「消えそうになっていたのが嘘みたいに力が溢れてくる!」
凄い、凄いと調子を確かめるように身体を動かすイオとは対照的に、リィンは疲れきった表情を浮かべていた。
体力を消耗したと言う訳ではないが、ベルとイオの間で意見が割れ、契約の内容を巡っての交渉が難航したからだ。
それと言うのもベルが「下僕でいいのでは?」と、イオの不安を煽ったことが主な原因だった。
ベルにとっては至極当然の提案だったのだろうが、イオからすれば永遠に下僕として扱き使われるなど堪った話ではない。
そういう意味ではベルの〈使い魔〉ではなくリィンの〈眷属〉に収まることが出来たのは、イオにとって不幸中の幸いだったと言える。
だが、労力に見合わない面倒事を引き受けたという印象の方がリィンとしては強かった。
眷属にしたイオをクロスベルに連れて帰ったら、また一悶着起きるであろうことは想像に難しくなかったからだ。
過去にも『貧乳好き』というレッテルを貼られたことがあるだけに、リィンとしては切実な問題だった。
「なんだって俺がこんなことを……」
「ごめん。私がベルに頼んだから……」
「いや、別にフィーを責めてるわけじゃないからな?」
責任を感じてションボリと肩を落とすフィーを、慌ててフォローするリィン。
イオを助けた最大の理由は、彼女の持つ情報が必要だと感じたからだった。
それにベルがスライムをけしかけたことは事実なので、このまま消滅させるのは忍びないと思ったのだ。
フィーだけの責任ではない。それを言うなら問題を拗らせたベルにこそ、言いたいことがリィンにはあった。
自分自身も納得の上でのことなので、今更とやかく言うつもりはないが――とはいえ、だ。
「眷属って、こんなにポンポンと気軽に増やしていいものなのか?」
「普通の人間だったら、この子のような半ば精霊と化した存在を眷属に加えれば、魔力を根こそぎ吸い上げられて死にますわね」
そんな話は聞いてないぞ、とリィンは呆然とした顔を浮かべる。
眷属を増やすと言うことが、それほど危険な行為だとは想像もしていなかったためだ。
「ちょっと待て……お前、そんなことは一言も……」
「特に身体に異常はないでしょ? そもそも、こんなことで死ぬようならノルンさんと盟約を交わした時点で干からびていますわ」
洒落にならない話を聞かされ、リィンは頬を引き攣らせる。
だが考えてみれば、下僕が欲しいならベルがイオを〈使い魔〉にすれば良い話だ。
それをしなかったと言うことは、出来ない理由があったと言うことだ。
特に魔力を吸われていると言った感覚はないが、こんなことでベルが嘘を吐くとは思えない。
ベルの思惑に気付かなかったことを、リィンは今更ながらに後悔する。
とはいえ、ベルの思惑に気付いていてもイオを見捨てたかと言えば、そうはしなかっただろう。
そう考えるとベルに手の平で転がされているような気がして、リィンは複雑な表情を浮かべるのだった。
「〈大いなる秘法〉は神の奇跡そのもの。無限に等しい力を有しているのですから、この程度のことで力が尽きたりはしませんわ。それに〈空の女神〉は七体の聖獣を従えていたのですから、このくらいのことは出来てもらわないと、とんだ期待外れですわよ?」
そんなリィンを見て、ベルは挑発するようにそう言うと肩をすくめる。
ベルが大人しく従っているのは、女神を否定する力をリィンが持っているからだ。女神に劣っているということを仮に認めれば、ベルはリィンとの関係を解消するだろう。彼女はまだ〈空の女神〉への復讐を諦めたわけではないのだから、当然と言えば当然だ。
リィンもまた、そうと知っていてベルの知識を利用している。それに世界を救うためという大義名分を表向きは掲げてはいるが、女神に言いたいことがあるという点ではリィンもベルと目的を同じくしていた。
転生しなければフィーたちと出会うことがなかったと思えば、そのことを感謝しなくもない。だが、結果的に〈空の女神〉が途中で投げ出した問題の後始末をさせられ、現在もそのことで迷惑を被っているような状況だ。姿を眩ませた理由を聞いて、その上で納得が行かなければ文句の一つでも言わなければ気が収まらないと考えるのは当然の流れだった。
リィンとベルの関係は、そうした互いに互いを利用する相互依存で成り立っている。
だからそんな風に挑発されれば、リィンは何も言い返せずに黙るしかなかった。
「イオ・クラウゼルか。なかなか悪くないね。アタシに相応しい名だ」
「そりゃ、よかったな。元気になったところで、その分しっかりと働いてもらうからな」
こうなったら労力に見合う対価は回収しなければ割に合わないと、リィンはイオを睨み付ける。
そんなリィンの考えを知ってか知らずか、腰に手を当てて胸を張るイオ。
「むふふ。アタシを妹≠ノしたことを後悔させない働きを見せてあげるから、どーんと大船に乗ったつもりでいなさいな」
泥船の間違いじゃ、とリィンは不安を隠せない様子で肩を落とす。
ベルは下僕にすることを主張したが、それはあんまりだとイオが主張したのが妹≠ニいうポジションだった。
必死なイオに『フィー姉様』と呼ばれたのがツボに嵌まったのか、最終的にフィーの了承を得ることで決着したのだ。
この場合、イオはノルンの姉になるのか妹になるのか悩ましい問題だが、
(アルフィンやエリィはともかく、エリゼやアリサ……他の連中にはどう説明したものか)
そこまで考えて、リィンは早々に考えることを放棄した。
いまくらいは何も考えず、平穏な時を送りたい。
能天気なイオの姿を見て、心の底からリィンはそう思うのだった。
◆
「で? これから、どうするの?」
早く指示をくれとばかりに気合いの入っているシャーリィを見て、リィンは溜め息を吐く。
期待していた古代種もシャーリィにとっては、そこらの魔獣と大差のない獲物でしかなかった。
だからこそ、イオから今度こそ期待の出来そうな敵がいることを聞いて張り切っているのだろう。
まだ敵と決まったわけではないが、少なくともリトル・パロの仲間であると考えれば、友好的な相手でないことは確かだ。
もしかしたら〈進化の護り人〉を名乗る者たちのなかに、裏でリトル・パロを操っていたマスターがいるかもしれない。
シャーリィが張り切る気持ちも理解できなくはなかったが、
「少しは自重しろ。その時になったら、思う存分やらせてやるから」
リィンは自重するように促す。
ここでシャーリィに好き勝手な行動をされれば、もっと面倒なことになると考えたからだ。
「リィンがそういうなら我慢するけど、余り時間も残ってないんだよね?」
「逆に言えば、俺たちも時間が来るまでは動けないってことだからな」
十日という期限はアドルたちに対するタイムリミットであると同時に、リィンたちの動きを制限するものだった。
万全の状態で戦いに備えるには、フィーにも言ったように〈アロンダイト〉にマナを充填する時間、十日という日数は最低限必要だ。
それに、そうしている間にやるべきことはある。イオの話で島の秘密に随分と近付いたとはいえ、まだよくわかっていないことも多い。リスクを最小限に抑えるという意味でも、敵として相見えるかもしれない相手のことは出来る限り知っておきたいと言うのが、猟兵としてのリィンの考えだった。
そのための情報収集は必須だ。それにイオの話を聞いた時から、リィンは妙な胸騒ぎを覚えていた。
フィーに話した時はただの備えに過ぎなかったが、いまは巨神に匹敵する存在が潜んでいる可能性を本気で警戒している。
だからこそ、いまのうちにイオには確認しておかなければならないことがあった。
「イオ。はじまりの大樹は選択と陶太≠繰り返していると言ったな」
「うん。詳しく知りたければ、この聖堂にも大樹のことが記されたモノリスがあるから確認するといいよ」
アタシが嘘を言ってないことはそれで証明されるはずだからね、とイオは堂々とした態度で話す。
リィンも別にイオが誤魔化しや嘘を吐いているとは思っていなかった。
ただ、
「なら〈進化の護り人〉というのは、その選択≠ノよって大樹に選ばれた一人じゃないのか?」
「……鋭いね。そこに気付くなんて」
敢えてその部分をボカして説明したと言うのに、しっかりと言葉の裏に隠された真実を読み取っていたリィンにイオは感心する。
外的環境に適応した者には、はじまりの大樹の加護が与えられるとイオは言った。それは天変地異を生き残った種族と言う意味だけではない。
エタニアが滅亡する最期の日まで、運命に抗い続けたという大樹の巫女ダーナ・イクルシア。
他のエタニア人が次々と亡くなっていく中、彼女だけが最後の一人になるまで生きていたのは何故か?
巫女に選ばれるくらいだ。強い力を持っていたのは確かだろう。だが、それだけが理由とは思えなかった。
そこでリィンは、彼女もまた〈はじまりの大樹〉に選ばれた一人なのではないかと考えたのだ。
「滅び行く種のなかで、最も輝く魂を持つ者が選ばれる。自らの種が滅ぶ様を見届け、その後も繰り返される選択と陶太≠未来永劫見守っていくために――」
それが〈進化の護り人〉だとイオは話す。
その話からも〈進化の護り人〉は不老不死に近い存在であることが窺い知れる。
普通なら信じられないような話だが、リィンにはイオの話を信じられるだけの根拠があった。
(ようするに眷属≠フようなものと考えれば、納得の行く話だ)
盟約とは魂の契約だ。眷属と化した者は、盟約の主と同じ時間を生きることになる。それは命を預けると言うことだ。
それに当て嵌めるなら〈進化の護り人〉とは、はじまりの大樹の眷属に選ばれた者のことを指すのだとすれば合点が行く。
はじまりの大樹より与えられた盟約は、恐らく〈涙の日〉が適切に行われるかを観察すること。
空の女神より至宝を見守る役目を与えられた守護聖獣と、同じような立場にいる存在と言うことだ。
となれば、はじまりの大樹は少なくとも神々に準じる力を持っていると考えることが出来る。
「ということは、やはりダーナ・イクルシアは生きているんだな?」
「アタシはそう確信してる。あの子が今、どうしているかまでは知らないけど」
他の〈進化の護り人〉と行動を共にしているのか?
それとも、まだ〈涙の日〉に抗い続けているのか?
聖堂でずっと眠りについていたイオは、そのことを知らない。
しかし、
「アタシがこうして今も存在しているのは、ダーナのお陰だからね」
ダーナが簡単に諦めるような人物でないことを、イオはよく知っていた。
だがそれでも、どれだけ強い意志があろうと時の流れは容赦なく心を蝕んでいく。絶望の果てに身体だけでなく心まで人ではなくなってしまえば、二度と〈涙の日〉に抗うことは出来なくなってしまうだろう。
そうなれば他の〈進化の護り人〉と同じように、与えられた役目を全うするだけの傍観者になってしまう。
ダーナは決して、そんな未来を受けいられない。
「まだ、あの子が〈涙の日〉に立ち向かうことを諦めていないなら、心まで〈護り人〉となってしまわないために、自身を封印して島のどこかで眠っているはずだ。アタシなら、そうするからね」
そうイオは話す。
後世の巫女たちに正しい歴史を伝えようとした初代≠フように――
ダーナのことを誰よりも深く理解しているのは、同じように未来に希望を繋げようと考えたイオしかいなかった。
「大樹の巫女というのは、皆そんな感じですの?」
「あはは、アタシとダーナは良い意味でも悪い意味でも特別かな?」
呆れた様子で尋ねるベルに、イオは誤魔化すように笑いながら答える。自分でも余り巫女らしくないという自覚はあるからだ。
そんなイオから見ても、ダーナは筋金入りのお転婆娘≠セった。
よく巫女に選ばれたものだと思うこともあったが、そんな彼女だからこそ皆からあれほどの信頼を得られたのだろうとイオは思っていた。
祈るだけでは何も解決しない。自ら行動を起こすことに意味があると言うことをダーナは誰よりも理解していたからだ。
少し無鉄砲なところはあるが常に前を向き、危険を顧みずに先頭を歩くダーナの姿に勇気付けられた人たちは少なくないはずだ。
「じゃあ、まずはそのダーナって子を捜すの?」
「いや、そっちはアドルとラクシャに任せる」
シャーリィの質問に対して、リィンは首を横に振りながらそう答える。
ダーナが〈進化の護り人〉と行動を共にしていないのだとすれば、イオの言うように島のどこかで今も眠っている可能性は高い。
だが、そのことは〈進化の護り人〉たちも知っているはずだ。
古代種の時のように、罠を張って待ち構えている可能性がゼロとは言えない。
それに――
「イオ。お前が夢で繋がったのはフィーだけなんだな?」
「うん、そうだけど……どうして、そんな質問を?」
質問の意図が分からず、首を傾げるイオ。
だが、
「ああ、そういうことですか」
ベルはリィンがアドルに任せると言った理由を察して納得した顔を見せる。
フィーがイオと繋がって夢を見たように、アドルが見た夢の相手はダーナだとリィンは考えていた。
となれば、遠からずアドルはダーナのもとへ辿り着くはずだ。
それにもう一つ、アドルに任せると決めた理由があった。
「この聖堂のことは、ダーナ以外の〈進化の護り人〉は知らないんだな?」
「うん。元々は彼等に内緒で、歴史の真実を巫女たちに教えるために造った聖堂だしね」
「なら、こうしてイオがまだ存在していることを〈護り人〉たちは知らないと言うことだ」
そこに付け入る隙がある、とリィンは話す。
アドルたちがダーナに接触すれば、イオの話から察するに〈進化の護り人〉は何らかの行動を起こすはずだ。
逆に自分たちが動けば、リトル・パロのように警戒して姿を現さないかもしれないとリィンは考えていた。
なら、取るべき行動は一つしかない。
「餌に食いついたところを一網打尽にするということですわね」
「ん……確かに、それなら上手く行くかも」
「悪くないんじゃない? その方が愉しめそうだし、シャーリィも賛成かな」
リィンの考えた作戦に、他の三人も概ね賛成の意見を述べる。
これまでは後手に回らざるを得なかったが、情報が揃い始めた今なら反撃のチャンスと考えてのことだった。
だが、イオはというと複雑な表情を浮かべて、再び頭を抱えていた。
「物騒なことをまた言ってるし、やっぱり選択を早まったのかも……」
「諦めろ。もう、お前もこっち側≠セ。それに、すぐにそんなことは言えなくなる」
「え?」
目を丸くするイオを見て、リィンはニヤリと笑う。
「では、行きますわよ」
「え? え? どこに?」
「まずは、この聖堂から調べますわ。それから――」
ベルに手を引っ張られて、イオは困惑を隠せないまま後を付いていく。
この後、悪魔と契約するのってこういうことなんだ、とイオは涙ながらに現実と向き合うことになるのだった。
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