オクトゥス第三層は『蟲の回廊』と呼ばれる大森林が広がっていた。
森林を抜け、その最奥――オベリスクの間へと到着したアドルたちを待ち受けていたのは〈進化の護り人〉の一人、ネストールによく似た幻獣だった。
背には六枚の羽根、手と足には鋭い爪を持ち、緑色の甲殻に覆われた人型の虫のような姿をしていた。
空を縦横無尽に駆ける幻獣の動きを、リコッタの強烈な一撃もアドルの剣も捉えきれず、苦戦を強いられていた。
(ん……アドルやリコッタじゃ相性が悪い。銃弾も通じないみたいだし、ちょっと厳しいかな)
冷静に敵の能力を分析するフィー。その上で、自分たちでは相性の悪い敵だと判断する。
空を飛ぶ幻獣を倒すには地上に叩き落とす必要があるが、その動きは素早く、フィーで付いていくのがやっとと言ったところだ。
何より厄介なのは風を自在に操り、空から光弾のような魔術を放ってくることだった。
警戒してか、地上に降りてこないのでは手の出しようがない。
だからと言ってブレードライフルの銃弾程度では硬い甲殻に阻まれ、ダメージを負わせることが難しい。
地上からでもダメージを負わせる方法があるとすれば――
(強力なアーツを叩き込むしかない)
チラリと、イオとラクシャに視線を向けると加速するフィー。
幻獣の放った魔術の衝撃で崩れ落ちる足場を飛び跳ねるように疾駆し、フィーは銃弾を放つ。
銃弾が何発か命中するも硬い甲殻に弾かれ、ダメージが通った様子はない。しかし、それは想定内だった。
幻獣の注意を自分に惹きつけることが、フィーの狙いだったからだ。
「――ッ!?」
幻獣の背に光の矢が着弾し、小さな爆発を起こす。
イオの髪が金色に輝き、全身から光を放っている。それは精霊ルミナスの力だった。
反撃しようと方向を転換する幻獣に、フィーもまた背中に無数の銃弾を放つ。
クリアランス。二丁のブレードライフルから放たれる銃弾で敵を牽制するフィーが得意とする戦技の一つだ。
そんなフィーの攻撃に合わせるように、無数の光の矢を幻獣に放つイオ。
間断なく迫る攻撃に対し、幻獣は身を守るように背を丸め、宙で動きを止める。
たいしたダメージが通っている様子はないが、それで十分だった。
イオが指摘したように剣と比べれば才能があるとはいえ、ラクシャのアーツの腕はまだまだ経験不足が否めない。
素早い動きで縦横無尽に空を駆ける敵に、駆動の大きなアーツを命中させるほどの腕は今のラクシャにはない。
だが、敵が止まってさえいれば――
「わたくしにだって――」
戦術オーブメントにはラクシャの適性に合わせたクォーツがセットされている。
基本的に中級以下のアーツで構成されているが、一つだけ切り札とも言える強力なクォーツがセットされていた。
その絶大な破壊力と膨大な精神力を消費することから、ベルからも注意を受けていた最上級アーツ。
「ラグナヴォルテクス!」
天を裂く光が幻獣を貫き、大気を震わせるかのような雷鳴を周囲に響かせるのだった。
◆
落雷に打たれ、燐光を放ちながらマナへと還っていく幻獣。
全身から力が抜け落ちるような感覚に襲われ、ラクシャは膝をつく。
ベルからアーツを使い過ぎれば気を失うこともあると注意を受けていたが、まさにその寸前と言った状態だった。
「ラクシャ。これ、飲んで」
「……これは?」
「いいから飲んで」
素早くラクシャの元へ駆け寄ると、腰のポシェットから小瓶を取りだし、それをフィーはラクシャに手渡す。
正体不明の瓶を渡されて怪訝な顔を見せるも、いつになく強引なフィーに気圧され、ラクシャは一気に中身を呷った。
すると、その効果はすぐに現れた。
怠慢感が消え、身体の中で魔力のようなものが満たされていくのを感じて、ラクシャは驚く。
「もう、大丈夫そうだね」
「……この飲み物は一体?」
「EPチャージと言って、一時的に消耗した精神力を回復する効果を持った薬。まだ何本かあるから渡しておくね」
フィーの説明を聞いて驚くラクシャだったが、高価な代物ではあるものの手に入らないようなものではなかった。
薬を取り扱っている店に行けば、金さえだせば普通に手に入るものだ。
アーツを使えないリィンとは違い、戦闘の補助程度ならフィーもアーツを使用する。
だから傷薬の他にも、こうした薬を何本か常に持ち歩くようにしていた。
「……よろしいのですか? 貴重なものなのでは?」
「ん……値段は結構張るけど、店に行けば普通に買えるものだし。ラクシャの方が必要でしょ?」
こんな薬が普通に買えると聞いて、更に驚くラクシャ。
わかってはいたつもりでも、やはり生まれ育った世界が違うのだとフィーの話を聞いて実感する。
そして、
「そう言えば、リコッタちゃんは?」
ふとリコッタの姿が見当たらないことに気付き、ラクシャは尋ねる。
「……あそこ」
フィーが指を向ける先には、アドルの背に隠れて小動物のように震えるリコッタの姿があった。
何があったのかと心配するラクシャだったが、
「雷が怖いらしいんだ」
「……雷が?」
アドルの話を聞いて、ラクシャは雷の落ちた場所へ視線を向ける。
大地には亀裂が走り、焼け焦げた地面には今もパチパチと電気が燻っている。
ラクシャ自身、自分でやったという実感が持てないくらい派手な爪痕がそこには残っていた。
どれだけ強くともリコッタはまだ子供だ。
こんな光景を見せられれば、脅えるのも無理はないとラクシャは考えるが、
「ラクシャ姉、怒ってるか?」
恐る恐ると言った顔で、そう尋ねてくるリコッタを見て、どういうことかとラクシャは首を傾げる。
「怒ると、大人の女性は雷を落とすと本で読んだ」
「……え?」
一瞬なんのことか分からずに、呆然とした声を漏らすラクシャ。
しかしイオが笑いを堪えるかのように肩を震わせているのを見て、リコッタが何を心配しているのかにラクシャは気付く。
ラクシャが怒って、雷を落としたと考えたのだろう。
ようするに雷に脅えてるのではなく、雷を落としたラクシャに脅えていると言うことだ。
すぐに誤解を解こうとするが、
「いえ、わたくしは別に怒って雷を落としたわけでは――」
「喧嘩よくない。アドル兄を許してあげて欲しい」
「……どうして、そこでアドルの名前がでてくるのですか?」
「夫婦喧嘩の時に雷は落ちるって本には書いてあった。アドル兄は、ラクシャ姉のつがいじゃないのか?」
「つが――」
予想もしなかったことをリコッタに言われ、ラクシャは顔を真っ赤にして言葉を失う。
そんな二人のやり取りを見守っていたイオは、もう我慢できないと言った様子でお腹を抱えて大笑いするのだった。
◆
「妾の想念も不甲斐ない。このような者たちに敗れるなど……」
ネストールが呆れるのも無理はない。
自分の想念を倒した相手が、好きだ嫌いだのと年若い娘のように喚いている姿を見せられたのだ。
「このように緊張感のない者たちは初めて見る」
それを言われると、返す言葉もないとラクシャは項垂れる。
予想だにしなかった誤解を受けたと言うこともあるが、その所為で冷静さを欠いたことは反省していたからだ。
アドルのことをなんとも思っていないかと聞かれれば嘘になるが、恋愛感情とは少し違う。
危なっかしくて放って置けない――父親の面影のようなものをラクシャはアドルに感じていた。
歳が近いことを考えれば、父と呼ぶには少し語弊がある。正確には手の掛かる兄と言った感じだろう。
(そうです。わたくしはアドルのことなんてなんとも……)
そうして自分に言い聞かせるように心の中で反芻していると、ふとリィンの顔が頭を過ぎってラクシャは頬を赤くする。
そして、それこそありえないと首を横に振る。感謝もしているし、嫌っていると言う訳ではない。
しかし、ラクシャはキルゴールの一件が尾を引いていることもあって、リィンに少し苦手意識を持っていた。
アドルのような危なっかしさはないものの、別の意味で心配になるのがリィンだ。
好意がないと言えば嘘になるが、絶対にそういう関係になることだけはありえないと自分を言い聞かせる。
「うんうん、青春してるね」
自分よりも小さなイオに言われると、何やら微妙な気持ちになるラクシャ。
ダーナと同じエタニア人と言うことは、見た目と年齢が一致しないと言うのは理解している。
それでも姿と言動が伴っていないので、年上のように振る舞われても違和感が拭えなかった。
それに――
「どうかした?」
「いえ……」
不思議そうな顔でイオに尋ねられ、考えていることを隠すかのように視線を逸らすラクシャ。
残す回廊は二つ。オクトゥスの攻略は順調に進んでいるが、ラクシャのなかには迷いがあった。
ミノスの言葉が頭を離れずにいたからだ。
「無駄とわかっていても抗わずにはいられない。人間というのは不合理な生き物じゃな」
そんなラクシャの心の内を知ってか知らずか、ネストールは淡々とした声でそう話す。
自分たちの行動が無駄と諭されて、不快感を顕にするラクシャ。
「……そういうあなたも〈ラクリモサ〉に抗った一人ではないのですか?」
ヒドゥラ、そしてミノス。ウーラやダーナも〈進化の護り人〉は皆、嘗て〈ラクリモサ〉に挑んだ者たちだ。
となれば、ネストールにもそうした過去があったはずだとラクシャは考え、尋ねる。
しかし、そんなラクシャの考えをネストールは否定する。
「妾たちの種族は冷静かつ合理的な性分でな。ラクリモサが必要と理解した妾たちは、自ら贄となる道を選択したのじゃ」
「な……」
信じられないと言った顔を見せるラクシャ。だが、嘘を吐いているようには見えない。
ネストールの様子を見るに恐らくは事実なのだろうが、それでも俄には信じがたいことだった。
いや、信じたくないと言った方が正しいのかもしれない。
自分たちのやっていることが間違っていると、考えたくはなかったからだ。
しかし、ミノスからクイナの覚悟を聞かされ、ラクシャのなかには僅かに迷いが生まれていた。
それがネストールの言葉で揺らぎを見せる。
「その上で、御主たち傲慢な人間に問おう。御主たちが邪魔をすれば、あの少女の覚悟は無駄となり〈緋色の予知〉を回避する唯一の手立ては失われる。世界は滅びの危機を迎え、誰一人として望んでいない結末へと向かうことになるじゃろう。御主たちの行動は、この世界にとって不利益でしかない。それでも――」
この先へ進むのか? とネストールはアドルたちに問う。
アドルたちもわかってはいるのだ。
クイナがどんな想いでベルに何を願ったのか?
彼女が本当は連れ戻されることを望んでいないと言うことも――
「答えは変わらない。僕たちはクイナの元へ向かう」
それでも、アドルの答えは変わらなかった。
迷いはある。それでもクイナ一人を犠牲にして助かることが正しいとは思えない。
だから先を目指す。そしてクイナと向き合い、ちゃんと話がしたいとアドルは考えていた。
どうするべきか答えをだすのは、それからでも遅くはない。
言葉を交わすことを諦めれば、理解し合うことなど出来ないのだから――
「愚かじゃな。だが、それ故に妾たちと御主たちでは、決定的なまでに異なる種≠ナあることを理解した」
アドルの考えを聞き、知りたかった答えは得たとネストールは判断する。
最小限の犠牲で最大の効果を上げる。それがベルの提示した計画だ。
クイナの願いも叶い、ダーナの望んだとおり世界は〈ラクリモサ〉から解放される。
ネストールから見て、ベルの計画は合理的だった。
だからこそ、アドルたちの行動が不可解でならなかったのだ。
世界は違えど、同じ人間のはずだ。なのに、ここまで考え方が違うものかと不思議に感じたからだ。
(いや、それこそが人間の強さと言うことか)
そもそもアドルたちが、ここまで辿り着けるとネストールは思っていなかったのだ。
だが愚かで無駄な行いだとしても、ここまでアドルたちがやってきたことは事実だ。
ならば、事実は事実として認めるしかないとネストールは考える。
人間は強い。ラクリモサによって滅ぼされたどの種族よりも――
だが、人間のことを少し認めたからと言って、ネストールは人間と分かり合えるとは思っていなかった。
ネストールの種は矛盾を嫌い、合理性を求める。この世界を維持するために〈ラクリモサ〉が必要だという考えは変わらないからだ。
しかし〈はじまりの大樹〉が世界の摂理そのものであるなら、その大樹を滅ぼすことが出来る存在もまた摂理の一つと言えるのではないか?
と、そんな疑問をネストールは抱いていた。
だから協力しないまでも、ベルたちの邪魔はしないと決めたのだ。それはアドルたちが相手でも同じことが言える。
すべてにおいて中立であること。それが〈進化の護り人〉としてネストールが自らに課したルールだった。
「行くがいい。いずれにせよ、間もなく裁可は下される。ここで妾は結果を見届けさせてもらうとしよう」
そう言い残すとネストールは眠るように瞼を閉じる。
声を掛けても反応一つ示さなくなったネストールを背に、アドルたちは決意を新たに先へと進むのだった。
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