「やはり、あの程度では足止めにもならなかったみたいですわね」

 そう言って紅茶のカップをテーブルに置き、ベルが庭園の入り口に視線を向けると――
 そこにはリィンの姿があった。
 表情には疲れが見えるが、どちらかと言えば表情が険しいのは怒っているからのようにも見える。
 だが、何より――

「ですが、少し当てが外れましたわ。まさか、仲間を置いて一人で来るなんて」

 シャーリィやシルヴィア。それにウーラの姿はなく、リィンは一人でそこに立っていた。
 幾らリィンであっても、あれだけの数のアンデットを相手にすれば、もう少し手間取るとベルは予想していたのだ。
 なのに、掛かった時間は予想の半分に満たない。こうしてリィンだけがこの場に現れたと言うことは、考えられる答えは一つしかない。
 単身でアンデットの群れの中を抜けてきたと言うことだ。

「時間が惜しかったからな。それに相性が悪いという程度の雑魚に、あのシャーリィをどうにか出来ると本気で思っているのか?」

 確かに、とリィンの言葉にベルは頷く。
 アンデットだけでは相手にならないと考え、ダーナの影も用意したのだが、それでもベル自身、多少の時間稼ぎにしかならないと思っていたのだ。
 計算違いがあったとすれば、リィンがシャーリィたちを置き去りにして、ここまでやってきたことだった。
 しかし体力の消耗を抑えつつ最短で〈セレンの園〉に辿り着くには、リィンの選択が最善と言える。
 とはいえ、

「その切り替えの早さは、さすがは猟兵と言ったところですわね」

 幾ら実力を認めていても、普通であれば仲間を置き去りにするなんて真似は躊躇するはずだ。
 アドルたちであれば、決して取らない方法だ。いや、そんな考えは頭にも過ぎらないだろう。
 それを迷いなく実行して見せたリィンに、ベルは心の底から感心していた。

「そう言いながら、お前……わかってて、こんなトラップを用意したろ」
「フフッ、なんのことを言っているかわかりませんわね」

 予想より短い時間で辿り着いて驚いているというのは本当だろうが、こうなることをベルが予想していなかったとは思えない。
 誤魔化すように笑うベルを見て、リィンは『本当に性格が悪い』と呟くように溜め息を吐く。
 そんな彼を見て、

「立ち話もなんです。どうぞ、こちらへ」

 着席を勧める執事服の男がいた。ロズウェル家の執事、フランツだ。
 なんで、こんなところに執事が……と疑問に思いつつも、リィンは促されるままに用意された席に腰掛けるのだった。


  ◆


「なんで、こんな真似をした?」
「説明なんかしなくとも、既に察しているのでしょう?」

 ある意味で予想通りの答えが返ってきて、リィンは眉をひそめる。
 まともに答える気はないと言うよりは、一から説明するのが面倒と言うのが本音なのだろう。
 ならば、とリィンは質問の切り口を変える。

「じゃあ、質問を変えようか? クイナは何を願った?」

 それは核心に迫る質問だった。
 だが、ベルもそのことを真っ先に尋ねられるのは予想していたのか、特に驚きを見せない。

「それは私から説明します」

 ベルが答えるよりも先に口を開いたのは、リィンの右斜め向かいの席に腰掛ける青い髪の女性――ダーナだった。
 ベルを問い質すのが先だと考えてスルーしていたが、彼女の口から直接話を聞けるなら丁度良いとリィンは思考を切り替える。

「……ダーナ・イクルシアだな」
「はい。あなたは〈暁の旅団〉の団長、リィン・クラウゼルさんですよね」
「どうして俺の名を? ベルから聞いたのか?」
「いえ、クイナちゃんがいろいろと話してくれました。リィンは凄いんだよ、というのが彼女の口癖でしたから」

 その時の光景が目に浮かぶようで、リィンは顔をしかめる。
 子供が嫌いと言う訳ではないが、ノルンやクイナのように好意を隠そうともせずに近寄ってくる子供には、少し苦手意識を持っていたからだ。

「だから、傷つけたくなかったのだと思います。あなたは、とても強くて優しいから……」

 クイナからどんな話を聞いたのか、大凡ではあるがダーナの反応から察する。
 いろいろと言いたいことはあるが、黙ってダーナの話に耳を傾けるリィン。
 どうしても確かめて置きたいことがあったからだ。

「既に察しているかと思いますが、クイナちゃんには巫女の力があります。私やイオちゃんよりも高い資質が……そして巫女の力を持つ者には、ある特異な能力が発現します。その一つが――」

 予知の力だとダーナは話す。

「なかでも緋色の予知≠ニ呼ばれるものは、避けることの出来ない確定された未来を見せると言われています」
「……話が見えてきたな」

 恐らく、ダーナとクイナは同じ予知を目にしたのだろうとリィンは察する。
 イオから話を聞いて、ダーナの行動の理由については、ある程度の予想が付いていた。
 だがクイナが一緒になってそんな行動にでた点に関しては、いろいろと腑に落ちない点があったのだ。

「あなたが〈はじまりの大樹〉を消し去り、世界を消滅させる光景を私は見ました。そしてクイナちゃんも……」

 しかし、それも納得が行ったという表情をリィンは見せる。
 子供のように見えるが、あれでクイナは聡いところがある。
 そんな予知を見せられたら、何もせずにじっとしてなどいられなかったのだろう。
 だが正直に言えば、ベルに相談をする前に自分に相談をして欲しかったというのがリィンの本音だった。

「なんで、そのことを最初に相談してくれなかったという顔をしていますわね」
「む……」
「あなただから話せなかったのですわ」

 クイナが一番懐いているのはリィンだ。
 誰の目にも分かるくらい、はっきりとクイナはリィンに好意を寄せていた。
 だからリィンにだけは相談することが出来なかった。話すことが出来なかったのだろう。
 リィンは強く、とても優しいから――予知の内容を知れば、きっと傷つけてしまう。
 そんな風にクイナは考えてしまったのだ。

「未来を知っていれば、回避できるという考えは甘いですわよ」
「……どういうことだ?」

 結果が分かっているのなら未来は変えられる。
 はじまりの大樹を消し去り、世界を消滅させるのが自分なら尚更だとリィンは考えていた。
 しかしベルは、そんなリィンの考えを真っ向から否定する。
 そもそも簡単に変えられるような未来なら、ダーナがここまで悩むようなことはなかったからだ。

「では逆に尋ねますけど、フィーさんが〈進化の護り人〉に選ばれたのは、本当にただの偶然≠セと思っているのですか?」

 それはベルに言われるまでもなく、リィンの中でずっと引っ掛かっていたことだった。
 本来であれば、滅び行く種族の中で一人しか選ばれることはないという輝く魂を持つ者。
 アドルだけでなくフィーが選ばれた理由が、本当にただ異世界人だという理由からなのだろうかと疑問に思っていたのだ。

「大樹はずっと私たちの行動を観察していたのですわ。そして一つの答えを得た。それが――」

 異世界人を〈ラクリモサ〉の対象に加えることで、脅威を排除しようとしたのだろうとベルは話す。
 そのなかには、当然リィンやシャーリィ。それにベルも含まれていたが、この三人に関しては大樹の力でも一方的に干渉することは出来なかった。
 この点に関しては、はじまりの大樹にとっても計算違いだった可能性が高い。
 そして一人残ったフィーが〈進化の護り人〉に選ばれるという結果が残ったと言う訳だ。

「恐らくはシステムに備わった防衛本能なのでしょうね。でもそのことを知れば、あなたは〈はじまりの大樹〉を滅ぼすべき敵と認識するでしょう?」
「当然だ」

 はっきりと断言するリィン。
 フィーの身に何かあれば、誰が相手であろうと容赦をするつもりはない。
 何より売られた喧嘩は買うのが猟兵の流儀だ。
 ここまでされて、報復を躊躇う理由などあるはずもなかった。

「ですが〈はじまりの大樹〉を滅ぼせば、この世界は消滅しますわ。いえ、正確にはなかった≠アとになるというのが正しいですわね」
「……どういうことだ?」
「あの樹は進化の摂理≠司る存在。その樹を消滅させるということは、大樹が関わった歴史そのものを否定するのと同じですもの。大樹が消滅すればすべてなかった≠アとにされ、歴史は修正される。そうなれば大樹から理力を授かり、強大な国を築いたとされるエタニアは存在しなかったことにされ、最悪の場合は人間≠熕カまれてこない可能性がありますわね」

 摂理とは世界の根幹を為す法則だ。それが失われれば、歪みを正そうと歴史の修正力が働く。
 すべての事象は繋がっている。過去に起きたことをなかったことにすれば、それは当然、現代にも影響を及ぼす。
 はじまりの大樹を消し去るというのは、そういうことだとベルは説明する。
 それは古い世界を消し去り、新たな世界を生みだすと言うことだ。
 エタニア人が理力を得ることが出来なければ環境に適応できないまま陶太され、ダーナたちも生まれては来ない。エタニアという国自体が存在しなくなるのだ。
 それに進化の道筋が変われば、アドルやラクシャたち――この世界の人間も生まれてこなくなる可能性もある。

「それでも、この世界とフィー。そのどちらを取るかと聞かれれば、あなたは迷わず後者を取るでしょう?」

 そうベルに尋ねられると、リィンも否定は出来なかった。
 歴史が修正されれば、確かにエタニアという国は存在しなかったことになるかもしれない。
 結果この世界の人間も存在そのものが消えるかもしれないが、フィーは異世界人だ。
 はじまりの大樹が消滅したところで、影響を受ける可能性は低い。
 他に方法がないと言うのなら、リィンは迷わず〈はじまりの大樹〉を消し去るだろう。
 この世界が消滅することになってもだ。優先すべきものは、はっきりとしている。

「そのことが、あの子にはわかっていた。だから、あなたにだけは話せなかったのですわ。そうして世界を滅ぼした後、あなたが傷つくと考えて……」

 ベルの話を聞いて、リィンは何も言えなくなる。
 世界を滅ぼし、グリゼルダたちを消し去ってしまえば、後悔が残らないかと言えば嘘になるだろう。
 しかし、それでもこの世界とフィーのどちらを取るかと聞かれれば、リィンは間違いなくフィーを取る。
 確定された未来。避けられない運命とは、そういうことかとリィンは緋色の予知≠フ意味を理解する。
 それはフィーが〈進化の護り人〉に選ばれた時点で、リィンの進むべき道は決まっていると言うことでもあった。
 だが、

「俺がどういう行動にでるか理解した上でそんな話をすると言うことは、解決の目処は立っていると考えていいんだな?」

 こんな場所へ呼び寄せ、態々こんな話をするということは既にベルのなかでは答えがでているのだとリィンは考える。
 少なくともクイナに願いを叶えるとベルが約束をしたのなら、それを違えることはないと理解しているからだった。

「原因というか元凶については、はっきりとしていますわ。大地神マイア――それが〈はじまりの大樹〉を創造した存在です」

 ベルの話を聞き、リィンは動揺を抑えるかのようにピクリと眉を動かす。
 なんとなく女神かそれに準じる存在が関わっていることには気付いていたからだ。
 だが、出来ればハズレていて欲しい推測だった。

「クイナさんには〈大樹の巫女〉として〈進化の摂理〉を管理する存在になって頂きますわ。彼女もそれを望んでいますから――」

 そちらに関しては驚くほどのことではなく、リィンが予想していた通りの回答だった。
 キーアにしたことと同じことを、ベルはクイナにやらせようとしているのだろう。
 だが、目的は察していても、一つだけリィンには腑に落ちないことがあった。
 思念体のイオが代わりを務められない理由は察しが付くが、同じ巫女というのならダーナでもいいはずだ。
 むしろ話に聞くダーナの性格を考えれば、自分がやると言いだしそうなものだとリィンは考えていた。

「昔の私ならともかく、いまの私には代わりが出来ません。無理なんです……」

 しかし、心の底から悔しそうにダーナはそう話す。
 出来ることならクイナの代わりを自分が務めたい。本気で彼女はそう思っているのだろう。
 だが、そう出来ない理由がダーナにはあった。

「彼女は他の〈進化の護り人〉と同じく、想念を〈はじまりの大樹〉に囚われてしまったのですわ。そうなったら二度と〈ラクリモサ〉に挑むことは出来ませんから」
「……そういうことか。それで本人ではなく影≠足止めに使ったんだな」

 イオも言っていたように〈進化の護り人〉は、ただの見届け役だ。
 恐らく大樹を害する行動や、ラクリモサへの直接的な介入は盟約で禁じられているのだろうと推察できる。
 完全に〈進化の護り人〉となっていなかった以前のダーナなら、クイナの代わりを務められる可能性はあった。
 しかし、いまの彼女は自らの想念を大樹に囚われ、身体だけでなく心まで〈進化の護り人〉と化している。
 それは絶望≠受け入れてしまったからだ。その原因となったのが――

「緋色の予知か」

 ダーナはリィンの言葉に無言で頷く。

「本当ならアドルさんに見つけてもらうはずでした。そして一緒に、もう一度〈ラクリモサ〉に挑むつもりだった。でも、夢の中で緋色の予知≠追体験した私は――」

 ラクリモサの先に待ち受ける悲劇。世界の消滅という最も救いのない結末を目にしてしまった。
 そして、その未来が決して避けられないと悟った時、ダーナは心を絶望に囚われたのだ。
 だが、そんなすべてを諦めかけていた彼女に救いの手を差し伸べる者がいた。
 それが――

「ベルと言う訳か」

 再び頷くダーナを見て、ベルの話に乗った事情をリィンは察する。
 ようするに――

「やっぱり、お前が諸悪の根源じゃないか」
「あら? 世界を消滅させる破壊の神≠ノそんなことを言われるなんて心外ですわね」

 どっちもどっちと言った争いをするリィンとベル。
 リィンからすれば、まだやってもいないことを責められるのは納得が行かない。
 しかし――

「ちッ……」

 しばらく睨み合いは続くが、先に折れたのはリィンの方だった。

「で? こんな場所に呼び出して、俺に何をさせるつもりだ」

 最初リィンは、足止め――時間稼ぎが目的かと考えていた。
 しかし自身を囮に使うところまではいいが、ベルの考えた作戦にしては手温いとリィンは感じていた。
 ベルは〈転位〉が使える。逃げようと思えば、いつでも逃げられる。
 本気で足止めをするつもりなら、遺跡を崩落させて生き埋めにするくらいのことは平然とやると思っていたからだ。
 当然そうした罠があることはリィンも警戒していた。しかし、実際に用意されていたのは無数のアンデットとダーナの影だけだ。
 アンデットは確かにシャーリィやシルヴィアにとって相性の悪い敵と言えるが、相性が悪いと言うだけで所詮は雑魚でしかない。
 なら時間稼ぎが目的ではなく他に目的があって、あんな罠を仕掛けたと考えるのが自然だった。
 それは恐らく――

「ふるいに掛けたってところか?」
「正解ですわ。あなた一人なら、ここまで辿り着くのは難しくないと考えていましたから」

 実際には、シャーリィたちが一緒でも構わなかったとベルは考えていた。排除したかったのは、アドルたちだ。
 あれだけヒントを残せば、リィンならアドルたちを大樹の方へ向かわせるはずだと考えていたが、もしもと言うことがある。
 だからベルは〈セレンの園〉にまで辿り着ける者を選別するための罠――いや、試練を用意したのだ。

「彼女だけの責任ではありません。リィンさんたちの力を自分の目で確認したいと言ったのは、私ですから……」

 だが、ベルだけの責任ではないとダーナは口にする。
 その言葉に嘘はないのだろうが、恐らくアドルたちを関わらせたくないと願ったのはベルではなくダーナなのだろうとリィンは察する。
 しかし、それは――

「結論を聞く前から嫌な予感しかないんだが……」

 アドルたちでは危険な――いや、難しいことを企んでいると言うことだ。
 信頼されていると言えば聞こえはいいが、最も面倒な役割を押しつけるつもりでいるのだとリィンはベルの考えを察して嫌な予感を覚える。
 そして、そんなリィンの予感は――

「舞台は私が整えますわ。あなたの出番はその後――愚かな女神に鉄槌を与えてくださいな」

 見事に的中するのだった。



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