星空の下、集落の中心にそびえ立つ見張り台の上で膝を抱え、表情に暗い陰を落とす人影があった。
――ガルマン貴族、ロズウェル家の令嬢ラクシャだ。
「はあ……」
ラクシャの口から重い溜め息が漏れる。
無理もない。結局、アドルとラクシャの二人は間に合わなかった。キルゴールがリィンに殺されるところを見ていることしか出来なかったのだ。
だが、だからと言ってラクシャはリィンを責めることが出来なかった。
リィンがキルゴールを殺さなければ、逆にドギとエアランが死んでいたかもしれないからだ。
幸いドギは軽傷で済んだが、エアランはベルの治癒術でも完治しないほど血を流しすぎていて、いまもベッドで眠っていた。
あの場にベルがいなければ、リィンがあらかじめ手を打っていなければ、エアランは助からなかっただろう。そのことはラクシャも理解していた。
だからこそ、彼等を責めることは出来ない。むしろ、
「彼等が悪くないことはわかっているのに……」
どうして殺したのか、とリィンを責めるような真似をしてしまった自分にラクシャは嫌悪を抱いていた。
状況を考えれば、仕方のなかったこととも言える。敢えて言うなら間が悪かった。
キルゴールが〈名無し〉の正体だと告げられても実際に本人の口から聞いたわけではなく、内心ではまだどこか信じたくない気持ちがラクシャのなかにはあった。そこに加え、血を流して倒れているドギとエアランの姿や、両腕を失い無抵抗な状態でリィンに刺し殺される姿のキルゴールを目にして、抑えていた感情が爆発してしまったのだ。
それにリィンにも悪いところはある。誤解されるような真似をして、更にはラクシャに責められても反論の一つしようとはしなかった。
あとからその場にいたドギや事情を知るベルから話を聞いて、ようやくラクシャも自分が早まったことを言ったことに気付かされたのだ。
感情的になっている相手に弁明をしたところで、問題を拗らせる可能性の方が高いとリィンは考えたのかもしれない。
しかし、その行動がラクシャを追い詰めていた。
まだ反論の一つもしていれば、素直にラクシャも謝罪することが出来ただろう。
「わたくしは、どうしてこうなのでしょうか……」
ラクシャの頭に過ぎるのは、何年も会っていない父親のことだ。
彼女の父親はガルマン王国の貴族で、考古学の研究をしている学者の間では、そこそこ名の知れた人物だった。
父親のことが大好きな彼女が、そんな父に憧れて考古学に興味を示すようになるのは、ある意味で必然だったのだろう。
だが、ラクシャが十六歳の誕生日を迎えた頃、以前にも増して考古学の研究にのめり込むようになった彼女の父は、遂に屋敷にも帰らなくなってしまった。
その頃からだ。彼女の周りがおかしくなってしまったのは――
研究に傾倒する余り領地経営を蔑ろにしたことで領内の経済や治安が乱れ、領民たちが暴動を起こしたのだ。
どうにか暴動はラクシャの兄が当主代行となることで収まったのだが、一度失った領民の信頼を取り戻すのは容易なことではなかった。
ラクシャの兄は当主代行としてよくやっていた。しかしロズウェル家の没落を望む他家の計略に嵌まり、数年と保たずに彼女の兄も失脚してしもう。
母も心労から部屋に籠るようになり、遂にはロズウェル家に爵位と領地を返上するように王都から命が下ったのだ。
それが、三ヶ月ほど前のことだった。
大好きだった父。でも、その父親が原因で起きてしまったロズウェル家の凋落。バラバラになってしまった家族。
そんな父から学んだ知識を、自分自身のすべてを疎ましく思うようになり、ラクシャは逃げるように故郷を飛び出したのだ。
乗っていた船が沈み、セイレン島に流れ着いたのは、そんな矢先のことだった。
だからアドルにも辛く当たってしまった。
冒険家なんて、ただの道楽に過ぎない。そんなものは職業ですらない、と――
彼を見ていると自由闊達な気風だった父親を見ているようで、アドルは何も悪くないとわかっているのに厳しい言葉を発してしまったのだ。
今回のこともそうだ。感情のままに暴走して真実を何も確かめようとせず、リィンを怒鳴ってしまった。
謝らないといけない。そうとわかっているのに、素直に口にすることが出来ない。そして、こんなところで一人で思い悩んでいる。
そんな自分がラクシャは嫌で仕方がなかった。
「……食べる?」
「頂きます……え?」
甘い匂いに釣られて反射的に菓子と思しき何かを受け取ってしまったが、ラクシャは驚きの声を漏らす。
ラクシャが振り返ると、銀色の髪をなびかせた小柄な少女がいつの間にか隣に座っていた。
「あなたは確か……」
「フィー・クラウゼル、よろしく」
◆
「よ、よろしくお願いします。わたくしは……」
「知ってる。ラクシャでしょ?」
まだ自己紹介をしていないのに誰から聞いたのだろうか、と疑問に思いつつもフィーの言葉に頷くラクシャ。
ちゃんとした挨拶はまだだったが、ラクシャは少し遅れてサハドたちと一緒に集落へやってきたフィーのことを目にしていた。
物静かな感じで綺麗な女の子だなと勝手な印象を抱いていたのだ。
しかし実際にこうして話してみると面白いというか、不思議な子だなとラクシャは思う。
「食べないの? 大丈夫、毒は入ってないから」
「そ、そのような心配はしていませんが……これは、もしかしてチョコレート≠ナすか?」
「そう、食べたことない?」
「いえ、まさか、このような品を無人島で目にするとは思ってもいなかったので……本当に頂いても、よろしいのですか?」
「ん……まだ、たくさんあるから大丈夫。遠慮しないで」
まだ少し遠慮をしながらも「いただきます」と言って、銀紙に包まれた一口サイズのチョコレートを口に入れるラクシャ。
自然と笑みが溢れるような、甘く優しい味が口の中に広がっていくのを感じる。
「……元気でた?」
「もしかして、わたくしを元気づけるために?」
「落ち込むことがあった時は、甘い物を食べると元気がでるって、アルフィンやエリゼも言ってたから」
アルフィンやエリゼと言うのが誰のことかは分からなかったが、恐らくはフィーにとって大切な人たちなのだろうとラクシャは察する。
「どこかの誰かさんと違って、あなたは優しいのですね」
自分にも責があることはラクシャも認めている。しかしアドルとの出会いは、いま思い出すだけでも酷いものだった。
現在はそれなりに関係は改善されているが、やはり男は大雑把で配慮に欠けるというのがアドルとの冒険で得たラクシャの感想だった。
同じことは、ぶっきらぼうで言葉足らずのリィンにも言える。基本的にリィンもアドルも他人の意見を聞かないというほどではないが、最終的に自分の考えや興味を優先するところがよく似ている。よく言えば優先順位がはっきりしていると言うことだが、悪く言えば自分勝手なのだ。もう少し気持ちを察してくれてもいいのに、とラクシャが不満に思うのも無理はなかった。
そのことを思えば、知り合ったばかりの自分を気遣ってくれるフィーの優しさがラクシャは嬉しかった。
こんな風に気遣ってくれたのは、バルバロス船長を除くとフィーが初めてだったからだ。
「フィーでいい。私もラクシャって呼ぶから」
「……はい、フィー」
素っ気なくもどこか憎めないフィーの挨拶に、ラクシャは微笑みを返す。
掴み所のない猫のような少女。そんな印象をラクシャはフィーから感じ取っていた。
「ところで誰かさんって、リィンのこと?」
「い、いえ、あの方のことでは……」
アドルのことを言ったつもりだが、自分が何故落ち込んでいたかと思い出す。
そして誤魔化すように視線を逸らし、ふと目に入ったのがフィーの双銃剣だった。
ダガータイプのブレードライフル。
シャーリィやリィンが使っていたものと比べると小さいが、同じ系統の武器だろうと当たりを付けてラクシャは尋ねる。
「フィー。その腰の武器を見るに、あなたも傭兵をされているのですよね?」
「ん……そうだけど?」
「……不躾な質問ですが、どうして傭兵になったのですか?」
フィーのような女の子が死と隣り合わせの危険な仕事に就いているというのは、ラクシャからすると少し違和感があった。
「戦争孤児だから、そんな私を拾ってくれたのが〈西風の旅団〉の団長だった」
「それは……」
興味本位で聞くべきことではなかったとラクシャは後悔する。
傭兵という仕事に就いている意味。それを話を聞く前に察するべきであったと感じたからだ。
しかしフィーはそんなラクシャを見て、首を左右にすると「気にしなくていい」と口にする。
「私にとって団の皆は家族≠燗ッ然だから、寂しくないし、辛いとか思ったことは一度もない」
「……家族。それは、あの……リィン・クラウゼルもですか?」
「ん……リィンはお兄ちゃん≠セから」
そう言えば、と先程フィーが名乗った『クラウゼル』の姓を思い出すラクシャ。
しかし、フィーは戦争孤児だと言っていた。
だとすれば、もしかしてと考え、
「彼も……フィーと同じ、戦争孤児?」
「ん……私よりも前に団長に拾われたみたい」
ラクシャは尋ね、困惑と寂しさと悲しさと、自分に対する怒りと言った様々な感情の入り混じった表情を浮かべる。
リィンのことを何も知らず、聞かず、自分は一方的に責めるような真似をしてしまった。そのことをラクシャは後悔していたからだ。
リィンのことを話すフィーの顔は本当に幸せそうで、血の繋がりがなくとも家族なのだとラクシャは感じた。
そんな彼女に笑顔を向けられる彼が、人を殺すことをなんとも思わない冷酷無比な人間だとは思えない。
だとしたら、彼がキルゴールにあの場でトドメを出したのは――
(……彼女のため?)
フィーのため、大切な人たちを守るために、キルゴールを生かしてはおけないと考えたのかもしれない。
ふと、そんなラクシャの頭を過ぎったのは幼い頃の記憶、家族のことだった。
家族が揃っていた頃のロズウェル家を思い出し、ラクシャの表情は自然と暗くなる。
「少しだけ、フィーが羨ましいです」
ポツリとそんな風に呟くラクシャを見て、フィーは何かを察した様子で尋ねる。
「家族と上手く行ってない?」
「……はい。情けない話ですけど、故郷から逃げ出したんです。わたくしは……」
どうして故郷から逃げたのか、家族との間に何があったのか、ラクシャはフィーに一つ一つ順を追って話し始める。
他人に話したところで、どうにもならないことはわかっている。でも、フィーには知る権利があると思った。
彼女の大切な家族を自分は傷つけてしまった、とラクシャはそんな風に思っていたからだ。
しかし、その話を聞いたフィーは、
「〈暁の旅団〉――それが、いま私の家族がいる団の名前」
「……暁の旅団?」
今度はお返しとばかりに自分のことを話し始めた。
「前にいた団は、団長が死んで半ば解散みたいになってね。皆とは離れ離れになっちゃった」
「え……」
急にそんな話をされて、ラクシャは戸惑いを見せる。
しかし、その理由はすぐに分かる。
「でも、私にはリィンがいてくれた」
これまでに、どんなことがあったのかをフィーはラクシャに話す。
騎神のことや話せないことは一杯あるが、それでも新しい家族のことやリィンがしてくれたことは伝えることが出来る。
それに、
「明けない夜はない。リィンが家族に向けたメッセージが、この団の名前には込められてる」
どこかラクシャは昔の自分に似ているとフィーは感じていた。
だから放って置けなかったのだ。
「話したいことがあるのなら捜せばいい。会って話をして、どう思っているのか尋ねればいい」
「無理です。故郷から逃げ出したわたくしに、そのようなことが……」
家族と離れ離れになっても諦めず、想いを遂げたフィーは確かに凄いと思う。
でもラクシャは思う。自分にも同じようなことが出来るのかと――
家族を捨てて故郷から逃げ出した自分に、父親のことを言う資格はない。そんな風にラクシャは考えていた。
しかしフィーはそんなラクシャの考えを否定する。
「出来るよ。ラクシャはここにいる。それは自分で決めて、ここにいるってことでしょ?」
「あ……」
故郷から逃げ出したというのは本当のことなのだろう。
でも、それは考え方次第だ。閉じ籠もっていたのでは得られないものもある。
少なくともラクシャは誰かに言われたからではなく、自分で決めて故郷を飛び出した。
切っ掛けはどうあれ、自分の足で歩き出す術を既に彼女は知っていると言うことだ。
なら、あとは勇気をだすだけ。それは嘗てフィーがリィンから教わったことだった。
「朝になっちゃったね」
「……はい」
太陽が顔を覗かせ、真っ暗な海を暖かなオレンジ色の光に染め変えていく。
顔を上げるとそこには暁の空≠ェ広がっていた。
「……考えてみます。家族と、父と、そして自分自身と、これからどう向き合っていくべきかを」
まだ、ちゃんとした答えはでない。でも、このままではいけないとラクシャは考えていた。
すぐにフィーの言うようには勇気を持てないかもしれない。
でも、少しずつ前へ進んで行こう。ラクシャはそう自分に言い聞かせる。
「そう言えば、フィーはどうしてここへ?」
そして、ふと何かに気付いたような顔を見せるラクシャ。
フィーがどうしてここにいるのか、何も聞いていなかったことを思い出したからだ。
「あ……」
リィンにラクシャを呼んでくるように頼まれたのを忘れてた、とションボリとした顔でフィーは肩を落とす。
「わたくしを? ああ……それで名前を知っていたのですね」
「ん……ここへ来る途中でアドルに会って、今日はラクシャが見張りの当番だって聞いたから」
「アドルに?」
こんな時間までアドルは起きて何をしていたのだろう、と首を傾げるラクシャ。
アドルが起きていたのはラクシャのことを心配してだったのだが、彼女もその発想には行き着かなかった。
彼は彼なりに彼女のことを気遣っていると言うことだ。同じことはリィンにも言える。
ただ、それを表にだすのが苦手で、誤解を受けやすい性格をしていることは間違いなかった。
「一緒にきてくれる?」
「それは……」
リィンが何故、自分を呼んでいるのかが分からずラクシャは返答に窮する。
正直まだ顔を合わせづらい。しかし――
(ちゃんと謝らないと……いつまでも逃げてはいられませんよね)
フィーに言われたことをラクシャは思い出す。
前へ進むのに必要なのは勇気だ。
父親とどう向き合うべきか? 家族とどう接するべきか?
それは、これから少しずつ考えていけばいい。
でも、その前に――
「はい。案内して頂けますか?」
まずはきちんとリィンに謝罪しようとラクシャは心に誓うのだった。
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