「すまねえ!」
テーブルに額を擦りつけるように深く頭を下げるドギ。同じようにバルバロス船長もドギの隣でリィンに頭を下げていた。
事の発端は二時間ほど前に遡る。リィンの危惧していた通り、漂流村にも獣の群れが押し寄せたのだ。
しかし備えを十分にしていたこともあって、最初の内は問題なく迎撃が出来ていたらしい。
戦いの流れが大きく変わったのは霧≠ェでてからだった。まるで霧の中から湧き出るかのように、無数の古代種が出現したのだ。
銃による攻撃も古代種には通じず、徐々に戦線を押し込まれ、遂には集落の出入り口に設けられた門まで後退させられてしまう。
だが助けを呼ぼうにも通信が繋がらず、連戦による疲労から集落に絶望的な雰囲気が漂い始めたところで――
トカゲのような古代種に近い姿をした異形の男が交渉を持ち掛けてきた、とドギは話す。
「そいつは〈進化の護り人〉と名乗ったんだな?」
「ああ……それで、嬢ちゃんたちが……」
集落に居る二人の少女を差し出すのであれば、他の者には手出ししないと話を持ち掛けてきたらしい。
当然そんな交渉に応じることは出来ないと一度は突っぱねたそうだが、しばらくしてベルとクイナの姿が見当たらないことに気付いたそうだ。
その後すぐに霧が晴れ、古代種の姿も消えていたとドギは悔しげな表情で語る。
「ドギだけの責任ではありません。私がもっと注意を払っていれば……」
「いや、その状況なら仕方がないだろ。それに……」
責任があるとすれば敵を甘く見ていた俺の方だ、とリィンは渋い顔で呟く。
島の北部で起きた古代種の暴走は、恐らく主力をあちらに惹きつけるための陽動だったのだろう。
通信が繋がらなかったという話からも、霧の結界は足止め以外にも助けを呼ばせない意図があったのだと考えられる。
集落が襲われる可能性まで考慮していながら、そこまで考えが至らなかった自分にこそ責任があるとリィンは考えていた。
だが、
(この落とし前は必ず付けさせてやる)
このまま終わらせるつもりはない。ベルとクイナは必ず連れ戻すと、リィンは怒りと決意を顕にする。
不幸中の幸いは、クイナだけでなくベルが一緒ということだ。
どうしてベルまで攫ったのかは分からないが、それは悪手だとリィンは考えていた。
少なくともベルが他の誰かのために大人しく捕まった≠ネどと、微塵も信じてはいなかったからだ。
だとするなら、態と捕まったと考えるのが自然だ。なら、それを前提に行動するだけだとリィンは方針を決める。
「明日の朝までに、ここを去る準備をしておけ。予定より早いが〈精霊の道〉を開く」
「な……それは嬢ちゃんたちを見捨てて、俺たちだけ逃げろってことか!?」
「そうだ」
言外に足手纏いだとリィン告げられ、ドギは反論できずに押し黙る。それはバルバロス船長も同じだった。
そう言われてもおかしくないだけの失態を犯したという後悔が、彼等の中にはあったからだ。
「残るのは自由だ。だが俺たちがいない時に襲われて、次は集落を守れると自信を持って言えるのか?」
「それは……」
「アリスンのお腹の中には子供だっている。何を優先すべきか、冷静に考えろ」
有無を言わせない迫力で冷たく言い放つと、リィンは二人をその場に残して立ち去るのだった。
◆
リィンが立ち去るのと入れ違いでテントに顔を覗かせたのはアドルだった。
「ドギ、一人かい? バルバロス船長は?」
「明日、島をでることになったからな……。そのことを説明に回ってる」
バルバロス船長はリィンから伝えられたことを他の漂流者たちに説明して回っていた。
いざ島をでると決まれば、最後にやっておきたこと持ち帰りたい物がそれぞれあるだろう。
それに島の脱出に協力すると約束はしたが、最終的に島を出て行くかどうかを決めるのは彼等自身だ。
その選択の時間を与えるために、リィンは一日の猶予を設けたのだった。
「アドル……俺は悔しい。自分が情けねーよ……」
「ドギ……」
「だがな、アイツの言うことも正しいってわかってるんだ。強がったところで俺には何も出来ない。嬢ちゃんたちを助けられるような力はないってな……」
リィンに言われるまでもなく、ドギも本当のところはわかっていた。
島に残ったところで邪魔にしかならないと言うことが――
いま為すべきことは感情のままに動くことじゃない。漂流者たちを安全な場所まで送り届けることが、自分に課せられた役割だということも理解していた。
それでも悔しくて堪らない。情けなくて涙がでそうになる。だが、現実は非情だ。
「アドル……お前さんは止めたって行く気なんだろ?」
「彼は必要ないって言うだろうけどね」
確かに言いそうだ、とドギは苦笑する。
しかし例え邪魔だと言われても、アドルは諦めない。たった一人でも行くだろう。
アドル・クリスティンとは、そういう男だ。そのことをドギはよくわかっていた。
そんな彼だからこそ、ここまで一緒に旅をしてきたのだ。
だから――
「いつもお前さんに頼ってばかりなのは情けない話だが、それでも俺は頭を下げることしか出来ねえ。だから頼む……」
あの二人を助けてやってくれ、と頭を下げるドギ。
そんな親友の頼みに、アドルはただ静かに首を縦に振るのだった。
◆
「随分と厳しいことを言ったようだな」
「俺は事実を口にしただけだ」
「そう言う意味ではないのだがな……」
不器用な男だと、グリゼルダは溜め息を漏らす。
こんなにも急にリィンが漂流者の避難を決めたのは、足手纏いだからという理由だけではない。
今回は偶々無事だっただけで、また同じように古代種の襲撃を受ければ、今度は怪我人だけでなく死者がでるかもしれない。
これ以上この島に留まれば彼等を守り切れないと判断してのことだと、グリゼルダはリィンの考えを見抜いていた。
「わかっていると思うが――」
「心配せずとも島に残るなどと言わない。私は私に出来ることをするだけだ」
わかっているなら良いと、リィンは話を終える。どのみちグリゼルダには島に残れない理由があった。
グリーク地方の行政府がセイレン島の異変に気付く前に、対策を終える必要があったからだ。
最悪の場合、漂流者だけでなくその家族がセイレン島の情報を得るために拉致される可能性がないとは言えない。
少なくともロムン帝国であれば、そのくらいのことは平然とやるとグリゼルダは考えていた。
だからこそ、セルセタに戻ったらグリゼルダは関係者の保護を最優先で進めるつもりだった。
当然そのことを後で知れば本国はいろいろと言ってくるであろうが、そこはリィンたちの力を頼らせてもらうつもりでいた。
エタニアとの交流も含め、サライとも事前の打ち合わせを既に済ませてある。
なるようにしかならない以上、あとは自分に出来ることを為すしかないというのがグリゼルダの考えだ。
「あ、リィン。お帰り――って、どうかしたの?」
リィンがグリゼルダを伴って地下聖堂に戻ると、いつもの調子で床に寝そべって出迎えるイオの姿があった。
まだ本調子ではないというのに、ベッドから身体を起こして慌てて出迎えの準備をするサライとは大違いだ。
どちらが怪我人で、どちらが女王か分からないイオの不遜な態度にリィンは呆れた顔を見せる。
「シャーリィとフィー姉様は一緒じゃないの?」
「いろいろとあってな。集落においてきた。それより聞きたいことがあるんだが――」
イオだけでなくサライにも視線を飛ばし、リィンは上着のポケットから取りだした一枚の紙を広げて二人に見せる。
そこにはアドルとフィーの肩に刻まれた紋様を写し取ったものが描かれていた。
「この紋様に見覚えはあるか?」
「それって〈進化の護り人〉の証だよね?」
それがどうかしたの? と首を傾げるイオを見て、リィンは渋い顔を浮かべる。
念のため、サライにも確認を取るように視線を向けるが――
「間違いありません。もしかして彼等にあったのですか?」
「違う。フィーとアドルの肩に、これと同じ紋様が現れたんだ」
「え……」
想像もしなかったことをリィンの口から聞き、サライは困惑の表情を見せる。
本来〈進化の護り人〉に選ばるのは、滅び行く種族のなかで一人だけだと決まっているからだ。
ダーナの話を聞いていたこともあって、アドルが選ばれるであろうことはサライも予感していた。
しかしまさか、同じ時代にもう一人〈進化の護り人〉に選ばれる者が現れるとは思ってもいなかったのだ。
そんなことは過去に一度としてなかった。可能性として考えられるのは――
「異世界人だからかも?」
「どういうことだ?」
「フィー姉様は人間でしょ? でも、この世界の人間じゃない」
この世界の人間の代表として大樹に選ばれたのがアドルなら、異世界の人間の代表として選ばれたのがフィーなのではないか?
リィンたちがここにいる時点で、既に過去の〈ラクリモサ〉とは大きく状況が異なっている。
だとすれば、このくらいのイレギュラーが起きても不思議じゃない、というのがイオの立てた考察だった。
それに――
「リィンは人間やめてるし、シャーリィも〈騎神〉と既に契約してるんでしょ? ベルも見た目通りの存在じゃないよね?」
消去法と言ってはなんだが、そう考えるとフィーが選ばれたのは必然のように思えるとイオは話す。
人外の扱いをされてリィンは微妙な顔を浮かべるも、半ば自覚があるだけに言い返せない。
だからと言って、フィーの件を見過ごせるかと言えば、当然『否』だ。
「紋様を消す方法は?」
「……残念ですが、そのような方法はありません」
「だが、お前の身体には、そんな紋様なかったと思うが?」
サライの身体には、アドルやフィーのような紋様がなかったとリィンは記憶していた。
サライが〈進化の護り人〉であることを疑っていると言う訳ではない。
だが、もしかしたら抜け道のようなものがあるのではないかと考えたのだ。
「あくまで〈進化の護り人〉はウーラさんですから、この人格の時は紋様が肉体に現れないのです」
そういう理屈かとリィンは納得する。
疑似人格とは言っても、ウーラとサライの精神は別々に存在する。謂わば、一つの肉体に二つの魂が共存していると言うことだ。
盟約は魂に刻まれる契約。サライの人格の時に紋様が身体に現れないのは、それが理由だと思われる。
逆に考えれば、盟約を解除するには魂そのものに干渉するしかないと言うことだ。
そんな風に思考に耽っていると、
「……それって、サライの裸を見たって言ってるようなもんだよね?」
「……そうなのか?」
イオとグリゼルダに訝しげな目を向けられ、失言であったことにリィンは気付く。
「不可抗力だ。シャーリィにやられて衣服はズタボロだったし、治療する必要があったから――」
「でも、記憶に残るくらいじっくり見てたってことだよね?」
「うむ。治療と言うことなら、何もリィンが手伝う必要はないだろう」
もっともなイオとグリゼルダの指摘に、リィンは痛いところを突かれたと言った顔を見せる。
(ベルの奴……こうなるとわかってて、俺に治療を手伝わせたな!?)
シャーリィが治療に参加したのでは、サライが目を覚ました時に動揺するかもしれないとベルに言われてリィンは手伝ったのだ。
しかしよく考えて見れば、それは別にリィンでなくてもいい。フィーやイオでもよかったはずだ。
猟兵である以上、フィーも応急手当程度なら出来る。
イオは理術の達人なのだから、ベルのように治癒術を使えても不思議ではない。
「あ、あの……お二人ともそのくらいで……私は気にしていませんので……」
「それって、リィンになら裸を見られてもいいってこと?」
「む……そうなのか?」
助けに入ったつもりが自分に飛び火して、顔を真っ赤にして狼狽えるサライ。
そんな混沌とした状況に呆れ、リィンは深い溜め息を漏らすのだった。
◆
翌朝――
集落へ戻ってきたリィンを見て、昨日と違う様子に気付いたフィーは首を傾げながら尋ねる。
「リィン、何かあった?」
「……何がだ?」
「昨日は少し怖い感じだったけど、いつものリィンに戻ってるから」
フィーにそう言われて、反応に困った顔を見せるリィン。
敵の思惑を見抜けなかった自分に苛立ち、少し気が立っていたことは自覚していたからだ。
(グリゼルダの奴……やっぱり態とイオの悪ノリに付き合ったな)
イオが悪ノリするのなら分かるが、むきになってグリゼルダまで追及してくるのは少しおかしいと思っていたのだ。
確かに昨日と比べれば、随分と頭は冷えたと思う。気遣ってくれたことには感謝すべきなのだろうが、
(グリゼルダとサライはともかく、イオは本気で言ってたよな。あれ……)
少なくともイオは自分が楽しんでいただけだと、リィンは確信を得ていた。
そんな昨日と同じように眉間にしわを寄せ、難しい顔を浮かべるリィンを見て、
「リィン、私のことで怒ってるなら気にしなくてもいいよ。いまはベルとクイナを取り戻すことに集中して」
フィーはそう話す。
「……本気で言ってるのか?」
「ん……リィンはちょっと過保護だと思う。私だって猟兵。自分のことは自分で解決する」
そう言われると、返す言葉を失うリィン。
過保護だと言われれば否定できない。その程度の自覚はリィンにもあったからだ。
「私のこと、信用できない?」
「いや、そう言う訳じゃ……」
「わかってる。シャーリィなら、きっとリィンはそこまで心配しない。それは私がまだ弱い≠ゥら」
これがシャーリィならどうかと言えば、恐らくリィンはここまで心配はしないだろうとフィーは思っていた。
それは間違っていない。しかしフィーの実力を信用していないかと言えば、そういうことではなかった。
もし本当にフィーの実力を認めていないなら、猟兵を続けることに反対しただろう。
なら、どうして――とリィンは自問する。
(俺はフィーのことを……)
家族だと思っている。一番、身近な存在だと感じている。
それがフィーの望んでいるような感情かは分からない。
しかしリィンにとってフィーは、ルトガーから託された大切な妹だ。
どんなことをしても守りたい。何ものにも代え難い存在だった。
だから――
「それに不老不死って考え方によっては便利だよね?」
「……は?」
「こんな仕事をしてたら、いつ大きな怪我を負うか分からないわけだし」
「いや、それはそうだが……」
何を言って、と困惑の表情を浮かべるリィン。
確かに猟兵という仕事の危険性を考えれば、これ以上ないほどの強味だ。
だが、死なない人間はいない。不老不死になるということは人間を辞めると言うことに他ならない。
実際に自分がそのような存在になれば、多少の恐怖や不安があっておかしくない。
なのに――
「それにリィンと、ずっと一緒にいられるでしょ?」
フィーは笑顔で、そう答える。
確かに自分が変わってしまう不安はある。しかし、リィンとずっと一緒にいられる喜びの方が大きかった。
だから怖くなんてない。怖いのは大切な人と離れ離れになってしまうこと、一緒にいられないことだ。
だからフィーは強さを求める。頼りにして欲しいから、リィンの妹だと胸を張りたいたから――
それが彼女の覚悟であり、戦いに身を投じる答えでもあった。
「おはよー! って、二人ともどうかしたの?」
「ん……シャーリィはもう少し空気を読んで欲しい」
良い雰囲気になりかけていたところを邪魔されて、ムッとした表情を見せるフィー。
とはいえ、言うべきことは言ったと満足げな表情で、フィーはシャーリィの手を取る。
「リィン、先に行ってるね」
そう言って、シャーリィの手を引いて海岸の方へと駆けていった。
島をでることを決めた漂流者たちは今、波止場に集められている。
今生の別れと言う訳ではないが、フィーにも別れを告げたい相手がいるのだろう。
「まだまだ子供だと思ってたんだがな……」
これじゃあ、どちらが子供か分からないとリィンは頭を掻く。
フィーのためにとしたことは、彼女の矜持を傷つける行為だったのかもしれないと考えたからだ。
頼りにされないのが悔しい。子供扱いされるのが悲しい。だから弱い自分を認め、強くなろうとしている。
気付かなかっただけで、フィーも成長していると言うことだ。
なら兄として妹に情けないところは見せられない、とリィンは覚悟を改める。
「ここからは猟兵の流儀でやらせてもらう」
自分にとってルトガーがそうであったように――
フィーにとっての最強≠フ兄でありたい。それがリィンの示す覚悟だった。
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