アルゼイド流と並び『帝国の武の双璧』と呼ばれるヴァンダール流は、ある役目を負っている。
それが、皇室の警護。アルノール皇家の守護者と呼ばれる立場だ。
アルフィンやセドリックにも、本来はヴァンダールの護衛がつくはずだった。
「もしかして、アルフィンの護衛の候補がクルトだったのか?」
だとすれば、クルトが敵意を向けてくるのも分からなくはないとリィンは考える。
アルフィンが帝都を追放されるようにクロスベルの総督となったのは、リィンにも責任があると言えなくもないからだ。
「いえ、皇女殿下ではなくセドリック殿下の護衛を務めるはずだったのです」
オリエの話を聞き、弟の方かとリィンは考えるが、確かに言われてみれば納得の行く話だった。
護衛騎士とは少し違うが、アルフィンには既に従者がいる。ユミルを領地に持つ男爵家の息女、エリゼ・シュバルツァーだ。
従者とは言っても、エリゼの剣の腕はなかなかのものだ。最近は学業や仕事の合間を縫ってリーシャとも手合わせしていたようで、めきめきと腕を上げているという話をリィンは聞いていた。
間違いなく、そこらの男よりも強い。一般兵では、いまのエリゼの相手にならないだろう。
そうしたこともあって、アルフィンがエリゼ以外の人間を傍に置くとは思えない。
それにクロスベルの総督に就任しなかった場合、アルフィンはこれまで通り女学院に通っていたはずだ。
当然、護衛もアルフィンと共に女学院へ通う必要がある。どう考えても、男のクルトが同行するのは無理があった。
「ですが、殿下が即位されたことで、歳も若く実績のないクルトに陛下の護衛を任せるのはどうかという声が宮中から上がりました」
当然と言えば当然だった。
実際に戦っているところを見た訳では無いが、年齢の割には腕が立つと言った程度だとリィンはクルトの腕を見抜いていた。
出会った頃のラウラと同じか、僅かに劣るくらいだろう。
その程度の腕であれば、代わりが務まる者は幾らでもいる。
更に護衛の経験がないとなれば、反対の声が上がるのは理解できる。
「いま、セドリッ……皇帝陛下の護衛は?」
さすがにアルフィンはともかく、オリエの前で皇帝を呼び捨てにするのは拙いと思い、リィンは言葉を改める。
「近衛が務めています。近衛のなかにはヴァンダール流を修めた高弟もいますので……」
ようするに師範代クラスの腕を持つ剣士が、セドリックの周囲を固めていると言うことだ。
せめてミュラー程度の腕があれば、近衛に実力を認めさせると言う手も取れたのだろうが、これではクルトの立ち入る隙はない。
(なるほどな。そりゃ、コンプレックスにもなるか)
クルトの気持ちをリィンは察する。リィンにも、そういう経験がない訳では無かったからだ。
リィンも自分の中に眠る力を使いこなせるようになるまでは、戦技やアーツを満足に使えない半人前の扱いを受けていた。
その一方で、リィンにないものをすべて持っていたのがフィーだ。
実際、いまでも猟兵としての実力はフィーの方が上だとリィンは思っている。
そのことに劣等感を抱いたことがないかと聞かれれば、はっきりとないとは言えない。
だが、そうした焦りが自分だけでなくフィーを危険に晒したのだ。
リィンにとって、その時のことは一生忘れられない苦い記憶となっていた。
(理解できなくはないが……)
周りが何を言ったところで、結局は本人の問題だ。自分でどうにかするしかない。
実際リィンはクルトと違い、後悔をしながらも歩みを止めることがなかった。
自身と比較して他人の長所を羨むのではなく、自分にしか出来ないことを考え、その一点を愚直に磨き続けたのだ。
そうして、リィンは至った。最強の猟兵と呼ばれ、人々から畏怖されるほどの力を手にするまでに――
そこに至れるだけの素質は勿論あったのだろう。
だが、恐れず前へ歩み続けなければ、その境地に達することはなかった。
シャーリィがリィンに惹かれ、学んだのもそういうところだ。
(そこまでの義理はないな)
話を聞いて思うところがない訳では無いが、所詮は他人の問題だ。
リィンが持つ未来の知識は、VII組の生徒が士官学院を卒業するところまでで終わっている。
原作通りに歴史が進んでいれば、もしかしたらクルトはセドリックの護衛をしていたのかもしれない。
だが、今更それを言ったところでどうしようもない。リィンは歴史を変えたことを後悔などしていなかった。
一時は原作知識に振り回されて悩みもしたが、ここはゲームの世界ではない。
よく似た世界の物語を知っていると言うだけで、その通りに歴史が進むとは限らない現実の世界だ。
記憶の中の世界がどうあれ、未来は自分の手で切り拓くしかない。
だから、誰かに負い目に感じる必要も、遠慮することもない。
そのことを教えてくれたのは、エリゼとフィーだった。
だから、リィンは前世の知識に縛られることなく好きに生きることにしたのだ。
「すみません……リィンさんが悪い訳ではないのに」
そう言って頭を下げるオリエ。
彼女の言うように、誰が悪い訳でもない。
敢えて言うのなら、巡り合わせが悪かったと言うべきだろう。
クルトの抱えている悩みは、クルト自身で解決するしかない。
だからこそ、母親として何もしてやれないことをオリエは歯痒く思っているのだろう。
「……リィンさん、私と手合わせしてくれませんか?」
そんなリィンとオリエの話に割って入る者がいた。レイフォンだ。
リィンとオリエのやり取りを聞いていて、何か思うところがあったのか?
覚悟を決めた様子で鋭い眼差しを向けられ、リィンは嫌な予感を覚えながら尋ねる。
「どういうつもりだ?」
「オリエ様の言うように、あなたが何も悪くないことは私も理解しています。クルト坊ちゃんもきっと本心ではわかっているんだと思います。でも、理解はしていても納得が行くかどうかは別の問題です」
レイフォンはクルトがどんな想いで剣の修行に励んできたかを知っている。
兄や父とも違う容姿から誰からも一目でヴァンダールの者と察してもらえず、せめて剣術だけでもとクルトは人一倍の努力を重ねてきた。
強くなれば、剣術を極めれば、自分も兄や父のようになれる。
有名になれば、皆がヴァンダールの剣士だと認めてくれるはずだ。
子供ながらに、そんなことを考えたのだろう。
だが、大剣が主流のヴァンダールの型は、華奢な体格のクルトには向いていなかった。
そのため、スピードを活かした傍流の双剣術を学んだのだが、思えばその頃からクルトは兄を強く意識するようになっていったのだろう。
兄や父に認められたい。そんな想いで必死だったのかもしれない。
そんななかクルトが初めて語った夢が、セドリックの護衛騎士になることだった。
オリヴァルトとミュラーの関係に憧れ、自分もセドリック殿下とあのような関係になりたい。
そうすれば、きっとヴァンダールの名に恥じない剣士になれるはずだと、そうクルトは思ったのだ。
だが、またしてもクルトは理想と現実の差を思い知らされる。
ユーゲント三世が皇帝の座を退き、セドリックが次の皇帝となったことで、クルトは何も出来ないまま夢を叶えるチャンスを失ってしまったのだ。
それでもクルトは剣を振い続けた。
目的を見失いながらも、幼い頃から続けてきた剣術しかクルトには誇れるものがなかったからだ。
ただ父や兄に認められたい一心で続けてきた剣術。それはクルトにとって家族との絆そのものだった。
だから、それを志半ばで投げ捨ててしまうのが怖かったのかもしれない。
そんななかクルトの前に現れたのがリィンだった。
リィン・クラウゼル。
機甲兵の元となった騎神を二体も擁し、共和国の空挺部隊すら退けるほどの戦力を有した大陸有数の猟兵団――暁の旅団。
その団長にして〈猟兵王〉の名を継ぐと噂される最強の猟兵。
内戦時にはアルフィンに雇われ、新たにセドリックが興した皇族派を勝利に導いた功労者。
猟兵の価値と立場を大きく変えたとも言われているのが、彼――リィン・クラウゼルだった。
実際、他の国はともかく帝国での猟兵に対する風当たりは強くない。
リィンたちの活躍もあってか、猟兵に対する偏見そのものが薄れていると言った感じだ。
それには、深い仲と噂されるリィンとアルフィンの関係も良い影響を及ぼしているのだろう。
貴族の叛乱によって国を追われた皇女の願いに応え、内戦を終わらせるために国を奪い返すと言ったエピソードは、市井の人々が好みそうな話だ。
ただ強いだけではない。猟兵のリィンが英雄ともてはやされるのも、そうした人々の支持があるからだった。
リィンが聞けば確実に否定しそうな話だが、危険を顧みずに姫の窮地を救い、姫の願いを叶えるために剣を取る。
その姿は、まさに市井の人々が思い描く理想の騎士≠ニ言っていい。
クルトもその話を聞いた時、ドライケルス大帝と共に獅子戦役を終結へと導いた〈鉄騎隊〉のようだと、子供のように興奮を覚えたのだ。
しかし、そんな憧れの英雄はクルトにとって、夢を打ち砕く原因を作った相手でもあった。
リィンを恨むのは間違いだ。理不尽な感情だと言うのはクルト自身も理解している。
それでも、話に聞くリィンとアルフィンの関係を思うと、複雑な感情を抱かざるを得なかったのだ。
そんなクルトの気持ちをレイフォンは察していた。
情けない姿をオリエに見せたくなくて、逃げるように立ち去ったと言うことも――
リィンを責めるのは間違いだと、レイフォンも理解している。しかし、このままではクルトが報われない。
せめて、皆が納得できるだけの証≠見せて欲しいとレイフォンは考え、リィンに戦いを挑んだのだ。
「言いたいことは理解できるが、俺がそちらの事情に付き合う理由はないと思うが?」
「……逃げるんですか?」
「レイフォン!」
リィンを挑発するレイフォンをバンは怒鳴りつける。
監視が目的とはいえ、リィンはミュラーが連れてきた客だ。
その客に向かって暴言を吐くと言うことは、ヴァンダール家の顔に泥を塗るも同じ。
ヴァンダール流を師事する門下生がして良いことではない。幾らなんでも口が過ぎると思っての叱責だった。
だが、
「安い挑発だが乗ってやる」
オリエは目を瞠る。
まさか、リィンがレイフォンの挑戦を受けるとは思っていなかったからだ。
すぐに止めるべきだとオリエは判断するが、
(まさか、これほどとは……)
リィンと目が合った瞬間、身体が動かなくなる。
ミュラーからも聞いて、リィンの実力は把握しているつもりだった。
自分を含め、ヴァンダールの門下生が全員で対処すれば、何があってもリィンを抑えられるとオリエは考えていたのだ。
だが、それが甘い考えであったことを思い知らされる。
(〈光の剣匠〉と同じくらい……いえ、そんな次元≠カゃない)
帝国や共和国が、どうして一人の猟兵をそれほどに恐れるのか?
その意味をしっかりと考えるべきだったと、
「ただし、猟兵に喧嘩を売ったんだ。お前も覚悟≠決めろ」
不敵な笑みを浮かべるリィンを見て、オリエは後悔するのだった。
◆
「リィンさん。くれぐれも言って置きますが……」
「大丈夫だ。殺しはしないさ」
警戒しながら釘を刺してくるオリエに、リィンはそう答える。
仮にレイフォンにトドメを刺そうとすれば、オリエは確実に戦闘へ介入してくるだろう。
リィンとてヴァンダールと事を構えるつもりはないし、まだ帝都でやるべきことが残っている以上、ここで問題を起こすつもりはなかった。
しかしクルトの件はともかく、ここでレイフォンの挑戦を受けて置いた方が何かと都合が良いと考えたのだ。
「……武器は、本当にそれでいいんですか?」
「ああ、これでいい」
レイフォンは自分が最も得意とする愛用の大剣を装備していた。
リィンの本気を知るために、限りなく実戦に近い形式での手合わせをレイフォン自身が望んだからだ。
なのにリィンが選んだのは腰に下げたブレードライフルではなく、刃を潰してある練習用の大剣≠セった。
レイフォンが不満に思うのも無理はない。練習用の武器を、しかも普段使っているものと違う不慣れな武器をリィンは選んだのだ。
しかし、
「不満か? なら、俺に本気をださせてみるんだな」
レイフォンの不満を察しながら、リィンは敢えて挑発するような言葉を放つ。
お前は格下だと言われているように感じて、レイフォンは憤りを隠せない様子で剣を握る手に力を込める。
さすがにリィンの方が強いことはレイフォンにだってわかっている。
だが、それでも幼い頃からヴァンダールの道場で剣術を学んできたのだ。
血の滲むような努力を重ねてきた自負がある。大剣の扱いで負けるつもりはなかった。
「二人とも、よろしいですね?」
オリエの問いにリィンとレイフォンは無言で頷く。
十アージュほどの距離を開け、道場の中央で向かい合う二人。
重苦しい緊張感が漂う中、オリエは言葉を溜めるように息を深く吸い込み、
「はじめ!」
開始の合図を告げるのだった。
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