「はあ……」
憂鬱な表情で窓の外を見上げながら、今日何度目か分からない溜め息を漏らす黒髪の少女。
そんな彼女を心配して、声を掛ける一人の少女がいた。
「エリゼ、どうかしたのですか? 今日は一日、空をぼーっと眺めて……」
黒髪の少女のことを『エリゼ』と呼ぶ長い金色の髪をした彼女の名は、アルフィン・ライゼ・アルノール。
ここクロスベル特区の総督に就任したエレボニア帝国の皇女だ。
高貴なドレスに包み隠された陶磁器のような白い肌。スラリと伸びた手足。お人形のように均整の取れた顔立ち。
帝国の至宝と呼ばれているだけあって、同性から見ても溜め息が溢れるほどの美しさを秘めていた。
だが、そんな彼女に負けていないのが、もう一人の美少女エリゼ・シュバルツァーだ。
帝国北部の温泉郷ユミルを治めるシュバルツァー男爵家の一人娘で、アルフィンの従者にして親友でもある。
達人クラスとまではいかずとも、細剣の腕は学生のなかでもトップクラス。頭も良く、帝都にある有名なお嬢様学校に通っていた頃などは常に学年トップの優秀な成績を収めていた。
それでいてアルフィンに引けを取らない容姿だ。
面倒見も良く優しい性格をしていることから、下級生からは『お姉様』と呼ばれて慕われていたほどだった。
そんな彼女はアルフィンの自慢の親友だ。しかし、欠点が一つもないわけではない。
「姫様……いえ、特には何も……」
目の前の親友がそういう風に誤魔化す時は、いつも何か悩みを抱えていることをアルフィンは知っていた。
エリゼはなんでも出来る分、一人で抱え込む癖がある。アルフィンは勿論のこと、余り周囲に頼ろうとしない悪い癖があった。
そのあたりは、いまここにいないが『兄様』とエリゼが慕う黒髪の男性とよく似ているとアルフィンは苦笑する。
実際に血の繋がりはないはずだが、本当の兄妹と言われても驚かないくらいだ。
なまじ一人で解決するだけの力を持っているのが、この二人の厄介なところだとアルフィンは思う。
しかし、それでも親友が悩んでいるのなら相談に乗ってあげたい。助けになりたいと思うのが心情だ。
そしてエリゼがここまで深く思い悩むことに、アルフィンは一つだけ心当たりがあった。
「リィンさんのことですか?」
リィン・クラウゼル。先程も言ったエリゼが『兄様』と慕う黒髪の男性だ。
暁の旅団と呼ばれる猟兵団の団長。最強の猟兵にして、先の戦争で活躍した〈灰の騎神〉の起動者。
こんなにもエリゼが悩む相手と言えば、自分か彼のこと以外にないと考えての質問だったのだが、
「半分正解、半分はずれと言ったところです」
曖昧な答えがエリゼの口からは返ってきた。
どういうことかと首を傾げるアルフィンを見て、エリゼはまた一つ溜め息を溢すと一通の白い封筒を手渡す。
「差出人が書いていませんね。ですが、聖アストライア女学院の封蝋ですか? 一体、誰から……」
「……さんです」
「え?」
「ミルディーヌさんです!」
エリゼの口から思い掛けない名前を聞き、アルフィンは手紙を持ったままポカンと口を開けて固まる。
ミルディーヌ。それはエリゼとアルフィンの共通の友人。歳は一つ下で中等部に通っている女学院の生徒だ。
アルフィンとエリゼは高等部への進級が決まると同時に休学したため、内戦以降はミルディーヌと直接顔を合わせていなかった。
しかし女学院のことが気掛かりで、手紙によるやり取りは定期的にしていたのだ。
そのため普通の手紙なら、エリゼがここまで取り乱すことはないだろうとアルフィンは考える。
「あの子は一体なにを……」
「手紙をお読みになれば、わかります……」
中等部の卒業旅行を兼ねた最後の課外授業で、クロスベルを訪問することがそこには書かれていた。
それだけであれば休学中のエリゼとアルフィンに、気になっているであろう学院の様子を報せておこうという後輩の心遣いに思える。
だが、彼女の立場や事情を知るアルフィンとエリゼには、これがただの近況報告でないことが、はっきりと理解できた。
というのも――
『愛しのお兄様≠ノお会い出来る日を心待ちにしています』
最後の行に『追伸』と、そのように書かれていれば、エリゼが不機嫌になるのも無理はない。
どこでそのことを知ったのか? と、アルフィンとエリゼは揃って溜め息を漏らす。
エリゼとアルフィンは女学院に宛てた手紙に、リィンのことは一言も書いていない。
しかし、あの子――ミルディーヌなら納得させられる底知れないものがあるのは確かだった。
「あの子が、こんな手紙を送ってくると言うことは……」
「はい。訪問の目的は兄様≠セと思います……」
不幸中の幸いは、いまリィンは〈空の女神〉の捜索の旅に出掛けていて、クロスベルにいないことだ。
さすがのミルディーヌも、異世界まで追い掛けていくことは出来ないだろうとエリゼは考える。
それよりも問題は、彼女がどうしてリィンに接触しようとしているかだ。
エリゼとアルフィンが好意を抱き、女学院を休学してクロスベルまで追い掛けていった男性に興味を持った?
それは確かに理由として、彼女ならありそうだと二人は思う。しかし、それだけではないと考える。
「……どう思われますか?」
「リィンさんの力が必要な――そんな状況に現在のあの子は置かれている。そういうことなのでしょうね」
となれば、会わせないわけにはいかないだろう。
恋する乙女としては複雑だが、女学院の後輩を見捨てられるはずもない。
そして、そこまで計算して動いているであろうミルディーヌに呆れ、その対応に二人は頭を悩ませることになるのだった。
◆
「なんか、悪寒が……」
焚き火の前で肩を震わせるリィンを見て、フィーは首を傾げながら「風邪?」と尋ねる。
「いや……誰かが噂でもしてるんだろ」
「また、女絡みですの? エリィを悲しませたら許しませんわよ?」
「なんで、そこに限定するんだ……」
「自分の胸に手を当てて考えてみることをおすすめしますわ」
ここで更に反論をすると藪蛇になりそうなので、リィンは口を噤む。
ベルの言っていることは、満更的外れとは言えないからだ。その程度の自覚はリィンにもあった。
もっとも自分から女性に迫ったことはないと言いたいことはあるのだろうが、傍から見れば同じことだ。
しかし、このなかで一人だけわかっていない少女がいた。
「でもそれって、リィンが強いからだよね?」
要約すると、強いオスにメスが惹かれるのは当たり前のことだと主張するシャーリィ。
彼女らしいシンプルな考え方に、ベルは呆れた顔を見せる。
一方でリィンは、男女の関係がそんなにシンプルに片付くのなら苦労はないと頭を振る。
リィンは決して鈍感ではない。周りの女性が自分に向けている好意に気付いているからこそ厄介なのだ。
「……口に合わなかったか?」
この話はここまでだと話題を変え、スプーンを口元に運んで固まっている正面の女性にリィンは声を掛ける。
動きやすいようにアップで纏められた長い髪に、釣り上がった瞳が少々厳格なイメージをにおわせる貴族風の美女。旅の装いではあるが、仕立ての良い衣装と落ち着いた物腰が育ちの良さを感じさせる。
そんな彼女の名はグリゼルダ。この島にきて一日目。ほんの数時間前にシャーリィが偶然助けた女性だった。
リィンが事情を聞くと、半月ほど前に乗っていた船が沈んで島へ流れ着いたとの話だった。
セルセタという地域で総督をしているそうで、とある視察の帰りに沈没事故に巻き込まれたそうだ。
その話を聞き、この世界の地理や情勢に詳しそうだと考え、いろいろと話を聞かせてもらうことを条件にリィンは食事に誘ったのだった。
「いや、逆だ。ここ半月ほどは携帯食と木の実ばかりを食べていたのでな……」
「ああ、なるほど……」
グリゼルダの苦労を察して「たくさんあるから遠慮せずに食え」と、リィンはシチュー以外の料理も勧める。
食糧や水の他、調味料や酒の類。野営のための簡易テントなど、リィンたちは旅の備えを十分にしていた。
彼等の目的は〈空の女神〉の足跡を追うことだ。そのために、こことは異なる世界から〈騎神〉に乗って旅をしてきたのだ。
先史文明の滅亡の原因となったとされる大崩壊。その大崩壊以降ずっと続くマナの減衰によって、近い未来〈七耀脈〉が力を失い、セピスと呼ばれる特殊な鉱石が産出されなくなる可能性が彼等の世界では示唆されていた。
セピスとは、導力によって作動する機械〈オーブメント〉を動かすために必要な資源だ。そして〈オーブメント〉は人々の生活を支えるのに必要不可欠な道具。もしセピスが採れなくなれば、オーブメントに依存した社会は崩壊する。だからこそ、原因の究明と対策が求められた。そしてマナの減衰が〈空の女神〉が人々の前から姿を消した時期から始まっていることを、リィンはマリアベル・クロイス――現在はベル・クラウゼルと名乗っている少女の姿をした錬金術師から聞かされたのだ。
神の不在。それが世界から神秘≠ェ失われつつある原因だと――
女神が姿を消したのは、確かに人間にも問題はあったのだろう。
だが〈至宝〉を人々に与え、異世界から魔女や地精を呼び寄せ、最初に世界へ干渉したのは〈女神〉だ。世界をそんな風にした責任は〈女神〉にもある。
それに魂だけが呼び寄せられ、前世の記憶を持ったままリィン・クラウゼルに転生するに至った理由。無数にある世界、そこに住む人々。そのなかから自分が選ばれたのは〈至宝〉の力によって歪められた歴史を修正しようとする〈世界の意志〉だけでなく、人々の前から姿を消した〈女神〉が関係していると、確信めいた予感をリィンは得ていた。
だから消えた〈女神〉を追うことにしたのだ。
何も告げずに人々の前から姿を消し、大きな厄介事を残してくれた〈女神〉に責任を取らせるために――
それに例え〈女神〉を見つけることが出来なくとも、異世界ならマナの減衰を止める手立てが見つかるかもしれない。
そのための知識と技術の蒐集も、この旅の目的にあった。
見た目十歳ほどの少女にしか見えないベルが、こうして旅に同行している理由の一つと言っていい。
もっとも、そんな話をグリゼルダにしたところで、信じてはもらえないだろうとリィンは考える。
普通なら冗談と笑い飛ばすような話だと、自覚しているからだった。
「満足したか?」
「うむ。見たことのない料理が幾つかあったが、どれも絶品だった。これは貴殿が?」
「ああ、うちの女連中は料理がからっきしダメでな」
先程からかわれた意趣返しとばかりに、女性陣に非難めいた目を向けるリィン。
しかし、
「シャーリィも料理くらい出来るよ?」
「ん……断固抗議する」
「料理はシェフがするものでしょう?」
「狩ってきた獣を下処理もせず、丸ごと焼くのは料理と言わん! フィーも普通に調理すればいいのを、なんでレーションを作ろうとする? ベル、お前もだ。普通の家には専属シェフなんていないからな?」
今更ながらメンバーの選択を間違えたと、リィンは後悔していた。
このメンバーでは、どうやっても食事の当番はリィンがする以外に選択肢がないからだ。
そんなリィンたちのやり取りを見て、プッと小さな笑みを漏らすグリゼルダ。
「貴殿たちは面白いな。こんなにも楽しい時間を過したのは久方振りだ」
その言葉に嘘はないのだろう。グリゼルダは心の底から笑っていた。
平静を装ってはいても危険な獣が徘徊する島に身一つで放り出されれば、普通の人間であれば不安や恐怖を感じないはずがない。
それでも彼女が取り乱したりしないのは、騒いだところで問題は解決しないと理解しているからだ。
それに命があるだけでも彼女は運が良かった。沈んだ船には、他にも大勢の人たちが乗っていたはずだ。
彼女の他にも運良く島へ流れ着いた者はいるのだろうが、そのまま海の藻屑と消えた乗員も少なくないだろう。
「しかし、こんな島で半月もよく無事だったな」
「剣には少し心得があるのでな」
そう言って、見事な装飾が施された剣を鞘から引き抜き、リィンに見せるグリゼルダ。
見た目だけでなく、かなりの業物であることが窺える片手剣だった。
「だが、あの獣には攻撃が通じず危ないところだった」
「この辺りには、そんな獣が普通にいるのか?」
「いや、少なくとも私は見たことがない。この島特有の生き物と考えていいだろう」
この島には、まさに見た目は『恐竜』としか例えようのない危険な獣が生息していた。
自身の数倍はあろうかという異形の獣に襲われているところを、グリゼルダは偶然通り掛かったシャーリィに助けられたのだ。
野営の用意をしていると、いつの間にかいなくなっていたシャーリィが、グリゼルダを連れて帰ってきた時にはリィンも驚いた。
てっきり無人島だとばかりに思っていたからだ。
(先に騎神≠隠しておいて正解だった)
もしグリゼルダに〈騎神〉を見られていたらと考えると、リィンは早めに隠しておいて正解だったと思う。
説明が面倒臭いというのもあるが、この世界の人たちが騎神を見てどういう反応を示すか分かっていないからだ。
特にグリゼルダは『セルセタの総督』と身分を名乗った。それは、どこかの国に仕える軍人もしくは貴族と言うことだ。
少なくとも〈騎神〉のことは、まだしばらく秘密にしておくべきだろう。
そのためにも、まずはこの島のこと、この世界のことをもっとよく知ることだ。
そんな風に考えをまとめたリィンは、グリゼルダに確認を取るように尋ねた。
「この島……セイレン島だったか?」
「確かなことは言えないが、恐らくはその可能性が高いと私は考えている」
島に近付く船がことごとく謎の沈没を遂げることから、ゲーテ海を行き来する船乗りに恐れられている魔の島。
それがこの『セイレン島』だと、リィンはグリゼルダから話を聞いていた。
実際のところ彼女も乗っていた船――ロンバルディア号の船長から聞いた受け売りの知識らしい。
だが、あのような異形の獣が徘徊する島など聞いたことがない。誰かが見ていれば噂の一つにもなっているはずだ。
となれば、船の沈んだ位置から考えても近海に該当する島が他になく、ほぼ間違いないだろうとグリゼルダは確信を得ていた。
「で? これから、どうするつもりだ?」
「それは……」
セイレン島の話を聞く限りでは、島の近くを船が通り掛かるようなことはないだろう。
このまま助けを待つのは絶望的だ。
しかし沈没の理由が分からない以上、仮に船を造って島を脱出しようとしても同じ目に遭うかもしれない。
そう考えたグリゼルダは、今度は自分からリィンに尋ねる。
「最初は同じ漂流者かと思った。だが、この辺りの地理に疎いようだし、話をした限りではロンバルディア号の乗員でもなさそうだ。それに異形の獣を一撃で倒したあの戦闘力。貴殿たちは一体――」
――何者だ?
そんなグリゼルダの問いに慌てる様子もなく、リィンは肩をすくめる。
その程度のことは、会話の流れから気付かれるだろうと察していたからだ。
だからこそ一切隠すことなく――
「察しの通り、俺たちは漂流者じゃない」
――猟兵≠セ。
そう告げるのだった。
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