リーシャたちと別れたリィンはミュラーに案内され、ティオやユウナと共に帝都の西に位置するライカ地区にきていた。
 滞在先となるヴァンダールの道場を訪ねるためだ。
 そして、この地区には――

(……帝国学術院か)

 帝国学術院がある。
 監視がつくと聞いて最初はどうしたものかと思っていたが、滞在先がこの地区だったのはリィンにとって嬉しい誤算だった。
 元々、帝国学術院にはフランツの件で探りを入れるつもりだったからだ。
 それにティオもユウナと共に、しばらく学術院の宿舎で世話になるとの話だったので都合が良い。

「では、私たちはここで」
「ああ、二日後にまた」
「……くれぐれも、それまで問題を起こさないでくださいよ?」

 帝国学術院で開かれる学会は二日後、十二月三十日の午前十時からの開催が予定されていた。
 招待状には二人まで同行者を認めることが記されてあり、一緒に参加させてもらえないかとリィンはティオに頼んでいたのだ。
 ティオの後を追い掛けるように走り去っていくユウナの背中を見送りながら、ミュラーはリィンに尋ねる。

「……デートの約束か?」

 主に情報源はオリヴァルトだが、リィンの手が早いという噂はミュラーの耳にも入っている。
 だが、この件に関してはオリヴァルトだけが悪いとも言えない。
 実際エリィという恋人がいながらアリサの告白を受けたことは事実だし、まだ他にもリィンに好意を寄せている女性は複数いるのだ。
 女誑しと言われても否定できない。日頃の行いが行いだけに、その手の誤解を招くのも無理はなかった。
 リィンも自覚はあるのだろう。苦い表情を浮かべながら、せめてティオとの誤解は解こうとミュラーの疑問を否定する。

「違う。お前まで、オリヴァルトみたいなことを言うな。二日後に学術院で主催される学会に、ティオの同行者として参加させてもらう約束をしているだけだ」
「そういう話は前もってして欲しかったのだが……」
「悪いな。俺も監視がつくなんて、事前に聞かされていなかったからな」

 お互い様だろと話すリィンに、ミュラーは何も反論できずに唸る。
 こうなったのもオリヴァルトが事前に連絡を怠ったのが原因だった。
 恐らくはサプライズのつもりだったのだろうが、本当に余計なことをしてくれたものだとミュラーは溜め息を吐く。

「仕方がない。だが、監視は付けさせてもらう」
「同行者は二人までという話だし、お前が参加できるような枠はないぞ?」
「問題ない。毎年のことだが、当日の警備にはヴァンダールの門下生が参加することになっている。各国の要人も多く参加するのでな」

 そういうことかと、ミュラーの話にリィンは納得する。
 監視付きは多少面倒ではあるが、ここでごねても困らせるだけだ。
 ミュラーも仕事である以上、これ以上は譲れないだろうと考え、リィンは頷く。

「その様子だと、相変わらずオリヴァルトには苦労させられているみたいだな」
「そう思うなら騒動は起こさないでくれよ?」

 宰相の仕事は激務と言っていい。
 今回のようなことは勘弁して欲しいと思う一方で、オリヴァルトなりの息抜きなのだろうとミュラーは考えていた。
 だが、この上リィンにまで問題を起こされたら、身体が保たない。
 そうでなくとも、ここ最近のミュラーは胃薬を手放せない毎日を送っていた。

「まあ、善処するさ」

 切実なミュラーの願いに曖昧な言葉を返すリィン。
 正式な日取りはまだ決まっていないが、オーレリアとの模擬戦も控えているのだ。
 バラッド候の動きも警戒をする必要があるし、確約は出来ないというのがリィンの本音だった。

「出来れば、確約して欲しかったのだがな。とはいえ、こちらの問題もあるし、無理強いは出来ないか……」
「なんの話だ?」
「……すぐに分かる。ついたぞ、ここだ」

 何か含みを持ったミュラーの言葉を訝しむも、一先ず追求を止めるリィン。
 そして、ミュラーの視線を追うようにリィンが顔を向けた先には、『ヴァンダール』の看板が掲げられた道場らしき建物があった。
 建物の中からは威勢の良い掛け声が聞こえてくる。恐らくは道場の門下生が稽古に励んでいるのだろう。
 ここがミュラーが用意した滞在先。ヴァンダール流の総本部かと、リィンは察する。

「確か、ここを預かるのはマテウス・ヴァンダール。〈雷神〉の渾名を持つ、帝国を代表する剣士の一人だったか?」

 そして、ミュラーの父親に当たる人物だ。
 直接の面識はないが、噂程度にはリィンもマテウスのことを知っていた。
 いまは現役を退いて後進の育成に力を注いでいるが、猟兵からも恐れられるほどの武勲を数々残している帝国の英雄だ。
 軍人や猟兵に限らず、戦いに身を置く者で知らぬ者はいないほどの有名人だった。
 実際リィンもルトガーが一目置いていたのを知っているので、少し興味があったのだ。

「そうだ。俺の父が総師範を務めている。いまは……故あって留守にしているがな」

 何か事情があるのか?
 話し難そうに答えるミュラーを見て、リィンは首を傾げながら後に続く。
 ミュラーが扉を開け放つと、威勢の良い声がまず耳に入ってくる。
 そしてリィンが道場の中央に視線を向けると、汗を流しながら剣を振う門下生たちの姿があった。

「――そこまで!」

 師範代と思しき女性がそう声を掛けると、姿勢を正して大きな声で挨拶を返し、頭を下げる門下生たち。
 そして、フラフラとした足取りで脇の方に移動すると、疲労を隠せない様子で床に倒れ込む姿が見られた。
 そんな門下生たちを一瞥し、リィンたちの方に歩みを向ける銀髪の女性。
 ミュラーが今年三十一になるが、銀髪の女性は見た感じ四つか五つ下と言ったくらいだろう。
 恐らくはクレアとそう変わらない年齢だと察して、リィンは先程の意趣返しを兼ねてミュラーに女性との関係を尋ねる。

「余り似てないように見えるが……妹か?」
「いや、あの人は……」

 妹かと聞いたが本気ではなかった。まったくミュラーとは似ていなかったからだ。
 しかし妹ではないせよ、親戚という線は濃厚かとリィンは考える。
 ただ強いと言うだけで、この若さ≠ナ総本部の師範代を任されるとは思えない。
 それにミュラーは、現在マテウスは所用で道場を留守にしていると言っていた。
 となれば、総師範の留守を任せられるほどに信頼されている人物と言うことだ。
 普通に考えるなら、ヴァンダール家の身内と考えるのが自然だろう。

「フフッ、ミュラーさんの妹≠ナすか。これからは『お兄様』と呼んだ方がいいですか?」
「戯れはそのくらいにしてください。母上=v

 ミュラーと女性の会話を傍で聞き、「は?」とリィンは目を丸くする。
 どう見ても目の前の女性は二十半ばと言ったところで、とてもミュラーの母親という年齢には見えなかったからだ。
 しかし、

「あなたがミュラーさんの言っていたリィン・クラウゼルさんですね。マテウス・ヴァンダールが後添い、オリエ・ヴァンダールと申します。どうぞ、お見知りおきを」

 マテウスの後妻と聞いて、恐らく若い奥さんでも貰ったのだろうとリィンは納得する。
 確かにミュラーとオリエの間には血の繋がりはない。
 しかし、腹を痛めて産んだ十六歳の息子がオリエにいることを、リィンは知る由も無かった。


  ◆


 部屋に案内されて一休みしていると夕食に招待され、リィンはオリエの案内で一階にある食堂へ向かっていた。
 最初は遠慮しようとしていたリィンだったが、この道場では皆が揃って食事をするのが決まりだとオリエに言われては断れなかったからだ。
 それに――

(正直、少しやり難い相手だな……)

 どうにも逆らいがたいやり難さをリィンはオリエに感じていた。

「どうか、しましたか?」
「いや……そう言えば、ミュラーはどうしたんだ?」

 誤魔化すようにリィンはミュラーのことをオリエに尋ねる。
 世話役を言い渡されたミュラーではなく、オリエが呼びにきたことが少し気になっていたからだ。

「軍からの呼び出しで、いまは政庁へ出向いています」

 そう答えながら苦笑するオリエを見て、リィンはオリヴァルト絡みの用事だと察する。
 しかし、それでここを滞在先に選んだ理由も察することが出来た。
 オリエを含み、道場にいる全員が監視役を兼ねていると言うことなのだろう。

(随分と警戒されたものだな)

 場合によっては、ミュラーだけでなくヴァンダール流そのものが敵に回ると言うことだ。
 貴族たちを納得させるためだと言っていたが、ミュラーの本気を悟ってリィンは内心溜め息を漏らす。

「こちらの椅子に掛けて、お待ちください。すぐに残りの料理を運んできます」

 オリエに案内された席に座ると、向かいの席には夕方に目にした門下生たちの姿があった。
 そのなかに一際目立つ容姿をした青年が交じっているのをリィンは目にする。

(青みがかった銀髪……オリエの弟か?)

 目の前の青年のことが気になって、リィンは料理の皿を運んできたオリエに尋ねる。

「弟か?」
「いえ、息子です」
「……冗談だろ?」

 リィンの口から、そんな困惑に満ちた声が漏れる。

「クルト、お客様にご挨拶を」
「……クルト・ヴァンダールです。お見知り置きを」

 オリエに挨拶を促され、若干不満げな様子で自己紹介をする青年、クルト。
 そんなクルトの態度に溜め息を溢しつつ、オリエはリィンに息子を紹介する。
 名をクルトと言い、ミュラーの腹違いの弟にしてオリエが腹を痛めて産んだ正真正銘の息子≠ニいう話だった。
 年齢は十六歳。だとすれば、オリエがクルトを産んだのは十六年前と言うことになる。

(不老じゃ……ないよな?)

 ローゼリアのように不老だと告白されても驚かないと、リィンは訝しむ。
 どう見てもオリエの容姿は、十六の子供がいるような歳には見えなかったからだ。
 それこそ、クルトと並んでも姉弟で通用するだろう。

「……何か?」

 そんな母親と見比べるようなリィンの視線を感じ取り、クルトは強い口調で尋ねる。
 初対面のはずだが、先程からクルトの向けてくる攻撃的な視線にリィンは疑問を持っていた。
 何が原因か分からず、少し探りを入れてみるかと考え、リィンはクルトの問いに答える。

「母親似なのかと思ってな」
「――ッ!?」

 先程よりも鋭い、睨み付けるような視線をクルトに向けられ、リィンは目を瞬かせる。
 まさか、これほど強く反応するとは思ってもいなかったからだ。
 その直後、

「クルト!」

 オリエの叱り付けるような声がクルトに飛ぶ。
 リィンにも問題はあったのかもしれないが、明らかに客人に取るような態度ではない。
 クルトが最初からリィンによくない感情を抱いていることを察してのことでもあった。

「……失礼します」

 そう言って席を立ち、食堂を後にするクルトを見て、門下生たちは揃って大きな溜め息を吐く。
 オリエも困った表情で頬に手を当てながら、立ち去るクルトの背中を見送るのだった。


  ◆


「すみませんでした。あの子には、あとで厳しく言っておきます」
「いや、それは構わないんだが……何か、拙いことを言ったか?」

 どうしてクルトがあんな態度を取ったのか理由が分からず、リィンは尋ねる。
 てっきり、オリエに不躾な視線を向けたから、クルトの機嫌を損ねたのだと思っていたのだ。
 だから母親譲りの容姿を褒めて様子を見るつもりだったのだが、ここまで過剰な反応をするとは思っていなかった。
 どう説明したものかと逡巡するオリエ。しかし、その答えは別のところから返ってきた。

「クルト坊ちゃん、オリエ様譲りの容姿を気にしてるものね。お兄さんと比較しちゃうみたいで」
「レイフォン! 口が過ぎるぞ」
「うっ……すみません」

 兄弟子に注意され、頭を下げる女性――レイフォン。歳はリーシャとそう変わらないくらいと言ったところだろう。
 レイフォンを注意した体格のガッシリした男性の名は、バン。
 二人とも道場に住み込みで剣術を習っているヴァンダール流の門下生だ。
 この道場で剣術を学ぶ門下生のなかでは、二人とも上位を争う使い手だった。
 クルトとも小さい頃から共に剣を学び、時には家族のように接してきたのだ。
 だからこそ、クルトが抱えている悩みを彼等はよく理解していた。

「お兄さんと言うのは、ミュラーのことか?」
「えっと……まあ、はい」

 バンに注意されたばかりなだけに、リィンの質問に答えにくそうに頷き返すレイフォン。
 だがそれだけで、なんとなく事情を察するには十分だった。

(……知らずに地雷を踏んでたみたいだな。ミュラーが気にしてたのはこのことか?)

 ミュラーの態度がリィンは気になっていたのだ。
 弟のことで悩んでいたのだとすれば、どこかミュラーの様子がおかしかったのも納得できる。
 マテウスには会ったことはないが、ゼクスを見る限りではミュラーは恐らく父親似なのだろう。
 だが、挨拶を促されて素直に答えていたところからも、母親との仲が特別悪いと言った感じには見えなかった。
 だとすれば、やはり原因はミュラーとの関係にあるのかとリィンは考える。

「……リィンさんも無関係とは言えませんし、お話しておいた方がよさそうですね」

 てっきり兄弟の間に何かあるのかと思っていたら、自分も関係しているとオリエに言われてリィンは驚く。
 クルトと会うのは、今日が初めてだ。そもそもミュラーに弟がいるなんて話も聞かされたことがなかったのだ。
 猟兵絡みの仕事で過去に恨みを買ったという可能性も考えられるが、もしそうならオリエやミュラーの態度も違っているだろう。
 クルトが大切にされているのは、ミュラーや門下生たち。それにオリエの反応を見れば一目瞭然だからだ。
 なら、それ以外でクルトと接点がありそうなことを考えると――

「……もしかして、アルノール皇家絡みの話か?」

 驚きに目を瞠るオリエたちを見て、またアルノール絡みかとリィンは確信した様子で溜め息を漏らすのだった。



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