オルキスタワーの上層階に設けられた貴賓室で、ティオはエリィと面会していた。
 クロスベル政府から依頼された導力ネットワークの調査及び復旧作業の件で、相談することがあったためだ。
 こうして顔を合わせるのは凡そ一ヶ月振りになるが、少しやつれた顔のエリィを見て、心配そうにティオは尋ねる。

「エリィさん、少し顔色が悪くありませんか?」
「え……そうかしら? そんなことはないと思うのだけど……」

 エリィの肩書きは総督付きの政務官となっているが、実質的にクロスベルの舵を取っているのは彼女と言って良い。
 そのため、エリィが多忙な毎日を送っていることをティオも知っていた。
 こうして面会の約束を取り付けるのにも、エリィの予定が詰まっていて二週間も掛かったくらいなのだ。
 とはいえ、そのことを心配したところで、エリィは『大丈夫』だと言葉を濁すだけだろう。

「もしかして、赤ちゃんが出来ました?」

 そこでティオは茶化すように、エリィにそう尋ねる。
 予想もしなかったことを言われて一瞬反応が遅れるも、顔を真っ赤にして狼狽えるエリィ。

「きゅ、急に何を……赤ちゃんなんて、そんなのまだ私たちには……」
「まだ、ですか」
「ティオちゃん!?」

 いつになく積極的に踏み込んでくるティオに驚きながら、エリィは声を上げる。

「その様子だと、やることはやっているみたいなので安心しました。それに比べたらロイドさんは……」

 ティオとしてはロイドを独り占めするつもりはなく、ノエルが良ければ二人で一緒にとも考えているのだが、肝心のロイドは頭に『超』が付くほどの鈍感で、ノエルは今時珍しいくらいの奥手とくる。リィンからアドバイスを貰って以降、ロイドにアプローチを繰り返しているティオだったが成果は今一つでていなかった。
 だから少しリィンとエリィの関係が羨ましかったのだ。

「えっと……ティオちゃんの年齢を考えたら、まだ焦る必要はないと思うわよ? それだけ大切にしてくれているってことでしょ?」
「……そうでしょうか?」
「え、ええ」

 だが、そもそもノエル相手ならともかく、ティオに手をだすようでは犯罪だ。
 もう十五になるとは言っても、見た目以上にティオの容姿は幼い。一方でロイドはエリィと同じで二十歳になる。
 五つしか離れていないとは言っても、この歳の頃の五年は大きい。
 そういう風にロイドがティオのことを見れないのも仕方のないことと言えた。
 ティオの様子を見て、この話を続けるのはまずいと感じたエリィは逃げるように本題を切りだす。

「報告書だけど読ませてもらったわ。ジオフロントの調査が必要と言うことだけど……」
「あ、はい。少し大掛かりな調査になりそうなので〈暁の旅団〉の手を借りたいのです」

 話が脱線したがティオもようやく自分の役目を思い出して、エリィの質問に答える。
 ここにきたのはジオフロントの調査に〈暁の旅団〉の手を借りたいと考えたからだった。
 とはいえ、〈暁の旅団〉はクロスベル政府――正確にはアルフィンやエリィと深い繋がりを持っている。
 直接、依頼を持ち込むようなことはティオの立場から言って難しかった。だからエリィに相談をすることにしたのだ。

「ギルドじゃダメなの?」
「長い間、支部を閉鎖していた影響で依頼が溜まっているそうです。特に魔獣被害への対応が急務らしくて……」

 エステルやヨシュアも出張っていて相談しようにも捕まらなかったとティオは話す。
 巨神の出現に伴い、大規模な魔獣の移動があったことでクロスベル周辺の生態系にも影響が表れていた。
 魔獣の動きが活発化し、手配魔獣の増加に農村部における魔獣被害など、ギルドは対応に奔走する毎日を送っていると聞き、エリィは渋い表情を浮かべる。
 本来であれば、ギルドではなくクロスベル警察や警備隊の方で対処すべき案件も多数含まれていたからだ。
 とはいえ、

「警備隊は……動かせないわよね」

 国防軍が解体され、現在は警備隊の再編計画が実行に移されている最中だ。
 その影響で警察学校も現在は閉鎖している。動かそうにも動かせる状況にないと言うのが正直なところだった。
 同じことからロイドやノエルも組織に所属する一員として、いまは勝手な行動を取ることが出来ない。
 こんな時、特務支援課があればと考えるも、愚痴ったところで仕方のないことだとエリィは理解していた。
 そのことがわかっているからこそ、ティオも〈暁の旅団〉に依頼をだせないかと、こうして頼みに来たのだろう。

「総督に一度お伺いを立てる必要はあるけど、正式な依頼ということで行政府から〈暁の旅団〉に働き掛けてみます」
「ありがとうございます。助かります」
「導力ネットワークの件は、こちらから依頼したことだもの。むしろ、任せきりになってしまって申し訳なく思っているわ」
「そうでもありませんよ? 事前に頂いたレポートのお陰で、随分と原因を絞り込めましたから」

 そのレポートを誰が作ったものか察した上で、敢えてティオは尋ねようとしなかった。
 マリアベル・クロイスは死んだ。実際に死体がある以上、疑問を挟む余地はどこにもない。それがクロスベルと帝国政府の公式見解だからだ。
 マリアベル・クロイス。そしてギリアス・オズボーン。
 被疑者死亡で、ゼムリア大陸を震撼させた大事件は終息した。それがすべてだ。
 薄々は勘付いていても口にはださない。そうした暗黙の了解がティオとエリィの間にもあった。

「ごめんなさい。いつか、ティオちゃんにも会わせられると良いのだけど……」
「構いません。エリィさんが納得済みならそれで。ロイドさんや他の皆も、きっとそう言うと思います」

 ベルは今更、元特務支援課のメンバーに会おうとはしないだろう。しかし、それでいい。
 マリアベルのしたことは許されないことだが、彼女がエリィにとって大切な親友であることに変わりはない。
 生きていたことを喜びこそすれ、ティオは過去のことを追及するつもりはなかった。
 悲しい過去が忘れられないように、楽しかった思い出も同じように消えることはない。
 例え、進む道は違うとしても、

「エリィさん、ひとりで無理はしないでください」

 育まれた絆はここにある、とティオは胸に手を当てる。
 エリィ一人に背負わせるつもりはない。それがティオだけでなく特務支援課の総意だった。


  ◆


「シャーリィはリィンを信じてたよ?」
「思いっきり『シャーリィとも子作りしよ』と襲い掛かってきてた気がするんだが……」

 まったく見に覚えの無いことで、その場に居合わせた女性たちの誤解を受け、シャーリィに襲われそうになったのだ。
 今更、信じていたなどと言われても納得が行かないのは当然だった。

「シャーリィはいつでもオッケーなのに……やっぱりリィンも大きな胸の方が好きなの?」
「リィンも……って、お前と一緒にするな」
「でも、エリィのおっぱいは気持ちよかったでしょ?」
「そりゃ……くッ! とにかくアルフィンたちにも言ったが、俺は子供に手をだす気はない!」
「ふーん。シャーリィを子供扱いするんだ。まあ、いまはそういうことにしておいてあげる」

 あと一年だしね、と獰猛な笑みを浮かべるシャーリィを見て、リィンの背筋に寒気が走る。その場凌ぎで十八になるまで待てと言ったことを、リィンは半ば後悔していた。
 とはいえ、シャーリィのことを嫌っていると言う訳ではない。好きか嫌いかで言えば、好意はある。出会った頃と比べると女らしさを増し、胸は控え目なものの鍛え上げられたしなやかな筋肉がスタイルの良さを強調して、モデル顔負けの十七歳とは思えない女の色香を漂わせている。普通なら、男が放って置かないだろう。
 だが、それを補って余りあるほどにシャーリィは性格に難がある。
 しかも、あの戦闘民族の血を引いていることを考えると、リィンが尻込みするのも無理はなかった。
 それに、

(子供が欲しいなんて言われてもな……)

 いまは、それどころじゃないと言うのはある。だがそれ以上に、父親になるという実感が伴わない。
 前世では普通に社会人として働いていたが、これと言った相手もなく、ずっと独り身で暮らしてきた。朝から夜遅くまで働いて、休日にやることと言えば身体を休めるために寝ているか、外出するのも億劫で趣味の料理やゲームをするくらいだ。両親と不仲だったと言う訳ではないが、大学を卒業して就職すると同時にひとり暮らしを初めてから一年に一度か二度、会いに帰るくらいになっていた。彼が特別と言う訳ではなく、現代社会の若者であれば珍しくもないことだ。
 彼が家族≠ニいうものを強く意識するようになったのは生まれ変わり、ルトガーに拾われてからのことだった。
 だからだろう。父親になるということが、どういうことなのか? 漠然としたイメージしか湧かないのは――

(まだ前世のこと……日本での暮らしのことは微かに覚えている。客観的に見ても良い両親だった。だけど……)

 前世での生活に不満があったと言う訳ではない。大学までだしてくれた両親にも感謝している。
 しかし自分がどれだけ恵まれていたかを実感するかのような二度目の人生ではあるが、いまの生活の方が前世よりも充実しているとリィンは感じていた。
 ここにいるのは、嘗て日本人だった頃の彼ではない。猟兵王の息子、リィン・クラウゼルだ。
 親のイメージと言えば、真っ先にリィンの頭に浮かぶのは前世の両親ではなく〈西風の旅団〉の皆の顔だったからだ。

(でも、あれを参考にするのはな……)

 いろいろとダメな気がするとリィンは思う。
 猟兵は危険な仕事と言うだけでなく敵も多い。ましてやリィンは様々な国家や組織が注目する新進気鋭の猟兵団の長だ。
 一方でシャーリィも〈血染め〉の異名を持つ超一級の猟兵だ。ある意味でリィン以上に多くの恨みを買っている。
 そんな二人の間に子供が出来れば、よからぬことを企てる輩も出て来るだろう。
 これは何も、シャーリィだけに当て嵌まることではない。

(やはり、まずは足場を固めるのが先だな)

 少なくとも家族を守れる程度の環境を整えないことには、子供を作るなんて出来ないとリィンは考えていた。
 実際にリィンは、ルトガーの息子と言うだけで危険な目に遭ったことが少年時代に幾度もあった。
 そのため、ルトガーがフィーを団から抜けさせ、猟兵から足を洗わせようとした気持ちも分からないではなかったのだ。
 だが団を抜けさせることが正解だったとリィンは思っていない。団を抜けたところで『クラウゼル』の名を持つことに変わりはないからだ。
 団の庇護下から離れることで、かえって危険に晒される恐れがある。
 その心配があるからリィンを一緒に団から抜けさせたのだろうが、根本的な解決にはなっていないとリィンは以前から考えていた。

(そう考えると、自分たちの国を造るというのは意外と良い案だったかもしれないな)

 寄る辺を持たない。後ろ盾がないから狙われやすくなると言うのなら、環境を整えてやればいい。
 そこまで考えてのことではなかったが、エタニアの再興を提案したのは結果的によかったとリィンは思う。
 だからと言って、シャーリィと子作りをする覚悟が出来たと言う訳ではないが――
 エリィとは偶々そういう関係になってしまったが、まだ他の誰かとそういう関係に至る気にはなれそうになかった。
 一線を越えてしまえば枷が外れて、なし崩し的に全員と関係を持ってしまいそうな気がしてならなかったからだ。

「エリィの胸が素晴らしいのは同意しますが、子供を作るならシャーリィとやってなさいな」

 エリィは渡しませんわ、といつもの調子で姿を見せたのはベルだった。
 そんなベルの言葉を真に受けたシャーリィは、目を輝かせて確認を取る。

「え? いいの?」
「わたくしが許可しますわ」
「おい!?」

 勝手に許可するな、と二人の間に割って入るリィン。
 折角、落ち着いた話を蒸し返されては堪らないと思ってのことだった。
 しかし二対一では分が悪いと感じたリィンは、逃げるようにアリスンの容態を尋ねる。

「……それで容態はどうなんだ?」
「いまは安定していますわ」

 というのも、赤ちゃんが出来たというのはアリスンのことだったからだ。

「しかし、まさか妊娠してるとはな……」
「これだから男の人は……普通は気付きますわよ?」
「シャーリィも知ってたよ?」

 なら、なんで襲ってきたとリィンはシャーリィを睨み付ける。
 とはいえ、リィンだけが特別鈍感と言う訳ではなかった。
 女性たちは皆、アリスンの妊娠を察していたようだが、他の男性陣は誰も気付いてはいなかったからだ。
 ゆったりとしたワンピースタイプのドレスを着ていたというのもあるが、お腹の膨らみが余り目立たなかったためだ。
 ベルの見立てでは、妊娠六ヶ月と言うことだった。
 だが、現在のところ症状は安定しているが早産の可能性があるとの話を聞き、リィンは眉をひそめる。

「残り一週間ほどか。保ってくれると良いんだが……もしもの時は、ここの設備で大丈夫なのか?」
「少し心許ないですけど、あの医学生はなかなか良い腕をしているみたいですし」

 なんとかなるでしょう、とベルは話す。
 医学生というのは、アドルとラクシャが探索中に見つけて連れて帰ってきた青年のことだ。
 名はリヒト。とある事情で乗船できなかった船医の代わりに、ロンバルディア号に乗船していたらしい。
 気弱で頼り無い性格だが、経験が足りていないだけで腕と知識の方はベルも一目を置くほど優秀な青年だった。

「それで、容態が急変した原因はわかってるのか?」
「無理をしていたところに脱出の目処が立って、張り詰めていた緊張の糸が切れたのでしょう。あとは精神的なものですわね」
「ああ……」

 ベルの話を聞いて、そういうことかとリィンは察する。
 島を脱出する目処は確かに立ったが、アリスンの夫は現在も行方不明のままだ。生存は絶望的と見られている。
 皆に心配を掛けないように表面上は明るく振る舞っていても、不安は募っていたのだろう。

「ん? それってリィンが期限内に見つからなかった漂流者は島に置いていくって言ったから、それで追い詰めちゃったってこと?」
「ぐっ……」

 シャーリィの的を射た遠慮のない一言に、リィンは胸を押さえてよろめく。
 アリスンを追い詰めるつもりで言ったことではなかったが、結果的にそうなったという自覚はあったからだ。
 判断が間違っていたとは思っていない。しかし万が一、アリスンやお腹の赤ん坊に何かあれば、しこりを残すことは間違いない。
 そう考えたリィンは、改めてアリスンのことをベルに頼む。

「念のため、ベルも避難が完了するまでは集落に詰めておいてくれ」
「……わたくしは医者ではありませんわよ?」
「だが、診れないわけじゃないだろ? 実際、頼りにされてるって聞くぞ」

 医者ではないと言っても、ベルは錬金術師だ。しかもホムンクルスの生体に詳しい。そうした技術は医療に通じるところがある。
 実際、医学生のリヒトでさえ、ベルの知識の広さと造詣の深さには遠く及ばず、ほぼベルの助手として動いているのが現状だった。
 リィンが言うように、漂流者たちがベルのことを頼りにするのは当然の流れだ。

「ベルって、物知りだもんね。こういうのなんて言うんだっけ?」
「……おばあちゃんの知恵袋か?」
「喧嘩を売ってるなら買いますわよ?」

 思わず勢いで答えてしまってベルに睨まれ、なんで俺だけと顔をしかめるリィン。
 しかし有無を言わせないベルの迫力に気圧され、何も反論することが出来なかった。
 それに、

「仕方がありませんわね。この件は貸し一つと言うことにしておきますわ」

 露天風呂の一件を思い出しながら、面倒な相手に貸しばかり増えて行くとリィンは溜め息を漏らすのだった。



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