「相変わらず、お人好しだな」
呆れた顔でアドルを見ながら溜め息を吐くドギ。
彼がなんのことを言っているのかは、アドルも理解していた。ベルとの交渉の件だ。
船の設計をしてもらうにあたって、アドルは彼女のために自身の冒険記録をまとめた本を書いて渡すことを約束した。
こんな無人島では対価に渡せるような貴重品や金などなく、ベルの興味を惹くにはそれが一番確実だったからだ。
とはいえ、
「バカ正直に全部書くことはなかっただろうに……」
ドギが心配しているのはそこだった。
旅の話をするくらいは別に構わないと彼も思っている。
しかし古代文明のことなど、すべて正直に教える必要はあったのかと考えていた。
誤魔化すことも出来たはずだ。なのにアドルはそうしなかった。そのことをドギは心配し、不思議に思っていたのだ。
「誤魔化しきれなかったと思うよ。彼女は手帳≠フことにも気付いていたみたいだしね」
だが、アドルは首を左右に振りながらそう話し、ドギの考えを否定する。
見た目は十歳の少女と言ったところだが、外見と中身が異なるとベルの秘密を薄々アドルは感じ取っていた。
目敏くアドルが肌身離さす隠し持っている手帳の存在に気付き、更には冒険家という肩書きを聞いて彼女は知識≠求めてきたのだ。
彼女が求めている知識は、誰もが知っているような表の知識ではないと言うこともアドルは察していた。
当たり障りのない内容を書いても、それは交渉にすらならなかっただろう。
それに、
「僕自身、誰かに知って欲しかった。聞いて欲しかったんだと思う」
アドルの原点は幼少期にある。彼は物心が付く前に母親を亡くし、男手一つで育てられた。
人一倍好奇心旺盛な子供で、若い頃は紀行家をしていたという父から外の世界の話を聞きながらアドルは育った。
そして父の話を聞いている内に、いつか自分も物語のような冒険をしたい。未知の世界に触れてみたいとアドルは思うようになっていったのだ。
その後、十六歳になった彼は村をでて旅人となり、旅先で幾つもの危険や困難と向き合い、ある日を境に『冒険家』と名乗るようになった。
村をでてから六年が経つが、まだまだ足を踏み入れたことのない場所や、見たことのない景色が世界には溢れている。
だから時期尚早だと思っていた。それでも、いつかは父のように自分の冒険≠書き記した本を残したいとアドルは考えていたのだ。
自分がそうであったように、誰かがその本を手にとって夢や希望を抱き、外の世界へ興味を持ってくれることを願って――
「それに、たぶん彼女なら――いや、彼等なら大丈夫だと思う」
ただの勘に過ぎないが、ベルやリィンたちなら悪用はしないという確信めいた何かがアドルにはあった。
だからベルの交渉に応じたのだ。悪い取り引き≠ナはないと思ったから――
「やっぱり、お人好しだよ。お前さんは……」
そう言葉にしつつも、アドルのことを一番信頼しているのはドギだった。
だからこそ、アドルがそう言うのなら信じられるとドギは思う。
そうした彼の勘≠ノドギもまた幾度となく助けられてきたからだ。
それに、
(アドルもそうだが、あの連中も秘密が多いことには違いないか)
アドルが彼等に惹かれるのは、そう言ったところなのかもしれないとドギは考える。
そして、その考えが正しいことを、この後すぐにドギは思い知ることになるのだった。
◆
「おいおい……冗談だろ?」
緋の騎神を見上げ、呆然とした顔を浮かべるドギ。
いや、ドギだけではない。〈騎神〉を目にした大半の者は同じような反応を見せていた。例外は――アドルと子供たちくらいだ。
ちなみに子供たちというのはリィンが保護した少女のクイナと、アドルたちに保護された十一歳の少年のレーヤだ。少々マセたところがあって子供らしからぬ言動を取る少年だが、さすがに〈騎神〉には驚いた様子で目を輝かせ、クイナに引っ張られるカタチでアドルと一緒になってシャーリィにあれこれと質問攻めをしていた。
物怖じせずに迫ってくる子供たち(大人も若干一名交じっているが)を相手に珍しく防戦一方のシャーリィを見て、
(まあ……良い傾向かな)
フィーはそんなことを考えて、苦笑を漏らす。
血塗れなどと物騒な二つ名で呼ばれ、戦場では同じ猟兵からも恐れらているが、シャーリィが十七歳の少女であることに変わりはない。巨乳好きという変わった性癖を持つが、少々歪んではいてもリィンに向ける好意は本物で、スカーレットに相談して男受けするファッションの勉強をしたり、最近は髪を伸ばしていることなどフィーは知っていた。フィーもリィンに女らしい≠ニころを見せようと、エリィを意識して最近少しずつ髪を伸ばし始めているのだ。
昔のシャーリィを知るフィーから見れば、リィンと出会ってからの彼女は随分と変わったと思う。性格が丸みを帯びて〈赤い星座〉にいた頃よりも弱くなったという者もいるかもしれないが、むしろフィーはその逆だと感じていた。
猛獣のような荒々しさは薄れたが、逆に洗練された獣のような鋭さが現在のシャーリィにはある。間違いなく〈暁の旅団〉でリィンの次に強いのはシャーリィだ。それこそ、いまのシャーリィなら〈赤い星座〉の副団長にして父親でもある〈赤の戦鬼〉ことシグムント・オルランドとも良い勝負をするだろう。
一足先に最強の猟兵――リィンやルトガーのいる領域に足を踏み入れたシャーリィはフィーの目標でもあった。
「たくっ、何が傭兵≠セ。冗談じゃないぞ。まったく……」
傷を庇いながら、よろよろとした足取りで広場に顔をだすエアラン。その視線の先にはシャーリィの〈緋の騎神〉の姿があった。
傭兵と聞いていたのに、出て来たのは見たこともない巨大な人型兵器だ。グリゼルダが関わっていることからも普通ではないと思っていたが〈名無し〉を一方的に始末した実力と良い、冗談みたいな奴等だとエアランは軽い混乱状態にあった。こうなると島に流れ着いたというのも虚言である可能性が高いと考えたからだ。
そんな困惑を隠せない様子のエアランを見つけ、ラクシャは心配を滲ませた顔で声を掛ける。
「もう大丈夫なのですか?」
「ああ、心配を掛けちまったみたいだな。すっかり、この通りだ」
そう言って、腕を曲げて力こぶをアピールするエアラン。
だが傷は塞がったと言っても大量の血を失い、体力が衰えていることに変わりは無い。
立ち眩みを覚え、フラフラと額を押さえて後ずさるエアランの身体をラクシャが支えた、その時だった。
「あら、ようやく目が覚めましたのね」
古代種討伐の作戦に使う仕掛け≠フことでサハドやバルバロス船長との相談を終えて広場に姿を見せたベルが、エアランに気付いて声を掛けてきたのだ。
どこからどう見ても子供にしか見えないベルの姿に、若干の戸惑いを見せるエアラン。
だが、昨晩の内に目を覚ましたエアランは、看病のために傍にいたドギから事の経緯を聞いていた。
「お陰様でな。嬢ちゃんが治療してくれたんだってな……助かった。礼を言わせてくれ」
「構いませんわ。その分、あなたにもしっかりと働いて頂きますから」
笑顔でベルにそう言われて、「ちゃっかりしてんな」とエアランは頭を掻く。
しかし命を助けられた以上、断れる立場にないと言うことは彼も理解していた。
とはいえ、一体なにを要求されるのかと考えていると、
「差し当たっては〈騎神〉のことも含めて、島で目にしたことを無闇矢鱈と公言しないように情報の操作と隠蔽に協力して頂けると助かるのですけど」
そんなことを言われて、エアランは唖然とした顔で固まる。
情報の操作と隠蔽に協力しろとは、ロムンの憲兵団に所属する人間に持ち掛けるような話ではなかった。
「まさか、お前……俺にロムンを裏切らせるつもりか?」
「誤解のないように言っておきますが、これはあなた方のためですわ。わたくしたちと本気で戦争≠する気があるのなら、好きに報告して頂いて構いません」
本気かと、エアランは考える?
こんなものを隠しているとは思ってもいなかっただけに、確かに〈騎神〉には驚いた。
だからと言ってロムンが数人の傭兵に敗れるとは思わない。
戦争でものを言うのは数≠セ。兵士や兵器の数が、そのまま戦争の勝敗を左右する。
どれだけ強力な兵器を持っていたとしても、たった一機では戦いにすらならないと考えるのが普通だ。
だが、ベルの態度にエアランは戸惑いを覚える。ただのはったり≠ニは思えなかったからだ。
「諦めろ。彼女は……いや、彼等は本気だ。そして恐らく、それだけの力を本当に持っている」
話に割って入り、そんな迷いを見せるエアランに助言めいた言葉を送ったのはグリゼルダだった。
普通なら笑い飛ばすところだが、グリゼルダが口にする以上はエアランも無視することは出来ないと判断する。少なくとも彼等がロムンの帝都を騒がせていた〈名無し〉を苦もなく殺して見せたことは事実なのだ。そしてエアラン自身も体験したベルの治癒術。更にはシャーリィの〈緋の騎神〉。これだけの材料が揃えば、完全に与太話と切り捨てることは出来なかった。
まだロムンが戦って負けるとは思わないが、それでも慎重な対応が求められることは確かだとエアランは考える。
それに島をでるには彼等の協力が不可欠だということは、エアランも理解していた。
「はあ……まさか〈名無し〉を追ってきて、こんなことになるとはな」
軍人としては失格だが、命の恩人を売るのは義理に反する。
しばらく様子を見るべきかと、エアランは溜め息を溢す。
そんなエアランを見て、苦笑を漏らしながらドギは話に割って入る。
「エアランの旦那。時には諦めて、現実を受け入れることも必要だぜ」
「お前さんは順応しすぎだろ……」
「最初は少し驚いたが、俺はアドルのお陰でこの手のことに耐性があるからな」
まだ子供に交じって、あれこれとシャーリィに質問をしているアドルを見て、こいつも苦労してるんだなとエアランはドギに同情する。
それにエアランもロムンの人間だ。グリゼルダの懸念は分からないでもなかった。
ロムンが〈騎神〉やこの島のことを知れば、間違いなく調査に動きだす。そうなったらリィンたちと事を構えるのは避けられないだろう。
ロムンが負けるとは思いたくないが、グリゼルダの言葉を無視することは出来ない。
実際どれほどの力をリィンたちが持っているのか、まったくと言って良いほど分からないのだ。
こんなものを持っているくらいだ。ただの傭兵とは思えない。どこかの国家や組織に所属している可能性もエアランは疑っていた。
もしそうならロムンを相手に戦争が出来るというベルの自信にも納得が行くからだ。
「だが、こんなものを持ちだして、どうする気だ? あれを使って、俺たちを島の外へ連れ出してくれるのか?」
そう尋ねはしたが、恐らくそれはないだろうとエアランは考えていた。
空を飛んできたところを見たと話している者もいるが、仮にそれが事実だとしても空を飛んだことがある者など普通はいない。
もし騎神の腕に乗せて運ぶという話になっても、アドルのような例外を除いて大半の者は拒絶するだろう。
どれだけ太鼓判を押されようと空の旅など遠慮したい、というのがエアランや普通の大人の反応だった。
「無理ですわね。〈騎神〉を使って運べるのは一人か二人が限度ですもの」
更には「しっかりと捕まっていないと振り落とされるかもしれませんけど試してみます?」と言われれば、誰一人として手を上げる者はいなかった。
移動手段が馬車や帆船が主流のこの世界では人間が空を飛ぶというのは、それだけイメージのし難いものだと言うことだ。
実際リィンたちの世界でも今でこそ飛行船が普及しているが、導力革命が起きる半世紀ほど前までは、この世界の人々と大差のない生活を送っていたのだ。
しかし、そうすると秘密にしていたものを態々公開するリスクを冒してまで、何をするつもりなのかとエアランは疑問を抱く。
「なら、こんなデカブツを持ちだして、どうするつもりだ? 島の外から救援でも呼んできてくれるのか?」
「そんなことをしても、島に近付く船が沈められるのでは意味がないでしょう?」
「まあ、そりゃそうだが……まさか」
ベルが何を企んでいるかを察して、エアランが唖然とした顔で声を漏らした、その時だった。
何かが落下する音と共に蛙が潰れたような声が周囲に響き、全員が音のした方へ視線を向ける。
すると、そこには見覚えのある人影の姿があった。
「な、なんだ。私は一体なにを……」
困惑を隠せない様子で、キョロキョロと周りを見渡す貴族風の小太りな男性を見て、シャーリィは「あっ」と声を漏らす。
彼は〈騎神〉を隠していた小島で行き倒れていたところを発見して、保護した男性だった。
保護したまではよかったが余りに騒ぐものだから気絶させ、騎神の腕に括り付けて連れてきたのだ。
だが、アドルや子供たちに絡まれて、そのことをシャーリィはすっかりと忘れていた。
「カーラン卿!?」
ラクシャの声が広場に響く。見覚えがあるのは当然だった。
古代種に小舟ごと沈められ、誰もに死んだと思われていたロムンの貴族――カーラン卿だった。
◆
「ふむ……」
集落の一角に設けられた鍛冶場に腰掛け、薄らと青みを帯びた剣身を眺めながら鍛冶職人と思しき女性は溜め息を吐く。
「御礼を言わせて、良い物を見せてもらったわ。こんな武器があるとはね」
世界は広いわね、と一人頷きながらリィンに武器を返し、感謝を口にする女性。
彼女の名はカトリーン。ロムンで知れた名工の祖父を持つ、鍛冶屋の娘だった。
そんな祖父の後ろ姿を見て育ったと言うだけあって、彼女自身もかなりの鍛冶の腕を持っていた。
だからこそ、リィンの持っている武器が以前から気になっていて、一度見せて欲しいと頼んだのだ。
「いや、こっちこそ助かった。簡単な手入れは自分でも出来るが、本格的に整備をするとなると厳しくてな」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、私なんてまだまだだよ。祖父には遠く及ばないわ」
ゼムリアストーンの武器を本格的に整備するには、専門の技術を持った工房技師でなければ難しい。
そのこともあって最初は武器を預けることに難色を示していたのだが、明らかに以前よりも輝きを増した武器を見てリィンは素直に彼女の腕に感心していた。
集落の設備にはベルが多少の手を加えたと言う話だが、それでも十分とは言えない。
満足な設備があれば、一体どれほどの武器が打てるのか?
正直、気になるくらいだった。
条件が合えば、団にスカウトしたいくらいだとリィンは考える。
「リィン」
「ん? フィーか、どうした?」
カトリーンの腕に感心していると、後からやってきたフィーに声を掛けられ、リィンは何があったと尋ねる。
だがフィーは、すぐに答えずに無言でカトリーンを一瞥したかと思うと、
「……また、ナンパ?」
リィンに視線を向けて、そう尋ねた。
最近、フィーにまで変な誤解をされている気がして、どうしたものかと複雑な表情で悩むリィン。
そんな二人の様子を見て、カトリーンはクスリと笑みを漏らすと、
「フフッ、あなたが心配しているような話ではないわ。私が無理を言ってね。彼の武器を見せてもらっていたのよ」
そう言って、フィーの誤解を解いた。
リィンが説明するよりも、自分から話した方が誤解も少ないと察してのことだ。
「ちゃんとした挨拶はまだだったわね。私の名前はカトリーン。見ての通り、鍛冶職人よ。鍛冶の腕には少々覚えがあるわ」
「フィー・クラウゼル。なら、私の武器も見てもらっていい?」
「それは構わないけど……」
何か用があったのでは?
とカトリーンに言われて、何かを思いだしたかのようにフィーはリィンに視線を向けると、
「リィン、ベルが呼んでる」
ベルが捜していることを伝えた。
「ベルが?」
「シャーリィが拾ってきたもののことで相談があるって」
「……拾ってきた? 何をだ?」
嫌な予感を覚えてリィンはフィーに尋ねる。
ベルがフィーを呼びに来させるくらいだ。
また何かトラブルを引っ張ってきたと考えるのが自然だった。
そんなリィンの問いにフィーはどう答えたものかと首を傾げると、
「カエルの貴族?」
そう口にする。
特徴だけを捉えた抽象的な例えに、リィンは微妙な反応を見せるのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m