アドルとラクシャは一匹の巨大な獣と対峙していた。
赤い表皮に瞳孔の開いた眼。太い足と巨大な顎を持つ獣。フィーやシャーリィが倒したものと同種のティラノサウルス型の古代種だ。
アドルやラクシャも苦戦を強いられた難敵。以前であれば追い返すのが精一杯で、出来る限り戦闘を避けたい相手だった。
だが、
「エアリアルダスト!」
ラクシャがアーツの起動式を口にすると風が渦を巻き、巨大な竜巻となって古代種の全身を包み込む。
だが風の刃も、鉄製の武器すら弾く古代種の硬い表皮には効果が薄かった。
しかし、そんなことはラクシャも承知の上だ。
狙いは視界を封じ、動きを鈍らせることにあった。
弧を描くように大地を駆け、側面から一気に古代種との距離を詰めるアドル。
武器に闘気を込めると、すれ違い様に一気に連撃を叩き込む。
――ブレードラッシュ。
突きからの薙ぎ払い、そして斬り上げまでを含めた三段連撃。
アドルが使える剣技のなかでも、攻守に優れた強力な技の一つだ。
それでも以前は古代種の表皮を覆う硬い鱗に阻まれて、効果的なダメージを与えることは出来なかった。
だが、いまなら――
「――――ッ!?」
以前は簡単に弾かれた刃が、まるで抵抗を感じさせずに表皮を斬り裂き、肉を断ちきる。
鮮血が舞い、古代種の悲鳴にも似た咆哮が洞穴内の岩壁に反射して空気を震わせる。
特殊な加工技術を必要とするゼムリアストーンは、リィンたちの世界では最高クラスの素材だ。
稀少且つ扱いが難しい分、武器の素材として用いた時の強靱さは鋼鉄製の武器を遥かに凌ぐ。
その素材を一流の鍛冶職人が鍛えたのだ。生半可な武器であるはずがない。
「いける! これならッ!」
痛みに耐えるかのように暴れ回る古代種の尻尾を避け、アドルは流れるような動きで懐に飛び込み、再び剣を振う。
上段から袈裟斬りに振われた渾身の一撃は風を起こし、土埃を舞い上げ、古代種の胸に大きな傷を刻み込んで地面に転ばせる。
リィンたちの陰に隠れて目立たないが、アドルは決して弱くはない。剣士としての腕は達人≠フ域に達している。
何より冒険を通して数多の死線を潜り抜けてきた経験は、多くの戦場を渡り歩いてきたリィンたちと比べても決して見劣りするものではなかった。
シャーリィが目を付けたほどの実力だ。少なくともフィーと互角か、それ以上の力がアドルにはある。
「フロストエッジ!」
ラクシャがそう叫ぶと、氷のつぶてが転倒した古代種に降り注ぎ、手足を凍り付かせる。
風のアーツを最も得意としているとは言っても、まったく他の属性が使えないわけではない。風属性の次にラクシャが得意としているのが、この水のアーツだった。逆に火のアーツは簡単なものも使えないのだが、まだ戦術オーブメントを使い始めてから二日しか経っていないとは思えないほどの高い習熟度だ。
だからと言って、アーツに傾倒しているわけではない。
幼い頃から稽古を続けてきたレイピアの腕は、本職の騎士と遜色のない実力をラクシャは持っていた。
リィンがアドルだけでなくラクシャにも戦術オーブメントを貸し与えたのは、そうした実力を認めてのことだ。
アドルと共に始めた島の探索が良い経験となっているのだろう。
本人も気付かなかった才能が、ラクシャのなかで開花し始めていた。
「いまです! アドル!」
ラクシャの声が響く。
その声に応えるように大地を蹴り、アドルは天高く跳躍すると、
「うおおおおおッ!」
落下の勢いと共に古代種の眉間に剣を突き立てるのだった。
◆
「どうにかなりましたね」
「ああ、装備を新調しておいて正解だった」
ラクシャに声を掛けられ、古代種にトドメを刺した剣の柄を握り締めながらアドルはそう言葉を返す。
改めてゼムリアストーンで作られた新たな武器の威力を実感したが故の感想だった。
「それよりも……」
装備さえ十分なら、古代種に通用すると分かったのは大きな収穫だ。
だが、勝利の余韻に浸れない理由がアドルにはあった。
「おお……お前たち、凄いな。罠もなしに、こんなに大きな古代種を倒すなんて」
アドルの視線の先には、小さな女の子の姿があった。
歳の頃はクイナより僅かに上、十二歳前後と言ったところか?
左右で髪を纏め上げ、日に焼けた褐色の肌をしている快活そうな少女。
野性的な雰囲気を滲ませながらも、年相応の女の子らしくアクセサリーや服装に気を遣っていることが見て取れる。
山小屋のあった場所から少し先に進んだところにある大きな洞窟で、古代種に追い掛けられている少女を見つけて助けに入ったのだ。
「助かったぞ。リコッタの名は、リコッタと言う。お前たちは人間≠セな?」
まるで自分が人間ではないような尋ね方をするリコッタに戸惑いを覚えるラクシャ。
そもそも、こんな危険な場所で小さな女の子が一人で何をしているのかとか、疑問はたくさんあった。
だが状況から察するに、あの山小屋の住人と見て間違いはなさそうだとリコッタの格好を見て、ラクシャは思う。
長いこと島で生活をしているかのような落ち着いた雰囲気が、少女の格好や仕草から感じ取れたからだ。
「いろいろと聞きたいことはありますが……どうして、こんなところに一人で?」
だが、少なくともリコッタが一人でこんな場所に住んでいるとラクシャは思っていなかった。
子供が一人で生活をするには、余りに危険の多い場所だからだ。
何より山小屋で見つけた一冊の手帳。そこに書かれていた文字は男性のものだった。
そして、その手帳に書かれていた文字の筆跡にラクシャは見覚えがあった。
島の探索で何度か目にしたメモらしきもの。何れのメモにも『T』と著者を示すと思われるサインが記されていた。
「一人ではないぞ。父上と一緒だ」
やはり、とリコッタの話を聞いて、納得の表情を浮かべるアドルとラクシャ。
そして、その父上と言うのが恐らくは手帳の人物なのだろうと当たりを付け、ラクシャは尋ねる。
「お父上の名前は? それに今はどちらに?」
保護者がいるのは分かったが、リコッタがこんな場所に一人でいるのは不自然だと考えての質問だった。
「父上の名前は、タナトス・ベルダインだ」
タナトス――それで『T』のサインがメモには記されていたのかと、アドルとラクシャは納得する。
だが、
「でも、父上……。一ヶ月くらい前に、古代種の様子を見に出掛けたまま帰ってこない」
ションボリと肩を落としながらそう話すリコッタを見て、アドルとラクシャは顔を見合わせる。
リコッタの話が事実なら、彼女は一ヶ月もの間、こんな場所に一人で暮らしていたと言うことになるからだ。
何より二日や三日留守にするのならともかく一ヶ月も帰ってきていないとなると、タナトスの安否も気に掛かる。
「アドル……」
「ああ、わかってる」
このまま放って置けるような話ではないと、ラクシャとアドルは為すべきことを確認するのだった。
◆
「儂の名はタナトス・ベルダイン。探検家だ」
アドルのような自己紹介をする爺さんを見て、リィンは頬を引き攣る。
齢六十を超えているだろうが、まったくと言って良いほど衰えを感じさせない逞しい体つきをしている。
フィーと一緒にキャンプの設営をしていると、イオの案内で地下聖堂の調査に出掛けていたベルとシャーリィが連れて帰ってきたのがタナトスだった。
「遺跡の調査をしていたら誤ってトラップを起動したようでな」
坂を転げ落ちた先で動く石像に襲われて難儀していたところをシャーリィに助けられた、とタナトスは陽気な声で話す。
命の危機に晒されていたとは思えないほど陽気なタナトスの態度に、また変なのを連れてきたなとリィンはシャーリィに視線をやる。
「まあ、たいした敵じゃなかったけどね。たぶん魔煌兵くらいの強さかな?」
シャーリィからすればたいした敵ではないだろうが、十分に一般人からすれば脅威だ。
恐らくは、マナで動くゴーレムのようなものだと推察できるが――
「巫女の試練のために配置してた守護像のことだよ。とっくに理力≠ヘ尽きて動かなくなってると思ってたから驚いたけど……」
イオの説明にリィンは興味を持つ。
少し前から気になっていたことが一つあったからだ。
「理力で動く石像か……前から気になってたんだが、その理力って言うのは魔力や霊力とどう違うんだ?」
「理力はあらゆる理≠ノ干渉し、念じた事象を現世に呼び起こす力。風を読み、炎や水を操り、時として未来を予見する――エタニアの繁栄を支えた根幹とも言える力のことだよ。マリョクやレイリョクって言うのがどういうものか知らないけど、そのオーブメントって道具が近いかも? そこから理力に似た力を感じるからね」
フィーが腰のベルトに下げた戦術オーブメントを指さし、リィンの質問にそう答えるイオ。
オーブメントは導力≠ニ呼ばれる力で動いている。これは自然界に存在する力――マナが結晶化した『七耀石』と呼ばれる特殊な鉱石を加工したもの(クォーツ)が動力源として使われていた。
謂わばオーブメントとは、クォーツに刻まれた術式(プラグラム)を読み取り、起動するための装置だ。持ち主の精神と波長を合わせることで、魔法のような力を引き出している。導力魔法の適性とは、このオーブメントとの同調率を示す。この値が高いほどクォーツに込められた力を魔法≠ノ変換する際の効率が増し、より強力でたくさんのアーツを使用することが出来ると言う訳だ。
こうした七耀石に込められた力を、利用可能なエネルギーへと変換する仕組みのことを『導力』とリィンたちの世界では呼んでいた。
一方で魔力は誰もが多少なりとも持ってはいるが、魔術を使えるほどの魔力量を持つ者は少なく〈魔女〉の系譜に繋がる一族や教会によって秘匿されているために、才能や資質の多寡なく誰もがそれなりに使える導力魔法と比べると圧倒的に認知度が低い。その存在すら、ほとんど世間には知られていなかった。
「わたくしたちの概念に合わせるなら、想念が魔力。理力が霊力と考えれば、しっくりと来ますわね」
霊力とは、現世に幻獣や幽霊と言ったものを実体化させている力のことだ。騎神もこの霊力で動いている。
マナを霊力と呼ぶこともあり、逆に霊力のことをマナと呼ぶこともある。どちらも根源を同じくする力だからだ。
だが厳密には、本来は無色透明の力であるマナに指向性を持たせることで、より力の性質を明確にしたものを『霊力』と呼ぶ。
七耀石も土地の影響を受けたマナが長い歳月を掛けて結晶化したものなので、厳密には霊力の塊と言ってよかった。
この理屈からいけば、想念の力というのは個々の精神力に依存していることから、魔力に近い性質を持つことが窺い知れる。
一方で理力はマナを根源とし、導力魔法に近い特性を持つことからも、ほぼ霊力と同じようなものと捉えて間違いはないだろう。
「……ということは理力を研究すれば、俺たちの世界の技術にも応用が可能ってことか?」
「良いところに気付きましたわね。理力で動くというゴーレムを解析すれば、〈結社〉の人形兵器のようなものを開発することも難しくはないでしょうし、理力を使った転位技術は〈精霊の道〉の研究にも役立ちますわ。上手く行けば、アリサさんが研究を進めている騎神に頼らない世界間転位≠煢ツ能になるかもしれませんわね」
ベルが妙に張り切っていた理由を、リィンはようやく理解する。
この島に拠点を築く提案をした時から、ベルにしか分からない予感のようなものがあったのだろう。
そして、それがイオから聞いた話やこの地下聖堂を見て、確信へと変わったと言うことだ。
とはいえ、専門的な話をされたところで理解できるはずもないので、そこはベルに任せるしかない。
それよりもリィンが気になったのは――
「理力を使った転位? そんなものまであるのか?」
「アレですわ」
ベルが指を向ける先には、水晶のオブジェクトがあった。
同じようなものが以前、拠点に使っていた野営地や漂流村にもあったことをリィンは思い出す。
「島のあちこちに同じ物があるそうですわ。そして、それはすべて地脈で繋がっている」
「〈精霊の道〉みたいなものか」
「その簡易版ですわね。しかも術式を刻んだ水晶石の指輪があれば、誰でも利用可能のようですわ」
「……は?」
俄には信じがたい話を聞いて、リィンは目を丸くする。
魔術のなかでも〈転位〉は高等技術の一つだ。〈暁の旅団〉でこの魔術が使えるのは、ベルとエマしかいない。
あとはエマの使い魔のセリーヌが使える程度だ。
「もっとも、地脈の力が強く活性化している場所でしか使えませんから、この島の中しか移動できないようですけど。わたくしたちの世界でも、帝国の主要都市とクロスベルを結ぶので精一杯ですわね」
ベルの話を聞き、それでも十分過ぎる性能だとリィンは考える。
結社は〈転位〉の魔術が刻まれた魔導具を使徒や執行者たちに持たせているようだが、それでも制限がまったくないと言う訳ではない。あの手の魔導具は一度使用すると、マナを蓄えるまでの一定期間は再使用が出来なくなる。しかも同時に〈転位〉できるのは、二人から三人が限界。人数が増えれば、それだけ移動距離も短くなる。そのことを考えれば、利便性は薄れるものの遠く離れた都市を一瞬で移動できるというのは、この上ないほどのメリットがあった。
しかも誰でも使用できるとなると尚更だ。
「ふむ……どうやら、お前さんたちの方がこの島のことについて詳しそうじゃな」
「サラッと話に加わっているが……疑ったり、驚いたりはしないのか?」
「ハハハ、最初からありえない≠ニ疑っていたのでは探検家なんぞ務まらんからな」
そう言われて見ればそうだ、とタナトスの話にリィンは納得する。
しかし、やはりタナトスと話をしていると、アドルと話をしているかのようだとリィンは感じる。
冒険家と探検家。呼び方に違いはあれど、同種の人間と言うことなのだろう。
「それはそうと、お前さんたちにちょっと頼みがあるんじゃが――」
「爺さん、金は持ってるのか?」
「興味を惹くような話でなければ、わたくしはパスですわね」
「シャーリィもパスかなー。お爺さんがシャーリィの相手をしてくれるって言うなら考えてもいいけど」
頼みがあるというタナトスに対して、遠慮の無い言葉を返すリィン、ベル、シャーリィの三人。
フィーは何も言わずに黙っているが、端から興味が無さそうな雰囲気で欠伸をしていた。
イオはそんなリィンたちを見て、半ば分かっていたかのように「まあ、そうだよね」と達観した様子を見せる。
「お前さんたちには年寄りを労る優しさがないのか……」
「普通の年寄りは、こんなところで遺跡探索なんてしないしな」
「ふむ……それには一理あるの。これは一本取られたわ」
そう言って笑うタナトスを見て、皮肉も通じないのかとリィンは呆れる。
年の功というのもあるのだろうが掴み所がない。
正直なところベルとは違った意味で相手にし難い人物と言うのが、リィンがタナトスに抱いた印象だった。
「まあ、お前さんたちにも損のない話のはずじゃ。話を聞いてから判断してもらっても構わん。どうじゃ?」
ニヤリと笑いながら、タナトスはそう尋ねる。
こんな風に話を持ち掛けられれば、最低でも話を聞かないわけにはいかない。
本当にやり難い爺さんだ、とリィンは溜め息を吐き、タナトスの話に耳を傾けるのだった。
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