切ることが出来なかったのだ。
大半は捕まえることに成功したが、生憎と首謀者のパパチャとマジンは捕り逃がしてしまった。
しかし水穂の話を聞いた今なら、納得の行く話であった。
それこそ本気で捕まえようと思えば、ローレライの異名を持つ山田西南の協力でも仰がなければ不可能だろう。
『連絡が遅くなった事情は理解できました。それで、太老殿が行方不明というのは?』
「艦隊を追ってゲートに飛び込んだのですが、どこか別の世界へ転移したみたいで……」
『……また、どうしてそんなことに?』
「訪希深様の話では、度重なる時間移動の影響で時空間に乱れが生じているそうで」
『時空の乱れに呑まれたと?』
「はい。無事であることは確認が取れているのですが、またトラブルに巻き込まれているみたいで帰って来るのには時間が掛かるそうです」
と説明する水穂の口からは深い溜め息が溢れる。
いつも想像の斜め上を行くのが太老とはいえ、今回の出来事は水穂の予想の更に上を行っていたからだ。
太老を異世界に隔離しようと考えていた鷲羽や瀬戸も、まさか自分から異世界へ転移するなどと想像もしていなかっただろう。
『そういうことなら、太老殿抜きで話を進めるしかなさそうですね』
「幸い、そこに関しては問題ないかと。元より私たちはおまけ≠ナ、こちらの世界の人たちを中心に話を進めていく予定でしたから」
『将来的なことを考えれば、その方が良いでしょうね。では、予定通りに交流≠ヘ進めるということで』
「はい、よろしくお願いします」
『それはそうと……あなたは太老殿についていかなくてよかったのですか?』
「えっと、それは……商会のこともありますし、私や林檎ちゃんがここを離れる訳には……」
『まったく、あなたたちは……そう言って、ライバルに塩を送る余裕があるのかしら?』
もっともな船穂の言葉に、何も言い返せずに水穂は肩を落とすのだった。
◆
「……どうかされたのですか?」
両手で顔を覆って動かない水穂を見て、不思議そうに尋ねるハヅキ。
こんな水穂の姿を見るのは初めてのことだけに、彼女が戸惑うのも無理はない。
普段滅多なことでは隙を見せない水穂だが、今回ばかりは相手が悪かった。
「いろいろとあってね……。それより、どうかしたの?」
「フローラ様から尋ねたいことがあるので明朝の会議へ参加して欲しい、と言伝を預かっています。都合が悪い場合は連絡が欲しいそうです」
「問題ないわ。丁度、こっちからも連絡をするつもりだったから」
「では、そのように返事をしておきますね」
そう言って一礼すると、ブリッジを後にするハヅキ。
商会にきた頃の自信がなさそうにしていた彼女と比べれば、成長が窺える。
この一年マリアと共に、ほとんど休みなしの多忙極まる毎日を送ってきた経験が、自信に繋がっているのだろう。
「ゲートの件……それに、たぶん太老くんのことよね」
フローラが何を知りたいのかを察して、明日の会議で必要となるであろう資料の準備を早速始める水穂。
船穂に言ったようにサポートに徹するつもりではいるが、主導権を完全に渡すつもりはなかった。
そのための正木商会だ。太老の立場を盤石なものとするためにも、そこだけは譲れないと考えていた。
船穂の思惑に乗ったのも、そのためだ。鷲羽や瀬戸さえも、水穂と林檎は利用するつもりで覚悟を決めていた。
もっとも、それはあちらも承知の上だろうと考える。
方向性に違いはあれ、みんな太老の行く末を案じている点は同じだからだ。
「とはいえ、任せておいたら船穂様はともかく、瀬戸様なんかは面白可笑しく変な方向に話を持っていきそうだしね」
そう考えると、やはりストッパーは必要だと水穂は考える。
船穂に関しても、まったく問題がないかと言えば、そうとも言い切れない。
阿主沙の後を継がせて太老を次期樹雷皇にしたいみたいだが、水穂としては将来のことは太老の自由に決めさせてあげたいと考えていた。
ただでさえ、幼い頃から厳しい監視下に置かれ、選択の自由さえも奪われて生きてきたのだ。
本人はまったく意に介していない様子だが、傍から見れば太老の境遇は決して幸せなものとは言い切れないからだ。
「今後も外部からの干渉は避けられない。なら、作るしかないわよね」
より住みよい世界を――
太老が太老らしく、自由に生きられる世界を――
それが、水穂と林檎の願いであった。
◆
その頃、守蛇怪・零式はと言うと――
「太老様、お茶が入りました」
「サンキュー、マリエル。いつも悪いな」
「いえ、これが私の仕事ですから」
そう言って微笑むマリエルに釣られ、太老の表情も緩む。
船の中に固定された人工惑星の邸宅で、いつものように寛ぐ太老たちの姿があった。
「パパチャの奴、相変わらず悪運が強いわね。もう少しで引導を渡せると思ったのに」
「そうそう、アホラッチャの奴、悪運だけは強いのよね。あの執念深さだけは認めるけど」
「ママもしぶとさだけはゴキブリ並だって言ってたわ」
パパチャのことをボロクソに扱き下ろすキーネとアウン。
それに追従するマリーの話を聞いて、何とも言えない表情になる太老。
少し可愛そうな気もするが、自業自得と言ってしまえばそれまでだ。
マリーに至っては家族だと信じていた相手に裏切られ、殺されそうになったことを考えると当然の反応であった。
もっとも本人は嫌ってはいても、それほど恨んではいないそうなのだが――
『パパのことは嫌いだけど、お兄ちゃんと巡り逢わせてくれたことには感謝してるよ』
とのことだ。
パパチャがいなければ、生まれてくることはなかった。
生まれて来なければ、こうして太老と出会うこともなかっただろう。
だから裏切られたことはショックだが、恨んではいないというのがマリーの答えだった。
キーネとアウンも嫌ってはいるが、本気で殺したいほど憎んでいると言う訳ではないのだろう。
二人の会話からは昔を懐かしむような気安さを感じるからだ。
とはいえ――
「あの手の奴は生かしておくとしつこいわよ」
ドールの言い分にも一理あった。
ゴキブリのようなしぶとさを持った執念深い男など、生かしておいても厄介なだけだと言いたいのだろう。
皆そこは同意なのか、苦笑を漏らしつつも一斉に頷く。
「大丈夫よ。お兄ちゃんに悪意を向け続けている限り、アイツの作戦が上手くいくことは絶対にないと言い切れるから」
しかし、桜花は心配ないと話す。
善意には善意を、悪意には悪意を――
太老への復讐心を燃やせば燃やすほど、パパチャは泥沼に嵌まることになる。
どれだけ綿密に計画を練ろうとも、最終的には絶対に℃ク敗する。その確信が桜花にはあった。
根性や執念だけで攻略できるほど、確率の天才は甘くないからだ。
「皆して、こんなところにおったのか。マリアとメザイアが探しておったぞ?」
「マリアちゃんとメザイアが? もしかして、ベスとネイザイから連絡があった?」
「うむ、目的の遺跡を発見したらしい。じゃが、例の地球からやってきた船と揉めておるみたいじゃな」
「げッ、まさか……」
「そのまさかじゃ」
ラシャラの話を聞き、心底面倒臭いと言った表情を浮かべる太老。
太老の反応からして、関わり合いになりたくない相手なのだろう。
すぐにジェミナーへ帰れない事情が、実はこの辺りに深く関係していた。
いつものように突発的なトラブルに巻き込まれ、帰るに帰れなくなってしまったのだ。
「お兄ちゃんが面倒臭そうな顔をしてるのって、あの女艦長さんのことでしょ?」
「面倒臭いというか、苦手なタイプというか……どことなく美星に似ている気がするんだよな」
「ああ、なんとなく分かるかも。でも、だとすると意外と優秀なのかもね」
確かに、と桜花の話に少し納得した様子を見せる太老。
美星もああ見えて、難事件を幾つも解決に導いた優秀な捜査官なのだ。
そう考えると、人の話を聞かない天然バカに見えて、実は優秀という線はありえなくない。
そもそも優秀でなければ、最新鋭艦の艦長を任されることなどないだろう。
「お兄様!」
「今度はマリアか。いま、ラシャラちゃんから話を聞いたところだ」
「それどころじゃありません! 敵襲です! 船のレーダーが衛星軌道上に展開する無数の敵性反応を捕捉しました!」
「敵? それって前に撃退した奴等が、仲間を引き連れてやってきたってことか?」
「たぶんそうです!」
次から次へと、と心の底から面倒臭そうに重い腰を上げる太老。
とはいえ、このままにしておけないのもまた事実だった。
仕方がないかと、太老は皆に目配せをして――
「ベスとネイザイの回収を最優先。ドールはメザイアと聖機人で出撃して無人機の相手を頼む。あと零式、お前はやり過ぎるなよ?」
『了解です! お父様に歯向かったことを程々≠ノ後悔させてやりますよ!』
本当に理解しているのか分からない零式の話を聞きながら、太老は深々と溜め息を溢すのだった。
……TO BE CONTINUED
あとがき
何の世界かはシルフェニア常連の方々は察しがつくと思いますが、いまのところ続きを書く予定はありません。
あとはエピローグを残すのみ。もう少し続きます。
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