「……アイゼングラーフ号か」
真っ赤な外観が特徴の帝国政府専用列車を、なんとも言えない複雑な表情で眺めるリィン。
鋼鉄の伯爵の名を持つように、先の異変で亡くなったギリアス・オズボーンの名にちなんでつけられた列車だ。
ギリアスたちが亡命する際にも利用され、一時はクロスベルに保管されていたのだが、クロスベルが帝国へ併合された際に帝国政府へ返却されたのだ。
この列車に乗るのは今日が初めてだが、リィンにとっては浅からぬ因縁のある列車だった。
「後ろの車両には、機甲兵も積んであるのか?」
「政府の列車ですから。いまはアストライア女学院の生徒も乗っていますし、いざと言う時の戦力は必要ですから」
出発の準備が進められている列車を外からリィンが眺めていると、ミュゼがタイミングを見計らっていたかのように声を掛けてきた。
いざと言う時というのは、恐らくバラッド候の襲撃を警戒しているのだろうとリィンは察する。
対立候補であるミュゼを始末するのが、次期カイエン公となるのに一番手っ取り早い方法ではあるからだ。
このような相続権を巡った貴族の争いは特に珍しい話ではなく、内乱へと発展するケースも少なくない。
リィンも仕事柄、貴族や企業に雇われ、こうした揉め事に首を突っ込んだことが過去に何度かあった。
その経験から言えば、襲撃はあるだろうとリィンも予想していた。
「荷物はそれだけでよろしいのですか?」
腰に二本のブレードライフルを下げてはいるもののリィンが肩に掛けているのは、小さなバッグが一つだけだ。
これから帝都へ向かうと言うのに、近くの公園へ散歩に出掛けてくると言わんばかりの身軽な格好に、ミュゼが疑問を口にするのは無理もなかった。
「男の荷物なんて、こんなもんだ。必要な物があれば、現地で調達すればいいしな」
実際には空間倉庫に必要な物は仕舞ってあるのだが、それを律儀に教える必要はない。
ミュゼとは利害が一致しているだけの協力関係に過ぎないのだ。
まだ完全に味方とは言えない以上、ユグドラシルのことは伏せておくべきだとリィンは考えていた。
咄嗟に反応できないのでは意味がないので最低限の装備はしているが、本来であればバッグも必要ないのだ。
手に持っているバッグには下着と日用品だけを入れており、これも〈ユグドラシル〉の機能を隠すためのカモフラージュだった。
そんなリィンの説明になんとなく腑に落ちないものを感じつつも、取り敢えずミュゼは納得した様子を見せる。
「見事な列車じゃのう。内装も豪華、椅子もフカフカじゃ。それに料理も美味い」
「それ、皆さんの昼食ですよ!? つまみ食いはやめてください!」
「なんと! バーカウンターもあるのか!?」
「ああ、もう! お酒を物色しないでください! ご自身の見た目を考えてください。見た目を!」
列車の中から子供のようにはしゃぐローゼリアを叱り付けるリーシャの声が聞こえてきて、リィンは額に手を当てて溜め息を漏らす。
アルカンシェルでの公演やクロスベルの守りもあるのでイオは置いてきたのだが、目の離せない子供がもう一人いたことを思い出してのことだ。
フィーはシャロンと共にアリサの護衛でルーレに、スカーレットには留守中の指揮を、ヴァルカンは部隊を引き連れてセイレン島へ――
そしてアルティナとOZシリーズには、ノーザンブリアの件に関する重要な仕事≠リィンは任せていた。
そのため、リィンと共に帝都へ同行するのは、ローゼリアを除くと〈暁の旅団〉からはリーシャ一人だ。
リーシャはシャーリィに次ぐ戦闘力を持ち、護衛としての能力も高い。何よりローゼリアのお目付役が一人は必要だった。
(リーシャには悪いが、頑張ってもらうしかないな……)
大きな子供(イリアのような)の相手に一番慣れているのはリーシャだ。
早々と諦めたリィンは、ローゼリアの世話をリーシャに丸投げすることを決めていた。
エマがいれば別かもしれないが、まだ帰ってきていない。魔女の暮らす集落は帝国南西部に広がるイストミア大森林の狭間に位置しているらしく、列車や飛行船を乗り継いでも往復一ヶ月余りは掛かる道程だ。どれだけ早くとも、まだ十日ほどはクロスベルに戻って来られないだろうと予想された。ローゼリアもそれを見越しているのだろう。
リィンと共に帝都へ赴くのは〈黒の工房〉の件だけでなく、エマと鉢合わせしないためだと容易に想像が出来る。
「なるほど……お姉様≠ェ別行動を取った理由が察せられた気がします」
お姉様と言うのは、恐らくヴィータのことだろう。
ミュゼの呟きを耳にしながら、厄介事が起きそうな予感をひしひしとリィンは感じるのだった。
◆
「……なんで、お前がここにいるんだ?」
と、リィンが尋ねる視線の先には、ノルンと同じ青い髪が特徴の小柄な少女の姿があった。
元特務支援課のメンバーにして、現在はエプスタイン財団・クロスベル支部の開発主任を任されているティオ・プラトーだ。
「ご挨拶ですね。帰還してから一度も挨拶に来ないで」
「……いろいろとやることがあったんだよ」
「フィーさんはきてくれましたよ? お土産持参で」
ティオの言葉に反論するも、フィーと比較されてリィンは唸る。
忙しかったのは本当のことだが、時間を作ろうと思えば作れたのだ。
そうしなかったのは、
「……いまのいままで忘れていましたね?」
核心を突かれて、リィンは反論の言葉を失う。
そんなリィンの反応を見て、すべてを察した様子で溜め息を吐くティオ。
とはいえ、大方そんなことだろうとは思っていたのだ。
そう言う意味では、余り驚きはなかった。
「もう、いいです。ロイドさんの件で的確なアドバイスを頂きましたし、今日のところは許してあげます」
確かに顔をださなかったのは少し薄情かもしれないが、ティオはエプスタイン財団の人間だ。
暁の旅団のメンバーでもなければ、リィンとの関係はあくまで協力者でしかない。
どうしてティオの許しが必要なのかと、リィンが疑問に思うのも当然だった。
しかし、
「例のデバイス、役に立っているみたいですね。アリサさんの頼みとはいえ、財団に内緒で協力するのは骨だったんですよ」
それだけで、ティオがなんのことを言っているのかリィンは察する。
ユグドラシルはアリサが以前から開発を進めていたシステムが使われているという話をリィンは聞いていた。
そのシステムの開発に手を貸していたのがティオだ。
「まあ、私が手を貸したのは、ソフトウェアの部分だけですけどね」
ティオが協力したのは、あくまでOSの開発に関してだ。
理法具のことやヒイロカネについて知っている訳では無い。
それでもアリサがどのようなものを作ろうとしているのか、察せられないティオではなかった。
だが、敢えてそのことを財団には報告せずに、ティオはアリサに協力したのだ。
ティオが危険な橋を渡っているということは、リィンにも察することが出来た。
確かにそういうことなら、先程の『許す』という発言の意味も理解できる。
しかし、
「……どういうつもりだ?」
そんな真似をしてティオにどんな得があるのか理解できず、リィンは尋ねる。
アリサとティオの個人的な取り引きに口を挟むつもりはないが、理法具の解析を依頼したのはリィンだ。
そのことでアリサがティオに何らかの対価を払ったのであれば、それは筋が違うと考えての問いだった。
「ご安心を。アリサさんには何も対価を求めていません」
「……何も?」
「はい。ラインフォルトからの依頼ではなくアリサさん個人のお願いと言うことでしたので、恐らくは〈暁の旅団〉絡みの話だろうと察せられましたし」
暁の旅団絡みの相談だと察していたからアリサには対価を求めなかった、とティオは答える。
それは裏を返せば、最初からリィンに貸しを作るつもりで、アリサに手を貸したと言うことだ。
話の流れから、リィンがそう受け取るのも無理はなかった。
「……何が望みだ?」
「何も? あなた方の協力がなければクロスベルを解放することは出来なかったでしょうから、これでも感謝しているんですよ?」
「あれはエリィとの契約だ。既に対価は受け取っているし、借りに思う必要はない」
「わかっています……と言っても、納得はしてくれないのでしょうね」
信用はあっても信頼はない。
リィンとそこまでの信頼関係を構築できているとは、ティオも思ってはいなかった。
相手が貸したと思っていないことに、借りを返したと言ったところで納得はされないだろう。
だが、ティオも別に打算もなく、アリサに協力した訳では無かった。
「なら、こう考えてください。私に借りを作ることで、あなた方は真剣にクロスベルを守らざるを得なくなると」
「……俺たちを利用するつもりか?」
「お互い様です。そのくらいの打算は働かせても罰は当たらないと思いますよ?」
そう言われては結果を見せている以上、リィンは何も言えなかった。
実際ユグドラシルの有用性は、その恩恵を受けているリィン自身が一番良く理解しているからだ。
ティオなりにクロスベルを大国の脅威から守る方法を模索しているのだろう。自身の有用性を示すことでリィンにクロスベルの価値を再確認させ、街を守るために〈暁の旅団〉の力を利用すると言うのは確かに納得の行く理由だった。
しかし、嘘は言っていないが本当のことも話していないと、リィンはティオの考えを見抜いていた。
「取り敢えず、そういうことで納得≠オておいてやる」
「素直に受け取っておけばいいのに……頑固ですね」
「タダより高いものはないからな。特務支援課がお人好し♂゚ぎるんだ」
ティオがアリサに無条件で手を貸した理由。それを敢えて言うのなら、仲間のためだ。
リィンとティオの間には、それほどの信頼関係はない。しかし、特務支援課のメンバーは別だ。
ティオがエプスタイン財団にも秘密でアリサに手を貸したのは、恐らくはエリィのためだろう。
暁の旅団が共和国の侵攻を食い止め、帝国の圧力からクロスベルを守っていることは確かだ。
そして大国の脅威に屈しない新たな体制を築くために、暁の旅団を利用して改革を推し進めているのがエリィだった。
そんなエリィの助けに少しでもなれば、とティオは考えたのだろう。
謂わば、リィンたちを信頼しているエリィを信じて、アリサに手を貸したと言うことだ。
「最初の話に戻すが、どうしてこの列車に?」
「帝国学術院から財団に学会への参加要請がきていたので。これでもエプスタイン財団・クロスベル支部の開発主任ですから」
ティオはエプスタイン財団・クロスベル支部の開発主任だ。
ロイドと一緒にいるために、財団本部に直談判して今の地位を得たというのだからティオの本気が窺える。
とはいえ、クロスベル支部の実質的なトップとなったからには、相応の義務も生じる。その一つが、こうした行事への参加だった。
元々は定期船を使って帝都へ向かうつもりだったのだが、話を聞いたアルフィンが気を利かせ、アイゼングラーフ号に乗車できるように手を回してくれたのだとティオはリィンに説明する。
「でも、少し気になることが……」
「気になること?」
「はい。帝国学術院が主催する学会は毎年開かれていますが、今年は少し時期がずれているんです」
いつもは年明けの二月に開かれていて、こんな風に年の暮れに開催されるのは初めてのことだとティオは話す。
それに先の内戦の件もあり、今回は開催自体が危ぶまれていたのだ。
それが唐突に開催が決まり、開催日程を告げる招待状が届いたのが一ヶ月ほど前のことだった。
(帝国学術院……まさか、な)
ティオの話を聞き、微妙に引っ掛かりを感じるリィン。
黒のアルベリヒ――フランツは、帝国学術院の教授を名乗っているとミュゼは言っていた。
あくまで状況証拠だ。確証はないが、リィンは嫌な予感を覚える。
「ティオ。そこに――」
俺も一緒に連れて行ってくれないか、とリィンがティオに声を掛けようとした、その時だった。
突然、「ああっ!」と大きな声が車両に響く。
声のした方を一斉に振り返るリィンとティオ。
その視線の先には、カジュアルな装いのピンクの髪の少女が立っていた。
「……知り合いか?」
「彼女はその……一応、私の助手≠ニ言うことになっています」
微妙な言い回しをするティオを、リィンは訝しむ。
すると、
「エリィ先輩を誑かした諸悪の根源、リィン・クラウゼル! どうして、ここに!?」
意味不明なことを喚きながら名指しされ、リィンは呆気に取られる。
「落ち着いてください。ユウナさん」
「はっ!? まさか、今度はティオ先輩を毒牙に掛けようと!?」
酷い言われようだった。
しかし陰口をたたかれることはあっても、こんな風に真っ向から突っかかれるのは余りない体験だけに、どうしたものかとリィンは微妙に困った反応を見せる。
怒りで我を忘れた少女――ユウナを、必死に宥めるティオ。
最悪リィンに襲い掛かったりでもしたら、怪我をするのはユウナの方だと心配してのことだった。
「私は大丈夫ですから落ち着いてください。ここで彼に襲い掛かったらユウナさんの方が危険です」
「ぐっ……! 暴力で脅して、女を言いなりにしようだなんて卑怯よ!」
どうしてそうなると、げんなりとした表情で肩を落とすリィン。
すると騒ぎを聞きつけてか?
女生徒たちが興味津々と言った表情で、窓や扉の陰から車両の中を覗いていた。
「リィン様も帝都までご一緒されるのかしら?」
「あちらの女性は、どなたでしょうか?」
「きっと、痴情のもつれですわ。一人の殿方を取り合って、二人の女性が――」
きゃあああ、と黄色い声が響く。
そこでようやくユウナは、いまの自分の置かれている状況を理解する。
逡巡すること数秒。女生徒たちから期待に満ちた眼差しを向けられたユウナは――
「こ、これで勝ったと思わないでよ!?」
捨て台詞を残して、その場から逃げ出すのだった。
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