「なるほど……考えましたわね」
リィンからサライの話を聞き、納得した様子で頷くベル。
新たに判明した情報の中でも特にベルが興味を持ったのは、リィンがサライに提案したエタニアの再興についてだった。
「どういうこと?」
「ようするにエタニアは滅びていなかった。そういうことですわ」
首を傾げながら尋ねるフィーにベルはそう答える。
この島に活動拠点を築くことは、既に決定事項と言っていい。ヒイロカネやエタニアの転位技術など、捨て置くには惜しいものが幾つもあるからだ。
だがこのまま島を占拠したところで、以前リィンが危惧したようにグリーク地方の行政府と揉めることは間違いない。
島の所有権を主張したところで素直に頷くとは思えない。下手をすれば、ロムン帝国も出張ってくるだろう。
国家に所属しない正体不明の武装集団が島を占拠していて、国が差し向けた軍隊が負けるようなことがあれば引くに引けない状況になることは容易に想像が付く。
戦争は結局のところ外交手段の一つでしかない。落としどころを用意しなければ泥沼の戦いに陥るだけだ。
なら、セイレン島を占拠しているのが正体不明の武装集団ではなく、島の外との交流を絶っていた国ならどうだろうか?
混乱はあるだろうが、個人と組織では対応に差が生まれるのは明らかだ。
「でも、それを相手が認めなかったら?」
「認めざるを得ない方向に持っていく。そのためには――」
武力衝突は避けられないだろうな、とリィンはフィーの疑問に答える。
当然、グリーク地方の行政府はエタニアという国を認めようとはしないだろう。だが、島から手を引かせる理由にはなる。
これまでに島から生きて帰った者は一人もいないのだから、そこにエタニアという国が昔から存在したかどうかなんて誰にも分からないからだ。
なら、優れた技術力と強大な軍事力を持つ未知の国があると知らしめれば、対応を改めざるを得なくなるはずだ。
それに、
「上手く行けば、グリゼルダの悩みも解決できるはずだ」
アルタゴ公国との戦争が長期化していることで、グリゼルダが総督を務めるセルセタもロムン本国から不当な干渉を受けていた。要求される税は年々重くなるばかりで開拓を進めて得た資源の多くも本国に徴収され、ゴールドラッシュに沸いた四年前と比べると暗い雰囲気が漂い、街は寂れる一方。更には生産力を上げるために樹海に住む先住民から人足と財産の徴発を命じられ、グリゼルダは命令の撤回を求めて本国に赴いていたという話だった。
だが総督の解任をちらつかされ、交渉は決裂。グリゼルダが解任されれば、セルセタには本国の意向を汲んだ新たな総督が派遣される。そうなれば、いま以上にセルセタが厳しい立場に置かれることは明らかだった。そうして厳しい現実を突きつけられ、セルセタに戻る途中で沈没事故に巻き込まれたそうだ。
精霊の道による島からの脱出を提案した日の夜、そんな話をグリゼルダから聞かされ、力を貸して欲しいと頼まれたリィンは返事を保留にしていたのだが、サライの話を聞いて上手く利用できないと考えた。
――セイレン島に流れ着いたロンバルディア号の乗客は、エタニアの人々に助けられた。
そうした話を島の外へ流すことで、少なくとも相手の出方を窺うことは出来る。
エタニアの存在をどれほど重く受け止めるかによるが、少しでも情報を得ようと行動を起こすはずだ。
そのタイミングを見計らい、グリゼルダを交渉の窓口とすれば彼女を軽く扱うことは出来なくなる。
転位先をセルセタに決めたのも、実のところ漂流者を国の干渉から守るため、グリゼルダに保護させる狙いがあった。
島から無事に脱出したとしても、これまでのような生活を送ることは難しいと考えられたからだ。
「ん……ようするに面倒なことは丸投げ?」
「適材適所って奴だ。俺たちは猟兵であって、政治家じゃないからな」
交渉や駆け引きが出来ないと言う訳ではないが、猟兵は政治家ではない。
ベルならそのあたりのことも上手くやりそうではあるが、見た目が少女では説得力が薄い。
対外的な顔役は必要だった。そう言う意味で、サライやグリゼルダは適任だったと言う訳だ。
「それで? グリゼルダさんには、そのことを話しましたの?」
「ああ、事前に段取りを確認しておく必要があるからな。今頃は地下聖堂の仮拠点でサライと会っているはずだ」
「……大丈夫なんですの? それ」
「力を封じてあるし、イオとシャーリィもつけてるから大丈夫だろ?」
不安しか残らない人選を告げられ、ベルは更に渋い顔を見せる。
イオやサライのことをグリゼルダに話すのは構わない。その程度には信用できるとベルも思っていた。
サライもあれだけシャーリィに手酷くやられて理力を封じられていれば抵抗など出来るはずもないし、話を聞く限りでは裏切ることはないだろう。
問題は監視に付けた人選だ。よりによってイオとシャーリィの組み合わせなど、不安しか残らない。
だが、
「集落との連絡役はフィーの方が適任だしな」
そう言われると確かに他に良い手も思い当たらず、ベルは溜め息を吐きつつ納得する。
イオは存在を公に出来ない以上、この件に不適格だ。そして、ある意味リィン以上に危険人物として警戒されているのがシャーリィだ。
子供からは意外と受けが良いのだが、大人たちのほとんどはシャーリィとどう接していいか分からず今も距離を置いていた。
とはいえ、これまでにシャーリィがやってきたことを思えば、その程度で済んでいるのは僥倖と言えた。
以前のシャーリィなら恐れられ、避けられても不思議ではなかったからだ。そう言う意味では、少し丸くなったとも言えるだろう。
だがウーラの件からも分かるように性格が多少丸くなったと言うだけで、根本的なところは何も変わっていない。
強者の気配や戦場の空気を感じれば、血が滾らずにはいられない。戦鬼の娘にして〈血染め〉の異名を持つ猟兵と言うことだ。
「それで、そっちも成果はあったのか?」
「ええ」
その問いを待っていたとばかりに、ベルは笑みを浮かべながら一本のダガーをテーブルに置く。
緋色に輝く刃。それは紛れもなくヒイロカネで鍛えたダガーだった。
「純粋な硬さや武器としての威力で言えば、ゼムリアストーン以上ですわ。ただ――」
魔力の伝導率はゼムリアストーンに及ばないとベルは話す。
そしてヒイロカネが古い地層で見つかるのは、古代種の化石が地脈の影響を受けて変化したものだからだと説明する。
「その緋色は『生命の輝き』とでも言った方がいいですわね。魔力との相性は余りよくありませんが、生命力を基とする力――闘気などはよく馴染むはずですわよ」
試してごらんなさい、とベルはそう言ってフィーに促す。
そうしてダガーを受け取ると、フィーは戦技を発動する要領で闘気を流し始める。
すると緋色が濃くなり、刀身には炎のような波紋が浮かび上がった。
軽く、その場で振って感触を確かめるフィー。そして、
「ん……良いかも。こっちの方が力が馴染みやすい」
以前に使っていた武器よりも闘気を通しやすいと話す。
それはアーツを主軸に使う者には不向きかも知れないが、闘気を主体に戦う者には適した武器と言うことだ。
猟兵はどちらかと言えば、アーツよりも闘気を用いた戦いを得意とする者が多い。
装備の強化に繋がりそうな情報は〈暁の旅団〉の団長としてはありがたいものだった。
だが、興味深そうにヒイロカネで鍛えられたダガーを眺めるリィンを見て、
「ですが、あなたのそれは無理ですわよ」
「……どういうことだ?」
ベルは釘を刺すかのようにリィンが腰に下げたブレードライフルを指さしながら、そう話す。
「あなたの使う技はすべて〈アルス・マグナ〉を根源としたものでしょう? あれは原初の力。純粋な闘気ではなく魔力や霊力と言ったものが混じり合った力ですもの。オーブメントを使ってアーツを上手く使えないのも余計な力が混じっているのが原因。ゼムリアストーンなら媒介として用いることは出来ても、ヒイロカネの武器では反発して思うように力を使えなくなるだけですわ」
戦技が上手く発動できないのは、純粋に闘気だけを使うことが出来ないから――それはアーツにも同じことが言える。
魔力や霊力だけをオーブメントに流し込むことが出来ないのが、アーツを上手く使えない主な原因だとベルは指摘する。
それにリィンの場合、偶然〈アルス・マグナ〉の力を手にしたに過ぎない一般人だ。
魔女や錬金術師なら当たり前のように出来る魔力制御や、簡単な魔術すら使うことが出来ない。
ようするに――
「異能に頼ってきたからでしょうけど、闘気や魔力の扱いに関しては、まだまだ未熟と言うことですわね」
「ぐっ……」
自分でもわかっていたこととはいえ、はっきりと言われてリィンは顔をしかめる。
とはいえ、なんでも我流でやるには限界がある。アーツや戦技が上手く使えない理由を真面目に考察しようにも知識が足りず、ましてやそうしたことに詳しい人物も知り合いにいなかったことを考えれば、出来ることは能力を伸ばすことしかない。異能の扱いに傾倒するのは仕方がないことと言えた。逆に言えば、それだけに絞って訓練を続けてきたからこそ、ここまで〈アルス・マグナ〉を使いこなすことが出来るようになったとも言える。
猟兵の才能という意味では、フィーやシャーリィに及ばないとリィンは自覚している。部隊指揮もヴァルカンの方が適性や経験共に上だ。知識量ではベルに劣り、技術力でもアリサには遠く及ばない。なんでも満遍なくこなす器用貧乏がリィンの特徴と言ってもよかった。
だが、そうした弱点を補って余りあるほどに、リィンの持つ異能は強力だった。
「でも、戦技やアーツなんて使えなくても困ったことはないのでしょう?」
リィンの〈オーバーロード〉は、それ一つで様々な戦技やアーツの代用が可能な多様性に富んだ技だ。
不便に感じたことはあるが、ベルの言うように困るような事態に陥ったことはなかった。
ベルやエマが無理に魔術を勧めようとしないのが、そうしたリィンの長所を理解していて必要ないと感じているからだ。
しかし、
「……こうなったら意地でもアーツを使えるようになってやる」
「まあ、期待しないで待っていますわ」
負けず嫌いなところは、リィンもフィーと同じだった。そうした気概がなければ、ここまで強くはなれなかっただろう。
だが、努力だけではどうにもならない壁はある。魔力制御を極めればそうした弱点も克服できるかもしれないが、それでもアーツは上手く使えないだろうというのがベルの見解だった。
あくまでオーブメントは魔法のような現象を簡易的に発動するための補助装置でしかないからだ。
どちらにせよ、リィンの力を受け止められるだけの器は既存のオーブメントにはない。謂わばロケットのエンジンを車に積んで動かすようなものだ。となれば、専用のオーブメントを開発するか、オーブメントに頼らずとも魔法を使えるようになるしか手はない。しかし苦労して魔術を覚えたところで、ほとんど〈オーバーロード〉で再現可能なことを考えれば、余り戦力アップに繋がるとは言えなかった。
覚えて損がないとすれば〈転位〉や〈治癒〉の魔術くらいのものだが、どちらも適性が必要で誰でも覚えられるようなものではなく長い修行が必要だ。
ベルの目から見てリィンは確かに魔術を使える素養はあるが、特別才能があるようには見えない。
期待しないで待っておくというのは、そういう意味を含めての言葉だった。
「大丈夫。リィンなら、きっと克服できる」
「……フィー」
ベルと違って、温かい言葉を掛けてくれるフィーに感動を覚えるリィン。
だが、
「才能はないけど、根性だけはあるって団長やゼノも言ってたし」
上げて落とすかのようなフィーの余計な一言に落胆し、ゼノへの怒りを募らせる。
しかし、そんな言葉と裏腹にフィーはリィンのことを誰よりも尊敬していた。
半人前扱いされても諦めずに努力を続けるリィンの姿を、ずっと間近で見続けてきたのは彼女だからだ。
(そう言えば、こうも言ってたっけ……)
本当に一番強いのは、絶対諦めない。決して折れない不屈の心を持つ奴だ。
だから、アイツは強くなる。そう団長を始め、団の皆がリィンのことを話していたのをフィーは思いだす。
リィンは恐らく気付いていないだろうが、誰もがリィンの努力を認めていたことをフィーだけは知っていた。
「……相変わらず緊張感の足りない方々ですわね」
「ん……それが猟兵だから。でも、悪くないでしょ?」
呆れながらもフィーにそう尋ねられて、ベルはただ微笑みを返すのだった。
◆
リィンたちがそんな話をしている頃――
「そう、あなたも苦労しているのですね……」
「いや、私の悩みなど貴殿に比べれば……」
地下聖堂の仮拠点で、意気投合するサライとグリゼルダの姿があった。
そんな二人の間に入って、イオもうんうんと頻りに頷いている。
サライはエタニアの女王。イオは大樹の巫女。グリゼルダはロムン帝国の第四皇女と、それそれが国の重責を担う立場にあった者たちだ。
互いに共感できる部分があるのだろう。何より三人の共通の話題と言えば――
「分かるわ。他の三人も凄いけど、その親玉のリィンとか理不尽の塊だしね」
そんなイオの言葉に、まったくだと頷くグリゼルダとサライ。
グリゼルダは最近少し慣れてきたとはいえ、リィンの行動に振り回され、未だに付いていけない部分があった。
感謝はしている。しかしリィンとでは価値観や常識が違うと感じたことは一度や二度ではない。
エレシア大陸で最大の軍事力を持つロムン帝国を力で押さえ込むなど普通なら不可能な話で、以前のグリゼルダなら考えもしなかったことだ。
エタニアの滅亡を受け入れていたサライからすれば、国の再興など考えることすらなかった。だが、死んでしまったエタニアの民は帰ってこなくとも、歴史は受け継いでいくことが出来る。嘆くくらいなら、また最初からやり直せばいい。リィンからエタニアの再興を持ち掛けられた時、そんな風に言われた気がしたのだ。
イオもまさか自分が誰かの眷属となって、こんなカタチで〈はじまりの大樹〉に挑むことになるなんて想像もしていなかった。
すべてリィンがいなければ実現は疎か、そうした可能性すら考えなかったことばかりだった。
しかし、
「このくらいリィンなら別に不思議でもないと思うけど? 神様だって倒しちゃってるしね!」
エイドスですらどうすることも出来なかった巨神に挑み、封印するどころかリィンは神を討滅して見せた。ノルド高原には、いまもその戦いの爪痕が残っている。
クロスベルの件もそうだ。帝国がクロスベルの実質的な支配を諦め、共和国が侵攻を踏み止まっている理由として、暁の旅団が抑止力となっている点が大きい。これはセイレン島が置かれている状況とよく似ている。既に一度は成功させているのだから、同じことがもう一度できないとは思えない。このくらいは当然のことだとシャーリィは考えていた。
「……神を倒した?」
「まさか、そんなことが……」
「いや、でも……」
困惑するサライとグリゼルダとは違い、リィンならありえるとイオは考える。
眷属となって、リィンと深く繋がった今ならよく分かる。
はじまりの大樹と比較しても、リィンが内包する力は底が知れないとイオは感じていたからだ。
「その話を詳しく教えてもらえますか?」
「リィンの話が聞きたいの? いいよ。まずは、えっと――」
サライに尋ねられ、普段は面倒臭そうに応対するシャーリィも、リィンの話になると年相応の一面を見せる。
すっかり共通の話題で打ち解けたサライ、イオ、グリゼルダの三人は、シャーリィの話に真剣に耳を傾ける。
傍から見れば、興味のある男性の話題で盛り上がる女子会と言ったところだ。
しかし自分の与り知らぬところで話題にされているとは、
「はっくしょん!」
「……風邪?」
「どうせ、また女性絡みでしょ? そのうち刺されますわよ」
リィンは知る由もなかった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m