「アストライア女学院のクロスベル訪問は、年明けの予定ではなかったのですか?」
聖アストライア女学院のクロスベル訪問は事前に通知され、決まっていたことだ。
しかし予定よりも二週間以上早まったことを問い質すため、アルフィンは緊急用の秘匿回線を使い、帝都にいるオリヴァルトに通信を繋いでいた。
予定の変更が告げられたのは、クロスベル行きの列車が帝都を出発した後のことだったからだ。
こうなってしまっては、引き返させるのは不可能だ。騙し討ちのような真似をされ、アルフィンは怒っていた。
『突然、連絡をしてきたから何かと思えば、僕に尋ねられてもなんのことやら……』
「しらばっくれてもダメですわ。お兄様があの子の入れ知恵で動いていたことは、既に掴んでいるのですから」
無関係を装うオリヴァルトに、額に青筋を立てながら詰め寄るアルフィン。
オリヴァルトが予期せぬ行動を取るのは、いつものことだ。しかし少々のことには目を瞑るつもりでも、聖アストライア女学院が関係しているとなれば話は別だった。
休学中とは言っても、アルフィンも女学院の生徒であることに変わりはないからだ。
しかも今回の件に彼女――ミルディーヌが関わっているとなれば、尚更見過ごすことなど出来なかった。
これ以上は誤魔化しきれないと観念したのか、オリヴァルトは両手を挙げてアルフィンの疑問に答える。
『アルフィンも彼女の実家のことは知っているだろう? そのことで少々危険な状態にあってね』
「危険? そんなこと、あの子は一言も手紙には……」
『敵を欺くには味方から、と彼女の提案でね。余計な心配を掛けたくはなかったのだと思う』
「まったく、あの子は……」
ミルディーヌの言いそうなことだ、とアルフィンは溜め息を漏らす。
水臭いと思う一方で、半分はサプライズのつもりなのだろうとアルフィンは察した。
いつもの悪い癖が働いたと言う訳だ。
そこまで察した上で、アルフィンは確認を取るようにオリヴァルトに尋ねる。
「危険というのは、公爵家の継承問題ですわね』
『ああ、知っての通りカイエン公には子供がいなくてね。それで候補に名乗りを挙げているのが――』
「バラッド候と、彼女と言う訳ですか……」
バラッド候は先の内戦で亡くなったカイエン公の叔父に当たる人物だ。
カイエン公には子供がいなかったことから、次期カイエン公にはバラッド候が最も近いと貴族たちの間では噂されていた。
順当に行けば、バラッド候で決まりだったはず。そんななかで、ミルディーヌが公爵家の次期当主に名乗りを挙げたという流れなのだろう。
貴族の家に生まれてくれば、よく耳にするような話だ。しかしアルフィンは疑問を持つ。
「ですが、どうしてそのようなことに? バラッド候が次期カイエン公に名乗りを挙げるのは理解できます。でも、どうして彼女が――」
アルフィンもバラッド候には何度か宮中で会ったことがある。
自尊心が高く、自分よりも身分が低い者は見下すかのように鼻を掛ける悪い意味で典型的な貴族だった。
その性格を考えれば、バラッド候が次期カイエン公の椅子に拘るのは理解できる。だが、アルフィンの知っているミルディーヌという少女は、権力に執着するような人間でなければ無為な諍いを好む性格でもなかった。
これまで彼女が『カイエン』の名を伏せ、伯爵家の娘として振る舞ってきたのは公爵家の干渉を嫌ってのことだとアルフィンは考えていた。
なのに表立って公爵家の次期当主に名乗りを挙げれば、バラッド候がどういう反応をするかくらい聡明な彼女なら理解できるはずだ。
自らを危険に晒す――彼女らしくない手だと、アルフィンは違和感を覚える。
そんなアルフィンの疑問にオリヴァルトは溜め息を交えながら答える。
『帝国を再び戦争へ向かわせないためだよ』
「それは一体……」
『バラッド候は宰相の椅子を欲している。そのためにノーザンブリアへの侵攻を提言したと言う訳だ』
ギリアス・オズボーンの後任を巡って貴族派と革新派の間で諍いが起きたが、中立的な立場にあるオリヴァルトが宰相に就任することで一旦は問題の終息を見たのだ。
しかしセドリックが成人するまでの一時的な措置だとオリヴァルト本人も明言していることから、次期宰相の座を巡る駆け引きは既に水面下で起きていた。
ノーザンブリアへの侵攻をバラッド候が提言したのは、そのための実績作りという側面もあるのだとオリヴァルトは話す。
その話に内戦の失敗を取り戻すために戦功を欲している貴族たちが乗っかり、開戦派が勢いづいているというのが現在の状況だった。
『ケルディックの焼き討ちに始まり、ノルドの監視塔が奪われたのも〈北の猟兵〉が共和国と繋がっていたことが原因だと、バラッド候は主張しているからね』
「そんな……あれはアルバレア公が指示したことだと……」
『死人に口なし。実際にどうであったかを確かめる術はない。更に言えば、アルバレア公の死も共和国の企みだというのがバラッド候の主張だ。話の筋は通っているし、証明する術がないのはお互い様だ』
既に内戦の首謀者とされる人物、カイエン公とアルバレア公は死亡している。
バラッド候の憶測を否定するだけの根拠が、オリヴァルトたちにもないと言うことだ。
真実を明らかに出来ない以上、強い方の主張が勝つ。
「……どちらが優勢なのですか?」
『非戦派が優勢と言いたいところだけど――』
このままいけば何れ抑えきれなくなる、とオリヴァルトは話す。
先の敗戦が原因で貴族派は力を落としているが、それは革新派も同じだ。
ギリアス・オズボーンが非業の最期を遂げ、カール・レーグニッツも帝都知事を辞任し、革新派は大きく求心力を落としていた。
二大派閥が衰退する中、急速に力をつけているのが皇族派だが、勢いはあるものの彼等も問題を抱えている。皇族派に参加する貴族のほとんどは下級貴族で、既得権益などのしがらみは少ないものの政治基盤が弱い。四大名門の一角〈ログナー侯爵家〉が支持を表明しているとはいえ、元より中央から距離を置いてきたログナー候も、宮中での影響力が低いという意味では他の貴族たちと同じだった。
セドリックも皇帝になったとはいえ、まだ年若いこともあって経験が浅く、官僚たちを御しきれていないのが現状だ。だからと言って貴族たちを従わせるために強権を使えば、再び内乱の引き金となりかねない。そうした微妙なバランスの上で辛うじて平和を保っているのが、現在の帝国だった。
そういう状況だからこそ、戦争の気運が高まっているとも言えるだろう。
貴族派もバカではない。内乱を起こそうものなら、次がないことくらいは彼等も理解している。だが、内戦の首謀者とされたカイエン公とアルバレア公が死亡し、ギリアス・オズボーンも既にこの世を去っていない今、皆を納得させられるだけの落としどころが必要だった。それがバラッド候の思惑により、ノーザンブリアへと向いていると言う訳だ。
内戦によって被害を受けたのは貴族だけではない。家を焼かれ、家族を失い、貴族よりも平民の方が多くの犠牲をだしている。
彼等の怒りや悲しみが、国や自分たちに向かうことだけは避けたい。そういう思惑もあるのだろう。
謂わば、国民感情を抑えるためのスケープゴートにノーザンブリアは利用されたのだ。
理不尽に思えるかもしれないが、嘗てのクロスベルの状況がノーザンブリアに置き換わったと言うだけの話に過ぎない。
エレボニア帝国は西ゼムリア大陸で一、二を争う大国だ。多少の無茶はまかり通る現実があった。
「……リィンさんに依頼して、いっそ元凶を潰してもらった方が早いかもしれませんわね」
『ア、アルフィン?』
「勿論、冗談ですわ」
冗談と言いつつも目が笑っていないアルフィンを見て、オリヴァルトは冷や汗を流す。
逆らう者を排除し、従わないからと言って殺してしまう。オリヴァルトもアルフィンと同じようなことを考えなかった訳では無いが、それでは鉄血宰相と同じだ。
恐怖による支配で仮初めの平和を得たとしても、そうして保たれた秩序が長く続くとは思えない。
甘いと言われようが、そのような汚名をセドリックに着せたくはないとオリヴァルトは考えていた。
だが、いまのアルフィンなら本当に必要だと判断したら、そのくらいのことはやるだろう。
昔から腹黒いところはあったが、良くも悪くもアルフィンは変わってしまった。そんな風に彼女を変えてしまったのはリィンだ。
その点は兄として、オリヴァルトが心配しているところだった。
しかし、
「あの子の立場はわかりました。お兄様が余り役に立たないと言うことも……」
『それは、ちょっと酷くないかい? これでも精一杯やって――』
「宰相就任の話を受ける際、セドリックが成人するまでの一時的な立場だと明言されたとか」
『うっ……それは……』
「余計なことを言わなければ、バラッド候の思惑の一つは潰せたはずです。問題を先延ばしにするから、こういうことになるのですわ」
オリヴァルトの痛いところを容赦なく突き、アルフィンは非難する。
宰相の任命権は皇帝にある。貴族や官僚たちがなんと言おうと、押し通すことは出来たはずなのだ。
それを彼等に配慮するカタチで、オリヴァルトは宰相の地位に固執する気は無いと明言することで反発を抑えた。
だが、それは結局のところ問題の先送りにしかならない。バラッド候の件が、まさにそれだ。
「とはいえ、私も非難できる立場にはありませんが……」
オリヴァルトやセドリックに内戦の後始末を押しつけるカタチになってしまった負い目をアルフィンは感じていた。
本来であれば、膿を出し切った上で責任を取り、表舞台から姿を消すつもりだったのだ。
そうしてリィンのところに転がり込む算段でいたのだが、オリヴァルトとセドリックが余計な気を回したというのがクロスベルの総督就任に至る経緯だった。
とはいえ、そのことをアルフィンは責めるつもりはなかった。
少なくとも自分のことを想って二人がやってくれたと言うことは、アルフィンも理解しているからだ。
何より、リィンとの仲を家族に認めてもらえたことが嬉しかった。
だから、こうなってしまった責任の一端は自分にもあるとアルフィンは考える。
「ですが、これであの子が何を考えているのか理解できました」
ノーザンブリアとの戦争を回避するために、リィンを巻き込むつもりなのだとアルフィンは察する。
アルフィンがクロスベルの総督に就任することになったのは、帝国政府が市民感情に配慮したというだけの話ではない。
暁の旅団と近しい関係にあるアルフィンの存在を疎ましく思う者たちが、彼女を帝都から遠ざけようとしたのだ。
それがオリヴァルトとセドリックの思惑と、都合良く一致したと言うだけの話だった。
逆に言えば、それほど彼等は〈暁の旅団〉を――リィンを恐れているという証明でもある。
「私にも責任の一端はありますし、そういうことであれば協力致しますわ」
『そうかい? いや、そう言って貰えると、こちらとしても助かる――』
「ですが、大陸最強の猟兵団に仕事を依頼するのですから高くつきますよ?」
『え? ちょっと、それは待っ――』
オリヴァルトが何かを言う前に、アルフィンは通信のスイッチを切る。
以前、内戦の終結に力を貸して欲しいとリィンに依頼した時、十億ミラもの大金を要求されたのだ。
その代わりにカレイジャスを譲渡することになったのだが、それ以外にもクロスベルやリベールの一件で結構な金額を搾り取られていた。
だから、なし崩し的にリィンを巻き込むつもりだったのだろうが、クロスベルの総督としてそれは容認できなかった。
クロスベルにとって〈暁の旅団〉との関係は生命線だ。例え、依頼を仲介するカタチであっても、信用を損なうような真似は出来ない。
彼等は猟兵だ。騙したり裏切るような真似をすれば、容易くクロスベルを見限るだろう。
「お兄様にも少しは痛い目を見て頂かないと」
負い目があるのは確かだが、それはそれ、これはこれだ。
帝国の皇女ではなくクロスベルの総督として出来ることを考えながら、アルフィンは次の行動に移るのだった。
◆
「ミュラー。十億ミラ……用意できると思うかい?」
「なんの話だ? 大体そんな余裕がないことは、お前が一番よくわかっているだろう?」
内戦の爪痕が今も残る帝国にそんな大金を用意する余裕がないことは、ミュラーに尋ねるまでもなくオリヴァルトもわかっていることだ。
アルノール皇家も私財を投じて、被害に遭った人々の補償や街の復興に力を入れているのだ。
リィンが幾ら要求してくるかは分からないが、最強クラスの猟兵団に依頼料を支払うような余裕はなかった。
「実は――」
ミュラーに説明を求められ、何があったかを説明するオリヴァルト。
大方、予想通りとはいえ、オリヴァルトの話を聞いてミュラーは呆れた様子を見せる。
「それは、お前が悪い。アルフィン殿下と〈暁の旅団〉の仲は知っているだろう? あちらを優先するのは当然だ」
「わかってはいるんだけどね。兄としては複雑というか……」
可愛がっていた妹を男に取られた心境と言ったところだろうか?
セドリックに悪意が向かわないように、アルフィンが自分一人で粛清を進めるつもりでいたことに気付き、なんとか阻止したかったのだろうと言うことは分かるが、そんなに心配ならクロスベルに追いやるような真似をしなければよかっただけのことだ。結局のところオリヴァルトの自業自得というのが、ミュラーのだした結論だった。
しかし、
(……不器用なのは、俺も同じか)
腹違いの弟の顔が頭を過ぎり、人のことは言えないなとミュラーは溜め息を吐く。
ヴァンダール家は代々、皇族の護衛を任されてきた一族だ。だが、そのヴァンダール家に少々厄介な問題が起きていた。
春からセドリックと共にトールズ士官学院へ入学し、彼の護衛となるはずだったミュラーの弟がいるのだが、若くしてセドリックが帝位を継いだことでその話が白紙に戻ってしまったのだ。
皇帝には身辺警護を任された専属の近衛兵がいる。幾ら名門ヴァンダールの剣士とはいえ、経験の浅い未熟な若者に重要な役目を任せられるはずもないと近衛に反論されれば、ヴァンダール家としても何も言えない。それからというもの目標を見失い、塞ぎ込んでしまった弟のことで、ミュラーは心を痛めていた。
出来ることなら皇族の護衛になりたいという弟の願いを叶えてやりたいと思うが、現状は厳しい。
(可能性があるとすれば、アルフィン殿下の護衛に推すくらいだが……)
専属の護衛はいないが、アルフィンにはエリゼという従者がいる。
それにアルフィンは既に、クロスベルの総督に就任していた。
いま帝都から護衛を送るような真似をすれば、監視と受け取られかねない。
クロスベルとの間に余計な軋轢を生むだけだと、ミュラーは考える。
(ままならないものだな……)
そうしたことからオリヴァルトに友人として何か言葉を掛けてやりたいと思うも、自分には無理だとミュラーは首を横に振る。
取り敢えず、いま出来ることと言えば――
「ログナー候に相談をするなり、プリシラ様に頭を下げるなりして、金の工面を始めた方が良いのではないか?」
「やっぱり、そうなるよね……」
ない袖は振れぬからと言って、支払いを待ってくれないのが猟兵だ。
ミルディーヌが公爵家を継げば、そちらに費用の負担を求めると言った方法も取れるが、現状は難しい。
この後、オリヴァルトはミュラーを伴い、金策に奔走することになるのだった。
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