「オーレリアやヴィータがここにいるのは理解できる。だが――」
約束の時間にアルフィンの執務室へ向かうと、そこには既にミュゼの姿があった。
ソファーで寛ぐミュゼの傍らには、オーレリアとヴィータが並んで立っている。
そんな二人を一瞥しながら、リィンはカップに紅茶を注ぐメイドに目を向ける。
「なんで、お前がいるんだ?」
メイドの名はシャロン・クルーガー。
ラインフォルト家に仕えるメイドにして〈死線〉の異名を持つ〈結社〉の執行者だ。
部外者がどうしてここにいる、と言った意味合いでリィンは尋ねたつもりなのだが、
「メイドたるものご主人様≠フ傍に控えるのは当然のことですから」
「ご主人様? 誰のことだ?」
「勿論、リィン様のことですわ」
身に覚えの無いことを言われて、リィンは眉をひそめる。
そのようなことを過去に言われた記憶が無い訳では無いが、認めたつもりはなかったからだ。
「俺はまったく了承した記憶はないんだが……」
「いつかはアリサお嬢様と結ばれるのですから、わたくしがリィン様のモノ≠ニなるのも時間の問題でしかありませんわ。それとも、お嬢様との関係は遊びだったとでも?」
「いや、遊びも何もアリサとは、まだそういう関係じゃ……」
「まだ、ですか」
痛いところを突かれて、顔をしかめるリィン。
アリサの好意に気付かないほどリィンは鈍くないが、アリサはああ言う性格だ。エリィのように自分から素直になるというのは難しい。
そんなアリサを見かねたシャロンが何を自分に期待しているのか、分からないリィンではなかった。
だが、ここでするような話ではない。シャロンが話を逸らそうとしていることを察して、リィンは尋ねる。
「一つ聞かせろ。ここにいるのは〈結社〉の執行者クルーガーか? それともラインフォルトのメイドのシャロンか?」
「……どちらでもありません。わたくしは先程も言ったように、ご主人様のメイドとしてここにいます」
じっと見つめ合うこと十数秒。少なくとも嘘は吐いていないように思える。
結社の執行者やラインフォルト家のメイドという立場よりも――
ここではアリサのメイドである立場を優先すると彼女は言っているのだとリィンは理解した。
「悪かったな。時間を取らせて」
「いえ、面白……こちらのことは、どうぞお気になさらず。ですが、よろしいのですか?」
一瞬、本音が漏れそうになったミュゼを半目で睨み返しながらも、リィンは半ば諦めた様子で溜め息を漏らす。
ミュゼの言っていることは分からないでもなかったからだ。
これからここでする話を、シャロンに聞かせてもいいのかと聞いているのだ。
だが、ヴィータがいる時点で〈結社〉に関しては、まったく情報が漏れないとリィンは思っていない。
今回のことをヴィータが率先して組織に報告するとは思っていないが、盟主に問われれば話は別だと考えているからだ。
となると、残る問題はラインフォルトの方だが、これも恐らくは心配ないとリィンは見ていた。
「少なくとも、俺はこいつがアリサを裏切るとは思っていない」
アリサの名前をだしたのだ。
その上で騙すような真似はしないと、その程度にはリィンはシャロンのことを信用していた。
それに今回の行動。どこか彼女らしくないとリィンは感じていた。
アリサから頼まれたのならともかく、自分から厄介事に首を突っ込むというのは珍しい。
シャロンがこの一件に拘る理由。考えられるとすれば〈黒の工房〉に関することしかなかった。
(どういうつもりかは知らないが、丁度良い機会だ)
ラインフォルトに戻るか、暁の旅団に残るか、アリサがまだ迷っていることにリィンは気付いていた。
だが、どのような選択をするにせよ、リィンはアリサの決断を尊重するつもりでいる。
問題はアリサが答えをだした時、シャロンがどういう立ち位置≠取るつもりなのか?
リィンは以前から、そのことが気になっていた。
シャロンの意志を確かめる意味でも、丁度良い機会だとリィンは考える。
この先もアリサのメイドであり続けると言うのなら何も問題はない。
だが、もしシャロンがアリサの傍を離れ、別の道を歩むというのならその時は――
「責任は俺が取る」
そう話すリィンに、ミュゼは納得した様子で頷く。
どういうつもりでリィンがその言葉を口にしたかを察したからだ。
「状況は既に察していると判断して、話をさせて頂いても?」
「ああ、ノーザンブリアの件に〈黒の工房〉か関わっていることは聞いた。依頼の内容も、それ絡みなんだろ?」
リィンの傍らに立つローゼリアとアルティナを見て、大凡の事情は聞いていると判断してミュゼは尋ねる。
そんなミュゼの問いに頷きながら答えるリィン。そもそも、この会談は非公式なものだ。アルフィンに場所を借りたのも、出来る限り人目を避けて相談を行うためだった。
会談の場所はカレイジャスでもよかったのだが、女学院の生徒が猟兵団の船を訪ねるのは些か目立ち過ぎる。だが、同じ女学院に通う後輩のミュゼがアルフィンを訪ねるのは何もおかしなことではない。リィンもアルフィンとの関係は周知の事実なので、このフロアにいるところを誰かに見られても変に思われることはない。人目を気にせずに秘密の話をするには、ここが打って付けの場所だったと言う訳だ。
だが、基本的にこの部屋はアルフィンやエリゼしか利用することはないとはいえ、手短かに話を済ませられるなら、それに越した事は無かった。
「では、率直に――獲物を誘い出す餌≠ノなって頂けますか?」
そんなリィンの意図を察して、ミュゼはストレートに目的から切り出すのだった。
◆
「餌ね。俺を使って〈黒の工房〉を表に引き摺り出すつもりか?」
「はい。大叔父様の狙いを外すのは難しくありません。ですが、それでは彼等も表に出て来ないでしょうから……」
バラッド候の思惑を潰すことは造作もないと語るミュゼに、リィンは納得した様子で頷く。
バラッド候に直接会ったことはないが、典型的な帝国貴族だと言うことは伝わってくる噂や情報からも察せられる。
その程度の相手に、ミュゼが手こずるとは思えない。
ミュゼが慎重に動いている理由。それは〈黒の工房〉の動きを警戒してのことだと言うのは簡単に察せられた。
だが、
「用心深い連中だ。そう、こちらの思惑通りに動いてくれると思うか?」
「百億ミラもする餌なのですから、引っ掛かってもらわないと困るのですが……」
溜め息を交えながら冗談めかすミュゼに、リィンは顔をしかめる。
先日の意趣返しと言うのは、聞き返すまでもなく明らかだったからだ。
「冗談です。ですが、罠と知っていても動かざるを得ない。それはあちら≠燗ッじだと思います」
少なくとも条件は同じだとミュゼは話す。
黒の工房の目的がヴァリマールにあるのだとすれば、リィンが出て行けば彼等は動かざるを得ない。
ミュゼの言うことにも一理あるとリィンは認める。
「ミュゼ。いや、ミルディ――」
「ミュゼでお願いします」
ミルディーヌと言い直そうとしたところで、ミュゼと呼んで欲しいと言われてリィンは怪訝な顔を浮かべる。
依頼人の要望には出来る限り応えたいと思うが、何か嫌な予感を覚えたからだ。
とはいえ、関係を悪くしてまで拘るようなことではない。
ミュゼがそう望むならとリィンは頷き、尋ねる。
「ミュゼ。仕事の内容を確認するが、俺たちに求めているのは護衛≠ナはなく囮≠ニ言うことでいいんだな?」
「はい。ただ、彼等の奥の手が分からないので、そちらの対応もお任せしたいと思うのですが……」
戦力として期待されているのは予想していたが、やはりそういうことかとリィンはミュゼの思惑を読む。
そもそもオーレリアが味方にいる時点で、大抵の相手はどうにかなる。
なのに猟兵に依頼をすると言うことは、オーレリアでも厳しい相手が出て来る可能性を想定していると言うことだ。
そう考えたリィンは、ミュゼの後ろに控えるヴィータに尋ねる。
「〈蒼の深淵〉としての意見を聞かせてくれ。巨神のようなものが、また出て来ると思うか?」
「……分からないわ。でも、まだ所在が明らかになっていない騎神のことを考えると、可能性がゼロとは言えないわね」
七体の騎神の内〈灰〉と〈緋〉――そして〈蒼〉の存在は明らかとなっているが、残りの四体は所在が不明なままだ。
口振りからしてヴィータは、その内の何体かが〈黒の工房〉の味方についている可能性が高いと見ているのだろう。
リィンもその可能性は疑っていた。だが、
(オーレリアなら騎神の一体や二体、どうにかしそうではあるんだがな……)
機甲兵は騎神を模して造られた量産機と言ったところだが、結局は乗り手次第だ。
並の相手なら騎神に乗っていようと、オーレリアが負けるところを想像できない。
もしオーレリアでもどうしようもない相手がいるとすれば、それは――
(アリアンロードのような最強クラスの実力者が、騎神の起動者である場合か……)
その場合、ヴァリマールでも手こずるかもしれないとリィンは考える。
最悪のケースは想定して然るべきだが、まだヴィータは何かを隠しているとリィンは見ていた。
ひょっとしたら、他の騎神について――そうした実力者に心当たりがあるのかもしれない。
「分かった。そっちの対応はこっちでやろう。報酬分の働きはさせてもらうさ」
とはいえ、聞いたところで素直に話してはくれないだろう。
それに上手く行けば、新たに騎神を確保できるかもしれないと計算を働かせ、リィンはミュゼの要望を呑む。
手に入れたところで適性を持つ起動者でなければ動かせない代物だが、あって困るものでもない。
もしかしたら団の誰かが適性に目覚めるかもしれないし、研究用のサンプルは多いに越したことはないからだ。
「よろしくお願いします」
そんなリィンの思惑を察しつつも、ミュゼは鹵獲した騎神の所有権に関しては交渉するつもりはなかった。
騎神を手に入れれば、帝国政府や教会の介入が予想される。厄介事を抱えることになるのは確実だ。
いまの公爵家にそうした外部の圧力をはね除け、騎神を守り通せるだけの力はない。
無理をすれば可能だろうが、そんなことをしても得られるものは少ない。なら、リィンに任せて置くのが無難だ。
暁の旅団が騎神を手に入れても騒ぐ輩は当然でてくるだろうが、力尽くで彼等から騎神を取り上げられる者などいないのだから――
(むしろ、ここは協力して恩を売っておくのが正解ですね)
面倒事を労せずに押しつけ、更には協力することで恩を売れるのだ。
上手く立ち回る方法を模索しつつ、ミュゼは友好的な笑みを浮かべる。
だが、そんなミュゼの考えを察してか、
「……また、何か悪巧みをしてないか?」
訝しげな表情で尋ねるリィン。
すると「信用して頂けないのですか?」と、しくしく泣き真似をするミュゼを見て――
依頼を受けると決めたのは早計だったかもしれないと、いまになってリィンは少し後悔をするのだった。
◆
「作戦については後日詰めるとして、先に情報を交換しておかないか?」
依頼の内容について確認したところで、そう言って話を切り出すリィン。
リィンがローゼリアとアルティナを同席させたのは、この話をするためだった。
この場にいる全員が、なんらかのカタチで〈黒の工房〉と関わっている。
恐らくはシャロンも〈結社〉の執行者と言うだけでなく、何か個人的な繋がりがあるのだろうと予想できる。
だが、肝心の〈黒の工房〉の実体については、ほとんど何もわかっていないのが現状だ。
わかっていることと言えば、地精が造った組織だと言うこと――
そして、彼等は至宝を女神より託された一族で、巨イナル一と呼ばれる力を完成させるのを目的としていることくらいだ。
本拠地の場所どころか、組織の構成員の名前や顔すら何もわかっていなかった。
正直、いままでに対峙したどんな相手よりも厄介な存在だとリィンは認識していた。
ミュゼと手を組むと決めたのも、それが理由の一つにあった。
彼女の背後にオーレリアとヴィータがいることは察していたからだ。
「……こちらの情報を渡せば、そちらも知っていることを話して頂けると考えても?」
「当然だ。だから、この二人を連れてきた。アルティナの方は記憶を消されていて、ほとんど何も覚えてないそうだが……」
ローゼリアほどの知識はないが、記憶がないとは言ってもアルティナは〈黒の工房〉で造られたホムンクルスだ。
覚えていなくとも話を聞けば、何か思い出すかもしれない。
いまは一つでも手掛かりが欲しい。それがリィンの本音だ。その点で言えば、ミュゼもリィンと同じ考えだった。
黒の工房は余りに得体が知れなさすぎる。どれほどミュゼが知略に優れていても、指標となる情報がなければ策を練ることも出来ない。
手札を明かすメリットとデメリットを瞬時に計算して、リィンの提案に頷くミュゼ。
そして、脇に置いたポシェットの中から一枚の写真を取りだし、それをリィンたちに見えるようにテーブルの上に置く。
その写真には、古ぼけたコートを羽織った四十半ばと思しき白髪の男性が写っていた。
「……何者だ?」
「フランツ・ルーグマン教授。二ヶ月ほど前から帝都にある大叔父様の別宅を何度も出入りしているところが確認されています。帝国学術院の教授を名乗っているそうですが……」
「話の流れから察するに偽名ってことか?」
「いえ、実在する人物です。ですが、その名前の人物は九年前に事故で亡くなっています」
そう言って、チラリとシャロンを一瞥するミュゼの視線に気付き、リィンは何か引っ掛かるものを感じる。
九年前の事故。そして、どこか聞き覚えのある名前。それは――
まさか、と何かに気付いた様子でリィンが目を瞠った、その時だった。
「ルーグマンは旧姓です。現在の名前は、フランツ・ラインフォルト」
ミュゼの口からでた名前。それは九年前の事故で死亡したとされるアリサの父親の名前だった。
何も答えずに目を伏せるシャロンを見て、彼女がこの場への同席を望んだ理由をリィンは察する。
そして、
「なるほどの。黒≠ヘ今、フランツと名乗っておるのか」
じっと写真を眺めていたローゼリアがそう口にすると、一斉に皆の視線が彼女に集まる。
自分に視線が向けられていることに気付いたローゼリアは肩をすくめ、
「黒き終焉のアルベリヒ。通称〈黒のアルベリヒ〉とも呼ばれている地精の長≠カゃよ」
写真に写っている男の正体を明かすのだった。
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