「……猟兵?」
「まあ、傭兵のようなものだと思ってくれればいい。それなら分かるだろ?」
猟兵と言ったところで、この世界では通じないだろうと考え、リィンは『傭兵』と言い直す。
これで通じなければ説明が面倒だと思っていたが、グリゼルダの反応を見る限りでは問題はなさそうだった。
傭兵が必要とされると言うことは、この世界でも戦争はあるのだろう。
船での貿易や旅が盛んなら、海賊への備えも考えられる。
何れにせよ、この世界にも報酬を貰い依頼を請け負う傭兵がいるのは、リィンにとって都合が良かった。
いざとなったら情報収集を兼ねて、金で雇われながら戦場を渡り歩くと言った手も使えるからだ。
「何らかの依頼……目的があって、この島へ?」
「まあ、そんなところだ」
「ならば、やはり貴殿たちは――」
船を持っているのか?
と、尋ねようとしたグリゼルダに、リィンは首を横に振りながら答える。
「期待を裏切るようで悪いが船≠ヘない」
厳密には船はある。この世界ではなく、あちらの世界にだが――
それにグリゼルダが想像しているような帆船ではなく空飛ぶ鉄の船≠セ。
だが、バカ正直にそのことを話すつもりはリィンにはなかった。
それを察してベルたちも何も言わず、交渉はリィンに任せて成り行きを見守る。
「では、この島へはどうやって……」
「詳しくは言えないが、それ以外の方法があるってことだ。悪いが飯の種なんでな。これ以上は聞かないでくれ」
言ったところで理解できるはずもないので、敢えてリィンは〈騎神〉のことを教えるつもりはなかった。
もしものことを考えて、事前に隠しておいて正解だったと、グリゼルダの反応を見て感じているくらいだった。
彼女が何を期待しているのか、察していたからだ。
漂流者の捜索と島からの脱出を手伝って欲しいと、グリゼルダは言いたいのだろう。
だが、
「何を期待しているかは理解できる。だからと言って、俺たちが手を貸す理由はない」
予想の出来ていたことだけに、当然その答えも決まっていた。
「……金が必要と言うことか?」
「それもあるが、この島は広い。漂流者が何人いるかも分からないのに、どうやって捜すつもりだ?」
「それは……」
島を探索するだけでも何日掛かるか分からない。漂流者を捜索しながらとなると、更に多くの時間を要するだろう。
グリゼルダは運良く助かったが、異形の獣と戦ったシャーリィの話では、ゼムリアストーン製の武器でようやく攻撃が通る相手だったとリィンは話を聞いていた。
普通の人間がそんな獣と遭遇すれば、まず無事では済まない。それに船が沈んでから、既に半月以上が経過しているという話だ。
リィンからすれば、生きているか死んでいるかも分からない赤の他人を助けるために、時間を割く気にはなれなかった。
しかし諦めきれない様子で、グリゼルダは粘り強くリィンに交渉を持ち掛ける。
「可能な限り、貴殿たちが望む報酬を払うことを約束する。どうか頼まれてはくれないか?」
「悪いが、俺たちはアンタのことを知らない。口約束を信用して、後払いで仕事を引き受けるほどお人好しじゃないんでな」
言外に諦めろと、リィンはグリゼルダに告げる。
過去にアルフィンの依頼を引き受けたのは、その方が都合が良かったと言うのも理由にあるが、知らない仲ではなかったからだ。
その点で言えば、グリゼルダのことをリィンは何も知らない。わかっているのは名前とセルセタという地域の総督をしていると言うことくらいだ。
命を助け、食事を振る舞ってやった。これだけで情報の対価としては十分だとリィンは考える。
金もなく信用もない。そんな状況で依頼を引き受けて貰うことが、どれだけ難しいかはグリゼルダも頭では理解しているのだろう。
「あ、泣かせた」
「……リィン?」
「女の敵ですわね」
シャーリィ、フィー、ベルの三人から非難めいた視線を向けられ、リィンは眉間にしわを寄せる。
本気で責めていないことは分かるが、それでも女性関係のネタで弄られるのは嬉しくなかった。
とはいえ、グリゼルダが暗い表情を浮かべ、肩を落としていることは確かだ。
この反応を見る限りでは、まったく信用できないと言う訳ではない。少なくとも人を騙すような人間には見えなかった。
しかし、
(どう考えても割に合わない仕事だしな……)
グリゼルダの依頼を引き受けた場合のメリットとデメリットをリィンは考える。
依頼を断ったのは、報酬の問題だけではない。騎神を人目にさらすリスクを避けたかったからだ。
グリゼルダの話からして機械技術などは余り発達しておらず、文明レベルはそう高くないことがわかっている。
そんな世界に〈騎神〉を持ち込めば、争いの種となることは明らかだ。
例え、グリゼルダが信用の置ける人物だとしても、他もそうだとは限らない。
騎神で島から連れ出すにしても、保護した漂流者を全員黙らせるのは難しいだろう。
「信用がなければ口約束の依頼は受けられない、という貴殿の主張は理解した。なら、担保を貴殿に預ける。それではどうだ?」
「担保だと? 言っておくが依頼を受けるからには、こちらも相応のリスクを負うことになる。その剣なら幾らか価値はあるんだろうが、報酬に見合うほどとは思えない。何を差し出すつもりだ?」
確かにリスクに見合うメリットを得られるなら考える価値はある。
しかし金目の物を持っているのなら、最初からそれを提示して交渉すればいい。
そうしなかったと言うことは、たいしたものは持っていないのだろう。
先程見せてもらった剣は相応の価値があると思うが、報酬に見合うほどの価値があるとは思えない。
値踏みをするような視線を向けるリィンに――
「担保は私自身≠セ」
グリゼルダは胸に手を当て、そう言い放つのだった。
◆
「むう……」
机の上に山積みにされた参考書を睨み付け、難しい顔で唸る桜色の髪の少女。
彼女はユウナ・クロスフォード、十六歳。クロスベルの校外にある警察学校に通う候補生だった。
だった、というのは退学になったから自主学習に励んでいると言う訳ではない。帝国にクロスベルが併合されたことで国防軍が事実上解体され、彼女の通っていた警察学校も組織再編の影響を受けて休校となったのだ。学校が再開するのは少なくとも年明け以降になるとの通達がされ、知人に勉強を見て貰う代わりに雑用を手伝うという約束で、ほぼ毎日のようにユウナは湾岸区にあるエプスタイン財団のクロスベル支部へ通っていた。
「今日もきてたんですね。ユウナさん」
「ティオ先輩!? あっ、手伝います」
「助かります」
両手一杯に資料を抱えた白衣の少女から、ユウナはファイルの束を受け取る。
彼女はこの開発室の主任、ティオ・プラトー。エプスタイン財団クロスベル支部の責任者だ。
そして、ユウナが憧れる『先輩』の一人が彼女だった。もっとも歳はユウナの方が一つ上になるのだが――
ユウナがティオのことを『先輩』と呼ぶのは、ティオが特務支援課の元メンバーだからだ。
彼女が警察学校に入学したのも、元を辿れば特務支援課に憧れてのことだった。
最初に支援課のことを知ったのは、ヨアヒム・ギュンターが引き起こしたとされる集団催眠事件。
それからずっと特務支援課の活躍を追い続け、いつしか支援課のビルに押し掛けるほどのファンになっていた。
ティオとは、その頃からの顔見知りだ。
「あと少しで一息付けるので、もう少し待って頂けますか?」
「はい、お構いなく。何時間でも待ちますので!」
元気に返事をするユウナを見て、ティオはクスリと笑みを漏らすとノートタイプの導力端末を開く。
いま彼女は政府からの依頼で、導力ネットワークの保守作業を行っていた。
七耀歴一二〇五年八月三十一日。いまから二ヶ月ほど前の話だ。リベールで通商会議が開かれていたその日に、世界各地でグノーシスと呼ばれる薬を使った〈集団テロ〉が発生する。その騒ぎを引き起こし、主犯とされたのが〈鉄血宰相〉の異名を取ったエレボニア帝国の元宰相ギリアス・オズボーンと、帝国・共和国からの独立を宣言してクロスベルの支配者に収まったディーター・クロイスの娘、マリアベル・クロイスだった。そんなクロイス家の支配からクロスベルを解放するため、奪われた家族を取り戻すため、ティオは仲間と共に当時の戦いに参加していたのだ。
しかし作戦の成功と引き替えに、街には大きな爪痕を残すこととなった。
建物の被害だけではない。ジオフロントに張り巡らされた導力ネットワークの設備も、少なくない影響を受けていたのだ。
その原因となったのが、ギリアス・オズボーンが巨神を復活させるために行った儀式だ。
異界の門を開くために必要とされる膨大な量のマナ。そのマナを帝国全土から集めるために、クロスベルの導力ネットワークと鉄道が利用されたのだ。
その影響でジオフロント内にある幾つかの制御端末が使用不能となり、街の至るところでネットに接続できなくなる障害がでていた。
結果、導力ネットワークを使用した市民サービスや株式市場にも不具合が発生し、ティオは対応に奔走する毎日を送っていると言う訳だ。
(やはり、メンテナンス区画に直接出向く必要がありそうですね)
しかし、ここからではやれることに限界があるとティオは感じる。
ロイドやノエルにも相談をして、場合によってはギルドの力を借りる必要があるだろうと考えをまとめたところで、ティオは部屋に漂う甘い香りに気付いた。
香りの正体を追って視線を動かすと、カップに紅茶を注ぐユウナの姿を見つける。
「これは、ユウナさんが?」
「はい! ティオ先輩に食べて欲しくて作ってきたんです!」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
淹れたての紅茶の他、テーブルの上には手作りと思しき焼き菓子が並んでいた。
ユウナのテンションの高さに戸惑いながら、ティオは手に取った焼き菓子を口に運ぶ。
ゴクリと咽を鳴らし、ティオの反応を伺うユウナ。
「ど、どうですか?」
「とても美味しいです」
「やった!」
「エリィさんにも食べさせてあげたいですね。レンさんも喜ぶでしょうし」
ティオに褒められて一瞬喜びの表情を見せるも、エリィの名前がでたところでユウナは表情を暗くする。
そんなユウナを見て、「しまった」とバツの悪そうな顔を浮かべるティオ。
(そうでした。ユウナさんは……)
ユウナがここにいるのは警察学校が休校となったからだ。
その原因を作ったのは帝国だが、そんな帝国をクロスベルへと引き込み、特区成立までの道筋を作ったのはエリィだった。
特務支援課に憧れ、警察学校に入ったユウナの気持ちを考えれば、この場でエリィの名前をだすべきではなかったとティオは後悔する。
(……こうなることはエリィさんも覚悟の上でしょうけど、歯痒いですね)
復興作業は順調で、少しずつではあるが外国からの旅行者も戻ってきて、街は以前の活気を取り戻しつつある。
何より大国の影に脅える必要がなくなったことが、街の人たちの表情が明るい大きな要因となっているのだろう。
しかしその一方で、政府の要職に就いたエリィを『帝国にクロスベルを売った裏切り者』と揶揄する声が少なからずあるのも事実だ。
長い間、帝国や共和国に虐げられてきた歴史がクロスベルにはある。理不尽な目に遭った人たちも少なくはないだろう。
そうした人たちからすれば、簡単に受け入れられる話ではない。
実際のところクロスベルで生まれ育ったロイドやノエルも、少なからず複雑な心境を抱いているのだ。
ユウナも彼等と同じだ。彼女はこのクロスベルで生まれ育った。エリィのしたことを快く思っていなくても不思議ではない。
「あのユウナさん……」
「許せませんよね」
怒気を孕んだユウナの声に、ティオはビクッと肩を震わせる。
出来ることなら、仲違いをして欲しくない。エリィと関係を修復して欲しいと考えていたのだ。
しかし思っていた以上に問題は根深いと気付き、ティオは何も言えなくなる。
ここでエリィの肩を持つようなことをすれば、ユウナの性格から言って余計に意固地になるだけだろう。
元々ティオは、人付き合いが余り得意な方ではない。
ユウナになんて言葉を掛けて良いか分からず、真剣に思い悩んでいたところで、
「エリィ先輩を悪の道に誘い、誑かした諸悪の根源! リィン・クラウゼル!」
「……え?」
思いもしなかった第三者の名前を耳にして思考が停止する。
リィン・クラウゼル。〈暁の旅団〉の団長だ。
先のクロスベル解放作戦では、一番の功労者と目されている人物。一部の市民からは彼を英雄視する声もある。
そんな彼とエリィが深い男女の仲にあることは関係者の間では有名な話だ。当然ティオも知っている。
しかしユウナが怒っているのは、別の理由だと思っていたのだ。
まあ、確かにリィンが誑かしたと言えなくはないかもしれないが――
「あの男だけは許せません! 女の敵! ですよね!?」
「え、ええ……」
ユウナの迫力に気圧されて、思わず頷いてしまうティオ。
まさか、その諸悪の根源に恋のアドバイスを貰い、ロイドを両親に紹介したとは言えなかった。
◆
「追い詰めて相手の方から身体を差し出させるなんて、策士ですわね。まさか、エリィもこの手で?」
「そうなの? どっちかというとリィンの方が襲われてたような」
「……飴と鞭?」
ベル、シャーリィ、フィーに好き放題言われ、酷い言い掛かりだとリィンは心の中で叫ぶ。
口にだして言わないのは、この手の話になると圧倒的に自分が不利だと悟っているからだった。
とにかく、まずは誤解を解くべきだとグリゼルダに説明を求める。
すると、
「私はロムン帝国の第四皇女だ。この身であれば、少なくとも報酬分くらいの価値はあるはずだ」
「そういうことは先に言ってくれ……」
そんな答えが返ってきた。
グリゼルダの不用意な一言で要らぬ疑いを掛けられたリィンからすれば、最初に言って欲しかったと愚痴を溢す。
万が一、フィーたちの口からアルフィンやエリゼにこのことが伝わったらと思うと、いまから頭が痛い。
しかし、
(……皇女か。なるほどな)
セルセタの総督としか聞いていなかったが、グリゼルダの威風堂々とした佇まいを見てリィンは納得する。
ただの貴族にしては堂に入りすぎている。それでいて所作に気品がある。元より、只者ではないと感じていた。
しかし、それを信じる根拠はない。話だけで鵜呑みにするほど、リィンは甘くなかった。
「それを証明する術は?」
「これを……」
リィンがそう尋ねると、グリゼルダは胸もとから取り出したブローチを差し出した。
ブローチに描かれている円十字の紋章。それはロムンの国教に指定されている星刻教会のシンボルだった。
その裏にはロムンの文字で彼女のフルネームと皇家の紋章が彫られており、通行手形や身分証の代わりに用いることも出来るものだった。
しかし、この世界の知識に乏しいリィンには、それを本物と見分ける力がない。
それにグリゼルダは自分を担保にと言っていたが、金で戦争を請け負うような猟兵にも矜持がある。
奴隷商人の真似事をリィンはするつもりはなかった。
第一そんなことをすれば、嫌でも目立ってしまう。
(結局は、俺が彼女のことを信用できるかどうかってことか)
付き合いは短いが、グリゼルダがどういう人間かは察することが出来る。
その上でどうすべきかを、リィンは考えることにした。
皇女だと言うなら身分を明かし、高圧的な態度で無理矢理従わせることも出来ただろう。
勿論そんな真似をすれば、リィンは話にすら応じなかっただろうが、彼女はそうしなかった。
少なくとも権力を笠に着るような人物ではなく、筋は通せる相手と言うことだ。
だが、
「一つ分からないことがある。皇女なんだろ? なんで自国が不利になるようなことをする」
彼女の軽率な行動が国を危険に晒し、ここで救える以上の命が失われるかもしれない。
だからこそ、リィンは尋ねる。グリゼルダの本心を聞き出すために――
「……心配は無用だ。私が人質となったところで、ロムンは決して取り引きに応じないだろう」
微かに眉を動かすと、苦々しい顔を浮かべ、そう答えるグリゼルダ。
その言葉からは、自分の生まれ育った国に対する不信感や蟠りのようなものをリィンは感じた。
「どうして、そう言い切れる?」
「ロムンは侵略戦争によって年々版図を広げているが……その征服欲は留まるところを知らないのが現状だ」
「……戦争をしているのか?」
戦争と聞いてシャーリィが目を輝かせているが、敢えて無視して話の続きを聞くリィン。
「本当に何も知らないのだな。では最初から話すとするか。ロムンという国は――」
グリゼルダの話を聞いてリィンの頭に浮かんだのは、ギリアス・オズボーンが宰相をしていた頃のエレボニア帝国だった。
世界は違えど、人間のすることにそう違いはないとリィンは考えている。
実際リィンの記憶にある前世の世界も、人類の歴史は血と硝煙に塗れていて争いが絶えなかった。
戦争の規模や、その犠牲となった死者の数を考えれば、むしろ前世の方が悲惨だったくらいだ。
それほどではないにせよ、確かにそんな国なら皇女を人質に取られたくらいで侵略を諦めたりはしないだろう。
それに――
(星刻教会か)
ロムン帝国の国教。そして世界で最も広く信仰されている宗教。それが星刻教会だ。
こちらにも七耀教会のような組織があると聞き、リィンは警戒を強める。
政治や軍事にまで影響力を持った宗教色の濃い国というのは、それだけで厄介なことをリィンは知っていた。
ましてやロムン帝国は周辺国に侵略戦争を仕掛けているという話だ。
もし騎神の存在を知られでもしたら、面倒なことにしかならないだろう。
「だが、それでも皇族にまったく価値がないわけではない。ロムンを快く思っていない国、恨んでいる者は少なくないからな」
グリゼルダの言っていることは理解できる。
確かに人質として使えずとも、それだけ恨みを買っている国の皇族なら利用価値は幾らでもある。
だが捕虜となれば、碌な扱いはされないだろうということは容易に想像が付く。
逆に言えば、その覚悟があって取り引きを持ち掛けていると言うことだ。
「あなたの負けですわね。そのくらい手伝ってあげなさいな。目立つことを気にしているようですけど、国の一つや二つ敵に回したところで、あなたなら潰せるでしょ?」
「……他人事と思って、楽しんでないか?」
「フフッ」
からかうような声音でそう話すベルを、リィンは半目で睨み付ける。
手伝ってやれと言ってはいるが、ベルの態度からは積極的に助けるといった気持ちが伝わってこない。本心はどちらでも構わないのだろう。
とはいえ、ベルの言っていることも、ある意味では正しかった。
率先して金にならない面倒事に首を突っ込みたいとは思わないだけで、ベルの言うようにリィンは国を脅威に感じていない。
同じように国と事を構えることになっても、シャーリィなどは嬉々として戦争に参加するだろう。
「国を潰せる? まさか……いや、何も聞かない約束だったな」
「賢明な判断ですわ。知らない方が幸せなことも、この世界にはありますもの」
蛇に睨まれた蛙と言った様子で、息を呑むグリゼルダ。正直、相手が悪すぎた。
直接的な戦闘力はリィンたちのなかで一番低いが、彼女ほど危険な人物はそうはいないのだから――
「そのくらいにしとけ」
ベルを諫めると、リィンはグリゼルダに先程の返答をする。
「条件付きで引き受けてもいい」
リィンたちは、この世界に〈空の女神〉の手掛かりを追ってやってきた。
調査にどのくらいの時間を要するか分からない以上、協力者はいた方がいい。
それにロムン帝国というのは、それなりに大きな国のようだ。
未知の知識や技術が手に入る可能性は十分にある。
なら、そんな国の皇女に貸しを作っておくのも悪くないと考えたが末の答えだった。
「本当か!?」
「ただ、最初に言っておく。俺たちが手伝うのは漂流者の捜索だけだ。お前一人くらいならどうにかなるが、島の外へ何人も連れ出すのは無理だからな」
騎神で一度に運べる人数には限りがある。それにグリゼルダは信用できるかもしれないが、他の漂流者も同じとは限らない。むしろ、グリゼルダのような人間は稀有だ。自分が助かるためなら家族や仲間を裏切り、平然とした顔で嘘を吐く。そうした人間をリィンは戦場で何人も目にしてきた。
危険な場所という意味では、この島もそう変わりない。獰猛な獣が徘徊する死と隣り合わせの島。そんな島に閉じ込められ、正常な判断力を維持するのは並の精神力では難しい。口止めをしても、島をでたい一心で嘘を吐くかもしれない。少なくともグリゼルダの提示した条件では、これが精一杯の譲歩だとリィンは考えていた。
それにグリゼルダは良い顔をしないだろうが、いざとなれば彼女だけでも島の外へ連れ出せばいい。
その後で、島の外から応援を呼んでくるという手もあるからだ。
もっとも島の噂を聞く限りでは、船をだしてくれる船乗りがどの程度いるかは分からないが――
「あと、こちらの指示には従ってもらう。勝手な真似をされては、守れるものも守れなくなるからな」
リィンがそのような条件をだした意図をグリゼルダも察したのだろう。
様々な感情の入り混じった複雑な表情を浮かべながらも逡巡した様子を見せ、
「……了解した。よろしく頼む」
条件を受け入れるのだった。
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