「随分と派手にやりましたわね」
「この姿だと手加減が難しくてな。まあ、丁度良い慣し≠ノはなった」
翼を広げ、炎を纏ったまま岬に降り立つとベルに声を掛けられ、リィンはそう答える。
「神人合一。差し詰め、ルベドと言ったところですか」
「なんだそりゃ?」
「錬金術の奥義〈大いなる秘法〉へと至る三つの段階。その最後の一つですわ」
錬金術の奥義である〈大いなる秘法〉へ至るには、全部で三つの段階がある。
第一が死≠司る黒化の〈ニグレド〉。第二が再生≠司る白化の〈アルベド〉。
そして、第三――黄金≠司る赤化の〈ルベド〉で完成へと至る。
「……ルベドね」
肉体に宿る〈鬼の力〉。精神に刻まれた〈聖痕〉と酷似した能力。
ベルの話を信じるなら、これが錬金術の奥義へと至る黒化≠ニ白化≠ニ呼ばれる二つの現象に当て嵌まる。
リィンの〈王者の法〉は、その二色の力を掛け合わせることで覚醒状態へと至る戦技だ。
これまではゼムリアストーン製のブレードライフルを二本使い、武器に力を宿すことでリィンは相反する二つの力を制御していた。
しかし〈鋼の聖女〉との戦いの最中、理へと至ることで存在そのもの≠器とし、二つの力を一つに束ねる術をリィンは学んだのだ。
それがベルの話す赤化――完成へと至った〈王者の法〉の真の力だとすれば、確かに説明は付く。
「その姿のことは、精霊化――『メルクリウス』とでも呼称しましょうか」
勝手に命名するベルに呆れながらも、リィンは半ば諦めた様子で「好きにしろ」と〈精霊化〉を解く。
そしてようやく周囲の視線に気付き、唖然とした顔で固まる漂流者たちの姿を目にした。
混乱しているのだろう。何も尋ねなくとも、その表情や態度から恐怖や困惑と言った感情が伝わってくる。
(まあ、こういう反応になるよな……)
だが、それも無理もないかとリィンは考える。
精霊化したリィンの姿は、どうにか人のカタチを保ってはいるが普通の人間と懸け離れている。一種の異形だ。
紅く染まった髪は尻尾のように長く伸び、瞳は金色の輝きを放ち、全身に炎を纏い、背に翼を広げている。
神話に登場する天使や悪魔を連想させるような姿をしていた。
ましてや精霊化したリィンは〈終焉の炎〉を自在に操り、視界に映るものすべてを灰と化すほどの力がある。
リィンの放った炎で小島が一つ消滅し、海面に空いた巨大な穴は塞がることなく、いまも大量の海水が滝のように流れ込んでいた。
こんな光景を普通の人間が目の当たりにすれば、驚きよりも恐怖が勝っておかしくい。
リィンたちの力を見極めると意気込んでいたエアランでさえ、言葉にならないと言った顔を浮かべていた。
だが、
「リィン!」
「……クイナ?」
クイナだけは違った。
まったく怖がるような素振りもなく、目をキラキラと輝かせて迫ってくるクイナに、リィンは戸惑いを覚える。
「あの光ってなんだったの!? お日様みたいに光ってたよね! すっごく――」
綺麗だった、と興奮を隠せない様子で話すクイナ。
そして、
「リィンって天使様だったんだね!」
予想もしなかったことをクイナに言われ、リィンは目を丸くする。
確かに見る人によっては、そんな風に見えなくもない。
だがリィンの人生で『天使』などと呼ばれたことは、過去に一度もなかった。
「……リィンが天使?」
「どっちかというと、その逆だと思うけど」
「プッ……エリィに良い土産話は出来ましたわ」
これほど似合わない例えはないと、フィー、シャーリィ、ベルは笑いを堪えるように肩を震わせる。
そんな三人を見て、眉間にしわを寄せるリィン。
シャーリィは死神も裸足で逃げだす戦闘狂。ベルは血も涙もない所業を平然とやってきた魔女だ。
天使なんてガラじゃないのは自分でもわかっているが、フィーはともかく他の二人に言われるのは心外だった。
とはいえ、
「あのな。クイナ……」
「なに?」
「俺は天使なんかじゃ……」
天使様なんて恥ずかしい呼び名は絶対に勘弁して欲しい。
フィーが喜ぶ姿を見てリィンは口にだせなかっただけで、最初の頃は『妖精の騎士』という二つ名も身悶える思いをさせられたのだ。
精神の安定のためにも、クイナの誤解を解かなければとリィンは説得を試みる。
しかし、更に――
「これまでの非礼をお許しください。御遣い様」
土に膝をつけ祈りを捧げるニアを見て、リィンは予想の斜め上を行く展開に頭を抱えるのだった。
◆
酷い精神攻撃を受けたとリィンは語る。ある意味、これまでに戦ったどんな敵よりも厄介だった。
とはいえ、まだ微妙に誤解は解けていない(主にニアの)が、悪いことばかりではなかった。クイナとニアのお陰で話が有耶無耶になり、最低限パニックになるのは避けられたからだ。
以前クイナが口にした言葉も頭の片隅に残っていたのだろう。無人島での生活で常識が麻痺していると言うのもあるだろうが、漂流者たちは思いのほか冷静だった。
今回クイナが取った行動も、大人たちにとっては考えさせられる内容だったに違いない。
もっとも、そのクイナはと言うとラクシャに叱られ、集落に戻ってからはグリゼルダにもみっちりと説教をされ、現在はフィーの膝に頭を預け、ぐったりとしていた。
やったことがやったことなので、今回ばかりは味方をしてくれる者が一人もいなかったためだ。
バルバロス船長やアドルでさえ、ラクシャとグリゼルダに睨まれて、何も言えずに様子を見守ることしか出来ずにいた。
そんな一幕があった後、アドルやラクシャを始めとしたロンバルディア号の乗客たちは広場に集められた。
集落に残った漂流者たちを含め、全員に作戦の結果と今日起きたことを説明するためだ。
まずはバルバロス船長より大凡の事情が説明され、そして皆が注目するなかでリィンは前へでる。
この場で、これまでずっと秘密にしてきた正体と目的を明かすと、事前にリィンは彼等に伝えていた。
「もう知っていると思うが、改めて自己紹介をさせてもらう。〈暁の旅団〉団長リィン・クラウゼルだ。そして――」
皆の視線が集まる中でリィンは一呼吸置くと、
「こことは異なる世界からやってきた異世界人≠セ」
そう告白するのだった。
◆
女神が実在すると信じられている世界。
地上を走る鉄の車や、空を飛ぶ乗り物が当たり前の――高度な発展を遂げた文明。
そうした社会の根幹を支える『オーブメント』と呼ばれる技術。
そんな世界から未知の技術と知識の蒐集を目的に、自分たちはやってきたとリィンは話す。
余りに信じがたい話を次々にリィンの口から聞かされ、アドルでさえ戸惑いと驚きを隠せずにいた。
(事前にベルと打ち合わせをしておいて正解だったな)
マナの減衰によって世界が滅びに向かっていることに関しては、リィンたちの世界でも知る者は少ない。
女神についても話したところで理解はされないだろう。余計に混乱させるだけだ。
だからこそ、真実を含めながら敢えて核心には触れない内容を話すことを、リィンとベルは前もって決めていたのだ。
実際、未知の技術と知識を求めているのは嘘ではない。マナの減衰を食い止めるための解決策を得ることも目的の一つだからだ。
「未知の技術と知識の蒐集。なるほど……だから、キミたちは情報≠求めたのか」
ベルが冒険日誌≠対価に要求した理由を察して、アドルは頷く。
だが、そんなアドルを見て、ラクシャは未だに困惑を隠しきれない様子で尋ねる。
「アドルは……彼等の話を信じたのですか?」
「これまでのことを振り返ると、彼等の話には納得の行く点も多い。それに……」
「誤魔化すつもりなら、もうちょいマシな嘘を吐くだろうしな」
そう話すアドルとドギを見て、ラクシャはなんとも言えない複雑な表情を浮かべる。
だが二人の言うように、嘘にしては余りに話が荒唐無稽すぎる。
子供だって、もう少しマシな嘘を吐くだろう。
「それにアドルといると不思議なことには免疫が出来ちまってな。嬢ちゃんだって心当たりはあるだろ?」
「うっ……」
ドギにそう言われると、ラクシャは何も言えなくなる。
だが、もう一人。アドルとの接点があり、こうした不可思議な話に免疫のある人物がいた。
ロムン帝国の第四皇女にしてセルセタの総督、グリゼルダだ。
「信じられない気持ちも分からなくはないが、我々の知らない土地からやってきたと言う意味では大きな差はあるまい」
この世界の移動手段と言えば、馬車や帆船が主だ。
その船も風の力を受けて動く木造船ばかりで、エレシア大陸西部で最大の国力を持つロムン帝国でさえ、外海への進出は未だに果たしていないのだ。
異世界と聞くと突拍子もない話に思えるが、グリゼルダの言うように見知らぬ土地からやってきたと言う意味では同じことだった。
そんなグリゼルダの話に同調する一人の漂流者がいた。
「それにさ、リィンたちが提供してくれた物資って、商人のアタシでさえ見たこともないような良質なものばかりだったんだよね。少なくともエレシア大陸で手に入るようなものじゃないのは間違いないよ」
ロンバルディア号の乗客の一人、商人をしているディナという名前の少女だ。
彼女の言うように、少なくともリィンたちが未知の場所からやってきたという証拠はある。騎神の存在もそうだが、彼等が持つ武器やオーブメントはこの世界にはないものだ。それにリィンたちが集落の生活環境を整えるために用意した物資の数々は、大きな街でも手に入らないような良質なものばかりだった。
少なくとも文化的・技術的にエレシア大陸に存在する国々より進んだ場所からやってきたことが、それらから窺い知ることが出来る。
「最初は船が沈んで荷物も流されちゃってさ。約束してた商談の日時も過ぎちゃうし最悪だーって思ってたけど、異世界……いいよね。こんなチャンス二度と巡ってこないだろうし、もう凄いワクワクするわ!」
欲望を口にだして一人盛り上がるディナを前に、なんとも言えない空気が場に漂う。
他の漂流者たちが一定の距離を置くなかで、リィンたちの持つ品々に最初に目を付けたのは何を隠そう彼女だった。
それからと言うもの、どうにか商売の種に使えないかと密かにリィンたちにアプローチを繰り返していたのだ。
その上、異世界からやってきたと言う話を聞けば、ディナの商人魂が燃えないはずがなかった。
「他に何か聞きたいことはあるか?」
「はいはい! 異世界ってどんなところ? 何か、特産品とかある? 出来れば、こっちにないようなものが欲しいんだけど――」
グイグイと遠慮無く質問を飛ばしてくるディナの勢いに気圧され、リィンは眉間にしわを寄せる。
「あとで時間を作ってやるから、いまは遠慮しろ。余りしつこいようなら商談はなしだ」
「ぐっ……あとで絶対よ! 絶対に絶対だからね!」
釘を刺されながらも念を押すことを忘れないディナに、リィンだけでなく一同は呆れる。
しかしバルバロス船長やドギから食糧や資材の管理を任されるほど、ディナが優秀な商人であることは間違いなかった。
気を取り直し、リィンが他に質問はないかと尋ねると、スッとラクシャが手を挙げる。
「では、お聞きしたいことがあります。……『猟兵』とは一体なんなのですか?」
他にも気になることはあるが、まずはリィンたち自身のことを知りたいとラクシャは考えていた。
特に猟兵に関しては、クイナの話を聞いた時からずっと気になっていたのだ。
「深い意味はないぞ? 特に優れた傭兵のことを、俺たちの世界では〈猟兵〉と呼んでいるだけだ」
「それは……凄く強い傭兵と言うことでしょうか?」
「個々の強さや部隊の練度が求められるのは当然だが、大きく違うのは信用≠フ差だな」
「……信用ですか?」
「腕に自信があれば、傭兵になるのはそう難しいことじゃない。しかし猟兵を名乗ろうと思えば、実績が必要不可欠だ」
違いはなくとも差はある。それが過去の実績――『猟兵』という呼び名に課せられた信用だった。
そのため、誰でも猟兵を名乗れると言う訳ではない。既に実績のある猟兵団に身を置くか、裏の世界で二つ名を得るほどの実力を示すことが最低条件だ。
裏の世界に持ち込まれる依頼は、非合法な表沙汰には出来ないような仕事が多い。
そのなかでも特に危険度の高い依頼が猟兵には持ち込まれる。秘密を厳守することは当然として失敗が許されない仕事ばかりだ。
猟兵を名乗るからには、引き受けた仕事の途中放棄や失敗は許されない。高い金を払って依頼を果たせない猟兵など信用する客はいないからだ。
一度引き受けた仕事は確実にこなす。それだけの自信がなければ、猟兵を名乗ることは出来ないと言うことでもあった。
「厳しい世界なのですね。ですが、ようやく理解できました。お金のために人を傷つける仕事に良くないイメージを抱いているのは確かですが、あなた方はわたくしが想像しているような方々とは違うようです」
「買い被りかもしれないぞ? 実際、金のためならなんでもやる。それが猟兵に抱く人々のイメージだからな」
「わたくしは、そうは思いません。〈暁の旅団〉――団の名前に込められた『明けない夜はない』という想い。そこに仲間を思い遣る気持ちと高潔な意志を感じましたから」
「なんで、それを……フィー?」
「ん……」
そっと視線を逸らすフィーを見て、ラクシャに余計なことを吹き込んだのが誰かをリィンは悟る。
そんなリィンを見て、ようやく一本取ったと言った顔でクスリと笑うラクシャ。
少なくともグリゼルダが信頼を寄せる理由については、これで理解できた気がしたからだ。
黙って話を聞いていたエアランも少し思うところがあったのか、考える素振りを見せる。
そして、
「もういいか? 他になければ――」
「僕からも、一つ良いかな?」
何もなければ次の話に移ろうとしたところでアドルから尋ねられ、リィンは訝しげな表情を浮かべる。
「……なんだ?」
「キミが古代種を倒すときに見せた力≠ノついて教えて欲しい。勿論、話したくないなら無理強いをするつもりはないけど」
どう答えたものかと、リィンは逡巡する。
今更そのことを隠すつもりはないが、改めて聞かれると説明に困るというのが本音だった。
リィンも自分の力について誰かに説明できるほど理解しているかと言えば、そうでもないからだ。
「〈大いなる秘法〉――人の身で神へと至る秘術。錬金術の奥義ですわ。もっとも知ったところで、彼以外には誰も使えませんけど」
リィンが困っている姿を見て、会話に割って入ったのはベルだった。
ベルの話を聞き、他の誰にも使えないという点に疑問を抱き、ラクシャは尋ねる。
「それは特別な才能が必要と言うことですか?」
「才能が必要ないとは言いませんけど、習得には運≠フ要素が強いですわね」
「……運?」
才能以上に運が必要と聞いて、どういうことかと首を傾げるラクシャ。
「あれは死を超越した先にある力ですから、死んで生き返れば或いは――」
――試してみます? と尋ねられれば、誰も首を縦に振るものはいなかった。
死ななければ分からないようなことを、実際に試して見ようという人間がいるはずもない。
ましてや、ベルは可能性はゼロではないと言ったが、実際には力に目覚める可能性は皆無と言っていい。
様々な条件と偶然が重なり合った結果、リィンは一度死んで生まれ変わったのだ。
少女の願いが生んだ奇跡。それがなければ〈王者の法〉を身に宿すことは疎か、蘇生も失敗に終わっていたかもしれない。
運が必要とベルが言ったのは、そういうことだ。
「……もう質問はいいのか?」
「ええ、あなたが非常識な存在だと言うことは、もう十分に理解できましたから……」
正直に言って半信半疑だ。しかしリィンの力を目の当たりにした後では、話半分に聞くことも出来ない。
結局のところ話を聞いて分かったことは、自分たちの価値観や常識に当て嵌めることが難しい相手なのだと再確認しただけだった。
まだ聞きたいことがあるのは確かだが、想像していた以上に情報の密度が濃すぎた。
少し休んで冷静に考える時間が欲しいというのが、ラクシャたちの共通の思いだった。
「それじゃあ、今度はこっちの質問に答えてもらおうか」
「それは構いませんが、何を聞きたいのですか?」
この集落には、生まれも育ちも異なる様々な人々が集まってはいる。
だが、少なくともリィンたちのように常識外れな秘密を抱えている人物はいないはずだ。
異世界人と比べれば、自分を含めて普通≠フ人たちばかりだとラクシャは思っていた。
アドルのような例外もいるが、リィンたちが興味を持つような話が今更でてくるとは思えない。
改まって一体なにを聞きたいのかと首を傾げるラクシャたちに、
「俺から聞きたいことは一つだけだ。バルバロス船長が飼っているというオウム――」
リトル・パロについて知っていることを話せ、とリィンは強い口調で尋ねるのだった。
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