「ここは……」
そんな困惑に満ちた声がドギの口から漏れる。彼が驚くのも無理はない。
光に包まれて不思議な空間に放り込まれたかと思うと、次の瞬間には森の中に立っていたからだ。
リィンから事前に説明を受けていたとはいえ、聞くのと実際に体験するのとでは違う。
アドルとの冒険で不思議な現象には慣れていたつもりでいたドギだったが、それでも驚きは大きかった。
しかし一度体験してしまえば、便利なものだと思う。
「これが普通に使えれば、旅の心配も減るんだがな……」
この世界の移動手段と言えば、馬車や船が一般的だ。だが陸路なら山賊、海路なら海賊の被害に遭うケースも少なくない。更には獣や魔物も出現するため、この世界の人々にとって旅は危険なものという認識が強い。一瞬で離れた場所を移動できるというのは、時間を節約できる以上に安全に旅を出来るという点が大きな魅力だった。
特にアドルと旅を共にしているドギにとっては切実な問題だ。
今回のように旅先で不慮の事故や事件に巻き込まれることは、特に珍しい話ではなかったからだ。
「皆さん、落ち着いてください」
そんななか漂流者たちを落ち着かせようと、声を上げるバルバロス船長の姿があった。
驚いているのはドギだけではない。むしろ彼と違って耐性が薄い分、他の漂流者たちの困惑は大きかった。
そんな様子を見かねてか、地理の確認を終えたグリゼルダはバルバロス船長の隣に立ち、皆に声を掛ける。
「皆、聞いて欲しい。無事に島を脱出できたのは間違いない。ここはセルセタの樹海、私が総督を務める辺境の都市キャスナンに程近い場所のようだ」
グリゼルダの言葉でようやく島を脱出できたことに実感を持てたのか、ちらほらと喜びの声が上がる。
キャスナンというのは、セルセタの総督府がある辺境都市だ。
グリーク地方からなら海路で一旦イスパニを目指す必要がある。ロムンやグリアを挟んで大陸の最西端に位置する辺境の都市だった。
通常ならグリーク地方の行政府があるスニオン港から、一ヶ月はかかる道程を一瞬で移動したことになる。
漂流者たちがグリゼルダの説明があるまで、なかなかここを島の外だと信じられずにいたのも無理はなかった。
『ふむ――多少の誤差はあったようだが、目的地に辿り着けたようだな』
そんな風に皆が戸惑いを隠せずにいると、頭の中に直接響くかのような声に気付き、グリゼルダは振り返る。
グリゼルダの他、漂流者たちが視線を向ける先には〈灰の騎神〉ヴァリマールの姿があった。
まだ慣れない様子でヴァリマールから距離を取る漂流者たちを見て、グリゼルダは苦笑を漏らす。無理もないと思ってのことだ。
ヴァリマールが人間の言葉を介することを彼等が知ったのは、転位の直前のことだったからだ。
しかも、特になんの説明もないまま一箇所に集められ、セルセタに〈転位〉させられたのだ。
説明が面倒だっただけなのだろうが、最後の最後に面倒を押しつけてくれたというのがグリゼルダの認識だった。
だが、この程度で驚いていては今後リィンたちと付き合っていくことは出来ないとグリゼルダは覚悟を決め、ヴァリマールに声を掛ける。
「ここまで送って頂いて感謝する。貴殿はすぐに戻るのか?」
『起動者からの呼び出しがあるまでは、ここで霊力の回復に努めるつもりだ。都合が悪いのであれば、場所を変えるが?』
グリゼルダは知らないことだが、以前はカタコトだったヴァリマールの言葉使いは流暢なものへと変わっていた。
騎神とは起動者と共に成長するものだ。
先のクロスベルでの戦闘がリィンだけでなく、ヴァリマールの成長にも繋がったのだろう。
事実〈精霊の道〉を開いた直後だと言うのに、以前よりもヴァリマールは余力を残していた。
「いや、構わない。ここなら人目には触れないだろう。念のため、こちらで人払いをしておく」
感謝する、と短く答えるヴァリマールに対して、「感謝するのは、こちらの方だ」とグリゼルダは笑みを返す。
最初はどうなることかと思ったが、実際に会話をしてみれば普通の人間と接するのと変わりがない。
むしろ、理性的で好感の持てる人物――いや、騎神だと思うくらいだった。
出来ることなら漂流者たちと共にキャスナンへ招き、盛大に歓迎の宴を開きたいところだが、ヴァリマールを人目に触れさせるわけにはいかない事情がグリゼルダにはあった。
「申し訳ないが、もうしばらく不便を掛けると思う。どうか承知して欲しい」
漂流者たちに頭を下げながら、そう話すグリゼルダ。
早く家族と連絡を取りたい者もいるだろう。しかしヴァリマールの存在を明らかに出来ないのと同様、まだ彼等の無事を公表するわけにはいかなかった。
しばらく漂流者たちには、総督府で軟禁生活を送ってもらう予定でいた。セイレン島のことが噂になる前に、漂流者の家族や関係者の保護を進める必要があったからだ。
そのことは事前に説明を受けていたので、特に不満を口にすることなく漂流者たちは頷く。
そんな彼等に一言「すまない」と謝罪を口にするグリゼルダ。
彼女に責任があるわけではないが、ロムンという国のことをよくわかっているが故の想いからくる言葉だった。
「バルバロス船長。それにドギも引き続き、よろしく頼む」
グリゼルダの頼みに頷くバルバロス船長とドギ。
まとめ役は引き続き彼等にやってもらう方が、漂流者たちも変な気を回さずに済むだろうとの配慮からだ。
だが、そうしたグリゼルダの気持ちが伝わっていない人物も若干一名いた。
「いつまで、こんなところにいる気だ。私は疲れておるのだ。早く街まで案内せよ」
「本当にブレねえな。ほら、疲れたら背負ってやるから」
「うぬぬ、私に触るな! 一人で歩けるわ!」
一人でスタスタと歩いていくカーラン卿の後を、エアランは苦笑しながら追い掛ける。
そんな彼等を見て、漂流者たちに声を掛けるグリゼルダ。
そうして一行は、キャスナンに向かって森の中を歩き始めた。
(相も変わらずか。だが漂流者たちの安全を確保し、ロムンから譲歩を引き出すにはカーラン卿の協力が必要だ)
まさかカーラン卿の協力が得られるとはグリゼルダも思っていなかったが、島での生活で彼も思うところがあったのだろう。
それに典型的なダメ貴族のように見えるが、こう見えて彼は貴族社会での評判は悪くなく領地経営もしっかりとしていた。
平民に対しての態度が良くないのは、特権意識の強い貴族であればよくあることだ。
特に貴族の力が強いロムンでは、カーラン卿のような人間は少なくなかった。
(典型的なロムン貴族と言ったところだが、カーラン卿ほどこの件に適した人材はいない)
魑魅魍魎が跋扈するロムンの中枢で、カーラン卿は一癖も二癖もある貴族や坊主たちを相手に上手く立ち回ってきたのだ。
俗物ではあるが、その実績は侮れないものがあると、グリゼルダはカーラン卿の貴族としての能力を高く評価していた。
少なくとも同じことが自分に出来るかと言えば、グリゼルダは首を横に振る。それが出来ていたなら、セルセタはいまのような状況に陥ってはいないと自覚しているからだ。
同じことはラクシャの生家、ロズウェル家にも言える。ロズウェル家が領地を返上することになったのは、結局のところ貴族に向いていなかったと言うだけの話だ。貴族というのは、ただ領地を治めていれば良いと言うものではない。力の弱い地方の貴族であればあるほど、大きな後ろ盾がなければ中央の食い物にされるだけだ。綺麗事だけでは渡り合っていけない世界。他家の謀略に気付くことが出来なかったのは、貴族というものを本質的に理解していなかったからとも言える。カーラン卿はそうした貴族としての立ち回りに秀でた才覚と嗅覚を持っていた。
この先、途方もない困難が待ち受けていることは想像に難くない。当然、綺麗事では済まない事態に直面するだろう。だが、落としどころを模索にするにも相手のことを知らなければ、解決策を見出すことは出来ない。そのためにもカーラン卿のような人間が必要だと、グリゼルダは考えていた。
それでもロムンから譲歩を引き出すのは難しいだろう。普通に考えれば、無茶な計画と言っていい。
しかし、無謀な賭けだとグリゼルダは思っていなかった。
カーラン卿がグリゼルダに協力することを決めたのも、結局のところ打算が働いたからだ。
だが、そのためには〈暁の旅団〉の――リィンの協力が欠かせない。
(リィン……この戦いが終わったら、私のすべてを貴殿に預ける。だから――)
どうか無事に帰ってきてくれ、とグリゼルダは祈るように群青の空を見上げるのだった。
◆
「ヴァリマールから連絡があった。どうやら無事に着いたようだ」
リィンの話を聞き、安堵の表情を浮かべるアドルたち。実のところリィンも内心ほっとしていた。
ヴァリマールが自律行動できることはわかっていたが、どこまで単独での行動が可能なのか分からなかったためだ。
それにベルのサポートなしに目的の場所へ〈精霊の道〉を繋げられるという確証もなかった。
リィン一人だったら失敗していた可能性は高い。それが上手く行ったのは――
「ふふん、言った通り上手くいったでしょ? どう? 見直した?」
イオのお陰だった。
理術でのサポートを頼んだのだが、それが思いのほか上手く行ったのだ。
しかしドヤ顔を浮かべるイオを見て、リィンはうんざりとした表情を浮かべると、
「あうッ!?」
「調子に乗るな」
イオの額にデコピンを浴びせる。
相も変わらず自信に満ちた不遜な態度を見ていると、素直に感謝する気にはなれなかったためだ。
「ロンバルディア号の乗客ではありませんよね? 彼女は一体……」
そんな涙目で蹲るイオを見て、ラクシャはリィンに尋ねる。
リィンたちの仲間だろうということで質問は後回しにしていたのだが、ずっとイオのことが気にはなっていたのだ。
ベルのような不思議な術を使っているところからも、ラクシャがイオの正体を気にするのも当然だった。
「ただの下僕だ。こいつのことは気にするな」
「ひどっ!? 妹設定はどこいった!?」
下僕と妹では、天と地ほどに扱いに開きがある。
益々二人の関係が分からないと言った顔で、困惑するラクシャ。
そんなイオの抗議を無視して、リィンは島に残ったメンバーを見渡すように視線を流すと、
「アドルの他にも、こんなに命知らずがいるとはな……」
呆れた様子で溜め息を漏らした。
リィンたちを除くと、アドルとラクシャを含めて四人。まさか、こんなにも物好きがいるとは思っていなかったためだ。
ラクシャはまあ、分からなくはない。口ではいろいろと言いながらもアドルの探索に付き合っていたくらいだ。
なんとなくではあるが、彼女が島に残ることは予感していた。しかし、
「まだシャーリィとした約束を果たしてないからね。それにアンタの力にも興味がある」
獲物を見定めるような視線をシルヴィアに向けられ、そういうタイプかとリィンは溜め息を吐く。
その表情を見れば、シャーリィとした約束というのも察しがつくというものだった。
とはいえ、シルヴィアに関しては、まだ理解できる。
問題は――
(本人の意思に委ねるとは言っていたが、まさか本当に子供を置いていくとはな……)
シルヴィアはともかくリコッタまで残ったのは意外だった。
父親が見つかれば、リコッタが島に残る理由はない。タナトスの後をついて行くと思っていたからだ。
娘が娘なら、父親も父親だ。本人がそれを望んだとはいえ、まさか本当に置いていくとはリィンも思ってはいなかった。
だが、
『ここはリコッタの故郷。思い出たくさん、師匠や先輩、仲間いる。リコッタだけ逃げることは出来ない』
そんな風に言われたら、強く反対は出来なかった。
漂流者たちにとっては危険な島でも、リコッタにとっては故郷とも呼べる島だ。
自分の育った島を守りたい、仲間を置いていけないと主張するリコッタの気持ちは分からないでもない。
タナトスも、そんなリコッタの気持ちを汲んだのだろう。
(残ってしまった以上は仕方がないか。その分、タナトスには働いてもらうつもりだしな)
リコッタの意思を確認したリィンは、タナトスに〈セルセタの樹海〉の調査を依頼していた。
正確には、アドルの冒険日誌に書かれていた内容の確認を頼んだのだ。
アドルが嘘を吐いているとは思っていないが、出来るだけ詳細なレポートが欲しかった。
本人も乗り気だったと言うのはあるが、タナトス以上に適任な人物はいないと考えて依頼したのだ。
「そのおっきくて赤い奴は、古代種たくさん倒してた武器だな? 凄いカタチしてるな」
「フフン、凄いでしょ。シャーリィの相棒で〈赤い顎〉って言うんだ」
「ん……シャーリィの武器はちょっと特殊だから、でもリコッタの武器も変わってるよね?」
「うむ、父上と一緒に作ったリコッタ自慢の武器」
代わりにリコッタのことを任されたが、恐らくは大丈夫だろうとリィンは考えていた。
子供だからと侮るつもりはない。リコッタに相応の実力があることは既に確認済みだ。
どちらかと言えば、このメンバーのなかで実力的に一番不安なのはラクシャだ。レイピアの腕はなかなかのものだが、達人の域には達していない。アドルと比べれば、数段見劣りするレベルだ。だからと言って、リコッタのように恵まれた身体能力と動物的な直感力を持ち合わせているわけでもない。アーツに適性があることはわかっているが、それを考慮にいれてもラクシャに天性の才はないとリィンは見ていた。
努力で差を埋めるには、時間が足りなすぎる。装備が整っていれば、そこらの古代種程度なら彼女でもどうにかなるだろう。だが、この先それだけでは通用しない敵が現れる可能性が高い。
「先程から、わたくしの顔をジロジロと見て……何か言いたいことでもあるのですか?」
「いや、そう言えば、お前だけ島に残った理由を聞いていなかったと思ってな」
誤魔化すように、そう尋ねるリィン。
だが、リィンの考えていることなどお見通しと言った察した様子で、
「足手纏いだと言いたいのでしょうけど、わたくしにも最後まで見届ける権利くらいはあると思います」
ラクシャは不満げな表情を浮かべながら、そう答える。
このなかで一番、自分の実力が不足しているということは彼女も自覚していた。
それでも、これまでアドルと共に探索をこなしてきたのは自分だという自負がラクシャにもある。
リコッタも島に残ると言うのに、このまま自分だけが安全な場所へ避難し、途中で投げだすような真似はしたくなかった。
それに――と、ラクシャは言葉を付け加える。
「まだ、うちの執事が見つかっていませんから……見捨てては行けません」
「……執事?」
「え、ええ、同じ船に乗り合わせていたのです。フランツと言うのですが……」
余り触れて欲しくないのか、話し難そうにするラクシャを見て、これは何かあるとリィンは察する。
とはいえ、詳しく事情を聞かずとも、ある程度の予想は付く。
大方、家出娘を連れ戻しにやってきたロズウェル家の関係者と言ったところだろう。
ラクシャの話によると、オースティンからフランツの情報を聞いたのだそうだ。
正確には獣に襲われているところを助けられ、この一ヶ月ほど行動を共にしていたとの話だった。
「……なんで一緒じゃなかったんだ?」
「獣の暴走に巻き込まれて、離れ離れになってしまったそうで……」
それで一人だったのか、とラクシャの話を聞いてリィンは一応納得した様子を見せる。
シルヴィアなら分かるが、お世辞にもオースティンの戦闘力は高いとは言えない。自慢のレイピアの腕もラクシャに劣るくらいだ。
そんな彼が、これまで無事でいたことを少し不思議に思っていたのだが、腕の立つ仲間がいたのなら納得が行く。
ラクシャの口振りからしても、まったく心配していると言った様子は見て取れない。
となればフランツという執事は、かなりの実力者と考えて間違いないだろう。
「でも、いいのか?」
「……何がですか?」
「本当は余り会いたくないんだろう?」
「うっ……」
言葉を詰まらせるラクシャを見て、図星かとリィンは確信を得る。
これまでフランツの話題を一度も口にださなかったのが何よりの証だ。
だがまあ、心配しているのは本当なのだろう。
出来れば会いたくない。でも見捨ててもおけない。
複雑な葛藤があるのだと、リィンはラクシャの心情を察した。
「まあ、好きにすればいいさ。それより場所を移すぞ」
ここまできたら除け者にするような真似はしない。
少なくともベルとクイナの救出に関しては、協力しても良いとリィンは考えていた。
勝手に行動されるよりかは、その方がマシだと考えたからだ。
「どちらへ? あてはあるのですか?」
ベルとクイナが誘拐されたことは確かだが、犯人からの要求と言ったものは一切ない。
二人がどこに囚われているかも分からないのだ。闇雲に捜し回るには、この島は広すぎる。
ここは大人しく相手の出方を待つべきではないか、とラクシャが考えるのは無理もなかった。
しかし、リィンには別の考えがあるのか?
「ついてくれば分かる」
と、小さく肩をすくめながら歩みを進め、そう答えるのだった。
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