「黒のアルベリヒ? そいつが〈黒の工房〉のトップなのか?」
うむ、とリィンの問いに頷くローゼリア。
そんな彼女から、千年以上も昔から地精の長は変わらず〈黒のアルベリヒ〉が担っているという話を聞かされたリィンは、
「……お前、実際のところは幾つなんだ?」
「レディに歳を聞くのは失礼じゃぞ? まあ、確かに少々歳を食っておるが……」
ローゼリアの年齢が気になって尋ねるも、はぐらかされてしまう。
話の流れから察するに少々という年齢でないのは明らかだ。しかし、リィンは追及を諦める。
女性の過去や年齢を根掘り葉掘り聞くと言うことが、どれほど危険かと言うことを嫌と言うほど理解しているからだった。
思考を切り替えるリィン。ローゼリアのことは取り敢えず置いておくとして、問題はアルベリヒの方だった。
「地精の長も不老不死なのか?」
最近、妙に不死者と縁があるなと考えながらリィンは尋ねる。
そんなリィンの反応に違和感を覚えて、逆にローゼリアは質問を返す。
「ヌシは不老不死≠ニ聞いて、何か思うところはないのか?」
不老不死と言えば、数多の権力者たちが求め続けてきた人類の見果てぬ夢と言っていい。
何百年も生きていると聞けば大抵の者は恐れ、化け物扱いする。ローゼリアも過去に幾度となく人間に迫害され、時には不老不死の秘密を探ろうと執拗に狙われたこともあった。
なのにリィンは違った。不老不死と聞いても、まったくと言って良いほど驚いている様子はない。
二百年前の事件を題材とした小説〈赤い月のロゼ〉のモデルとなった吸血鬼だと気付いた時も、特に気にしている様子はなかった。
そのことが、ローゼリアはずっと引っ掛かっていたのだ。
「便利だなとは思うが、それだけだな。不死者の知り合いは多いし、たぶん俺もそうだしな」
「……え?」
ローゼリアではなくミュゼの口から驚きに似た声が漏れる。
リィンが凄腕の猟兵だと言うことは知っていたが、まさか不死者だとは聞いていなかったためだ。
「……リィン団長も、何百年も生きているのですか?」
「そんな訳ないだろ。俺はまだ十九だ」
恐る恐ると言った様子で尋ねるも、常識的な答えが返ってきたことで、ミュゼはほっと安堵の息を吐く。
しかし、そうするとさっきの話はどういうことなのかと尋ねるような視線を向けてくるミュゼに、
「戦いの中で元々あった異能力が覚醒してな」
その影響で今は人間を半分やめている、とリィンは説明する。
感覚的なものなので、はっきりとしたことは言えないが、少なくとも不老≠ノなったのは間違いないとリィンは自分の身に起きた変化を把握していた。
「どうして、そのことを私に?」
「長い付き合いになりそうだからな。それに人を見る目はあるつもりだ」
不老不死のことが知れれば面倒な輩が寄ってくる危険は確かにあるが、当然のリスクだとリィンは割り切っていた。
人間であれば肉体の衰えは何れ訪れる。しかし、歳を食わないと言うことは常に全盛期の力を発揮できるということだ。
フィーの言うように猟兵を続けていくのであれば、便利な身体であることに変わりは無い。
なら、多少のリスクには目を瞑るべきだろうというのがリィンの考えだった。
「それに今更、狙われる理由が一つや二つ増えたところで、何も変わらないだろ?」
こんな仕事をしている時点で、敵が多いことをリィンは自覚している。
教会には〈王者の法〉のことも知られているし、騎神だって〈黒の工房〉のように狙っている連中がまだ大勢いる。
しかも、女神の捜索やエタニアの件など、他にも隠していることは山ほどある。
一つや二つ狙われる理由が増えたところで、いま置かれている状況が特に変わるわけでもない。
それに今は良いが、十年、二十年と経てば気付く輩も出て来るだろう。
そうした連中を警戒して、密やかに生きるつもりなどリィンになかった。
「世界が俺たちを恐れ、敵になると言うのなら――」
その時は戦うだけだ、と淡々と告げるリィンに気圧され、ミュゼは息を呑む。
秘密を知ったところで、脅しや交渉の材料にはならないと警告されているのだと察したからだ。
第一、言える訳がない。それが切っ掛けで〈暁の旅団〉が世界の敵に回るなど、悪夢でしかないからだ。
ましてや、それが原因で〈結社〉と共闘でもされたら、本当に世界は終わってしまうかもしれない。
まさにギリアス・オズボーンが為そうとした大崩壊の再来を予見させる最悪の流れだ。
世界崩壊の引き金を引くつもりなど、ミュゼには微塵もなかった。
そんな複雑な表情を浮かべるミュゼを見て、オーレリアは苦笑を漏らしながら会話に割って入る。
「フフッ、そう脅してやるな」
「脅すも何も、本当のことしか言ってないんだがな」
冗談でない分、余計にたちが悪いとミュゼはリィンを半目で睨み付ける。
そんなミュゼの視線に気付き、肩をすくめるリィン。
釘を刺すつもりがなかったと言えば嘘になるが、どちらかと言うと――
(かなり腹黒いところはあるみたいだが、あのエセ眼鏡よりは信用≠ナきる)
何度か試すような真似をしたが、ビジネスパートナーとするのであれば悪くない相手だと思う程度には、リィンはミュゼのことを信用していた。
こういうタイプは警戒して距離を置くよりは、いっそのこと懐に入れてしまった方がいい。
長い付き合いになると口にした言葉に嘘はなかった。
だから敢えて秘密を握らせることで、仲間――共犯≠ノ仕立てようとしたのだ。
「……まだ、何か?」
「いや、可愛いところもあるんだな、と思ってな」
不意を突かれ、頬を紅く染めるミュゼ。
男女の会話という点では、リィンの方が上手だった。
一方で、
「不埒です……」
そんなアルティナの呟きを、リィンは頬を掻きながら聞き流すのだった。
◆
あれから一通りの情報交換を終えたリィンはミュゼたちを見送り、そのまま執務室でアルフィンやエリゼの帰りを待っていた。
一緒にでたのでは怪しまれると言うのも理由の一つにあるが、アルフィンとも話しておきたいことがあったからだ。
それに――
(まさか、アリサの親父さんがそうだったとはな……)
カレイジャスに戻る前に、少し整理しておきたい話もあった。そう、アルベリヒの件だ。
ローゼリアの話によると、アルベリヒは単純な不老不死ではないと分かった。
なら、どうやって千年もの月日を生きているかと言えば、クロイス家がホムンクルスの技術を用いることで記憶と知識を子孫に転写し続け来たのに対して、アルベリヒは一族のなかで最も適合する人間に自身の精神を宿らせることで転生を繰り返してきたという話だった。
ベルは記憶と知識を受け継いではいるもののクロイス家の祖先とは別の存在だ。
だが、アルベリヒは違う。精神――魂だけの存在となることで老いた身体を捨て、若い身体に乗り移ると言った行為を繰り返すことで千年以上もの歳月を生きながらえてきた存在だ。
そうしたローゼリアの話を聞き、リィンの頭を真っ先に過ぎったのはサライとウーラのことだった。
厳密には少し違うのかもしれないが、一つの肉体に二つの精神が宿っていると言う意味では近い存在と言える。
『彼奴を捕らえたり、殺すのは普通の方法では不可能じゃ。精神を封じ込めるか、消滅させるしかない』
ローゼリアはそう言っていたが、殺す方法がないわけではない。
グングニルを使えば、アルベリヒを消滅させられる可能性は高いとリィンは見ていた。
しかし、問題が一つある。アルベリヒはそれでどうにかなるとして、フランツをどうするかが問題だ。
グングニルを使えば、実体のない精神だけの存在を消滅させることは不可能ではないが、都合良くアルベリヒの魂だけを狙えるような技ではない。最悪、フランツごとアルベリヒを消滅させることになるだろう。
ローゼリアの話が事実なら、フランツは最初から〈黒の工房〉の一員だったと言うことになる。
納得の上でアルベリヒの精神を受け入れたのかまでは分からないが、〈黒の工房〉に所属している時点で同罪と言っていい。
殺すことに躊躇いはないが、どんな過去を持っていようとフランツがアリサの父親であることに変わりは無い。
この事実を知り、父親が生きていると聞けばアリサのことだ。きっと助けようとするだろう。
「ロゼ、アルティナ。悪いが少し席を外してくれるか?」
リィンの頼みに意図を察して、無言で頷くローゼリアとアルティナ。
アルティナと共に部屋を出て行こうとして、ふとローゼリアは小遣いを強請るように手の平をリィンに差し出す。
「はあ……お前、金を持ってなかったのか?」
「路銀なら既に使い果たした。それにただ≠ナ情報が貰えるとは、ヌシも思ってはおらぬであろう?」
しっかりしていると溜め息を吐きながらリィンは財布から紙幣を抜き、ローゼリアに握らせる。
「取り敢えず、前金だ。いまは手持ちがこれだけしかなくてな」
「……猟兵というのは、随分と儲かる商売なのじゃな」
ここまでに遣った路銀以上の金額を渡されて、目を丸くするローゼリア。
だが、正直これでも少なくくらいだとリィンは考えていた。
価値のある情報に相応の対価を求めるのは当然のことだ。
面倒事を押しつけられたとはいえ、ローゼリアが提供した情報には、それだけの価値≠ェあるとリィンは思っていた。
腕の良い情報屋――例えばレンなら、少なくとも七桁は要求してくるところだ。
財布の中身をすべて渡しても、まったく惜しいとリィンは思っていなかった。
そうして、ローゼリアとアルティナの気配が遠ざかっていくのを確認すると、
「さて、人払いも済んだところで、話を聞かせてもらおうか」
リィンは部屋の角に佇む一人のメイド――シャロンに鋭い双眸を向けるのだった。
◆
「灰の小僧のことが気になるようじゃの」
浮かない表情で何度も足を止めては後ろを気にするアルティナを見て、ローゼリアはクツクツと笑いながら声を掛ける。
「あのメイド。エマには及ばぬが、なかなか男が好む身体つきをしておるみたいだしの」
「……そんなことは心配していません」
下品なことを口にするローゼリアに反論しながらも、リィンならありえるかもと考えるアルティナ。
そして、何故か胸のあたりがムカムカとするのを感じて、ムッとした表情を見せる。
そんなアルティナを優しい表情で見守りながら、「若いのう」と年寄り染みた台詞を口にするローゼリア。
「よし、妾が好きなものを奢ってやる!」
基本的にローゼリアは浮き世離れしていて、私生活がだらしないところがある。
この場にエマがいれば「無駄遣いはいけません」と叱り付けているところだ。
しかし、お目付役の口うるさい孫はいない。なら、ローゼリアの取るべき行動は決まっていた。
「何が食べたいのじゃ? 子供が遠慮することはない。なんでも奢ってやるぞ」
リィンから受け取った紙幣を団扇のように広げて扇ぎながら、調子の良いことを口にするローゼリアにアルティナは胡乱げな目を向ける。
とはいえ、窓から外を眺めると、すっかりと空は茜色に染まっていた。
時間が時間なだけに、少しばかりお腹が空いているのも事実だ。
「姉さんたち≠呼んでもいいですか?」
「姉がおるのか? うむ、構わぬぞ」
ローゼリアの了承を確認して、姉妹に連絡を取るアルティナ。
この後、アルティナを除く八人の少女にも高級中華≠奢ることになり、ローゼリアは軽くなった財布に涙を流すことになるのだった。
◆
「珍しくもなんともない話です。リィン様からすれば退屈な……ありふれた話」
この世に不幸な人間の話など、数知れず転がっている。
猟兵のリィンに今更聞かせるような話ではないと、シャロンは思っていた。
それでも、
「ですが、リィン様の疑問を晴らすには、聞いて頂かなくてはなりません」
これからする話を聞いてもらわなければ、何も始めることが出来ない。
結社の執行者となり、ラインフォルト家のメイドとなるに至った経緯。
愛と献身を口にしながらも、その裏では償いきれない罪≠犯してしまった愚かな女の過去を――
「聞いてください。そして、わたくしを知ってください」
聞いて欲しい。
自分が本当はどういう人間かをリィンには知って欲しいと、シャロンは囁く。
だから――
「暗黒時代より続いてきた闇の暗殺組織〈月光木馬団〉」
そう口にすると目を伏せ、シャロンは覚悟を決めるように深く息を吐く。
そして、
「嘗て、その組織から〈死線〉の名を与えられた虚な少女≠フ物語を――」
ずっと秘密にしてきた自身の過去を語り始めるのだった。
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