爛々と輝く日差しの下、カンカンと甲高い作業の音がセイレン島の空に響き渡る。
島では遺跡の調査と並行して急ピッチで湾岸施設や居住区画の整備が進められていた。
作業の中核を担っているのは、クロスベルから派遣された〈暁の旅団〉のメンバーだ。
普段からアリサの指導を受けているだけあって、腕の確かな技師が揃っていた。
それに〈暁の旅団〉の活動を支える非戦闘員は、帝国解放戦線に参加していた元一般人がほとんどだ。
ギリアス・オズボーンの強引な政策によって仕事や故郷を奪われ、テロリストに身を落とした者が多い。
そうした者のなかには農業や建築の仕事を専門としていた者など、多種多様な技能を持つ者たちが揃っていた。
それが、ここにきて大きく役に立ったと言う訳だ。
「どうやって物資と人員を運ぶのかと思ったら、まさか幽霊船とはな……」
ヴァルカンが呆然とした表情を向ける先には、一隻の帆船が建設中の港に停泊していた。
クロスベルから人員と物資をセイレン島へ送り込むのに利用された船――〈エレフセリア号〉だ。
単独で〈精霊の道〉を自由に行き来することが可能な船は、現在のところこの〈エレフセリア号〉しかない。
これを活用しない手はないとリィンは考え、キャプテン・リードに人員と物資の輸送を依頼したのだった。
とはいえ、キャプテン・リードを除くと船員が全員ガイコツの幽霊船だ。
魔法のある世界の住人とは言っても驚きは隠せなかったようで、最初はヴァルカンのような反応をする者が大半だった。
しかし――
「……もう、すっかりと打ち解けたみたいだな」
ヴァルカンの視線の先には、すっかりと慣れた様子でガイコツの船員たちと仲良く荷下ろしをする団員たちの姿があった。
彼等がこんなにも早く順応できたのは『団長のすることだから』と考えれば、アンデットを労働力に使おうと余り気にならなかったのだ。
そもそも幽霊船くらいで驚いていては〈暁の旅団〉の団員など務まらない。
アンデットなんてまだ可愛いもので、もっと非常識な人間が集まっているのが〈暁の旅団〉だ。
その代表格と言えば――
「……随分と機嫌が良さそうだな」
「久し振りの戦場だもん。それに全部シャーリィが食べちゃって≠「いんだよね?」
上機嫌で答えるシャーリィにヴァルカンは頭痛を覚える。
セイレン島。そして、セルセタにロムンとグリードの艦隊が迫っているとの話を聞いて、シャーリィのテンションは最高潮に達していた。
新しい力を手に入れて、思いっきり暴れられる機会を窺っていたのだろう。
しかも、魔獣や幻獣を相手にするのではなく人間同士の戦争だ。
猟兵の血が騒ぐのか? いつになくシャーリィはやる気を見せていた。
味方であれば、これほど頼りになることはないが、一つだけヴァルカンには心配なことがあった。
「やり過ぎるなよ? 間違っても殲滅≠キるんじゃないぞ」
ロムンに代わって、この世界を支配することが目的の戦争ではない。
仮にロムンやグリークを支配下に置いたところで圧倒的に人手が足りない。
暁の旅団のメンバーだけでは、広大な領土を持つ国や組織を運営するなど物理的に不可能だからだ。
セルセタの独立と、エタニアを国≠ニして認めさせることが出来れば、それで十分というのがヴァルカンの考えだった。
しかし、
「ようするに、指揮官は殺さないで捕まえれば良いんだよね?」
「ああ、まあ……それはそうなんだが……逃げる敵を追撃する必要もないからな。いいな。くれぐれも、やり過ぎるなよ?」
戦争どころか、シャーリィと〈緋の騎神〉がでれば一方的な殲滅戦になるとヴァルカンは確信していた。
シャーリィの好き勝手やらせてしまうと敵艦隊を壊滅させてしまうどころか、国そのものを滅ぼしてしまいかねない。
リィンからも『いまのシャーリィならアリアンロードとも良い勝負をするんじゃないか?』と注意を受けているくらいなのだ。
冗談でそんなことを口にするとは思えないので、ヴァルカンが必死に自制を促すのも当然だった。
「……悪いが、このバカのことをよろしく頼む」
「どうして、わたくしが……と言いたいところですが、仕方がないですね。頼まれました」
疲れきった表情のヴァルカンを見て、仕方がないと言った様子で引き受けるラクシャ。
リィンからシャーリィのことを頼まれたと言うのもあるが、ヴァルカンの危惧もよく理解できるからだ。
それに、この世界のことは出来るだけ、この世界の人間が表に立って解決した方がいい。それがリィンの考えだった。
だから捕虜の扱いや戦後交渉など、サライとグリゼルダに一任したのだ。
ラクシャは二人から、その手伝いを頼まれていた。
まあ、主にはシャーリィの抑え役として期待されているのだろう。
「早く来ないかな〜。テスタ・ロッサも愉しみ≠セよね?」
そう言って騎神を見上げながら舌を唇に這わせるシャーリィに、ヴァルカンとラクシャは揃って溜め息を漏らすのだった。
◆
同じ頃、クロスベルでは――
カレイジャスのブリッジにロンバルディア号の元船長、バルバロスの姿があった。
家族をセイレン島に残し、エレフセリア号に乗ってヴァルカンと入れ違いにクロスベルへとやって来たのだ。
熟練の船乗りとは言っても、海上を移動する帆船と飛行船では大きく勝手が違う。
そのため、艦長に必要な知識とスキルを学ぶべくカレイジャスで研修を受けていた。
「このカレイジャスは、世界で二番目に速い船と言われてるんですよ」
「二番目ですか?」
「はい。一番はリベールの巡洋艦〈アルセイユ〉ですね。この船のモデルにもなった艦で、世界最速の船と言われています。もっとも大きさは、こちらの方が1.5倍ほど大きいですけどね」
なるほど、とフランの話に感心した様子で頷きながらメモを取るバルバロス。
カレイジャスのオペレーターを務めていることから、フランはブリッジの仕事に詳しく各所に顔が利く。
そうしたことから、忙しいスカーレットに代わってバルバロスの世話を任されたのだ。
「凄い船でしょ? 覚えることがたくさんあって大変だと思いますけど頑張ってください。私も出来る限り、サポートしますから」
「ありがとうございます。とはいえ、故郷の船とは随分と勝手が違うので、正直なところ今は戸惑いの方が大きいですね」
「フフ、わかります。私も最初はそんな感じでしたから」
カレイジャスは、この世界でも最先端を行く技術で建造された最新鋭艦だ。
クロスベルのような大都会で生まれ育ったフランでさえ、驚きと戸惑いを隠せないような船だった。
専門的な知識が必要なことはフランや他の船員がいるとはいえ、艦長には浅く、広く、幅広い知識と経験が求められる。
一から学ぶべきことは多く、一朝一夕に務まる大役ではない。とはいえ、本人はやる気に満ちていた。
(島で帰りを待つ家族や、故郷へと帰れなくなった皆さんには暁の旅団≠フ力が必要だ。そのためにも――)
契約には対価を、働きには相応の見返りを与えるのが、リィンの流儀だ。
だからこそ、自分の働きが家族や漂流者の皆の生活を守ることに繋がると、バルバロスは信じていた。
リィンの期待に応えること。それが、いま自分の為すべきことだと――
「では、次はブリッジの仕事について説明しますね」
フランの説明を一言一句聞き逃さないように、バルバロスは真剣に耳を傾けるのだった。
◆
「――ッ!?」
何かに気付き、空中で身体を捻るフィー。
その直後、フィーの頬を一発の銃弾が掠める。
すぐにバランスを取って、フィーは空を見上げる。
すると、ビルの屋上でライフルを構える一人の男が目に入った。
「ゼノ」
西風がイリーナに雇われている以上、ゼノたちが敵に回る可能性は考えていた。
それだけに驚きはなかったが、少し拙い状況だとフィーは判断する。
いまフィーたちはビルの二十四階から地上へ向けて落下中だ。
上を取られている以上、一方的に狙い撃ちをされるのは避けられない。
「フィー様。下にも――」
シャロンの警告でフィーが地上を見下ろすと、そこには巨大な砲を構えるレオニダスの姿があった。
上と下から狙い撃ちをされながらも、フィーは咄嗟の判断で叫ぶ。
「跳ぶよ」
「はい」
フィーの意図を察して壁を蹴ると、シャロンは向かいのビル目掛けて鋼糸を放つ。
そして、銃声が響くと同時にフィーもまた風を纏い、足下の空気≠蹴って方向を変える。
「ちょ、待っ――いやああああッ!」
アリサの悲鳴が響く中、本社ビルと向かいのビルを結ぶ一本の鋼糸を足場にしてシャロンは空を駆ける。
そんなシャロンの行く手を阻むように、砲弾を放つレオニダス。
しかし、
「させない」
三角跳びの要領で宙を蹴ってシャロンとレオニダスの間に入るフィー。
すかさず刃を合わせ、レオニダスの放った砲弾を逸らすことで直撃を回避する。
その衝撃で弾き飛ばされそうになるフィーを、鋼糸を身体に巻き付けることで助けるシャロン。
だが、そんな隙を見逃すゼノではなかった。
体勢を崩したフィーに狙いを定め、ゼノはトリガーに添えた指に力を込める。
「あかん。逃がしたか……」
――が、弾丸が放たれた直後、ルーレの空を白い光が覆うのだった。
◆
「アリサ、大丈夫?」
ビルの物陰から周囲の様子を窺いながら、肩で息をするアリサにフィーは声を掛ける。
しかし、すぐに返事をしようにも思うように言葉が出て来ないアリサ。
はっきり言えることが一つあるとすれば、それは――
「……ううっ、生きててよかった」
命があることを喜ぶことだけだった。
「大丈夫そうだね」
それを、そんな一言で済ませるフィーにアリサは非難めいた視線を向ける。
だが、
「フィー様。傷の手当てを」
「え?」
シャロンに傷のことを指摘され、初めて気付いた様子を見せるアリサ。
フィーが怪我を負っているなどと思ってもいなかったのだろう。
「問題ない。こんなのかすり傷だから」
「いけません。放って置くと傷痕が残ります。リィン様に心配を掛けたくはないでしょう?」
「ん……」
そう言われては素直に受けるしかなく、フィーはしぶしぶと言った様子でシャロンに傷口を見せる。
よく見るとリィンとお揃いの黒いジャケットには小さな穴が空き、フィーの脇腹には銃弾の痕が残っていた。
恐らくは閃光弾を空中で炸裂させた直後、ゼノの放った銃弾がフィーの脇腹を貫通していたのだろう。
「フィー。その傷……」
「気にしなくていい。これが私の仕事だから」
傷のことを気に掛けるアリサに、フィーは心配は要らないと答える。
実際、この程度の怪我は怪我の内に入らないとフィーは思っていた。
戦場にでれば命のやり取りをするのだ。猟兵をしていれば、死に繋がるような大怪我を負うこともある。
ましてや、いまのフィーはアリサの護衛だ。
自分が怪我を負おうと、アリサを守る義務と責任がフィーにはある。
それに――
「これは……」
治療を施す前から勝手に塞がっていく傷口を見て、シャロンは目を瞠る。
考えてみれば、銃弾は脇腹を直撃していると言うのに血がほとんど流れていなかった。
「問題ないって言ったでしょ? いまの私は不死者≠セから、このくらいの傷は放って置いても治る」
そう言って、もうほとんど塞がっている傷口を二人に見せるフィー。
これにはシャロンだけでなくアリサも驚いた様子を見せる。
そんな二人を見て、溜め息を吐くフィー。
そういう反応をされるとわかっていたから、傷のことは黙っていたのだ。
「あとでちゃんと説明するから、いまは目の前のことに集中して」
いろいろと尋ねたいことはある。
しかし、そんな風に言われたら、アリサも引き下がるしかなかった。
実際、西風の攻撃を退けたとは言っても、完全に逃げ果せた訳では無いのだ。
いつまた追撃が掛かるとも知れない状況だけに、未だ油断のならない状況だった。
「お嬢様、これからどうなさいますか?」
改まってシャロンにそう尋ねられ、アリサは暗い影を表情に落とす。
たった一人の母親。家族に裏切られたのだ。アリサが思い悩むのも無理はない。
母親に会って話を聞きたい。父親のことや今回のことを問い質したいとは、いまでも思っている。
しかし、今度は怪我だけではなく命を落とすことになるかもしれない。
それにイリーナのもとへ向かうと言うことは、〈西風〉との衝突は避けられないと言うことだ。
フィーをゼノやレオニダスと戦わせることになる。アリサが迷うのも当然だった。
しかし、
「私に遠慮しなくていいよ」
「フィー?」
「お母さんに話があるんでしょ? 私もゼノたちに話があるから」
アリサが何を迷っているのかを察して、フィーはそう話す。
母親に会いたい。そんなアリサの願いを叶えるためにフィーはここにいる。
逃げ帰ったとあっては、信じて託してくれたリィンに会わせる顔がない。
それに――
「やられっぱなしは悔しいしね」
あの二人に手こずっているようでは、リィンどころかシャーリィにも追いつけない。
やられたままでは終われない。怪我を負わされた借りは、必ず返してみせる。
そんな決意を滲ませるフィーに、アリサは「やっぱりリィンの妹ね」と呆れながら尋ねる。
「無理はしない。死なないって約束できる?」
「ん……絶対に負けない。そもそも私、不死者だし」
そう言えばそうだった、とアリサは溜め息を吐く。
死なないというのは何処まで本当のことか分からないが、フィーの言葉をアリサは信用する。
フィーは生粋の猟兵だ。勝算もなくそんなことを口にするとは思えなかったからだ。
だから、
「お願い。私を母様のもとへ連れて行って」
人伝ではなく改めて自分の口から、フィーに依頼≠するのだった。
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