「ああ、もう! むかつくったらないわ!」
大きな声で愚痴を溢しながら、ジョッキに入ったエールをグビグビと呷る女性。
元猟兵にして〈紫電〉の異名を持つA級遊撃士。サラ・バレスタインとは、彼女のことだった。
カウンターで酒を呷るサラを見て、店の入り口で声を掛けるべきか迷う素振りを見せる褐色の肌の男。
彼の名は、ガイウス・ウォーゼル。トールズ士官学院の卒業生。サラの教え子にして、元VII組の生徒だ。
帝国と共和国の衝突が激化したことで住む場所を追われたノルドの民と共に、現在は遊撃士として活動をしていた。
「サラ教官」
覚悟を決めて店の中へ足を踏み入れると、随分と荒れた様子のサラに声を掛けるガイウス。
しかし、次の瞬間――酔っ払ったサラにジロリと睨まれ、若干引いた様子を見せる。
「……何か、あったのですか?」
「人の弱みにつけ込むのが得意な男から連絡があったのよ。ああ、もう! 思い出しただけでイライラするわ!」
誰のことかと首を傾げるも、ふとリィンの顔がガイウスの頭を過ぎる。
サラがここまで感情的になる相手と言えば、リィンくらいしか思い至らなかったからだ。
(エリオットから話は聞いていたが、これは想像以上に犬猿の仲みたいだな……)
ガイウスからすれば、リィンはノルドの民を猟兵から守ってくれた恩人だ。
教官として生徒を導き、卒業後も正遊撃士となるまで成長を見守ってくれたサラに感謝しているが、同じくらいの恩義をリィンにも感じていた。
出来ることなら二人には仲良くして欲しいと考えるが、この様子を見る限りでは難しいそうだと溜め息が溢れる。
「それで、どのような用件だったのですか?」
あのリィンが何の用事もなく、サラを怒らせるためだけに連絡をしてきたとは思えない。
だとすれば、連絡してきた目的があるはずだと考え、ガイウスは尋ねる。
それにサラは弱味≠ノつけ込まれたと口にしたのだ。
なんらかの取り引きを持ち掛けられたのだと考えるのが自然だった。
「……古巣とやり合うことになるかもしれないから手を貸せって言われたのよ」
「古巣……まさか〈西風の旅団〉ですか?」
「そのまさかよ」
嘗て、西ゼムリア大陸で最強の猟兵団と謳われた傭兵部隊。それがリィンの古巣〈西風の旅団〉だ。
バルデル・オルランドとの決闘でルトガーが死亡した後、メンバーは散り散りとなり、活動を休止していた。
ギルドの方でも猟兵団の動きは警戒しているのだが、現在のところは目立った活動は確認されていない。
その〈西風〉が再び動きだしたと聞いて、ガイウスは緊張を表情に滲ませる。
「引き受けたのですか?」
「……仕方ないじゃない。いま〈西風〉はラインフォルトに雇われていて、教え子の危機だなんて言われたら、さすがに放って置けないわ」
ラインフォルト。それに教え子と聞いて、ガイウスはアリサのことだと、すぐに察する。
確かにそんな風に言われれば、放っては置けないだろうとガイウスは考える。
普段はだらしないところが目立つが、サラが義理堅く面倒見が良い性格をしていることを知っているからだ。
「それに、ノーザンブリアのことを引き合いにだされたらね……」
サラがリィンからの依頼を引き受けたもう一つの理由に、ノーザンブリアの件があった。
ノーザンブリアへの侵攻を貴族派が企てていることは、サラの耳にも入っていたからだ。
だから、この一ヶ月ほどの間トヴァルとも密に連絡を取りながら、ガイウスと共に情報収集に奔走していたのだ。
しかし、ギルドは中立を保つために国家権力への不干渉≠ルールに掲げている。
そのため、踏み込んだ調査をすることが出来ず、情報収集も思うように捗っていなかった。
そんな矢先にリィンから『手を組まないか?』と協力を持ち掛けられたのだ。
ノーザンブリアが置かれている切迫した状況を考えれば、リィンの誘いを断るという選択肢はサラにはなかった。
「なるほど……では、ルーレ行きの切符を手配してきます。ここを早朝にでれば、夕方には着くはずですから」
「まさか、ついてくるつもり? あの〈西風〉を相手にするかもしれないのよ?」
アリサのことはともかく、ノーザンブリアの件は完全にサラの我が儘だ。
出来ることなら、自分の事情に教え子を巻き込むような真似をしたくないとサラは考えていた。
本来であれば、情報収集もサラは一人でするつもりだったのだ。
しかし、
「仲間の危機を放って置けないのは、俺も同じです。それに民間人の安全と地域の平和を守るのは、遊撃士の責務……ですよね?」
そう教えてくれたのは他の誰でもない。サラだと、ガイウスは話す。
そんな風に言われては、サラも『ついてくるな』と言える訳もなかった。
「バカね……」
そう口にしながらも、サラは微笑みを漏らす。
口にはださないが、元VII組の生徒たちは自分には勿体ない。最高の教え子たちだと感じていた。
とはいえ――
「それはそうと、いつまで教官≠チて呼ぶつもり?」
トールズ士官学院を卒業して、もう半年以上経つと言うのに、未だに『教官』と呼ぶガイウスにサラは呆れながら尋ねる。
しかし、サラがガイウスたちのことを最高の生徒だと思っているように、彼等もまたサラに感謝していた。
故に、そう問われれば――
「サラ教官はVII組≠フ恩師ですから」
ガイウスの答えは決まっていた。
◆
銀色に染まった世界を疾駆する無数の影。
「はああ――ッ!」
人間とは思えない速さで雪原を駆け、光輝く剣を振りかざしながら狼の群れに向かって女は悠然と叫ぶ。
彼女の名は、ラウラ・S・アルゼイド。
元VII組の生徒にして、レグラムに領地を構えるアルゼイド家の息女。
帝国最強の剣士と謳われる〈光の剣匠〉ことヴィクター・S・アルゼイドの一人娘だ。
「はあッ!」
大剣より放たれた閃光が、瞬く間に複数の狼を両断する。
以前よりも鋭さを増した剣。破壊力も内戦時とは比べ物にならない。
この三ヶ月余り、ラウラはフィーとの約束を果たすため、父親と山に籠もり修行の日々を送っていた。
フィーに少しでも追いつくため、皆伝を得ることが目的だ。
そのために選んだ修行の地が、ここアイゼンガルド連峰と言う訳だった。
「遅い――」
一瞬にして仲間の半数をやられ、動きの鈍った狼の群れに突撃するラウラ。
粉雪を巻き上げながら振り上げた剣に闘気を込め、
「奥義――洸凰剣ッ!」
青白い闘気を全身に纏い、巨大な斬撃を放つのだった。
◆
郷の入り口に並べられた十数頭の狼の死体。その周りには、領民と思しき人々が集まっていた。
ここは帝国の北部、アイゼンガルド連峰の山間に位置する集落。温泉郷と名高い『ユミルの郷』だ。
エリゼの実家でもあるシュバルツァー男爵家が治める辺境の領地だった。
「ごめんなさいね。こんなことを頼んでしまって」
「いえ、お世話になっていますし――」
申し訳なさそうに頭を下げるルシア夫人に「これも修行になりますから」とラウラは答える。
それに狼の群れの討伐は、元々ラウラからやらせて欲しいと頼んだことだった。
というのも、この時期のアイゼンガルド連峰は外を出歩くことすら困難な吹雪や豪雪に見舞われる。
魔獣でさえ、冬籠もりをするような季節だ。そのため一時山籠もりを中断して、ラウラはヴィクターと共に領主の館で世話になっていた。
その代わりと言ってはなんだが、集落に危険を及ぼす魔獣の駆除を引き受けたのだ。
ノルドの民が居た頃であれば彼等が対処したのだろうが、ガイウスなど若い男たちは遊撃士となるために郷を出て行き、残った年寄りや女子供もユーシスが生活の補償を申し出たことで、クロイツェン州に移り住んで行ったのだ。
とはいえ、自分がいなくてもシュバルツァー男爵なら対処できただろうとラウラは思っていた。
長年このユミルを治めてきた辺境の領主だ。当然、魔獣への対策も心得ているに違いない。
剣の腕もヴィクターには及ばずとも、かなりの腕前だとラウラは男爵の実力を見抜いていた。
「無事に依頼を果たせたようだな」
「父上!」
屋敷の方角からやってきたヴィクターに声を掛けられ、ラウラは声を弾ませながら父親のもとへ駆け寄る。
そして「よくやった」とヴィクターに頭を撫でられ、「幼子扱いはやめてください」と口にしながらも満更でもない表情を見せるラウラ。
狼の群れを一蹴できるほどの腕を持つ剣士も、敬愛する父親の前ではまだまだ子供と言うことなのだろう。
そんなラウラの後ろ姿を、微笑ましそうに見守るルシア夫人や領民たちの姿があった。
「父上、その荷物は一体……」
ふとヴィクターが肩に抱えている荷物に気付き、ラウラは怪訝な表情で尋ねる。
「急な話だが、帝都へ赴くことになった」
「帝都へ? ……何かあったのですか」
これから帝都へ向かうと説明されたラウラはヴィクターに理由を尋ねる。
皆伝を得るために始めた修行だが、まだヴィクターに認められるほどの実力をラウラは示せていなかった。
最近になって、ようやく手応えが掴め始めたところなのだ。
なのに修行を切り上げて帝都へ向かうと言われれば、理由が気になるのは当然だった。
「ふむ……」
どう説明したものかと僅かに逡巡するヴィクター。
しかし、ラウラにも説明が必要だろうとヴィクターは考え、
「詳細は話せないが、宰相閣下から召喚状が今朝早く届いた」
そう答える。
宰相――オリヴァルトから召喚状が届いたと聞かされ、目を瞠るラウラ。
何が起きたのかは分からないが、ヴィクターを呼び寄せるほどの事態だ。
急を要する案件だとはいうのは、容易に察することが出来た。
「わかりました。では、私もお供を……」
「いや、そなたには別に頼みたいことがある」
帝都まで同行するつもりでいたのが『別に頼みがある』とヴィクターに言われ、ラウラは首を傾げる。
そして、どういうことかとヴィクターに尋ねようとした、その時だった。
「それは、俺の方から説明させてくれ」
割って入った声に驚き、ラウラが振り返るとそこには白いコートの男が佇んでいた。
どこか掴み所の無い雰囲気を臭わせる金髪の男性。
それは――
「トヴァル殿」
「お久し振りだ。ラウラお嬢さん」
遊撃士協会・帝国支部に所属する遊撃士、トヴァル・ランドナーだった。
◆
「娘の私にも言えないって、どういうこと!? あ、ちょっと――」
ラインフォルトの本社に母親の居場所を問い質すも一方的に通信を切られ、激昂するアリサ。
前にも何度かこんなことがあったが、今回のは特に意味が分からなかった。
この場所と時間を指定したのはイリーナの方なのだ。
なのに突然、予定のキャンセルを告げられ、一晩経っても本人からは一度も連絡がない有様だ。
本社にイリーナの予定や連絡先を尋ねても、何も言えない。話せないの回答ばかりで埒が明かなかった。
「……何処に行くの?」
「母様のところよ! こうなったら直接乗り込んで問い詰めてやるわ!」
勢いよく立ち上がると、スタスタと早足でエレベーターの方へ向かうアリサの後をフィーも追い掛ける。
怒っているのは分かるが、護衛を置いて行かないで欲しいというのがフィーの本音だった。
しかし、
「……あれ?」
「どうかしたの?」
「エレベーターが動かないのよ」
エレベーターの呼び出しボタンを何度も繰り返し押すアリサ。しかし、うんともすんとも言わない。
それどころか、エレベーターの位置を報せる導力掲示板は壊れているのか?
真っ暗なまま光が点っていなかった。
「もう、どうなってるのよ……って、フィー? どうかしたの?」
「……アリサ。他に出入り口はある?」
「え……非常階段があるけど」
「案内して」
「その必要はありませんわ。フィーさんのご想像通りかと」
エレベーターホールで声を掛けられて二人が振り返ると、そこにはメイド服姿のシャロンが佇んでいた。
シャロンの話に「やっぱり」と一人納得した様子で頷くフィー。
一方で状況をよくわかっていない様子のアリサに、シャロンは自分が見てきたものを説明する。
「なんで防火シャッターが下りてるのよ……」
シャロンの話によると、防火シャッターが下り、階段が封鎖されているとのことだった。
ここは本社ビルの二十四階にあるラインフォルト家の居住スペースだ。
まさか、窓を破って外へでる訳にもいかない。
となれば、考えられる答えは一つしかなかった。
「閉じ込められた」
自分たちの置かれている状況をアリサに説明するように、フィーはそう呟くのだった。
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