「今日からしばらく、よろしくお願いします!」
エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせながら少女が頭を下げると、瞳と同じ色のツインテールが子犬の尻尾のようにユラユラと揺れる。
白のショートパンツに黒いシャツとオレンジのベスト。
その上からピンクのパーカーを羽織った少女の名は――
「よく来てくれたわね。キーアちゃん」
キーア・バニングス。
虚なる神の力を宿す器として、教団によって生み出されたホムンクルス。
千二百年にも及ぶクロイス家の妄執が再現した神の奇跡。
現在は至宝の力を失っているが、嘗て〈零の巫女〉と呼ばれた存在が彼女だった。
リィンのもとにいるノルンは、彼女のもう一つの可能性。虚ろなる神へと至った並行世界のキーアだ。
碧の大樹が消滅した後、キーアはロイドに引き取られ、現在はバニングス家の養女として一緒に暮らしていた。
しかし、
「自分の家だと思って寛いで頂戴」
「うん。ありがとね、エリィ」
ティオは学会に出席するために帝国へ。
ノエルは新たに再編された警備隊の演習で、十日ほど家を空けることになり――
そしてロイドは、捜査官の仕事でレミフェリア公国に出張していた。
そのためキーアは、しばらくエリィの家で世話になることになったのだ。
「レンもよろしくね」
「レンの方がお姉さんだから、特別によろしくしてあげてもいいわよ」
自分より小さなキーアを見て、お姉さん振るレン。とはいえ、そこまで大きな差があるわけではない。
ここ半年ほどで背が伸び、キーアの背丈はベルを追い越してレンに迫るくらいにまで成長していた。
恐らくは至宝の力を失ったことで、止まっていた時間が動き出すかのように身体が急速な成長を始めたのだろう。
それにアルティナやミリアムも工房から出荷されて一年ほどで現在の姿に成長したことを考えれば、ホムンクルスの特性と考えられる。
「それじゃあ、レンちゃん早速で悪いのだけど……」
「ええ、任せされたわ」
すっかりと打ち解けた二人を見て、エリィは安心した様子でレンにキーアのことを頼む。
本当ならキーアのことを任された以上、出来る限り家にはいたいのだが、それが許される立場にエリィはいなかった。
一応、マクダエル家には通いの使用人がいる。屋敷の管理はその使用人がやってくれているのだが、それでもエリィは忙しい合間を縫って出来るだけ毎日家に帰るようにはしていた。
任された以上は他人に丸投げするのではなく、自分がしっかりと責任を持つべきだと考えているからだ。
それに、レンやキーアの過去を知っているだけに放っては置けなかったのだろう。責任感の強い彼女らしかった。
「ロイドたちも凄く忙しそうにしてるけど、エリィも……お仕事大変そうだね」
少し寂しげな表情を浮かべながら、玄関でエリィの背中を見送るキーア。
こんな風に毎日、ロイドたちのことも見送っていたのだろうとレンは察する。
本心では、もっと一緒にいたい。寂しいという気持ちを抱えてはいるが、それを口にはだせない。
ほんの少しではあるが、レンにもそんなキーアの気持ちが理解できたからだ。
だから――
「なら、レンと一緒にお仕事≠してみる?」
「え?」
「ちょっとしたお手伝いよ。お兄さんたちの……皆の役に立てることよ」
「皆の役に立てること……」
頑張っている皆のために何かをしたい。
ロイドたちのために自分に出来ることを、キーアはずっと考えていたのだろう。
迷う素振りを見せるキーアを見て、もう一押しだと思ったレンはリィンの名前を口にする。
「それに団長さん……リィンにも恩を返せるわよ」
キーアがリィンのことを気にしているのを察していたからだ。
人間ではなくホムンクルスだと知っても、家族として受け入れてくれたロイドたちには感謝している。
でも、こんな風に大好きな人たちに囲まれて人間らしい暮らしが送れるのは、リィンとノルンが巫女の役目から解放してくれたからだとキーアは思っていた。
なのに、まだ一度も御礼を言えていない。そのことをキーアは気にしていたのだ。
「頑張ったら、またノルンにも会えるかな?」
「団長さんに頼めば、たぶん会わせてもらえると思うけど、どうして?」
「ちゃんと御礼を言って、友達になりたいから」
そう話すキーアを見て、レンの脳裏にエステルの顔が過ぎる。
昔のレンなら、こんなお節介は絶対に焼かなかった。
きっと冷めた眼差しで、キーアの願いを一蹴していただろう。
でも、いまは――
「そうね。その時は美味しいお菓子にとびっきりの紅茶を用意して、もてなしてあげましょう」
「うん!」
こんな風に考えられるようになったのは、やはりエステルたちのお陰なのだろう。
お節介な家族の顔を思い浮かべながら、レンはキーアに手を差し伸べるのだった。
◆
「……こんな時間に出掛けても大丈夫かな?」
「大丈夫よ。使用人のおばさんは朝まで来ないし、エリィも明日の夕方までは帰って来ない。それに、ちゃんと書き置きを残してきたでしょ?」
「うん」
人目を避けるように夜の空港に忍び込む二人の少女の姿があった。レンとキーアだ。
家族に内緒で夜の街へ出掛けたことが、キーアにはないのだろう。
何食わぬ顔のレンと違い、キーアの表情には不安の色が滲んでいた。
「あ」
しかし、空港の一角に停泊した紅い装甲の船を見つけると、タタッとキーアは駆け出す。
カレイジャス。ラインフォルト社とZCFが合同で開発した〈紅い翼〉の異名を持つ〈アルセイユ〉の二番艦。
そして、いまは〈暁の旅団〉のシンボルともなっている船だ。
船体の横に描かれた太陽のマークが、この船が〈暁の旅団〉の船であることを示していた。
「……キーア・バニングス」
瞳をキラキラと輝かせながら船を眺めていると名前を呼ばれ、キーアは顔を上げる。
すると、月明かりを背にした銀髪の少女と白銀の騎士の姿が目に入る。
アルティナと、その相棒〈フラガラッハ〉だ。
白銀の騎士――フラガラッハの腕に抱かれ、ゆっくりとキーアの横に着地するアルティナ。
そして、景色に溶け込むように姿を消すフラガラッハに「おお」とキーアは目を輝かせる。
そんなキーアの反応に、やり難さを感じながら用件を尋ねるアルティナ。
「どうして、あなたがここに?」
「レンが連れてきたのよ」
キーアに用件を尋ねると別のところから答えが返ってきて、アルティナは溜め息を漏らしながら振り返る。
「レン・ブライト、あなたの手引きでしたか。……どういうつもりですか?」
「どうも何も、キーアはレンの助手よ。団長さんから頼まれた仕事を手伝ってもらおうと思って連れてきたの」
「……本気ですか?」
リィンがレンに依頼した仕事には、アルティナも関わっていた。
正確には、アルティナが任された作戦の手伝いをレンが頼まれたのだ。
「何を心配しているかはわかってるけど、キーアには口止めしてあるから大丈夫よ」
「守秘義務って奴だよね? うん、ここでのことはロイドにも言わないから安心して」
アルティナの危惧を察して、フォローを入れるレン。
キーアも胸の前で握り拳を作り、頑張りますとアピールをする。
「それに団長さん自身がティオに協力を持ち掛けた時点で、秘密も何もないでしょ?」
「確かに、その通りですが……って、どこでその話を?」
レンの言うように、リィン自身がティオを巻き込んだ時点で秘密にするのは不可能だとアルティナもわかっていた。
しかしティオと手を組んだことは、アルティナも昨晩の定時連絡で初めて知ったのだ。
それを、どうしてレンが知っているのかとアルティナは訝しむ。
「団長さんからメールがきてたのよ。ソバカスくんも仲間に加えたから、そのつもりで準備の方を頼むって」
「……ソバカス?」
「ヨナ・セイクリッド。エプスタイン財団のエンジニアよ」
「ああ、前にハッキングを仕掛けてきたハッカーですか」
リィンから導力端末にメールがあったことを説明するレン。
ソバカスと聞いて一瞬首を傾げるも、名前を聞いてアルティナは納得した様子を見せる。
自分たち姉妹の敵ではないが、そこそこ腕の立つハッカーだとヨナのことを記憶していた。
しかし――
「あの不埒≠ネ人を仲間にですか……」
「……不埒?」
特務支援課のメンバーを盗撮していた件で、アルティナはヨナのことを警戒していた。
不埒と聞いて、よくわかっていない様子で首を傾げるキーア。
「フフッ、気になるのならソバカスくんに直接聞くといいわ」
「うん? じゃあ、そうするね」
実のところ、ヨナが集めた写真の中にはキーアの写真も含まれていた。
そのことを知るレンは、きっと面白いものが見られるはずと、小悪魔的な笑みを漏らすのだった。
◆
「うっ……」
「ヨナ? どうかしたのですか?」
「いや、急に寒気がして……」
「夜更かしばかりしてるから風邪を引いたんじゃないですか? うつさないでくださいね」
そう言って歩きながら距離を取るティオを見て、ヨナは微妙に納得が行かないと言った顔を見せる。
「でも、よく会ってくれることになりましたね」
「まあ、部長が頑張ってくれましたので……」
感心するユウナに、微妙に歯切れの悪い答えを返すティオ。
ロバーツにフランツの予定を調べて貰っていたのだが、あっさりと面会の約束を取り付けてきたのだ。
そのため、調子に乗ったロバーツの相手にティオは苦慮していた。
「まあ、概ね予想通りの展開だけどな」
「……どういうことですか?」
ユウナと違い、余り驚いた様子のないリィンをティオは訝しむ。
帝国学術院の教授と言うのは、会いたいと思っても簡単に会える人物ではない。ましてや、新型機甲兵の設計をした人物だ。各国の技術者や軍関係者からも、面会の問い合わせが殺到しているはず。本来であれば予定を確認して、アポイントの予約を取ってからでなくては面会をすることは出来ないような重要人物だった。
早くて一、二週間。場合によっては一ヶ月以上待たされることもティオは考慮していた。
その時はロバーツに大きな借りを作ることになるが、エプスタイン財団の方から手を回してもらうことも考えていたのだ。
「あの場で挑発してきたってことは、何かしらの用事が俺たちにあるってことだ」
こちらから接触すれば、会談に応じるとわかっていたとリィンは話す。
むしろ、最初からそのために姿を見せたと考える方が自然だったからだ。
「では……別に部長に頼まなくても?」
「予定を確認するまでもなく、普通に申し入れをすれば面会できた可能性は高いな」
ロバーツに余計な借りを作っただけだとリィンに聞かされ、ティオは呆然としたまま廊下の角に差し掛かり――
「あうッ!?」
「ティオ先輩!?」
壁に衝突する。
慌てて駆け寄り、額を両手で押さえて蹲るティオを心配するユウナ。
そんな二人のやり取りを見て、リィンはやれやれと言った様子で肩をすくめる。
「そういや、勝手についてきたそこの女は別として、なんでボクも連れてきたんだ?」
勝手についてきた女と言われて、キッとヨナを睨み付けるユウナ。
とはいえ、ティオが行くなら自分も一緒に行くと、半ば強引についてきたのは事実だった。
しかし、ユウナは仕方がないにしても、自分も一緒に連れて来られた理由がヨナにはよく分からなかった。
そもそも、まだ手伝わされる仕事の内容についても詳しく聞かせてもらっていないのだ。
不安を覚えるのも無理はない。
「敵の顔くらいは拝んでおきたいだろ?」
「……敵?」
不穏な言葉に嫌な予感を覚えて訝しむヨナ。
とはいえ、弱味を握られている以上、逆らうだけ無駄だと理解していた。
ここまできた以上は腹を括るしかないと、ヨナは覚悟を決める。
「ここだな」
一枚の扉の前で足を止めるリィン。
第五研究室。ここが、フランツ・ルーグマンの研究室だった。
扉をノックして、リィンはドアノブに手を掛ける。
「おい、大丈夫なのか?」
「心配ない。ここで仕掛けてくるほどバカじゃないさ」
不安を表情に滲ませるヨナに、リィンは心配ないと答える。
そして、
「そうだろ? フランツ・ルーグマン。いや、黒のアルベリヒ」
扉の向こうで佇む白髪の男に声を掛けるのだった。
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