祝100話達成記念の幕間作品です。
少しだけ時間を溯って、まだリィンが帝都へ出発する前の話です。
大体、アリサと恋人関係になってから数日以内の話。
レンちゃんの可愛さをご堪能ください。
「……エステル? また、きてたの?」
エリィの家――マクダエル家の邸宅に帰るとリビングで寛ぐエステルを見つけて、レンは呆れる。
そんなエステルの隣で、申し訳なさそうに頭を下げるヨシュアの姿があった。
レンが呆れ、ヨシュアが肩身の狭そうな表情でいるのも、当然と言えば当然だった。
エリィの家でレンが居候をするようになってから、エステルは三日に上げず屋敷を訪れているからだ。
心配してくれているのは分かる。それでも、ちょっと過保護すぎるんじゃないかというのがレンの本音だった。
ぶっちゃけると――
「レン! 昨晩は何処に行ってたの!? 無断外泊はあれほどダメだって――」
「エステル、うざい」
鬱陶しい。
レンに反抗され、ガーンとショックを受けた様子で固まるエステル。
そうして、よろよろと後退りながらヨシュアの胸に顔を埋める。
「ううっ、ヨシュアどうしよ。レンがぐれちゃったよ……」
エステルに泣きつかれて、困った顔を見せるヨシュア。
いまはもうヨシュアと同じように半ば〈結社〉を抜けているような状況だと言っても、レンは執行者の一人だ。
そこらの不良どころか、マフィアも泣いて許しを請う裏社会の実力者だった。
困ったヨシュアに目で助けを求められ、レンは溜め息を交えながらエステルに声を掛ける。
「ぐれるも何も、危険なことはしてないわよ?」
「……じゃあ、昨晩は何処に行ってたの?」
目に涙を浮かべたエステルに睨まれ、レンは正直に言うべきか逡巡する。
嘘は吐いていない。危険なことは何一つしていないのは本当のことだった。
まあ、あくまでレンの基準ではあるが――
ハッキング技術を駆使して情報屋をやっていると言えば、エステルは反対するだろう。
そうしたことから情報屋を開業したことは、まだ出来ることならエステルに黙っておきたいとレンは考えていた。
「昨晩は団長さんのところにいたのよ」
だから、嘘と真実を織り交ぜながらレンはエステルの疑問に答える。
昨晩はずっとリィンのところにいたと言うのは本当の話だった。
勿論、仕事の話。依頼の件でだが――
「リィン・クラウゼルのところに!? な、なんで――」
先程よりも更にショックを受けた様子で、エステルは悲痛な声で理由を尋ねる。
しかし、エステルやヨシュアに依頼の内容を話せるはずもなく、レンは適当に誤魔化す。
「内緒よ。例え、エステルやヨシュアにだって言えないわ。レンと団長さんだけの秘密≠セもの」
敢えて誤解を招くような言い方で、二人だけの秘密を強調するレン。
ヨシュアは『また悪ふざけが始まった』とレンの悪巧みを見抜いた様子で溜め息を吐く。
「ダメよ! アイツとだけは絶対にダメ! お姉ちゃん、絶対に許しませんから!」
凄い剣幕でレンに詰め寄るエステル。
案の定、リィンとの関係を誤解した様子で必死にレンを説得しようと試みるが――
「どうして? レンは団長さんのこと好き≠諱v
その好きがエステルが考えているような気持ちかは分からないが、惹かれていることは確かだった。
もっとリィンのことを知りたい。リィンの活躍を近くで観察したい。
そう思ったからジェニス王立学園の誘いを断り、クロスベルで情報屋を開業したのだ。
ティータは少し残念そうにしていたが、リィンのことを話すと快く応援してくれた。
たぶん、自分とアガットの関係に置き換えて考えたのだろう。
レンもそんなティータの誤解に気付いていたが、むしろ都合が良いと思ってクロスベルへやって来たのだ。
(エステルには感謝してるけど、こういうところが玉に瑕なのよね……)
他人のために涙を流し、身体を張ることを少しも苦に思わない。
どんな時も決して諦めることなく、周囲に元気と明るさを振りまいてくれる。
そんな人々の希望――遊撃士≠ニなるために生まれてきたような少女。
それが、エステル・ブライトだった。
その太陽のような笑顔に、ヨシュアは救われたのだろう。
そして、自分もエステルに救われた一人だとレンは自覚していた。
こんな自分を家族として受け入れ、もう一度やり直す切っ掛けをくれたエステルには感謝している。
でも、少し窮屈に感じることがあるのだ。
(団長さんはありのまま≠フレンを受け入れてくれる)
エステルは家族の温もりを教えてくれた。
レンが心を凍らせ、必死に忘れようとしていた家族との絆を思い出させてくれた。
もう、本当の両親には会えないけど、レンにとってエステルとヨシュアは掛け替えの無い家族となっていた。
一方でリィンはそうした家族とは違うけど、エステルのように必要以上に構ってくることも子供扱いすることもない。
レンがどう言う存在かを知っていて、レンの力を必要としてくれる。ありのままを受け入れてくれる。
比べられるものではないが、リィンと一緒にいると気負うこともなく等身大の自分でいられる。
レーヴェのような大きさと安らぎを、レンはリィンに感じていた。
「エステルはどうして団長さんを嫌うの?」
「……え?」
レンの問いに勢いを削がれ、呆気に取られた顔を見せるエステル。
ここまで突っ込んだことを、レンも本当は聞くつもりがなかった。
しかし頑ななエステルの態度を見て、この先のことを考えれば一度きちんと話をしておくべきだと思ったのだ。
「猟兵だから? でも、レンやヨシュアもたくさん悪いことをしてきたわ。エステルが知らないようなことも一杯。そんなレンたちを受け入れてくれたエステルが、どうして団長さんだけをそんなに敵視するの?」
「そ、それは……」
それは、純粋な疑問だった。
リィンに対するエステルの頑なな態度に、前からレンは疑問を持っていたのだ。
「でも、アイツはマリアベルさんを……」
悲痛な表情を浮かべながら、そう言って肩を震わせるエステルを見て、そう言えばそのことがあったかとレンは得心する。
レンはマリアベルが生きていることを知っているが、エステルはまだそのことを知らないのだ。
とはいえ、
「そのことで団長さんを責めるのは間違いよ。必要ならレンだって手段を選ばないわ。仮にエステルの身に危険が及ぶようなら、ヨシュアも躊躇わないはずよ」
リィンは猟兵だ。余裕があれば気を配ることくらいはするだろうが、あくまでリィンが優先するのは仲間の命だ。
仲間と天秤に掛ければ、あっさりとリィンはその他大勢を切り捨てる。
しかし、それは自分も同じだとレンは話す。
仮にエステルの身に危険が及ぶようなことがあれば、その危険を排除するためにどんな手も厭わないだろう。
「……ヨシュア?」
「エステル、ごめん。この件に関しては、僕もレンの方が正しいと思う」
同じことはヨシュアにも言えることだった。
実際その時がくれば、自分を抑えられる自信がヨシュアにはなかった。
エステルを失うくらいなら、敵を殺すことを躊躇したりはしないだろう。
その点では、リィンのやり方に共感を覚えるところが少なからずヨシュアにもあるのだ。
「それに、猟兵と言ったって団長さんは無意味に人殺しや破壊活動を楽しむ悪人じゃないわ。むしろ見方を変えれば、たくさんの命を救った英雄≠諱v
帝国の内戦にせよ、巨神の事件にせよ――
多くの命が失われたことは事実だが、同時に救われた命もたくさんある。
実際、ここクロスベルでも〈暁の旅団〉に感謝し、リィンのことを英雄と讃える人々が一定数いるのは事実だ。
そうした結果を無視して、一方的にリィンを嫌うのはエステルらしくないとレンは問い詰める。
しかし、
「確かに、個人的な感情が入っていることは認めるわ。でも……」
自分の非を認めるも、納得は出来ないと言った表情をエステルは見せる。
理屈では理解できる。確かにリィンは、たくさんの命を救ったのだろう。
でも、そのやり方を認めることは出来なかった。
本当はレンやヨシュアにだって、誰も殺して欲しくないと思っているのだ。
エステルに出来る最大の譲歩は干渉しない。自分の正義を相手に押しつけないと言ったことだけだった。
だからリィンのやり方に納得は行かないが、本音では感謝もしているのだ。
「はあ……わかっていたことだけど頑固≠ヒ」
これ以上は何を言っても無駄だと、レンは降参の手を上げるのだった。
◆
「そう、そんなことが……」
「ええ、困ったものでしょ? お陰で屋敷を抜け出すのにも一苦労だわ」
一緒に夕食を取りながらレンの話を聞き、エリィは困った顔で苦笑する。
こうしてレンを預かっている以上、本来であればエリィは無断外泊を咎める立場にあった。
そうしないのは自分自身も仕事が忙しくて、余り家に帰れていない問題があるからだ。
それに注意しところで、素直に聞くようなら苦労はない。リィンからも『レンの自由にさせて置けばいい』とエリィは言われていた。
レンの力を信用しているからと言うのもあるが、必要以上に構っても束縛を嫌って逃げるだけだと察しているからだった。
「ベルの件は私も心苦しいのだけど……」
ベルのことが原因でエステルがリィンのことを誤解したままと言うのは、エリィにとっても余り嬉しい話ではなかった。
とはいえ、ベルの件はおいそれと口にだせる話ではない。
どこから秘密が漏れるか分からない以上、知っている人間は少ない方が良いからだ。
レンのように自分で真相に辿り着いたのならともかく、そうでないのなら無闇に教えるべきことではなかった。
「気にすることはないわ。団長さんも覚悟の上で黙っているのでしょう?」
「……そういうことを気にしない人だから」
誤解をされても構わないと思っているのだろうが、そこがリィンの悪いところだとエリィは思っていた。
だから面倒なことになっているのだが、このことをリィンに言ったところで考えを改めたりはしないだろう。
頑固なのはエステルだけでなくリィンも同じだと、エリィは溜め息を吐く。
「そう言えば、レンちゃん。本当のところはリィンのこと、どう思っているの?」
話を聞いて少し気になったことを、エリィはレンに尋ねる。
リィンのことを好きだと、エステルに告白したことだ。
エステルの追及をかわすためだけに口にした、その場凌ぎの嘘だとエリィには思えなかった。
「……女の勘って奴かしら?」
「そうね。アリサ≠フこともそうだけど、なんとなく分かるのよ」
レンの言葉を否定せずにエリィは答える。
リィンと付き合うようになってから、そうした勘に鋭くなったことをエリィは自覚していた。
だから、どこまで自覚があるのかは分からないが、レンがリィンに抱いている好意は本物だと思ったのだ。
「こんなにも、エリィが手強いとは知らなかったわ」
「リィンから受けた影響がそれだけ強いのだと思うわ。でも、それはレンちゃんも同じでしょ?」
そんな風に尋ねられれば、レンも否定は出来なかった。
自分の変化に戸惑い、驚いているのはレンも同じだからだ。
これが恋≠ネのかは、まだ自分でもよく分からない。
でも、リィンを近くで観察したいと思っていることは確かだった。
「それじゃあ、レンとエリィはライバル≠ニ言うことになるのかしら?」
「そうね。でも、私はレンちゃんとなら仲良く≠竄チていけると思っているわ」
からかうようにライバル宣言をすれば、あっさりと公認するようなことを言われ、レンは目を丸くする。
本当に手強くなった。初めて会った時からは想像も出来ないくらいにエリィは変わったと、レンは感じていた。
「正妻の余裕と言う奴かしら? 確かに少し分が悪そうね」
この手の駆け引きでは、エリィの方が一日の長があることをレンは認める。
しかし、成長しているのはエリィだけではない。
昔と違うのは、レンも同じだった。
「フフッ、ならお姫様≠スちと同盟≠結ぶのも悪くないかもね」
「……まさか、アルフィン総督やエリゼさんと手を結ぶつもり?」
「あら? レンたち、仲が良いのよ。この間だって、一緒にお茶会≠したのだから」
「いつの間に……」
アルフィンやエリゼとお茶会を開くほどに仲良くなっていると聞いて、エリィは驚かされる。
しかし、驚きはしたが納得もする。
こんな風にレンとガールズトークをする日が来るとは、夢にも思ってはいなかったからだ。
レン自身、その変化に気付いているのかは分からないが、良い傾向だとエリィは感じていた。
だから、
「でも、そうね。レンちゃんがその気なら、私も受けて立つわ」
レンの挑戦に望むところだと、エリィは艶やかな微笑みを返すのだった。
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