月明かりの下、のどかな草原地帯を疾走する一台の列車。
 全七両編成からなる真っ赤な外観が特徴のその列車は、聖アストライア女学院の生徒やリィンたちを乗せた帝国政府の専用列車アイゼングラーフ号だ。
 クロスベルを出発したのが夜の七時。そして現在の時刻は午後九時過ぎ。
 片道凡そ十時間をかけて、エレボニア帝国の首都ヘイムダルに到着する予定となっていた。
 そんななか、

「もっと落ち着いて食べてください。ほら、口元にソースがついてますよ」

 食堂車のバーカウンターに横並びに座り、仲良く食事を取る男女の姿があった。
 リィン、リーシャ、ローゼリアの三人だ。
 ローゼリアの口周りについたソースをナフキンで拭うリーシャの姿を見て、ふと思ったことをリィンは口にする。

「そうしてると親子みたいだな」
「……え?」

 目を丸くして固まるリーシャだったが、傍から見れば確かに親子のように見えなくはなかった。
 もしくは、歳の離れた仲の良い姉妹と言ったところか?
 いずれにせよ、ローゼリアがだらしないことに変わりはない。
 エマの苦労が窺えるようだ、とリィンが漠然とそんなことを考えていると、

「私とロゼさんが親子……じゃあ、父親は? あうっ……」

 何を妄想したのか?
 頬を紅く染めて恥ずかしそうに身悶えるリーシャ。
 その一方で、リーシャにナフキンを口元に押しつけられて、ローゼリアは「や、やめ……」と苦しげな声を漏らす。

「リーシャ。その辺りで――」

 顔を青ざめるローゼリアを見て、さすがに止めないと拙いと思ったのか?
 リィンがリーシャに声を掛けようとしたタイミングで、寝台車と食堂車を連結するドアが開く。
 プシュッと空気が抜ける音と共にドアの向こうから姿を見せたのは、青い髪の少女ティオと――

「――ああッ!?」

 ユウナ・クロスフォードだった。


  ◆


「……リィンさん、彼女に何をしたんですか?」
「知らん。俺が聞きたいくらいだ」

 リーシャにユウナとのことを尋ねられるも、まったく心当たりがないと言った様子で首を横に振るリィン。
 実際、ユウナと会うのは今日が初めてなのだ。理由など分かるはずもない。
 しかし端っこの席に一人腰掛け、ジッと観察してくるユウナの視線を肌に感じながらリーシャは考える。
 これほどに警戒されているのだ。ただ、猟兵と言うだけで嫌われているようには思えない。
 リィンとの間に何かあったとしか考えられなかった。

「すみません。ユウナさんは熱狂的な……特務支援課のファンで。エリィさんがクロスベルの解放を条件に、無理矢理手籠めにされたと思い込んでいるみたいなのです」
「どちらかと言えば、襲われたのは俺の方なんだが……」

 ティオの説明を聞いて、リィンは事実と異なると反論する。
 そういう関係になったことを後悔している訳では無いが、どちらかと言えばエリィの方から迫ってきたのだ。
 とはいえ、猟兵が世間からどう言う目で見られているかを知らないリィンではない。

「そういうことなら、私が話してきます」
「放って置け」
「でも、ちゃんと誤解を解いた方が……」
「ティオで無理なら、俺たちが何を言ったところで聞く耳を持たないだろ?」

 むしろ状況を悪化させるだけだと、リィンはユウナのもとへ向かおうとするリーシャを引き留める。
 それに、エリィを『裏切り者』と罵る声があることを考えれば、自分に怒りが向く分にはマシだとリィンは考えていた。
 猟兵が世間から良く思われていないのは今に始まった話ではないし、そのイメージを払拭しようともリィンは思っていない。
 すべてが誤解とは言えないからだ。
 報酬さえ受け取れば、人を傷つけることも殺すことも厭わない。命のやり取りを生業としているのは本当のことだ。
 なら、ある程度の悪評は〈暁の旅団〉が引き受けた方が、エリィが推し進めている改革も円滑に進むだろうと考えてのことでもあった。

「……なんだ?」
「いえ、何も」

 リィンがエリィのためにそんな態度を取っていることを察したのだろう。
 何でもないと言いながらも嬉しそうな笑みを浮かべるティオを見て、リィンが溜め息を溢した直後のことだった。
 大気を震わせるほどの轟音が響いたのは――

「――伏せろ!」

 リィンが叫んだ直後、大きな揺れがアイゼングラーフ号を襲うのだった。


  ◆


 土砂を巻き上げる爆風。
 幸いなことに列車に直撃はしなかったものの、明らかにそれは砲弾による攻撃だった。

「止まるな! 速度を維持したまま進め!」

 列車を緊急停止させようとした運転士にオーレリアの怒号が飛ぶ。
 いま止まれば、砲撃の良い的だと判断してのことだった。
 続けて、列車内の照明を落とすようにオーレリアは指示を出す。
 闇に紛れ、少しでも狙いを付けにくくするためだ。
 だが、この辺りは隠れるような場所がない上、空が澄み渡っていて今日は月がよく見える。
 どこまで効果があるか、疑問ではあった。しかし、そんなことはオーレリアも理解している。

「……どう思われますか?」
「伯父様の指示ではないしょう。下の暴走か、或いは――」

 オーレリアの問いに落ち着いた様子で答えるミュゼ。
 少々想定外であり、ある意味で予想の出来た状態だった。襲撃はあると思っていたが、それは帝都に入ってからだと考えていたからだ。
 アイゼングラーフ号に乗っているのはミュゼだけではない。聖アストライア女学院の生徒も乗っているのだ。
 聖アストライア女学院に通う生徒は、貴族の子女や大企業の息女がほとんどだ。仮に生徒を巻き添えにしてミュゼを始末した場合、そうした生徒たちの親を敵に回すことになる。なかには貴族派に所属する親を持つ生徒もいるだろう。後のことを考えれば、そうした生徒を巻き込むのは賢いやり方とは言えない。バラッド候の仕業にしては、腑に落ちない点が多いとミュゼは感じていた。
 とはいえ――

「犯人捜しよりも先に、この状況に対処する方が先ですか。黄金の羅刹≠ネら、どうにかなりますか?」

 直撃を受ければ無事では済まないだろう。
 しかし対処が可能かと尋ねてくるミュゼに、オーレリアは首を横に振る。

「生憎と剣を振ることしか取り柄がないので」

 砲撃の音から察するに三百セルジュは離れていると予想できる。
 それだけの距離を届かせる攻撃は、剣士のオーレリアにはなかった。
 襲撃者もそれを見越して、これだけの距離を開けて攻撃してきたのだろう。

「ですが――」

 自分には無理でも可能な男がこの列車には乗っている、とオーレリアは言葉を続ける。
 そんなオーレリアの答えを予想していたのだろう。

「では、見物させて頂きましょうか。羅刹も認める最強の猟兵≠フ力を――」

 ミュゼは蠱惑的な笑みを浮かべ、そう呟くのだった。


  ◆


「ロゼは一緒にきてくれ。リーシャは念のため、ミュゼのもとへ。ティオは生徒たちを頼む」

 リィンは近くにいた二人に指示をだすと窓から身体を外へ乗り出し、腕の力と全身のバネを使って車両の上へと跳び乗る。
 ふわりと宙に浮かび窓の外へ飛び出ると、リィンの後に続くローゼリア。
 そんな二人を前に一瞬呆気に取られるも、リィンの指示通り先頭車両へ向かうリーシャに気付き、ティオは我に返る。

「ユウナさん! 手伝ってください!」
「え……はい!」

 慌てて返事をすると、ユウナは急いでティオの背中を追い掛ける。
 そして、寝台車へと続くドアを開けると予想した通り、大きな音と揺れに驚き、部屋から飛び出してきた生徒たちが廊下に溢れていた。
 なかには何が起きているのか分からない不安から、涙を流している生徒もいる。
 このまま放って置けば混乱が大きくなるだけだと判断したティオは、ユウナに指示を飛ばす。

「私は負傷者がいないか確認します! ユウナさんは生徒の皆さんを落ち着かせて、衝撃に備えるように指示してください!」
「わかりました!」

 ユウナに指示をだすと、床に蹲る生徒にティオは声を掛けるのだった。


  ◆


 両手に武器を構えると、着弾の位置から砲弾が飛んできた方角に当たりを付け、周辺を警戒しながらリィンはローゼリアに尋ねる。

「ロゼ、撃ってきた奴の正確な位置は分かるか?」
「既に探っておる」

 ローゼリアは杖を空に掲げ、先端から魔力の波のようなものを放出する。
 彼女は古の時代から生きている魔女だ。リィンを真似る訳では無いが、人間同士の醜い争いなど腐るほど目にしてきた。
 魔女や地精もそうしたいがみ合いから滅びの道を選び、袂を分かったのだ。今更、綺麗事を口にするつもりはない。
 だが、当事者だけでなく無差別に関係のない者たちを巻き込むなど、到底見過ごせる所業ではなかった。

「……捉えたぞ」

 捕捉したものの姿を魔術で空間に投影するローゼリア。
 そこに映し出されたのは、嘗てガレリア要塞に配備されていた戦略兵器〈列車砲〉だった。
 だが、列車砲の周辺に線路はない。山の中腹あたりだと思われるが、周囲には開けた大地が広がっているだけだ。
 しかし、よく列車砲を観察してみると、車輪の代わりに戦車のキャタピラのようなものが備え付けられていた。
 恐らくは、あれで地上を移動させたのだろうとリィンは察しを付ける。

「随分と大掛かりな改造をしたもんだな」
「ふむ。じゃが、少々厄介じゃな。さすがに、ここからでは――」

 反撃をしようにも距離が離れすぎていると、ローゼリアは苦い表情を見せる。
 直線距離にして三百セルジュ。凡そ三十キロほど離れている。
 魔術は勿論のこと、ライフルの弾も届かない距離だ。
 だからと言って距離を詰めている時間はない。いま、こうしている間も狙われているのだ。
 だが、

「手はある」

 ローゼリアにそう言うと、リィンは意識を内側へと集中する。
 確かに普通に攻撃したのでは届かない距離だ。
 しかしリィンには、その不可能を可能とする力があった。

王者の法(アルス・マグナ)

 リィンがそう口にした直後、全身から漏れ出た黒と白――二色の闘気が混ざり合い、黄金の光が立ち上る。
 時間にして数秒。光が収まると二本のブレードライフルが消え、リィンの両手には巨大なライフルが握られていた。

「ぐッ……まさか、これほどとは……」

 リィンの中に眠る力について知ってはいたが、ローゼリアが実際にリィンの力を目にするのは、これが初めてだった。
 傍にいるだけで膝を屈しそうになるほどの圧倒的な力。並の人間であれば、対峙するだけで意識を失っても不思議ではない。
 高位の幻獣に匹敵。いや、それ以上の力をローゼリアはリィンのなかに感じ取る。
 これだけの力があれば、不完全ながらも〈鋼〉を制御できたのにも頷けるとローゼリアが納得した、その直後だった。
 再び鳴り響く轟音。夜空に軌跡を描きながら、真っ直ぐに向かって来る砲弾にリィンは銃口を向ける。
 そして、

解き放て(ショット)――」

 静かに引き金を引くのだった。



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