「おお、すっごく高い建物だな……リコッタ、こんなの初めて見る!」
巨大な石造りの建物が並び立つ廃墟と化した都市に、リコッタの驚きに満ちた声が響く。
「ラクシャ姉の住んでたところ、ここよりもっとスゴイか?」
「いえ、これほど立派な建物はエレシア大陸全土を見渡してもそうはないと思います」
リコッタの問いにラクシャはそう答えるが、実際には以前に一度だけ訪れたことのあるロムン帝国の首都ですら見劣りする規模の都市だと見ていた。
随分と古い遺跡に思えるが、それほどの大昔にこれほどの高度な文明を築いていたとは俄には信じがたい。
しかし実際にこうして目の前にある以上、自分の目で見たものを否定するのは愚か者のすることだ。
信じがたい光景ではあるが、現代よりも遥かに進んだ技術力を持つ国が、この島に嘗て存在したという事実は否定できなかった。
ふと、ラクシャの頭にアドルが見たという夢の話が過ぎる。
「アドル。もしかして、この遺跡が……」
「ああ、夢で見た場所に間違いない」
アドルの話を聞き、小さく頷きながら逡巡するラクシャ。
これでアドルの見た夢が、ただの夢でないことが明らかとなった。
原因は分からないがアドルが夢を通して、この島で起きた過去の出来事を体験しているのは間違いない。
やはり鍵となるのは――
(ダーナさんですか)
ダーナ・イクルシア。アドルの見ている夢は、すべて彼女が中心となっている。
そこに謎を解くヒントとなるものがあるような気がしてならなかった。
恐らくアドルもそのことに気付いているのだろうとラクシャは考える。
だから夢の景色を追って、ここまでやってきたのだ。
「では、まずはこの遺跡の探索から始めますか」
「……いいのかい?」
島の調査にラクシャが余り乗り気でないことはアドルも察していた。
リィンが口にした予定の期日まで、もう残り一週間を切っている。
そのことを考えれば、漂流者の捜索を優先すべきだというラクシャの主張は正しいものだ。
だからこそ、アドルは自分から言い出せずに黙っていたのだが、
「これだけ、しっかりとしたカタチで建物が残っているのであれば、漂流者が隠れ住んでいる可能性は十分に考えられますから」
漂流者の捜索のついでに、遺跡の調査を少しするくらいなら構わないだろうとラクシャは話す。
彼女なりにアドルの気持ちを汲んで、導き出した妥協点がこれだった。
それに、
(このまま彼等に任せて島を去るのは悔しいですしね……)
ここまで関わった以上、出来ることなら最後まで見届けたい。
あとのことをリィンたちに丸投げして、サヨナラという気持ちになれなかった。
アドルと共に探索を続けてきたという自負が、ラクシャのなかにもあるからだ。
そんななか、
「アドル兄! ラクシャ姉! なにしてる? はやく父上を捜しに行くぞ!」
アドルとラクシャのことを兄≠竍姉≠ニ呼び、元気に手を振るリコッタの姿があった。
◆
ベルとの話し合いを終えたリィンは、タナトスの姿を捜して一人で集落のなかを散策していた。
まず広場を中心に幾つも設置された大きめの丸いテントが目に入る。高原に住むノルドの民が使っていた『ゲル』と呼ばれる移動式住居だ。休憩所に使っていた洞窟は現在、素材を保管するための倉庫に使われていた。
カトリーンの工房も屋根付きの立派な小屋が建ち、ベルの希望で設置した仮設のトイレや露天風呂も確認できる。
そして浜辺の方へ足を運ぶと、以前よりも少し立派になった小さな波止場があった。
そこで釣りをしている目的の人物を見つけ、リィンは声を掛ける。
「アドルたちが例の遺跡に辿り着いたみたいだ。お前の娘も一緒のようだが、顔を見せなくていいのか?」
「お前さんの仲間が一緒なら心配はいらんじゃろ」
「娘が必死に捜してるっていうのに……意外と薄情なんだな」
報酬まで提示して依頼したくらいだ。
もっと娘のことを心配しているのかと思いきや、あっさりとしたタナトスの態度をリィンは訝しむ。
だが、
「今回のことはリコッタにとって良い経験になると思ってな」
「……自分がいなくなった時のためにか?」
ある意味で予想通りの答えにタナトスの考えを察し、リィンは真剣な表情で尋ねる。
どことなくリコッタのことを話すタナトスの顔が、ルトガーと重なったが故の問い掛けだった。
「外の世界を見せてやりたいと思ったが、儂はあの子を探索者にしたいわけではない。普通の生活が送れるのであれば、それに越したことはないからの」
「それを本人が望んでいるとは限らないと思うが?」
タナトスは探検家だ。
普通の生活に戻れるチャンスがあるのであれば、危険な旅に付いてくる必要はないというタナトスの気持ちも理解は出来る。
だが、それを本人が望んでいるかは別の問題だ。
フィーがそうであったように、父親の考えなど意外と娘には伝わらないものだ。
実際ルトガーはフィーに猟兵から足を洗って欲しかったみたいだが、フィーは今も猟兵を続けている。
「お前さんの言うように決めるのはリコッタじゃ。だが、リコッタはまだ子供じゃ。この一年で出来る限りのことを教えたつもりだが、もっとたくさんのことを学び、本当に自分が何をしたいのかを考えて欲しいのじゃよ。儂はリコッタの可能性を潰したくない。いまのまま探索の旅に連れて行けば、あの子は儂に依存してしまうじゃろう」
と、心の底からリコッタの将来を心配する様子で、複雑な顔を浮かべながらタナトスは話す。
血が繋がっていなくとも、親が子を想う気持ちに変わりはないと言うことなのだろう。
結局はタナトスとリコッタの問題だ。これ以上、踏み込むのは野暮かと考え、リィンはあっさりと引き下がる。
「しかし意外じゃな」
「……何がだ?」
「心配してくれたんじゃろ?」
リィンが誰かと重ねて話していることは、なんとなくではあるが察した上での発言だった。
心遣いは嬉しい。だが、タナトスは厳しい表情を浮かべる。
「だが、幾らリコッタが可愛いとは言っても、儂の目の黒い内は惚れるんじゃないぞ?」
「……は?」
「人の好みをどうこう言う気はないが、胸の小さな女性が好きなのじゃろ?」
「ちょっと待て、なんでそうなる?!」
酷い誤解だと、リィンは反論する。
幾度となく弄られたネタだが、別の世界にきてまで同じようなことを言われるとは思ってもいなかったためだ。
しかし、
「だが、お前さんの連れとる女性は皆、こう言ってはなんじゃが……」
慎ましい胸をしている、とタナトスは言いたいのだろう。
それに実際の年齢はともかく、イオとベルなど見た目は子供にしか見えない。
やはりメンバーの人選を誤ったか、と苦い表情を浮かべリィンは後悔するが、時は既に遅かった。
リィンの名前を呼びながら走り寄ってくるクイナの姿を目にする。そして――
「どーん!」
リィンの腰にタックルするかのように抱きつくクイナ。
そして喜びを身体で表現するかのように、リィンの腹にゴリゴリと頭を押しつける。
「クイナ? お前、どうして……」
「全然、顔を見せないから会いに来た。もう、わたしに飽きちゃった?」
「お前さん、やはり……」
タナトスの生温かい視線に気付き、リィンは溜め息を漏らしながら右手で額を押さえるのだった。
◆
クリスタルの〈転位〉を使ってリィンが地下聖堂の拠点に戻ると、
「おかえりー」
天幕の中で床に敷かれた絨毯に寝そべったまま出迎えるイオの姿があった。
イオの傍らには、赤いカバーの本が積み重ねられている。
二百年ほど前の帝都ヘイムダルを舞台にした吸血鬼の話――『赤い月のロゼ』というタイトルの有名な小説だ。
それは暇潰しにとエマから借りて、フィーがこちらの世界に持ち込んでいた私物だった。
「疲れた顔をしてるけど、なんかあったの?」
「……子供の相手は大変だと思ってな」
分かる分かると相槌を打つイオを見て、お前もその一人だとリィンは心の中で呟く。
だが、そんなことよりもリィンが気になったのは、
「お前、文字が読めたのか?」
「失礼な! アタシはこれでも巫女だよ?」
まったく答えになっていないイオの説明に、リィンは眉間にしわを寄せる。
聞きたいのは、そういうことではなかったからだ。
「そういうことじゃない。俺たちの世界の文字が読めるのか? って聞いてるんだ」
「ああ、そういうこと」
ようやく合点が行ったという感じで、ポンッと手を打つイオ。
「でも、今更そんなことを気にするなんて、リィンって意外と抜けてるよね」
「……なんのことだ?」
「言葉、通じてるでしょ?」
そう言えば、と今更ながらイオに指摘されてリィンは気付く。
普通に会話が成立しているため気にも留めなかったが、ここは異世界だ。本来であれば、リィンたちの世界の言葉が通じるはずもない。
イオも古代エタニア人であることを考えると、現代とは違う言葉を使っているはずだ。
だがリィンたちだけでなく、タナトスやグリゼルダとも普通に会話が成立していた。
そんなことが可能な力と言えば、一つしか思い当たるものはない。
「もしかして〈はじまりの大樹〉の影響か?」
「正解。この島、限定だけどね」
島に満ちている〈はじまりの大樹〉の力が原因と聞き、リィンは納得した様子を見せる。
碧の大樹や〈始まりの地〉に近い力を持っているのなら、そのくらいのことは出来ても不思議ではないと考えたからだ。
「でも通じるのは言葉だけで、さすがに文字までは読めないんだけどね」
「……普通に俺たちの世界の本を読んでるじゃないか」
「じゃあ、リィンはこの世界の文字を読めるの?」
そう言われるとリィンは返す言葉がなかった。
ベルがアドルから預かったという冒険日誌や、地下聖堂にあるモノリスを目にしたことはあるが、そこに書かれている文字を理解することは出来なかったからだ。
以前、アリスンに暖簾の作製を依頼したことがあるが、彼女もリィンたちの世界の文字が分からないようだった。
ベルは普通に解読していたみたいだが、彼女は例外と言ってもいい。
「まあ、アタシも勉強中なんだけどね。だからフィー姉様≠ノ本を借りたの」
と言いながらも、既に何冊もの本に目を通した形跡がある。
見た目はアホっぽいのにベルと同じことが出来るイオに、リィンは内心驚きを隠せずにいた。
「なんか、失礼なことを考えてない?」
「気の所為だ」
訝しげな視線を向けてくるイオに対して、内心を悟られないようにポーカーフェイスで答えるリィン。
腑に落ちないものを感じつつも、イオは首を傾げながら本に視線を戻す。
そして、
「でも大樹の力を借りなくたって、リィンなら普通に話すくらいは出来ると思うよ」
「……どういうことだ?」
「前にそのオーブメントから理力に似た力を感じるって言ったのを覚えてる?」
「ああ、確かそんなことを言ってたな」
「理に通じれば、言葉を話せなくても心を通わせることが出来る。古代エタニアの時代にも様々な種族がいたけど、アタシたちはそうやって異種族との交流を育み、時には古代種とも関係を築いてきた。リィンたちの使っている導力≠ニいうのが理力≠ノ近いものなら、同じことが出来るはずだよ」
そんなイオの話を聞いて、感応力の適性が高い者のなかには動物の言葉や感情を理解できる者がいるという話をリィンは思い出す。
もしかしたら〈はじまりの大樹〉が島に及ぼしている影響とは、そうした力を高める効果があるのかもしれない。
だとすれば、フィーやアドルが夢を通して他人の精神と同調したのは、その影響を強く受けた結果のように思える。
「ん……あれ?」
「どうした?」
何かに気付いた様子でリィンに近付くと、イオは犬のようにクンクンと鼻を鳴らす。
そんな奇怪な行動を取るイオを見て、訝しげな表情を浮かべるリィン。
「もしかして、ダーナに会ってきた?」
「いや、漂流村に行って戻ってきただけだが?」
ダーナの捜索はアドルたちに任せるという方針は変わっていない。
だから、いつでも動けるようにと交代で監視を続けているのだ。
イオがどうしてそんな質問をしてきたのか分からず、リィンは首を傾げる。
「気の所為かな? リィンの身体から、微かに巫女の力を感じた気がしたんだけど……」
「巫女の力?」
「うん。大樹の巫女に選ばれる子は、みんな適性があってね」
巫女に必要な資質。それを見抜く力が自分には備わっている、とイオは話す。
後世の巫女に歴史の真実を教えるために生み出された、とイオは言っていた。
それなら確かに誰が巫女かを見抜けないようでは、役目も務まらないだろう。
「そう言われてもな。心当たりなんて……」
ない、と言おうとしたところで、リィンの脳裏にクイナの顔が浮かぶ。
ここにくる前に最後に接触したのが、クイナだったからだ。
(まさかな。だが……)
クイナが普通でないことは、以前から薄々ではあるが感じていたことだ。
獣を遠ざけ、ミラルダを守っていたように、クイナのなかには何か不思議な力が眠っている。
その力の正体までは分からないが、もしイオの感じた力というのがクイナの発したものだとすれば――
「どうしたの?」
「イオ。その適性というのは、すぐに分かるようなものなのか?」
「うん。こうオーラみたいなのが身体から滲み出てるって言うか、見れば一発で分かる感じだね」
だとすれば、やはり一度イオをクイナに会わせてみるべきかとリィンは考える。
パロがクイナに近付いたのは偶然などでなく、そこに理由があるのかもしれないと思ったからだ。
もしそうなら、またクイナが利用される恐れがある。
「リィン!」
早めに対策を打っておくべきかとリィンが考えていたところに、フィーの声が響いた。
珍しく慌てた様子のフィーを見て、リィンは嫌な予感を覚えて尋ねる。
「集落で何かあったのか?」
今日は集落に泊まると言っていたフィーが、まさか追い掛けてくるとは思っていなかったからだ。
先程の予想が頭を過ぎり、もしかしたらクイナの身に何かあったのでは? とリィンは険しい表情を浮かべる。
「リィン、戻っているのか? サライとも話をしたのだが、今後のことで少し相談が――」
そんななかグリゼルダがサライとシャーリィを伴い、リィンたちのいる天幕に顔を覗かせた。
緊迫した空気を感じ取り、入り口で足を止めるグリゼルダたち。
その直後――
「赤ちゃんが出来たみたい」
フィーの思わぬ一言で、場の空気が凍り付くのだった。
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