「ラインフォルトより受領した〈ヘクトル弐型〉の搬入が終わりました。ここに関係書類を置いておきますね」
「ありがとう。あ、ちょっと待ってくれる?」
「はい?」
書類を持ってカレイジャスの一角に設けられた工房を訪ねると、アリサに呼び止められてアルティナは小さく首を傾げる。
そんな不思議そうな顔を浮かべるアルティナに、机の下から取りだした大きなバスケットをアリサは手渡す。
「うっ……〈フラガラッハ〉」
両腕で抱えると一瞬後ろによろめきそうになり、すぐにアルティナは〈フラガラッハ〉を呼び寄せる。
そうして〈フラガラッハ〉にバスケットを持たせると、アルティナは戸惑いを隠せない様子でアリサに尋ねる。
「これは?」
「シャロンが作ったマフィンよ。一杯あるから持って行って頂戴」
「ありがとうございます。ですが、この量は……」
年相応の女の子らしく、アルティナも甘い物は嫌いではない。
いや、むしろシャロンの作る料理――特に焼き菓子は好物と言ってもよかった。
しかし、とてもではないが一人で食べきれる量ではないと、アルティナは渋い顔を見せる。
「お姉さんたちに持って行ってあげたら?」
「そういうことですか……」
突然こんなものを手渡してきた理由を察して、アルティナは困った顔を見せる。
アリサが彼女たち――先の戦いで保護されたOZシリーズのことを気遣ってくれているというのは、簡単に察せられたからだ。
そして、そんな彼女たちの保護をリィンに求めたのは他の誰でもない。アルティナ自身だった。
「このくらいしか出来なくて、ごめんなさい。もっと力になってあげられたら良いのだけど……」
「いえ、彼女たちも感謝していると思います」
オライオンの名を持つ彼女たちは、リィンと出会う前のアルティナと同じだ。
生み出された時から道具≠ナあることを強要されてきた彼女たちは他の生き方を知らない。
今更、自由を得たところで人間らしい$カき方など送れるはずもなかった。
ましてや――
「人間のように見えても、私たちは道具≠ナす。ラインフォルトの方にも私たちの身柄を引き取りたいという要請や、共同研究の申し入れがあるのではないですか?」
「それは……」
「自分たちの立場は理解しているつもりです。だから感謝しています。私や彼女たちに居場所をくれた皆さんには……」
黒の工房で生み出された人造人間というだけで、彼女たちは危険な立場にある。
リィンの庇護下を離れれば、様々な国や組織が彼女たちの身柄を確保しようと動くだろう。
この世界の何処にも彼女たちが自由に生きられる場所は存在しない。
ここにいても自由はないのかもしれないが、ここが彼女たちにとって唯一安息を得られる場所だった。
「気にしないでください、とは言いません。ですが、私たちは望んでここにいるのだと言うことを知っておいてください」
アリサが自分たちのことを心配してくれていることには、アルティナも気付いていた。
だが、現状を不幸だとは思っていない。むしろ恵まれているとさえ、アルティナは感じていた。
感情を表情にだすことはないが、それは他のOZシリーズも同じだろう。
だから――
「それにアリサさんの心配は理解しているつもりです」
「アルティナ……」
「リィンさんは不埒な方ですから、私たちの身を案じてくださっているのですよね?」
アルティナは茶化すように尋ねる。
一瞬なにを言われているのか理解できず「え?」と呆気に取られた顔を見せるアリサ。
だが、ようやくアルティナがなんのことを言っているのか察して、アリサは顔を真っ赤にする。
「ダメよ、ダメ! もっと自分を大切にしないと!」
「幸せの定義や価値観は人それぞれです。彼女たちは人間の道具≠ニして生み出されましたから、むしろマスターに使われることを望んでいます」
「つ、つか……ッ!」
「どんなマニアックなプレイにも対応できるように学習中です。ティオ主任から大変参考になる資料を頂きましたので」
確かにアルティナたちには幸せになって欲しいとアリサは思っている。
しかし道具は道具でも、アルティナの言っている道具は意味が違う。
アルティナなりの冗談だと思うが、表情からはまったく本心を読み取れない。
どこまで本気で言っているのか分からず、段々と思考がぐちゃぐちゃになっていくアリサ。
そんな姿を見て、
「一緒に学習しますか?」
「しません!?」
淡々とした声で尋ねてくるアルティナに、アリサは顔を真っ赤にして反論するのだった。
◆
嘗てIBCの本社ビルが建っていた場所。現在はラインフォルトが土地と建物を買い上げ、ビルの改修工事が進められていた。
なかでも特に被害が大きかったのが、ビルの地下に設けられたコンピューター関連の機材だ。
レクターの仕掛けた爆薬は建物を崩落させるほどのものではなかったが、機材のほとんどは使いものにならなくなっていた。
だからと言って、嘗てIBCはゼムリア大陸で最大の資産額を誇っていた銀行だ。
現在は政府の管理下に置かれたことで経営規模は縮小しているが、それでも大陸で有数の銀行であることに変わりはない。
その業務が滞れば、各国の経済に与える影響は小さくない。
そのため、ラインフォルト社とエプスタイン財団の協力の下、政府主導によるシステムの復旧作業が急ピッチで進められていると言う訳だ。
その作業現場に、アルティナと同じOZシリーズの姿があった。
単純な力仕事と違い、導力ネットワークの復旧作業には専門的な知識と技術が要求される。
だが街の復興に人手を取られ、特に技術者が不足している状況とあって、彼女たちが駆り出されたと言う訳だ。
実のところ常識に疎い彼女たちのために、アリサとエリィが仕組んだことでもあった。
社会復帰に伴う活動の一環として、各方面への根回しと依頼の手配を行ったのだ。
「お疲れさまです。食事を持ってきましたので休憩にしましょう」
作業中のOZシリーズに、そう声を掛けるアルティナ。
「エネルギー補給は重要」
「でも、出来れば甘い物がいい」
淡々とした口調ではあるが、以前からは考えられないような要求を口にするOZシリーズ。
容姿はバラバラだが、アルティナを含め、何れも十四歳程度の少女の姿をしている。
ミリアムのような例外もいるが、特徴として感情が希薄な点が挙げられる。
だがリィンに保護されたことで、良くも悪くも彼女たちは人間らしさ≠学びつつあった。
いや、リィンがどうこうしたと言うよりは、シャロンの作る料理に餌付けされたと言っていい。
そんな雛鳥のように餌を待つ彼女たちの前に、アルティナはアリサから受け取った巨大なバスケットを置く。
「シャロンさんの焼いたマフィンです」
おお、と歓声が上がる。
以前として無表情ではあるが、テーブルの上に置かれたバスケットに少女たちの目は釘付けになっていた。
「一人、二個ずつですよ?」
アルティナがそう言うと、型式番号順にバスケットへ手を伸ばすOZシリーズ。
その統率の取れた動きに満足そうに頷きながら、アルティナも自分用に確保しておいたマフィンを手に取り、口に運ぶ。
「……甘い」
食事とは彼女たちにとって、栄養を補給するための作業に過ぎなかった。
食べられるものなら、なんだって同じ。以前はそう思っていたのだ。
でも今は――
「幸せな味がします」
優しい甘さが口の中一杯に広がるのを、アルティナは感じ取っていた。
◆
「おはようございます!」
開発室に顔を覗かせたユウナに、ティオは「おはようございます」と挨拶を返す。
「ティオ先輩、何か良いことありました?」
いつもと少し違う。どこか機嫌の良さそうなティオを見て、そう尋ねるユウナ。
ふとテーブルの上に視線をやると、淹れたての紅茶と一緒に手作りと思しきマフィンが二つ置かれていた。
「一つ、食べますか?」
「良いんですか?」
「はい。もうお昼を済ませた後なので、一人じゃ二つも食べきれませんから」
「じゃあ、遠慮なく頂きます!」
物欲しそうな視線を感じ取って、ティオはマフィンを一つユウナに勧める。
若干、遠慮する素振りを見せるも、お腹が減っていたのか?
満面の笑みでマフィンにかぶりつくユウナ。
「美味しい! これ、どこのお店で買ったんですか?」
「店で売っているものではありませんよ。ラインフォルトのメイドさんの手作りです」
「ラインフォルトって、あの?」
「はい。何度かここにも顔をだしていますし、アリサさんにはお会いしたことがありますよね?」
ああ、と納得した様子で頷くユウナ。
根っからのクロスベル育ちのユウナは、帝国に対して余り良い感情を抱いていない。しかし、アリサに対しては別だった。
仕事上の付き合いでもあるがティオとは技術者同士の交流があり、アリサは何度かエプスタイン財団の支部にも顔をだしていた。
その縁でユウナもアリサとは面識があったのだ。
「アリサさん、格好良いですよね。仕事の出来る女って感じで」
そのため、少し憧れにも似た感情をユウナはアリサに抱いていた。
「ご馳走様でした。じゃあ、これはアリサさんが?」
「いえ、アルティナさんが届けてくれました」
「あ、あの銀髪のお人形さんみたいに可愛い子ですよね!?」
会いたかったなあ、と残念そうに肩を落とすユウナ。
アルティナもアリサの使いでここに何度か出入りをしているため、ユウナとも面識があった。
とはいえ、可愛い可愛いと遠慮なく構ってくるユウナに、アルティナは少し苦手意識を持っていた。
そのことを知っているティオからすると、アルティナが先に≠アこへやってきた理由を察して苦笑が漏れる。
だがユウナにとっても、アルティナにとっても、悪いことではないとティオは考えていた。
特務支援課のメンバーでは、決してユウナの友人≠ノはなれない。どこかで一歩、遠慮をしてしまうからだ。
自分にとっての特務支援課のような存在が、対等な友人が、ユウナには必要だと以前からティオは感じていた。
それに、
(彼女にも……いえ、彼女たちにもユウナさんのような人が必要なはずです)
OZシリーズ。黒の工房で生み出された人造人間。その情報はティオの耳にも届いていた。
境遇は異なるとはいえ、ティオも過去に教団に拉致され、人体実験を受けたことがある。
だからだろう。アルティナの過去を知って、赤の他人のような気がしなかったのは――
出来ることなら、彼女たちにも幸せになって欲しい。それがティオの望みでもあった。
だから――
「彼女なら旧IBCの本社ビルにいるはずです。ここをでて、そう時間も経っていませんから、いまなら追いつけるかもしれませんよ?」
アルティナには悪いと思うが、ティオはユウナの背中を押すように口にする。
「本当ですか!? あ、でも……」
「今日は特にお願いするような仕事はありませんよ。むしろ手伝いが必要なのは、彼女の方かと」
「そうなんですか?」
「はい。現在のところ通常業務に影響はでていないようですが、まだIBCの幾つかのサービスは停止したままです。ですが、こちらもリソースを割くほどの余裕はありませんから」
いまのうちに手を打っておく必要があるというのは、本当の話だった。
エリィに仲介を頼んだジオフロントの調査の件もあるが、そちらは連絡待ちだ。
すぐに行動へ移れるような仕事がないと言う意味では、ティオの言葉は嘘ではなかった。
「わかりました! ドンと大船に乗ったつもりで、あたしに任せてください!」
そう言って胸を張って飛び出して行くユウナを、ティオは優しい表情で見送るのだった。
◆
「……何しにきたんですか?」
「勿論、手伝いによ。フフン、ちゃんとティオ先輩の許しはもらってきたんだから!」
断られる前にティオの名前をだして先手を打つユウナに対して、アルティナは不満げな表情を浮かべる。
(また余計なお節介を……)
アリサといい、ティオといい、本当にお節介な人たちばかりだとアルティナは思う。
だが、心の底から嫌がっているという風ではなかった。
本心ではアルティナも感謝しているからだ。
それにユウナのことも嫌っているわけではない。ただ、苦手なだけで。
とはいえ、
「ああ、ごめんなさい! きゃあっ、なんでこんなところにケーブルが! はうっ!」
「仕事の邪魔をされても困るのですが……」
導力ケーブルに足を引っ掛けて転ぶユウナを見て、アルティナは深い溜め息を漏らすのだった。
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