「百億ミラか。また、随分と無茶な要求をされたものだな」

 そう口にしながらも、何処か楽しげな笑みを浮かべるオーレリアを見て、ミュゼは溜め息を吐く。
 当事者のミュゼからすれば、笑って楽しめるような話ではなかったからだ。
 最初の接触で想像していた以上に用心深く、警戒心の強い人物だと言うことが分かった。
 それでいて情報収集を怠らず、頭の切れる人物だというイメージを持っていたのだ。
 なのにエリゼを通してだしてきた条件は大胆極まり無く、それまでのイメージを大きく覆すものだった。

 百億ミラなど、誰が聞いても吹っ掛けているとしか思えないような金額だ。
 最初から話を聞く気などなく断るために言っているとしか思えず、自身の評価を下げるだけでメリットなどないに等しい。
 こんな話を聞けば、『金に汚い猟兵らしい分を弁えない要求だ』とバカにする貴族も少なくはないだろう。
 リィンは猟兵としては珍しく英雄視されるほどの人気を持つ一方で、敵も多い。
 ただの猟兵団の枠に収まらない一国の軍事力に匹敵もしくは凌駕する彼等の力を危険視する声もある。
 今回の過剰とも言える要求は、そうした者たちに敢えて攻撃の材料を与えるようなものだった。

 エリゼやアルフィンはリィンの不利になるような情報を漏らすことはないだろう。
 だが、ミュゼは違う。あの様子から言って、信用など微塵もされてないことはミュゼも理解していた。
 普通は信用の置けない相手に弱味を見せるような真似は控えるはずだ。それだけにリィンの真意が読めない。
 本気で百億ミラもの大金を欲しているのかさえ、怪しい。リィンが金に困っているという話は一切聞かないからだ。
 むしろアルカンシェルに多額の融資をしたり、機甲兵をラインフォルトから購入したりと羽振りの良い話が多い。ルバーチェ商会を傘下に加え、クロスベルだけでなく帝国や共和国にも商売の手を広げているとの話も聞こえてくる。無理をしてまで、大金を欲する理由がないのだ。

「それで、どうするつもりなのだ?」

 そんなミュゼの心情を見抜くようにクツクツと笑いながら、そう尋ねるオーレリア。
 不満げな表情を浮かべながらも、ミュゼは自分が試されていることに気付いていた。
 オーレリアにではない。リィンにだ。
 上手く行けば、リィンを味方に付けることが出来るはずだ。
 しかし失敗すれば、完全にリィンとの繋がりが断たれるとミュゼは考えていた。
 慎重になるのも当然だった。しかし、そんな風に難しい顔で悩むミュゼを見て、

「もっと単純に考えてみてはどうだ?」
「……単純にですか?」

 オーレリアは助言めいた言葉を贈る。
 そう言えば、とリィンに言われたことをミュゼは思い出す。

 ――お前が考えているより、もっと世界は単純に出来ていると言うことだ。

 あの時は意味が分からなかったが、エリゼから話を聞いて一連の流れを振り返ってみると浮かんでくる答えがある。
 それはリィンとの交渉に臨むなかで、ミュゼが一番最初に切った考えだった。
 なのに、いまはそれが正解に最も近いように思え、

「覚悟を試されている……そういうことでしょうか?」
「言ったであろう? 認められたくば、まずは器≠示すことだ」

 最初からリィンとの接し方を誤っていたことに、ミュゼは気付かされるのだった。


  ◆


 クロスベルの繁華街にルバーチェ商会が経営する一軒の高級クラブがある。
 店の名は、ノイエ・ブラン。二年ほど前、とある事件でルバーチェ商会が一斉検挙された後、帝国政府から報酬の一部として譲り受けた〈赤い星座〉が一時拠点に使っていたのだが、リィンがシグムントと話を付けて譲り受けたのだ。
 そんな高級クラブに足を運ぶ金持ちの中でも、一部の限られた人物しか利用することの出来ないVIPルームがあった。
 赤い絨毯に天井にはシャンデリア。趣のある見事な意匠をあしらった調度品が並ぶその豪奢な部屋で、二人の男が向かい合っていた。
 一人はルバーチェ商会の若頭、ガルシア・ロッシ。嘗て〈西風の旅団〉に所属していたこともある元猟兵だ。
 そして、ガルシアと同じ〈西風の旅団〉に所属していた猟兵――いまは〈暁の旅団〉を率いるリィン・クラウゼルの姿があった。

「久し振りに顔をだしたかと思えば……今度は何をやらかすつもりだ?」

 手元のファイルに一通り目を通すと、呆れた口調で溜め息を交えながらガルシアはリィンに尋ねる。
 突然ノイエ・ブランにやってきたと思えば呼びつけられ、商談があるとリィンに話を持ち掛けられたのだ。
 ガルシアの手元にあるファイルには、ルバーチェ商会を使って集めて欲しいとリィンが頼んだ物資のリストが載っていた。
 彼が訝しむのも無理はない。仕事で扱う物資の調達にきたのかと思って手渡されたリストに目を通せば、そこに書かれていたのは一つの猟兵団で消費しきれるような量の物資ではなかったからだ。
 しかも、注文の内容は多岐に渡る。食糧や弾薬だけでなく生活に必要なものから工業用のオーブメントまで、リストには建築に用いる資材なども含まれていた。
 街を一つ造る気かと尋ねたくなるような注文の内容だ。ルバーチェ商会とて、簡単に揃えられるような内容ではない。

「何、悪いことをしようと言う訳じゃない。ちょっとした慈善事業を手伝うことになってな。こうして必要な物資を調達するために奔走してるって訳だ」

 リィンのことを幼い頃からよく知るガルシアからすれば、これほど胡散臭い話はないと訝しむ。
 故郷のために猟兵をしている〈北の猟兵〉であるまいし、慈善事業などと猟兵にとって百パーセント縁の無い話だ。
 なんのメリットもなく、リィンが他者に施しをするような人間でないことをガルシアはよく知っていた。

「昔から食えない小僧だったが、団長に似てきたんじゃねえか?」
「失礼なことを言うな。あんな非常識の塊と一緒にされても困る」

 ガルシアが、いまも『団長』と呼ぶ人物は一人しかいない。
 リィンとフィーの養父にして〈西風の旅団〉の団長、いまは亡きルトガー・クラウゼルだ。
 育ての親と似てきたと言われて、リィンは心の底から微妙な表情を浮かべ、はっきりと反論する。
 ルトガーの強さに憧れているのは確かだ。それを目標に腕を磨いてきたのだから――
 だが、性格までルトガーを真似るつもりはなかった。
 最近はヴァルカンやフィーにもよく言われるが、冗談がきついと言うのがリィンの本音だ。

「それで、用意できそうなのか?」
「……いますぐには無理だな」

 貿易と金融で栄え、魔都と呼ばれるほどに大量の人と物が溢れるクロスベルだが、それでも今は厳しい状況にあるとガルシアは語る。
 街の復興が徐々に進んできていると言っても、まだあの事件から三ヶ月しか経っていない。
 住む場所を失って避難所生活を続けている人も多く、建物を造るための資材も足りていない状況だ。
 街一つ分を賄うだけの食糧や資材を調達するのは、現状では困難と言わざるを得なかった。
 だが、そう言われるであろうことはリィンもわかっていた。アリサにも相談をして、同じようなことを言われたからだ。

「第一、これだけの物≠集めて人≠ヘどうするつもりだ?」

 リィンが何をするつもりかは分からないが、何処かに運び込むにしてもカレイジャス一隻だけでは難しいだろうとガルシアは考える。
 物だけでなく、いまのクロスベルは人も足りていない。クロスベルが独立を宣言した際、戦火に巻き込まれるのを恐れて出稼ぎにきていた労働者の多くが故郷に帰ってしまい、労働力が不足しているのだ。
 この街に最後まで残っていたのはクロスベルで生まれ育った者や、他に行き場のない者たちばかりだ。
 少しずつ人が戻ってきているとはいえ、宿泊施設が足りていない状況では余り多くの労働者を呼び込めないという事情があった。

 それでも、どうにか街の復興が進んでいるのは、機甲兵のお陰だった。
 内戦時に貴族連合によって大量に製造され、帝国政府が持て余している機甲兵の一部をアルフィンが仲介することでクロスベル政府が買い取り、瓦礫の撤去や資材の運搬と言った作業に使用しているのだ。
 主にクロスベルが買い取ったのは、一般兵向けに大量生産された〈ドラッケン〉と呼ばれる旧式の機体だが、不足している労働力の代わりに使用するには十分だった。
 クロスベルでさえ、この状態なのだ。
 リィンが何をしようとしているかまでは分からないが、大量の物資を集めても人がいなければ何も出来ないだろうとガルシアは尋ね――
 ふと、何かを思いだしたかのように逡巡する。そして双眸を細め、リィンの真意を探るかのように尋ねた。

「北の猟兵を――いや、ノーザンブリアそのものを取り込む気か?」

 そう考えれば、リィンの不可解な行動にも理解は出来る。
 問題は大量の物と人を集めて何をしようとしているかだが、ノーザンブリアの経済を建て直すことではないとガルシアは見ていた。
 既にノーザンブリアは末期の症状に入っている。投資をしたとしても回収できる見込みはないからだ。

「さすがに察しが良いな。親父の受けた恩を、息子の俺が返すのは当然だろ?」
「……本気で言ってるのか? そんな優しい性格じゃねえだろ」

 確かに〈北の猟兵〉を立ち上げたバレスタイン大佐に〈西風の旅団〉は借りがある。
 猟兵王の名を継ぐ者として、リィンが養父の受けた恩を返そうとする気持ちは理解できるが、情だけで動くとは思えなかった。
 団を巻き込む以上は、理由が必要だ。ノーザンブリアを取り込むことがリィンにとって、メリットとならなければ意味がない。

「まさか、戦争を起こすつもりじゃねえだろうな?」

 そう言って、ガルシアはリィンを睨み付けながら尋ねる。
 アルフィンを御旗に立てれば、再び帝国を二つに割り、内戦を引き起こすのは難いことではないと考えたからだ。
 ノーザンブリアへの侵攻の話が今頃になって浮上してくるのは、結局のところ帝国政府が貴族たちを御し切れていないからだ。
 それは年若いセドリックに、ユーゲント三世ほどの求心力がないことを物語っていた。
 オリヴァルトも〈鉄血宰相〉の代わりと言うには余りに年若く、政務の実績と経験が不足している。
 貴族たちに甘く見られるのも当然と言えば、当然だった。
 そうしたこともあって、アルフィンを皇帝に推す声もあったのだ。

 実際、内戦終結の陰の立役者と言えば、皇帝となったセドリックよりもアルフィンの名が先に挙がるだろう。
 内戦を終結に導いた行動力も然ることながら、反抗的な貴族たちを問答無用で粛清する徹底振りは一部の将官から高い評価を得ていた。
 殺すことを躊躇い見逃せば、今度は別の誰かが傷つけられるかもしれない。なら、禍根を断つしかない。それは内戦を通して、アルフィンがリィンから学び取ったことだ。
 笑顔の裏に隠された冷徹な一面は、それまでアルフィンのことを箱入り娘≠セとバカにしていた貴族たちを震え上がらせた。
 クロスベル総督への就任に貴族たちが異議を唱えなかったのはアルフィンを恐れ、帝都から遠ざけたかったからだ。
 ガルシアもアルフィンと一度顔を合わせたことがあるが、ただの世間知らずのお姫様だとは思っていなかった。
 自分のなかの優先順位がはっきりとしている者ほど、敵に回すと厄介な相手はいない。
 普通の人間なら情にほだされて判断を誤るような場面でも、そうした相手は油断なく最善の一手を打ってくるからだ。
 帝国がリィンの敵となれば、アルフィンは確実にリィンの味方につく。
 そうなったら〈暁の旅団〉の傘下にあるルバーチェ商会も確実に巻き込まれる。
 俺を面倒事に巻き込むなと言った意志を込めて、ガルシアがリィンを睨み付けるのは当然だった。

「シャーリィじゃあるまいし、こっちから仕掛けるつもりはないさ」

 そのシャーリィが〈暁の旅団〉にいるだけに、今一つ信用ならないと言った訝しげな目でリィンを見るガルシア。
 そもそもノーザンブリアの件をどうにかしようと動けば、帝国と一悶着が起きることは確実なのだ。
 暁の旅団は帝国貴族に恐れられている。リィンがノーザンブリアの味方をすれば波紋を呼ぶことは間違いないが、少なくともバラッド候は易々と引かないだろう。
 扱いを間違えれば、内戦を再び引き起こすことにもなりかねない。リィンにその気がなくとも、戦争が起きる可能性はあると言うことだ。
 いや、このまま行けば、かなりの確率でそうなるとガルシアは見ていた。

「巻き込むなというのは無理な話だが、そういうのが嫌になって猟兵を辞めたアンタを戦場≠ノ引っ張り出すつもりはないから、いまはそれで納得してくれ」
「……ちッ」

 不満げな表情を浮かべるガルシアに睨まれながら、リィンは肩をすくめる。
 本当のことをすべて話した訳では無いが、嘘を吐いている訳でも無い。
 ルバーチェ商会に期待しているのは、あくまで商会≠ニしての役割だ。
 ガルシアの不興を買うような真似を、リィンは態々するつもりはなかった。

「で? どのくらいの時間があれば用意できる?」
「さっきも言ったが、ここではどうやったって調達するのは無理だ。となると、あるところから引っ張ってくるしかないわけだが……」

 クロスベルで不足している物資もあるところにはある。実際、クロスベルも他国から多くの物を輸入しているのだ。
 その最たる取り引き先が、帝国と共和国だ。
 あちらの商会と貿易をすれば、ある程度の時間は掛かるだろうが手に入らないこともない。
 だが、これだけの物資を買い付けるとなると確実に情報が漏れる。下手な勘ぐりをする者も現れるだろう。

「お前、まさか……」

 何も答えずに笑みを浮かべるリィンを見て、悟らせることが狙いなのだとガルシアは気付く。
 物資が必要なのは間違いないだろうが、それだけでなく餌に食いついた魚を釣り上げるつもりでいると言うことだ。
 暁の旅団が戦争≠フ準備をしている。そう、相手に思わせることが狙いなのだとガルシアはリィンの考えを察する。

「……まあ、やるだけやってみるが、ミラの方は大丈夫なのか?」

 これだけのものを揃えるとなると、億単位の金が動くとガルシアは見積もっていた。
 商売である以上、そこだけは譲るつもりはないとガルシアはリィンに確認を取る。

「たぶん大丈夫だ。スポンサーを探そうと思っていたところで、あっちから食いついてきたからな」

 そう言ってほくそ笑むリィンを見て、「やっぱり団長の息子だ」とガルシアは心底呆れた様子で溜め息を吐くのだった。



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