リィンたちにキルゴールが興味を持ったのは、獣との戦いの最中シャーリィが放った殺気に気付いてのことだった。
これまで感じたことのないほどの濃密な死の気配。
狂気に満ちたその気配は、恐らくは自分と同類≠フ仕業だと彼は感じたのだ。
そして、アドルたちに案内されて村へとやってきたのは、三人の男女だった。
目にしたことのないカタチの武器。見慣れない服装。何より不思議だったのが、
「そもそも彼等は一体どこから……」
キルゴールはロンバルディア号に乗船していた人物の顔を、余すことなく全員記憶していた。
そのなかにリィンとシャーリィの顔はなかった。
なら彼等はどこからやってきた?
キルゴールの疑念は晴れない。
これまで彼が殺人≠犯して捕まることがなかったのは、臆病なまでに慎重に計画を運んできたからだ。
どこからきたかも分からない。しかも、その身には自分と同じか、それ以上の血の臭いを漂わせている。
これまでに彼が見たなかでも最大級の危険な相手。経験に従うのであれば、関わるべきではない。すぐに逃げるべきだと彼の本能は警鐘を鳴らしていた。
だが、一度湧いた興味≠消すことは出来なかった。
それに――
「ここで逃げるのは、私の美学≠ノ反しますね」
一枚の手書きの地図を一瞥すると、キルゴールの顔から表情が消える。
その地図には、印がされた場所に日時だけが記されていた。
ベストのポケットに小さく折り畳まれたその地図がいつの間にか%っていたのだ。
タイミング的には夕食の時だと思うが、まったく気付くことが出来なかった。
そのことがキルゴールのプライドを酷く刺激する。
「正体に気付いていながら日時まで指定して時間を与えると言うことは、アドルくんたちへの配慮? いえ、違いますね」
アドルたちへの配慮だけなら、こんな手間を掛ける必要はない。
むしろ警戒をさせるだけだ。だとするならこれは自分に向けたメッセージだとキルゴールは考える。
「挑発≠オているのですね。この僕を……」
キルゴールは、そのメッセージからリィンがシャーリィに仲間を迎えに行かせた理由も察する。
興味を抑えきれずに一度接触したが、あれは確実に〈名無し〉の正体に気付かれたとキルゴールは確信を得ていた。
秘密を知られた以上、口封じのために殺すか、姿を消すかの二択しかない。
だが殺すにしても、二人を同時に相手にするのは厳しい。狙うなら一人の時しかない。
相手も、その程度のことは警戒しているはずだ。
なのに自ら一人になったと言うことは、舞台を整えた上で『一人で相手をしてやる』と挑発されているのだとキルゴールは受け取った。
「フフッ――面白い」
彼は常に獲物を罠に掛ける方だった。
まさか、こんな風に立場が逆転する日が来るとは、夢にも思っていなかった。
だが、
「私の悪≠ェ勝つか、あなたの悪≠ェ勝つか。確かめさせて貰いますよ」
やることは、これまでと何も変わらない。
ただ悪≠為すだけだと、キルゴールは冷たい笑みを浮かべるのだった。
◆
「〈名無し〉の正体が分かった!?」
アドルから〈名無し〉の正体が分かったと聞かされ、声を上げて驚くラクシャ。
昨日リィンたちとの話を終えた後に、捜査をしていたとアドルは明かす。
「……どうして言ってくれなかったのですか?」
「急ぐ必要があったんだ」
ラクシャに半目で睨まれながら、アドルは理由を説明する。
これまでにも〈名無し〉の捜査をさぼっていた訳では無いが、急がなくてはいけない事情が出来てしまった。
その事情と言うのが、リィン・クラウゼルとシャーリィ・オルランドだとアドルは話す。
「僕たちが行動を起こすよりも前に、彼等は〈名無し〉の正体に辿り着いていた。だから、行動を起こす必要があったんだ」
「ですが、彼等は事件のことを昨日知ったばかりでは?」
ラクシャが疑問に思うのも当然だった。
ずっと前から捜査をしていたアドルたちですら、これまで〈名無し〉の正体を掴めずにいたのだ。
なのに昨日そのことを知ったばかりのリィンたちが、僅か一日――いや、半日と掛からずに〈名無し〉の正体を突き止めたなど俄には信じられない話だった。
「詳しいことは分からない。でも、傭兵の勘……って奴なのかなと考えてる」
「そんな非常識な……」
ただの勘。当てずっぽうで犯人に行き着くなど、それこそ信じられないような話だ。
勿論、証拠を掴まなければ、犯人が分かったところで白を切られる可能性が高い。
だとしてもロムンの憲兵隊にすら足取りを掴ませず、エアランも犯人の特定に苦労していたのだ。
過程をすっ飛ばしてただの勘で犯人の正体を見破るなど、捜査の常識を覆すような話だった。
だが、アドルは彼等が〈名無し〉の正体に辿り着いていると半ば確信していた。
昨日、彼等が広場でキルゴールと立ち話をしているところを、集落の女性が見かけていたからだ。
「それに彼等は傭兵≠セ。僕たちの知らない情報を持っていたとしても不思議じゃない」
そう言われると確かに、とラクシャも納得させられる。
傭兵と犯罪者という違いはあるが、同じ裏の世界に生きる人間だ。
表には伝わっていないような〈名無し〉に関する情報を、何かしら持っていても不思議ではない。
もしかしたらエアランの昨日の態度も、そうした部分を気にしてのことだったのかもしれないとラクシャは考えた。
「これを覚えているかい?」
「それは以前、見つけた〈鋼線〉ですわね」
銀色に輝く糸のようなものをラクシャに見せるアドル。
それは以前、集落の近くの林で見つけた〈鋼線〉であることをラクシャは覚えていた。
当然だ。あと一歩アドルが声を掛けるのが遅れていれば、彼女は致命傷を負っていた可能性があったからだ。
鋼線を使った殺傷能力の高い罠。それはロムンの遊撃部隊が野戦で使うトラップの道具だった。
エアランから、その説明を受けたラクシャたちは外部犯の可能性も含めて捜査を進めていたのだ。
その矢先に昨日の襲撃があり、〈名無し〉の捜査は一時ストップしていた。
だが、
「これと同じ物を別の場所で見つけた」
「アドル。これを一体どこで?」
昨日から今日に掛けての捜査で、事態に大きな進展があった。
リィンたちと立ち話をしていたという人物の目撃情報を得たアドルは妙な胸騒ぎを覚え、その人物の周辺の捜査を始めたのだ。
そして、結果は黒≠セった。
アドルが手に持っているもう一つの〈鋼線〉が発見された場所。それは、
「キルゴール先生だ。彼の使っている診察台の下に隠されていた」
「まさか、それじゃあ〈名無し〉の正体は……」
信じられないと言った顔を浮かべるラクシャ。アドルだって出来れば信じたくはなかった。
しかし、こうして物的証拠が出て来た以上は、彼を疑わないわけにはいかない。
それにキルゴールが犯人だと結びつける証拠は、これだけではなかった。
「覚えているかい? 彼は以前、こう言ったんだ。『アルタゴで医療活動を行っていた』と」
「あ……」
それは以前、犯行時刻のアリバイや不審者を目撃していないかなど、情報を集めるために実施した聞き込み捜査のことだった。
その時は特にめぼしい情報を得られなかったと、落胆したのをラクシャは覚えている。
だが、その時からアドルには妙に引っ掛かっていることがあった。それがキルゴールの口にしていた言葉だ。
「アルタゴはロムンと戦争中で、普通の旅行者は渡航することが出来ない」
「そう言えば、アルタゴの話を聞いた時、羨ましそうにしてたのを記憶しています……」
アドルは冒険家だ。これまでにも様々な噂や伝承に魅せられ、いろんな土地を巡ってきた。
なかでもアルタゴは巨大な獣が闊歩する地として知られ、アドルも一度は行ってみたいとずっと考えていた。
だが、アルタゴは現在ロムンと戦争中で一般人の渡航は禁止されており、入国の手立てがなく困っていたのだ。
「でも、例外はある。それが軍人だ。軍の関係者なら戦争中でもアルタゴ行きの船に乗ることが出来る」
「なるほど……だからキルゴール先生を疑ったのですね」
戦争の最前線とも言える場所。そこへ向かえるのは軍の関係者をおいて他にいない。
そのアルタゴで医療活動を行っていたと言うことは、軍に同行する医者――軍医であった可能性が高いと考えたのだ。
そして、こうして物的証拠が出て来た今となっては、キルゴールが犯人である可能性が限りなく高くなったと言えた。
それに――
「それでキルゴール先生は捕まったのですか?」
そこまでわかっていると言うことは、あとは犯人を捕まえるだけだ。
アドルがこうしてここにいると言うことは、もうキルゴールは捕まったと、ラクシャが考えるのも当然だった。
「そのことなんだけど……」
先程までの堂々とした物言いとは違い、頬を掻きながら困った顔で言い淀むアドルを見て、ラクシャは怪訝な表情を浮かべる。
そして、
「逃げられた!?」
「正確には集落の中にいなかった。こちらの動きを察知して逃げた可能性もあるけど……」
ラクシャの懸念は当たっていた。
だが、これでキルゴールを犯人と断定するには十分な材料が揃ったと言える。
疑われたから捕まる前に逃げた。そう考える方が自然だからだ。
しかしバルバロス船長に怪我を負わせ、カーラン卿を死なせた殺人鬼が野放しになっていると聞かされれば、安心できるはずもない。
「なら、早く捜さないと! こんなところで、のんびりしている場合では――」
「既にエアランさんとドギが捜索にでてる。僕は念のために集落の中に潜んでいないか確認に回ってたんだけど……」
アドルの話を聞き、少し安心した様子を見せるラクシャ。
しかし、いまも殺人鬼が捕まっていないことに変わりは無い。
自分たちも早く捜索に加わるべきではないかと思ったところで、ふと疑問が頭を過ぎった。
「……彼等は今、どこに?」
リィンたちが何処にいるのか気になってラクシャは尋ねる。
嫌な予感を覚えたからだ。
「シャーリィ・オルランドは昨晩の内に仲間を迎えに行った。グリゼルダさんは集落の人たちと一緒に避難してもらってる」
「では、リィン・クラウゼル……彼は?」
「いない。朝から姿が見えない」
そしてアドルの話を聞き、その予感が最悪のカタチで進行していることに気付かされる。
彼等が本当に〈名無し〉の正体に気付いているのだとすれば、キルゴールを追って集落をでたと考えるのが自然に思えたからだ。
やはり傭兵であるなら〈名無し〉を追っている理由は金≠セろうかとラクシャは考える。
しかし、
「恐らくキルゴール先生の狙いは彼≠セ」
「……どういうことですか?」
リィンが〈名無し〉を追っていると考えていたラクシャは、実はその逆だとアドルに言われて困惑の表情を見せる。
「僕たちが察することが出来たくらいだ。彼等が〈名無し〉の正体に辿り着いたことは、キルゴール先生も気付いていたはずだ」
「だとすれば、口封じのために彼等を? ですが……」
その発想はなかった、と思案するラクシャ。しかし、どちらの話も根拠に欠ける。
結局のところは推測でしかないからだ。だがアドルはそんなラクシャと違い、半ば確証している様子だった。
「いや、ここからはただの推測だけど、キルゴール先生は挑発≠ノ乗ったんだと思う」
敢えて『挑発』という言葉を使うアドル。
それは昨日、漂流者の女性が目撃したという広場での出来事を聞いて感じたことだった。
アドルはそこで何かがあったのだと予感していた。
恐らく裏の人間にしか分からない――そんなやり取りがあったのだと。
「アドル!」
名前を呼ばれてアドルが振り返ると、真っ直ぐに走って向かってくるバルバロス船長の姿があった。
息を切らせ、随分と慌てた様子のバルバロス船長を見て、ラクシャは心配した様子で声を掛ける。
「バルバロス船長? 一体なにが……」
「パロがキルゴール先生を見つけた。彼――リィン・クラウゼルも一緒のようだ」
目を瞠るラクシャとアドル。
パロと言うのは『リトル・パロ』と言って、バルバロス船長がこの島で見つけ手懐けたオウムのことだ。
気まぐれな性格をしているが人間の言葉がわかっているようで、船長の言葉を良く聞き、伝令役として集落の役に立っていた。
バルバロス船長は空の上から捜してくれるようにと、キルゴールの捜索をパロに頼んだのだろう。
(間に合わなかったか……)
予想していた事態とはいえ、出来ればこうなる前にアドルは犯人を捕らえておきたかった。
リィンが態と一日の猶予を与えたことにも、半ば気付いていたからだ。
しかし間に合わなかった。
キルゴールの方が一歩上手だったとも言えるが後悔が頭を過ぎる。
「ドギとエアランさんは?」
「既に向かっている。ここは私に任せて、キミたちも後を追って欲しい」
バルバロス船長の言葉に頷くアドルとラクシャ。
一刻の猶予もならないと言うことは、彼等にもわかっていた。
そして、
「急いでくれ。恐らく彼はキルゴール先生を……」
――殺すつもりだ。
悲痛に満ちた表情で、バルバロス船長はそう告げるのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m