リィンとベルの他、アドルとラクシャ。他数名の漂流者たちは一週間ほど前から準備を進めていた作戦のために集落から半刻ほど歩いた場所にある岬へきていた。
ロンバルディア号を沈めた海底に潜む古代種を討伐する作戦のためだ。
作戦の内容から言うとアドルたちの出番はないのだが、自分たちの乗っていた船を沈めた怪物を一目見たいと集まったのだ。
着々と作戦の準備が進められる中、アドルは近くに人がいないのを確認してラクシャに声を掛けた。
「あの……ラクシャ」
「アドル? 何か、わたくしに用でしょうか?」
「いや、用ってほどのことじゃないんだけど、先日のことをちゃんと謝っておきたくて……」
「そのことでしたら、別にもう怒っていませんから気にしないでください」
「そうか。それなら、よかっ――」
「ええ、あれはわたくしの不注意が原因ですし。これで見られたのは二回目≠セとか、まったく全然きにしていませんから」
凄く気にしてるじゃないかとは言えず、アドルは困った顔で頬を掻く。
一方でドギも、あれ以来ラクシャと顔を合わせるのが気まずいらしく今回の作戦にも同行していなかった。
もっともベルが獣除けの結界を張っているとは言っても、もしものことを考えると集落を空にすることは出来ない。
実際ドギの他にも、防衛の戦力としてグリゼルダやサハド。それに足手纏いになるからと戦いに不慣れな女子供も大半が集落に残っていた。
アドルとラクシャを除くとロンバルディア号の乗客でこの場にいるのは、バルバロス船長とエアラン。
それに半ば強制参加で無理矢理連れて来られたカーラン卿に、星刻教会のシスターでニアという女性の四人だけだ。
「またやってるのか。しょうがない奴等だな」
「ん……リィンは人のこと言えないと思う」
遠目にアドルとラクシャのやり取りを見て、他人事のように振る舞うリィンにフィーはツッコミを入れる。
そもそも現場にはリィンもいたのだ。アドルやドギのことを言える立場にない。
それに混浴という意味では、リィンにも前科があることをフィーは知っていた。
そうこうしていると、
「俺はまだ、お前たちのことを完全に信用したわけじゃない。だから見極め≠ウせてもらう」
エアランが、そうリィンたちに声を掛けてきた。
ベルの言うように、本当にロムンを敵に回せるだけの力を持っているのか?
グリゼルダがリィンたちを信用する根拠を、この作戦を通してエアランは見極めようとしていた。
「そろそろ始めますわよ」
そんなリィンとエアランのやり取りを見て、ベルは若干呆れた様子で間に割って入る。
そして胸もとから〈ARCUSU〉を取り出すと、バルバロス船長に確認を取るように視線を向ける。
「我々の命運を、あなた方に預けます」
バルバロス船長の言葉を聞くと、ベルは離れた場所で〈緋の騎神〉と共に待機しているシャーリィに通信を繋いだ。
「シャーリィ、準備は良いですわね? チャンスは一度切り、失敗は許されませんわよ」
『いつでも良いよ。〈緋の騎神〉も気力は十分みたいだしね』
やる気に満ちたシャーリィの声が通信越しに聞こえてくる。
もう完全に隠すつもりはないのか、堂々と通信でやり取りをするベルを見て、ラクシャは複雑な表情を浮かべる。
相変わらずアドルはリィンたちの持つ道具に興味津々と言った様子ではあったが、今回に限って言えば自重していた。
この作戦の成否が、集落の皆の運命を分けると理解しているからだ。
そして、確認を取るように皆に視線を送るとベルはスッと息を吐き、
「これより作戦を開始しますわ」
そう宣言するのだった。
◆
「――と言っても地味だな」
「まあ、獲物が掛かるのをじっと待つだけですし……」
作戦開始から三時間。リィンは椅子と机を用意し、ベルとカードゲームをしながら時間を潰していた。
「ぐ……さすがにそれは卑怯じゃないか?」
「ルールには違反していませんわよ? マスターカードにヴァニッシュでアタック。これで、わたくしの勝ちですわね」
「ここでヴァニッシュ三枚だと! まだ、そんなカードを隠し持ってたのか!?」
マスターカードのライフがゼロになり、リィンの負けが確定する。
二人がやっているのは、ヴァンテージ・マスターズ――通称『VM』の愛称で親しまれているカードゲームだ。
巷で流行っているとの話を聞き、このカードゲームを最初にカレイジャスへ持ち込んだのはアリサだった。
そんな彼女との戦績は五分だったので、それなりにリィンは腕に自信があったのだが……今回は相手が悪かった。
「これで五戦五敗か……」
「わたくしにこの手のゲームで勝とうだなんて考えが甘いですわ」
勝ち誇るベルに対して、悔しげな表情を浮かべるリィン。
運や直感も必要なゲームだが、それだけで勝てるほど甘くはない。しかも相手はベルだ。この手のゲームでベルに勝てる人間はそうはいない。それこそ〈鉄血宰相〉の異名を取ったギリアス・オズボーンのように相手よりも先の手を読む知略がなければ、彼女と互角に渡り合うことは出来ないだろう。
その点で言えば、リィンはよく食らいついた方と言ってよかった。
ただの直感だけで、ベルの読みを幾つも外して見せたからだ。この点にはベルも言葉とは裏腹に驚かされていた。
「緊張感が足りないのではありませんか?」
「獲物が掛かったら、ちゃんと働くさ」
ラクシャに注意されながらも、悪びれた様子もなく「掛かればな――」と岬から見える小舟を眺めながらリィンは返事をする。
海底に潜む古代種が島へ近付く船を沈めるのは、自分の縄張りを守るためではないかと、最初に予測を立てたのはラクシャだった。
その古代種の習性を利用することで、態と古代種の縄張りに小舟を浮かべて誘いだすと言う作戦をベルは提案したのだ。
何も不利な海中で戦いを挑む必要はない。陸上に引き摺り出してから討伐すれば良い、という単純明快な作戦だった。
小舟が疑似餌。鋼線を編んで作ったワイヤーが釣り糸と言ったところだ。
だが、この作戦には一つ問題があった。
「やっぱり、あれじゃないか? 餌が悪かったんじゃ……」
小舟の中央に固定された不細工なカカシを見て、リィンは溜め息を吐きながらそう話す。
船そのものではなく人間が放つ気配に反応しているのだとすれば、この作戦はまったく意味をなさないと考えたからだ。
実際、作戦開始から三時間以上経つが、まったく獲物が掛かる様子がない。
この推測は当たっているのではないかと、リィンは考え始めていた。
「だから、わたくしは提案しましたわよ? そこにいる豚≠餌にすれば良いと。少なくとも一度は食いついているわけですから」
ベルも当然その可能性を考えなかったわけではない。
だから最初は急ごしらえのカカシなどではなく、生きた餌≠船に乗せるつもりでいたのだ。
「まあ、俺も悪くない案だとは思うんだが……」
「ひいッ!?」
リィンと目が合い、その場に蹲って全身を震わせるカーラン卿。
彼が古代種に遭遇して船ごと沈められていることは事実だ。ベルの案にも一理あることはリィンも認めていた。
だから古代種が餌に食いつかなかった時のことを考えて、ここにカーラン卿を連れてきたのだ。
しかし、
「いけません。どうしてもと仰るのであれば、私が代わりに……」
カーラン卿を餌にすることに強く反対する人物がいた。それが彼女、シスター・ニアだ。
修道服に身を包んでいることからも察しが付くように、彼女は以前グリゼルダとの話にもでた星刻教会のシスターだった。
リィンたちと合流するよりも前に、アドルたちに保護されたロンバルディア号の乗客の一人だ。
とはいえ、
「なんで、そんな男を庇う? アンタには一文の得にもならないだろ?」
カーラン卿とニアが以前からの知り合いでないことは、既に確認を取っている。
同じ船に乗り合わせたと言うだけで、身代わりに志願してまで庇うというのはリィンには理解しがたい行動だった。
「そういう問題ではありません。命を軽んじるべきではない。無為に犠牲を強いるべきではないと言っているのです」
「無駄じゃないさ。そいつ一人の命で他の漂流者全員が助かる」
「ですが、それを本人は望んでいません。どうしても誰かがやらねばならないと言うのであれば、私が囮になると言っています」
「そんな自己犠牲みたいなものが星刻教会≠フ教えってことか?」
「違います。これは私自身が決めたこと、神のご意志は関係ありません」
話にならないとリィンが肩をすくめると、ベルも呆れを隠せない様子で溜め息を吐く。
だが、ニアが頑なな行動を取るのにはちゃんとした理由があった。
その理由と言うのが〈名無し〉――リィンに殺されたキルゴールの件が深く関係していた。
「キルゴールを殺した俺が、そんなに信じられないか?」
当然、リィンもニアがどうして頑なに反対するのか、ある程度の事情は察していた。
全員が心の底からリィンたちに対する警戒を解き、クイナの話に納得したと言う訳ではない。
キルゴールを手に掛けたことは事実だし、いろいろと隠していることがあるのは確かなのだ。
むしろ、ニアのような反応が普通だろうとさえ、リィンは思っていた。
「いえ、キルゴール先生の件であなた方を責めるつもりはありません。私にそれを言う資格はありませんから……」
キルゴールを殺した責任をリィンに求めることが、どれほど意味のない行動であるかが分からないほど彼女は愚かではなかった。
むしろ彼女が責めたのは自分自身だ。本当に助けたかったのであれば、神に祈るではなくアドルたちのように行動を起こすべきだった。
そうしなかった以上、見殺しにしたのと変わりはない。そのことをニアはずっと悔やんでいたのだ。
勿論、彼女が何か行動を起こしたところで結果は変わらなかっただろう。アドルたちでさえ、止められなかったのだ。
そんなことは彼女自身もわかっていた。それでも――
「誓ったのです。神に祈る前に、人として出来る限りのことをしようと」
カーラン卿の無事を知り、生きて帰ってきてくれたことを最も強く喜んだのはニアだった。
だからこそ、彼女は心に誓ったのだ。もう、二度と見殺しにしたりはしないと――
救える命があるのなら、犠牲をださずに済む方法が僅かでもあるなら、最後まで諦めるような真似をしたくない。
ニアは本気でそう思っていた。
「カーラン卿のことはともかく、誰か一人に犠牲を強いるのはわたくしも反対です。その結果、島をでることが出来たとしても、きっと後悔が残ると思いますから……」
ラクシャもニアと気持ちは同じとまで言わずとも、近い感情を抱いていた。
キルゴールの死は避けられなかったと今では思っている。それでも死人がでたことには変わりがない。
この上、カーラン卿や他の誰かに犠牲を強いるような真似をラクシャはしたくなかった。
そうして自分たちだけが助かったとしても、きっと一生後悔を残すことになると考えたからだ。
リィンもそんな二人の気持ちがまったく理解できないわけではない。だから無理矢理にカーラン卿を小舟に乗せなかったのだ。
とはいえ、このままでは埒が明かないのは事実だ。獲物が罠に掛からなければ作戦の意味がない。
「こうなったら俺が囮になるしか――」
「ダメです! そのようなことは神がお許しになっても、私が絶対に許しません!」
「そうです! さっき自分で自己犠牲≠否定されてたではありませんか!」
「お前等な……」
ニアとラクシャの二人に揃って反対され、リィンはどうしろと言うんだと困惑と呆れを表情に滲ませる。
誰にも犠牲をださないで丸く収めるのであれば、自分が囮になるのが一番だとリィンは考えているからだ。
しかし、周りの反応は違っていた。
「フォローできないところが、日頃の行いを物語っていますわね」
「ん……リィンの言葉がそのままブーメランになってる」
味方と思っていたベルとフィーにまで裏切られ、リィンはこの件で味方はいないと悟る。
自己犠牲のつもりなどまったくないが、傍から聞けばニアと言っていることは変わりがない。
フィーからすると、リィンはもうちょっと自重した方がいいと考えていた。
なまじどうにか出来る力があるだけに、なんでも自分の力で解決しようとするのがリィンの悪い癖だと知っているからだ。
しかし理屈は分かるが、納得の行かないリィンは尋ねる。
「だったら、どうする気だ?」
リィンにそう尋ねられ、ニアとラクシャは困った顔を見せる。他に方法がないということは二人も理解しているからだ。
とはいえ、このまま議論を重ねても平行線を辿ることは目に見えていた。
彼女たちがこれ以上、犠牲をだしたくないと考えている人物のなかには、当然リィンたちも入っているからだ。
仮にフィーやベルが立候補したところで、結果は同じだろう。
一旦、作戦を練り直すべきかと考え始めた、その時だった。
「アドル! みんな大変だ!」
大声で叫びながら岬の方へ走ってくる小さな人影に気付き、その場にいる全員が振り返る。
それは集落でドギたちと帰りを待っているはずのレーヤだった。
ただならない空気を感じ取ったラクシャは、慌ててレーヤのもとへ駆け寄る。
「まさか、一人でここまで来たのですか?」
「集落で待っているように言われたんだけど、クイナの姿が見当たらなくて、それで俺――」
そんなラクシャの問いに対し、後悔と焦りを隠せない様子で何があったかを話し始めるレーヤ。
彼の話によるとクイナの姿が見当たらないことに気付いたのは、アドルたちが岬へ出発した後のことだったそうだ。
全員で捜したが集落の中にクイナの姿はなく、現在は集落の外へ捜索範囲を広げ、大人たちが手分けをして捜しているとの話だった。
それでもなかなかクイナが見つからず、いてもたってもいられなくなり応援を呼ぶために集落を飛び出してきたとレーヤは説明する。
「どうして、そんな危険な真似を……」
「俺の方がお兄ちゃんなのに……俺がちゃんとクイナを見てたら、こんなことにならなかったと思ったら……」
危ないことをしたと叱るべきなのだろうが、レーヤの気持ちも分からなくはなかった。
彼なりに皆の役に立ちたいと頑張っていたのだろう。その一つがクイナのことだったと言う訳だ。
レーヤの話を聞いたラクシャは意見を求めるように、バルバロス船長に視線を向ける。
そんなラクシャの視線に気付き、顎に手を当て考える素振りを見せると、バルバロス船長はポツリと呟く。
「こんな時にパロがいてくれると助かるのですが……」
「……パロ?」
聞き慣れない名前に反応したリィンの疑問に答えたのはラクシャだった。
「リトル・パロと言って、バルバロス船長が飼っているオウムのことです。集落の伝令役として探索の手伝いをしてもらっているのですが……そう言えば、パロは?」
「今朝から姿が見えないのです。最近、呼んでも現れないことがあって気にはしているのですが……」
ラクシャとバルバロス船長の話を聞いて、伝書鳩のようなものかとリィンは考える。
通信装置を持っていないことを考えれば、なかなか理に適ったやり方だ。
しかし――
(なんだ? この胸のざわめきは……)
話を聞いている限りでは何もなさそうに思えるが、そんなオウムがいると言う話を聞いたのは今日が初めてだった。
とはいえ、疑うには根拠が薄すぎる。タイミングが合わなかっただけで、ただの偶然と考えるのが自然だ。
しかしリィンは一度湧いた疑念を――
まるで何かの意志のようなものが働いて、意図的に遠ざけられていたかのような違和感を拭うことが出来なかった。
「とにかく、いまは皆で手分けして捜索しましょう」
バルバロス船長の言葉に頷くアドルたち。
そんな彼等を見たリィンは、
「フィー、頼まれてくれるか?」
「ん……迷子を捜すのは得意だし、任せて」
オウムのことを考えるのは一先ず後回しにして、フィーにクイナの捜索を頼む。
バルバロス船長たちを信用していないわけではないが、この場合は人手が必要だろうと考えてのことだった。
だが、
『リィン、きたよ!』
クイナの捜索を開始しようとした、その時。
リィンの〈ARCUSU〉が光を放ったかと思うと、シャーリィの声が頭に響いたのだ。
「まさか、食いついたのか!?」
なんで今頃になって急に、と小舟に視線を向けるリィン。
そして、
「な――ッ!」
目を瞠る。
海面から姿を覗かせたのは、古代種のものと思しき巨大な触手だった。
そして触手が今にも襲い掛かろうとしている小舟の上には――
「クイナ!」
中央に取り付けられたカカシにしがみつくクイナ≠フ姿があった。
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