「なんで、あんなところに――」
目を瞠り、驚きの声を上げるエアラン。
レーヤから行方が分からなくなっていると話を聞いたばかりのクイナが、まさか作戦に使用する小舟に乗っているなどと夢にも思っていなかったのだから、その反応も無理はない。
海面に姿を見せる巨大な影。それはロンバルディア号を沈めた古代種の触手だった。
だが、この岬から海面に浮かぶ小舟まで泳いで助けに向かったのでは、とても間に合わない。
しかし、それでも――
「アドル」
「ああ、わかってる」
放っては置けないと、ラクシャとアドルが同時に飛び出そうとした、その時だった。
「え……」
「な……」
二人の間をすり抜け、リィンが岬から身を投げだしたのだ。
そして、
「来い――ヴァリマール!」
海面に向かって落下しながら〈灰の騎神〉の名を叫んだ。
眩い光がリィンを包み込む。
呼び掛けに応え、燐光と共に姿を現す〈灰の騎神〉ヴァリマール。
そしてリィンを手に乗せると、一気に小舟との距離を詰め――
「クイナ――」
「リィン!」
小舟と触手の間に割って入った。
その直後、粉々に砕け散った木片と、大きな水柱が海面に上がる。
リィンたちの無事を確かめるべく、岬から身を乗り出すラクシャとアドル。
「シャーリィ!」
その直後、リィンの声が空に響いた。
◆
太陽を背に〈緋の騎神〉は姿を見せる。
そして右腕に巻き付けたワイヤーを豪快に引き上げた。
それは皆で材料を用意し、サハドが何日も掛けてコツコツと編み上げた鋼鉄製のワイヤーだった。
ワイヤーの動きに連動するように、海面が慌ただしく波打つ。
「ずっと待っててあげたんだから、さっさと姿を見せなよ!」
シャーリィの意思に応えるように〈緋の騎神〉の双眸が妖しい光を放つ。
引き摺り出されるように海面に姿を見せる古代種。その身体には巨大な釣り針のようなものが引っ掛かっていた。
カトリーンが鍛え、ベルが細工を施した特製の釣り針だ。
小舟が破壊されると船底に取り付けられた釣り針が飛び出し、古代種の身体に食い込む仕掛けになっていたものだった。
「アハハ、結構がんばるね。だったら――」
拘束を解こうと足掻く古代種に〈緋の騎神〉は、もう一方の手に出現させた真紅の槍を投げ込む。
再び上がる巨大な水柱。悲鳴にも似た古代種の鳴き声のようなものが空に響く。
そして抵抗が弱くなったところでシャーリィは、
「せーの!」
釣り針に取り付けられたワイヤーを一気に引き上げた。
空に放り出され、全容を明らかにする古代種。それはイカのような姿をした巨大な軟体生物だった。
だが、海面に引き摺り出すと同時に限界を向けたワイヤーが、プツプツと音を立てて千切れる。
このまま落下すれば、再び海中に逃げられてしまう。
「そうはさせませんわ」
それを許すベルではなかった。ずっと、この瞬間を待っていたのだ。
どこからともなく異様なカタチの杖を取り出すと、ベルは魔法陣を展開する。
怪しい紫色の光がベルを中心に辺り一帯を覆い、そして杖の先に集中した魔力が解放された。
すると、釣り針に仕掛けてあった魔術≠ェ起動する。
その直後、光が点ったかと思うと宙に放りだされた古代種の姿が忽然と消えた。
「消えた? 一体どこに……」
「ラクシャ、上だ!」
「え……ええええええ!?」
アドルの声に反応して頭上を見上げ、慌てて逃げるようにその場からラクシャは飛び退く。
ベルの〈転位〉によって運ばれた古代種が、ラクシャたちの頭上を横切るように地上へと放り出されたのだ。
「あら……転位座標が少しズレましたわ」
予定していた位置と転位先がズレたことに驚くベル。
ごっそりと持っていかれた魔力の量から、恐らくは想定していたよりも古代種が巨大だったことが原因だろうと冷静に考察する。
一方で、ラクシャたちはそれどころではなかった。
相手はこれまでに見たことがないような大きさの古代種だ。胴体だけでも、騎神の倍近くある。
「皆は下がって! ラクシャ、来るぞ!」
「ああ、もう!」
海の中ではないとはいえ、簡単に倒せるような相手には見えない。
非難めいた視線をベルに向け、アドルに言われてラクシャが武器を構えたその直後だった。
「シャーリィの獲物を勝手に獲らないでよね!」
緋の騎神が割って入り、鎚のようなものを振り回して古代種を弾き飛ばしたのだ。
その非常識極まり無い豪快な攻撃に、ラクシャたちは呆気に取られる。
だが、シャーリィの追撃はそれで終わらなかった。
「打撃は効果が薄いか。なら――」
投げ捨てた鎚が燐光を放ちながらマナへと還る。
それと同時に無数の剣を出現させ、〈緋の騎神〉はそれを古代種に向かって放った。
投擲された剣の雨が、古代種を地面に縫い付けるように大地へ突き刺さる。
そして、
「――ブラッディ・クロス!」
巨大な大剣を出現させると〈緋の騎神〉は古代種との間合いを詰め、その巨体を十文字に斬り裂いた。
全身から血のような体液を撒き散らせながら、地面に倒れる古代種。
トドメとばかりに〈緋の騎神〉は手にした大剣を古代種の胴体に突き立てる。
ピクピクと痙攣するように動く触手。だが――
「……終わったみたいだね」
アドルの言葉どおり、再び古代種が起き上がることはなかった。
◆
空に浮かぶヴァリマールの腕の中には、リィンとクイナの姿があった。
「もう大丈夫だ。怪我はないか?」
腰にしがみつくクイナを落ち着かせようと、優しく声を掛けるリィン。
だが、離れようとしないクイナを見て、リィンは溜め息を吐くと真剣な表情で尋ねる。
「なんで、こんなことしたんだ?」
ビクッと肩を震わせるクイナ。その反応で、リィンは何があったかをなんとなく察する。
小舟の点検はバルバロス船長たちが行っていたはずだ。となれば、点検の時に子供が乗っていれば気付かないはずがない。
なら、こっそりと後を付け、最後の点検から作戦を開始するまでの僅かな間に忍び込んだと考えられる。
小舟には人に見立てたカカシを固定するためのロープと雨除けのシートが置いてあった。子供一人なら身を隠せなくもない。
当然そんな真似をしたと言うことは、事故や偶然などではなく狙ってやったと考えるのが自然だ。
「カーラン卿を船に乗せて、おとりにするって話をしてたでしょ?」
「……聞いてたのか?」
確かに作戦の前に、そんな話をリィンはしていた。
反対にあって実行には移せなかったが、その話をクイナは聞いていたと言うことだ。
「みんな、リィンのことを誤解してるから……」
リィンが強くて本当は凄く優しいところを見せれば、皆もわかってくれると思った。
それに自分が囮になればリィンの役に立てると考えたとクイナは話す。
そんな話を聞かされたリィンは、露天風呂でアドルから聞いた話を思い出した。
カーラン卿と揉めた時の一件だ。その時のことをクイナはまだ気にしていたのだろう。
だが、子供らしい危機感の足りない安直な発想だとリィンは溜め息を漏らす。
「最悪、死ぬところだったんだぞ」
「死なないよ。リィンが絶対に守ってくれるって、わかってたから」
まったく疑っていないと言った顔で目を合わせてくるクイナを見て、リィンはもう一つ大きな溜め息を吐く。
これほどの信頼を寄せられて、嬉しくないかと言えば嘘になる。
クイナが無茶な行動にでたのは、自分にも責任があるとリィンは感じていた。
それでも――クイナが勝手な真似をしたことに変わりはない。
「痛っ――」
無言で放ったリィンの手刀がクイナの脳天に直撃した。
「相談もなく危険な真似をした罰だ。俺からは、この一発で勘弁してやる」
リィンに叩かれた頭を両手で押さえながら、涙目でクイナは「ごめんなさい」と小さく呟く。
危険な真似をしたと言うことは、クイナも本当はわかっているのだ。でも何かをせずにはいられなかった。
リィンのことを悪く言われるのは嫌だったし、皆の役に立ちたいという気持ちは本物だったからだ。
(この無鉄砲なところは、昔のフィーに少し似てるな)
幼い頃のことを思い出しながら、リィンは苦笑する。
無謀とも取れる行動だが、子供は時に大人もしないような無茶をする。似たようなところが、昔のフィーにもあった。
いや、ルトガーに認められたいと焦っていた頃の自分も、フィーやクイナのことは言えないとリィンは考える。
だから、余り強く言うことは出来なかったのだ。
(そういや、親父も言ってたっけ……)
――後先考えずに無茶をやれるのは子供の間だけだ。間違ってたら叱ってやればいい。そのために大人がいるんだからな。
そう言って、ルトガーに殴られたことは一度や二度ではなかったとリィンは思い出す。
自分が同じような立場になって、初めて理解できる気持ち。
ルトガーもこんな感情を抱いていたのかもしれないと思うと、リィンはどこかおかしかった。
「そろそろ戻るか。あっちも片付いている頃――」
言い終える前に何かの気配を感じて、リィンは咄嗟にクイナを引き離す。
「ぐ――ッ!」
その直後、リィンの身体に衝撃が走った。
灰の騎神から叩き落とされ、海面に落下していくリィン。
「――ヴァリマール! クイナを連れて、ここから離れろ!」
「リィン!」
リィンを襲った衝撃――その正体は〈緋の騎神〉に倒されたはずの古代種の触手だった。
自分も海に飛び込もうとするクイナを障壁のようなもので包み込み、〈灰の騎神〉はその場から飛び去る。
離れて行く〈灰の騎神〉を目にして安堵の表情を浮かべると、リィンは海中へと姿を消すのだった。
◆
「な――!?」
再び海面に現れた無数の触手に驚きの声を上げるアドル。
古代種は〈緋の騎神〉に倒されたはずだ。
なのにどうして――と困惑の表情を見せる。
「一体じゃなかった? まさか――」
古代種も生物であることに変わりは無い以上、複数いる可能性を考えなかったわけではない。
しかし、同時にあのような巨大な生物が何匹もいるはずがないと、心の何処かで楽観していたのだ。
そのもしもを、最悪の事態を考慮すべきだったとラクシャは後悔を表情に滲ませる。
そんな時だった。
「あれは――」
近付いてくる〈灰の騎神〉に気付き、顔を上げるラクシャ。
そして〈灰の騎神〉の腕に抱かれた光の玉――クイナの姿を見て、ラクシャは安堵の表情を浮かべた。
古代種の脅威が去ったわけではないが、せめてクイナが無事でよかったと感じたからだ。
しかし、
「リィンを! リィンを助けて!」
岬に降り立った〈灰の騎神〉から飛び降りると、クイナは直ぐ様ラクシャたちのもとへ駆け寄り、何があったかを説明する。
慌てている所為か要領を得ない説明ではあったが、リィンがクイナを庇って海中に引きずり込まれたと言うことは理解できた。
しかし、
「お願い……わたしの所為でリィンが……」
どれだけ助けを求められようと、海中に潜む古代種に対抗する手段がラクシャたちにはない。
既に小舟とワイヤーを使った罠は使い切った後だ。
同じ仕掛けを用意するにしても時間が掛かりすぎる。
助けられる可能性があるとすれば――
「その必要はありませんわ」
緋と灰の騎神に視線が集まるのを感じて、ベルはそう話に割って入った。
「必要ないって、彼のことが心配ではないのですか!?」
仲間の危機だと言うのに、素っ気ないベルの態度に憤りを隠せない様子で詰め寄るラクシャ。
騎神に乗っているならまだしも、生身で海に引きずり込まれて無事で済むとは思えない。
一刻を争う事態なのに、どうしてベルが落ち着いていられるのか、ラクシャには分からなかった。
ベルの反応を見て、何を言っても無駄だと感じたラクシャは〈緋の騎神〉に向かって叫ぶ。
「シャーリィ・オルランド! お願いします。あなたなら――」
「うーん。さすがにリィンの獲物を横取りするのはね」
「何を……」
何を言っているのか分からないと言った顔を浮かべるラクシャ。
だが、
「ラクシャさん、あれを……」
「え?」
そんな彼女の疑問は、すぐに晴れることになる。
バルバロス船長に促され、海面を眺めるとラクシャは目を瞠った。
光が――海の底から溢れだした光のようなものが、青い海を黄金色に染め変えていく。
まるで、あの日フィーと一緒に見た夜明けの海のように――
「これは、まさか……」
目を疑うような光景。夢を見ているかのような景色。
黄金色に染まっていく海を眺めながら、ラクシャは理解する。
「心配は不要ですわ。リィン・クラウゼルは私≠ェ認めた世界で唯一の男≠ネのですから」
だからベルは慌てていなかったのだと――
シャーリィが獲物を前に動こうとしなかったのだと――
目の前の光景を作りだしたのが誰であるかを、ベルの言葉で理解するのだった。
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