「ひいいいぃ! なんなのだ!? 貴様は――」
集落の広場でシャーリィの姿を見つけて、リィンは溜め息を吐く。
丸々と太った貴族と思しき男性に、気怠そうな顔でシャーリィが武器を向けていたからだ。
(確かにカエルだな……)
フィーの言葉を思い出しながらリィンは貴族と思しき男性を一瞥すると、シャーリィに声を掛けた。
「何やってんだ? シャーリィ」
「あ、リィン! もう話は終わったの?」
「ああ……ってか、このおっさんは誰だ?」
状況を把握するため、リィンは目の前の貴族のことをシャーリィに尋ねる。
そんなリィンの視線に気付き、自分の正当性を主張するように男は声を上げた。
「私はロムンの貴族、カーラン卿であるぞ! この娘が武器を振りかざして脅かしてきたのだ!」
「そうなのか?」
男の言葉にシャーリィならそのくらいやっても不思議ではないとリィンは思うが、一応尋ねる。
「んー? 騎神を隠してた小島で行き倒れてるところを拾ったんだけど、なんか五月蠅いから気絶させて取り敢えず連れてきたんだよね」
シャーリィの説明に、話の雲行きが怪しくなってきたなとリィンは思う。
「で、目が覚めたみたいで、また騒ぐから――」
「……気絶させようとしたと?」
「ベルが『面倒だから、さっさと処分しちゃいなさい』って」
シャーリィの話を聞いて、ずっと傍で静観していたベルに視線を向けるリィン。
まったく悪びれた様子もなく肩をすくめるベルを見て、リィンはここで何があったかを悟る。
「ああ、もういい。何があったか大体分かったから……」
シャーリィがカーラン卿に武器を向けていた理由を察して、リィンは指でこめかみを押さえる。
あと少し遅かったらカーラン卿の首は胴体とおさらばしていただろう、と言うことは容易に想像が出来たからだ。
そこまではしなくとも、手足の一本くらいは斬り落とされていてもおかしくない状況だった。
勇気があるというか恐い物知らずというか、シャーリィやベルのことを知っていれば、そんな無謀な態度は取れなかっただろう。
「運が良かったな。おっさん」
「ま、待て!」
興味をなくし、そう言ってベルとシャーリィを連れて立ち去ろうとするリィンをカーラン卿は呼び止める。
「私にこのような真似をして謝罪一つなしに――」
立ち去る気かと口にしようとしたところで、カーラン卿の動きがピタリと止まった。
自分の身に何が起きたのか理解できていない様子で、カーラン卿はパクパクと金魚のように口を開き、その場に尻餅をつく。
「勘違いするなよ? こっちが悪かったなら頭の一つも下げるさ。だがな――」
道理の通らない言葉に従うつもりはない。
それがどんな相手であったとしても、リィンは自分の考えを曲げるつもりはなかった。
カーラン卿の失敗はベルが嘗てグリゼルダに言ったように、目の前の男が国や貴族を脅威に感じていないことだった。
「リィン……すまないが、この場は私に免じて収めては貰えないだろうか?」
グリゼルダが割って入ったことで、リィンは周囲の視線に気付く。不安そうな表情で成り行きを見守る漂流者たちの姿があった。
表情を見るにラクシャは半ば良い薬だと思っているみたいだが、カーラン卿が目の前で殺されかけるような状況に陥れば、アドルと共に割って入るだろう。
こんなことで彼等と事を構えるのは割に合わないと考えたリィンは踵を返す。
一方でカーラン卿はと言うと、最初は誰か分からなかったようだがグリゼルダの正体に気付いたようで顔を青ざめていた。
「行くぞ」
「了解。……でも、いいの?」
「放って置け」
この島では貴族なんて身分は何の役にも立たない。遅かれ早かれ、そうして困ることになるのは本人だ。
どうせ何も出来やしないとリィンはシャーリィの疑問に答え、その場を後にするのだった。
◆
「カーラン卿、彼等にあのような態度を取ることはオススメしません。死にたくなければ……」
「まったくだぜ。折角、助かった命を無駄に散らすこともないだろ」
「うぐぐ……」
ラクシャとドギに揃って呆れられ、顔を真っ赤にして唸るカーラン卿。
しかし反論の言葉がでないのは、リィンに睨まれた時に感じた恐怖が頭から離れないからだった。
一瞬ではあるが、死が頭を過ぎったのだ。
実際グリゼルダが間に割って入らなければ、どうなっていたか分からないと考えると背筋が凍る。
「何者なのだ。あの連中は……」
だからこそ、そんな言葉が思わず漏れる。だが、そんなカーラン卿の言葉に答えられる者は一人もいなかった。
誰もが秘密の一つや二つは抱えているものだが、リィンたちの場合は謎が多すぎた。
(彼等を信じたい。でも……)
以前と比べれば、ラクシャはリィンたちに対する警戒が随分と薄れている。
だが、それでも先程のカーラン卿の言葉や、皆の不安に思う気持ちも理解は出来るのだ。
獣の群れをものともしないばかりか、あの〈名無し〉を一蹴した戦闘力。
見たこともない形状の武器。見慣れない服装。何処からやってきたのかも分からない。
何より、あの〈騎神〉の存在は常軌を逸していた。
(……まずいな)
離れた場所から成り行きを見守っていたグリゼルダは、話の雲行きが良くないことを察する。
少しずつではあるがリィンたちに対する警戒が薄れてきていたところに先程の一件だ。グリゼルダもリィンたちのことを本当に理解しているかと言えばそうではないが、少なくとも信頼はしていた。
だが、それはシャーリィに命を救われ、少なくない時間をリィンたちと共に行動していたからだ。リィンに保護されたサハド、ミラルダ、クイナの三人も彼等に対する警戒はほとんどないと言っていいが集落の人々は違う。獣の襲撃、更には〈名無し〉の事件。出会い方とタイミングが最悪だったこともあって、内心ではリィンたちに落ち度はないと理解していても警戒を解くことが出来ずにいる人々の方が多いだろう。
このまま放置は出来ないかと考え、グリゼルダが話に割って入ろうとした、その時。
そんな彼女よりも先に、クイナが不思議そうな表情を浮かべながら沈黙を破った。
「リィンはりょーへー≠セよ?」
一斉に集まる視線。そんな皆の視線に晒され、クイナは首を傾げる。
皆が何を真剣に悩んでいるのか、クイナにはさっぱり理由が分からなかったからだ。
ラクシャは腰を落とすとクイナと目を合わせ、その言葉の意味を尋ねる。
「傭兵ではないのですか?」
「ううん、りょーへーだよ。りょーへーは凄いんだよ。三日寝なくても戦えて、ものすごーく強いの!」
分かるような分からないような子供らしい回答に、苦笑いを浮かべるラクシャ。
彼等が強いことは知っている。だが、聞きたいのはそういうことではなかった。
どうしたものかと困った顔を浮かべるラクシャを見て、クイナは不安そうな顔で尋ねる。
「リィン……何か、悪いことした?」
皆が何を心配しているのか? 怒っているのか? 悩んでいるのか?
クイナには分からなかった。
リィンは何も悪いことをしていないと、彼女は知っているからだ。
そんなクイナの問いにラクシャは答えられない。
彼女もリィンたちが何も悪いことはしていないと理解しているからだ。
「さっきのだって、悪いのはそこのおじさんの方だよね?」
「ぬぐぐ……」
クイナに痛いところを突かれて、真っ赤な顔で唸るカーラン卿。
一人で騒いで、因縁を付けて絡んだのはカーラン卿の方だ。
確かにリィンたちも少しやり過ぎだったかもしれないが、原因はどう考えてもカーラン卿にある。
クイナから見れば、なんでカーラン卿が謝らないのか分からなかった。
「わたしね、リィンにいっぱい助けてもらったよ。お腹いっぱい、ごはんも食べさせてもらった。わたしたちが寝ている間もリィンはひとりだけ寝ないで、まもってくれてた」
口では厳しいことを言っていても、実はリィンがとても優しいことをクイナは知っていた。
仕事だから、グリゼルダとの契約だからなんてことは、クイナには関係のない話だ。
リィンが自分の――自分たちのためにしてくれたことを、クイナは忘れない。
何者であろうと関係ない。クイナにとって大切なのは、リィンが何をしてくれたかと言うことだった。
「だから、わたしはリィンにすごく感謝してる。他のみんなだって、そう。サハドにミラルダは釣りとか料理がすっごく上手くて、わたしにもわかりやすく教えてくれる。フィーとシャーリィは一緒にお昼寝したり遊んでくれるし、ベルはちょっと意地悪だけど、いろんなことを知ってるんだよ。優しくてすごくて、わたしはそんなみんなに感謝してるよ。それって変なこと?」
そんな風に尋ねられれば、ラクシャたちも何も言えない。
カーラン卿ですら、バツが悪そうな顔を浮かべ、黙って俯いていた。
貴族のプライドが邪魔をして素直になれないが、彼もシャーリィがいなければ野垂れ死んでいたことは理解しているからだ。
「子供に正論を説かれてたら世話ないな」
レーヤの放った一言にトドメを刺され、どんよりとした暗い空気を背負う大人たち。
黙って様子を見守っていたグリゼルダはそんなラクシャたちの姿を見て、苦笑いを浮かべるのだった。
◆
「手慣れたもんだな」
「まあ、漁師だしな。こういった作業には慣れてる」
リィンが見詰める先でサハドがコツコツと編んでいるのは、キルゴールの使っていた〈鋼線〉を回収したものだった。
それを繋ぎ合わせ編み込むことで一本の長いワイヤーに仕立てる作業を、ベルに頼まれて昨日からサハドは行っていた。
「しかし、よくこんなことを思いつくもんだな」
「考えついたのはベルだがな。俺も〈騎神〉を使って、こんなことをさせられるとは思ってもいなかったよ」
肩をすくめながらそう話すリィンを見て、サハドは豪快に笑う。
「だが、ここにある材料だけじゃ長さが足りそうにないが、あてはあるのか?」
既に〈鋼線〉を編んで作られたワイヤーは、かなりの長さに達している。
しかしベルのやろうとしている作戦に必要な長さを確保するには、材料が足りないとサハドは話す。
「ベルとカトリーンの話では、鉱石さえあれば作れないこともないって話だ」
「ほう、鍛冶職人ってのは凄いもんだな」
正確にはベルは錬金術師なのだが、誤解を解いて一から説明するのも面倒なのでリィンはそのまま話を進める。
「取り敢えず、アドルたちが素材の確保に奔走してるから作業を進めておいてくれ」
それなら、どうにかなるかと納得した様子でサハドは腕を組んで頷く。
だが材料の件が大丈夫となると、もう一つ気になることがサハドにはあった。
「仕掛けに使う小舟の方は間に合いそうなのか?」
「ドギとバルバロス船長が頑張ってくれてる。幸い、船の材料になる木材は豊富にあるしな」
ベルの考えた作戦を実行するには、サハドの作っている〈鋼線〉を編んだワイヤーの他にもう一つ必要なものがあった。
それが小舟だ。現在、ドギとバルバロス船長。それに集落の人間が総出で、小さな船をこしらえる作業を浜辺で行っていた。
シャーリィが〈騎神〉を使って森から大量の木材を運んでくることで、船の材料に関しては余るほどに足りていた。
この機に脱出用の船の材料や、集落の設備に使う資材を一気に集めてしまおうとアドルたちも今朝から探索に出掛けている。
そんな話を聞いたサハドは作業の手を止め、首を傾げながらリィンに尋ねる。
「それじゃあ、お前さんはここで何をしとるんだ?」
サハドの問いにバツの悪そうな顔を見せるリィン。まさか、逃げ回っているとは言えなかった。
カーラン卿との一件は、少しやり過ぎたとリィンも反省していたのだ。距離を置かれることも覚悟していた。
しかし一晩明けてみれば、余所余所しかった漂流者たちの態度は一変し、逆にこれまでのことを謝られるという状況にリィンは困惑していた。
あのエアランまでも「悪かったな」と頭を下げてきた時には、「何があった!?」と本気で目を瞠ったほどだ。
ベルが何かをしたのかと思ったがそんな様子もなく、戸惑いを隠せないままサハドが一人で作業をしている場所へ逃げて来たと言う訳だった。
「サハドは出会った時から変わらないよな……」
「ん? 何を言ってるの分からんが、儂は儂だからな。人間なんて、そう急に変われるもんでもないだろ」
正論だとリィンは思う。
それだけに他の漂流者の態度が急変した理由が分からないと言うのは不安に感じる。
距離が縮まったのだからよかったという考えもあるが、訳も分からず好意を寄せられることにリィンは慣れていなかった。
(ベルの言うように〈騎神〉を見せた以上、このまま何も話さないってわけにはいかないだろうな)
皆の態度が急変した理由は分からないが、事情の説明は必要だろうとリィンは考える。
この件が片付いたら、どこからどこまで話すべきかリィンは真剣に悩むのだった。
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