ガヤガヤと喧騒に包まれた男たちの声が聞こえてくる。
 そんななか闇夜に紛れ、そっと大学から抜け出す複数の人影があった。
 アリサ、フィー、シャロン。そして、ラウラの四人だ。
 入ってきた時のように姿を消して塀を乗り越えると、四人は道路を横断し、脇目も振らず路地裏に身を隠す。

「やっぱりいたね。百くらいかな?」

 大学の周囲で慌ただしく動く領邦軍を物陰から観察しながら、ざっと兵士の数を確認するフィー。
 領邦軍が外で待ち伏せをしていることに、フィーたちは最初から気付いていた。
 だから当初の作戦通り、サラとガイウスに囮≠頼み、その隙を突いて大学を抜け出してきたのだ。

「しかし、ユグドラシルだったか? 姿を消せるとは、凄いものだな」
「万能じゃないけどね。さすがに音≠ワでは誤魔化せないから」

 感心するラウラに、そう答えるフィー。
 仲間も一緒に姿を消すには使用者と接触する必要があるし、フィーの言うように気配までは隠せない。
 足音を立てれば気付かれてしまう恐れがあることから、先にサラとガイウスに騒ぎを起こしてもらったのだ。

「だが、他にも幾つか機能があるのだろう?」
「ん……何処でも通信できるのと物を仕舞える機能は便利だよね」
「そんなものを、私に預けてもよかったのか?」

 元々フィーのために用意していた〈ユグドラシル〉を、アリサがラウラ用に再調整したのだ。 
 団のメンバーでもない自分がこんなものを受け取っても良いのかと、ラウラが気にするのも当然だった。

「大丈夫。ラウラのことは信用してるから」

 リィンには事後承諾になってしまうが、相手がラウラなら恐らく大丈夫だろうというのがフィーの考えだった。
 それにラウラの剣の腕は信用しているつもりだが、可能な限り万全の状態にしておきたい。
 アーツが使えない代わりに身体強化に特化した〈ユグドラシル〉は、近接戦闘を得意とする剣士には打って付けの装備だ。
 自分よりもラウラが使った方が戦力アップに繋がり、アリサの危険も減らせると考えてのことだった。

「元より信頼を裏切るつもりなどないが、そうまで言われては期待を裏切れぬな」

 期待に応えられるだけの働きをして見せると、ラウラは笑みを溢す。
 そして、

「上手く陽動してくれたみたいね。領邦軍が街へ散っていくわ」

 アリサの言うように大学の周りを囲んでいた兵士たちが街中へと散っていく姿が確認できた。
 恐らくはサラやガイウスの後を追っていったのだろう。
 しかし、

「まさか、全員で持ち場を離れるなんて……ちょっと予想外かも」

 陽動の可能性をまったく警戒していないことにフィーは呆れる。
 指揮官が無能なのか? それともハイデルの指示なのか?
 いずれにせよ、フィーたちにとっては都合が良かった。

「でも、チャンスだね。いまのうちに……」
「ええ」

 フィーの言葉に頷き返すアリサ。
 そして、その後にシャロンとラウラも続く。
 四人が目指すのは、街の西部――郊外に立つ第五開発部の工場だった。


  ◆


 領邦軍の追跡から逃れるように入り組んだ路地を駆け抜ける二つの人影があった。
 漆黒の外套を纏ったサラとガイウスだ。

「ちゃんと付いてきてるみたいね」
「ええ、こんなにも釣れるとは少し予想外でしたけど……」

 サラの言葉に対し、脇にアリサに見立てた砂袋を抱えながらガイウスは溜め息を吐く。
 領邦軍を陽動するのが自分たちの役目だと言っても、まさか街中に配備されている兵士のほとんどが釣れるとは思ってもいなかったためだ。
 ハイデルの本気の度合いが見て取れるが、余りにお粗末すぎる指揮だとガイウスは呆れていた。

「まあ、こんなもんでしょ。ハイデル卿に従っている兵士って、貴族出の兵士が多いって話だしね」

 貴族連合に参加した貴族の多くは処罰を免れたとは言っても、まったくお咎めがなかった訳では無い。
 戦費負担のために私財の一部を没収され、領地を持つ貴族のなかには内戦の影響で税収が激減し、借金を背負った貴族も少なくなかった。
 領民への補償や復興そのものが政府の支援なくして立ち行かないという者も少なくない。
 なかには折角処罰を免れたと言うのに領民の暴走を恐れ、領地を返上する者も現れているという混乱振りだった。
 ハイデルの下にいるのは、そうした貴族を親に持つ三男や四男と言った貴族出身の兵士が多い。
 領邦軍とは名ばかりで、ハイデルに群がることでおこぼれを期待しているような連中だ。
 当然、ログナー候配下の兵士と比べれば、圧倒的に練度も低い。この結果も納得の行く話だった。
 しかし、

「そんな情報をいつの間に……」

 ずっと酒を呷っているところしか見ていないのだ。
 サラがいつの間にそんな情報を仕入れたのかと、ガイウスが不思議に思うのも当然だった。

「何よ……まあ、そりゃ領邦軍のことを調べたのは、あの完璧メイドだけど……」
「ああ、なるほど」
「……アリサといい、アンタといい、あたしのこと本当に尊敬してるのかしら?」

 領邦軍から逃げながら、ガイウスの納得の仕方に納得が行かないと愚痴を溢すサラ。
 未だに教官と呼んでいるくせに、どうにも扱いが雑な気がしてならなかったからだ。
 まあ、それも日頃の行いが原因なのだが、サラ自身に改める気がないのだからどうしようもない。
 禁酒を言い渡したところで三日と保たないだろう。それが彼女――サラ・バレスタインという女性だった。
 ようするに感謝はしているが、同時に『サラ教官だし』と諦められているのだ。

「まあ、いいわ……。よくはないけど、まずは仕事≠きっちりとこなすのが先よね」

 自分に言い聞かせるように、そう話すサラ。
 思った以上に兵士の数が多い。このまま街中を逃げいても包囲されるのは時間の問題と言ったところだった。
 かと言って、街の外へ逃げるのも難しい。街の出入り口は更に警戒が厳しく、領邦軍によって固められているからだ。
 しかし、サラとガイウスには考えがあった。
 そろそろ頃合いかとサラが次の行動に移ろうとした、その時。
 一羽の鷹が空から舞い降り、ガイウスの腕に止まる。
 それはガイウスの相棒、鷹のゼオだった。

「サラ教官。無事、アリサたちは大学をでて工場へ向かったようです」

 地上の様子を空からゼオに探らせていたのだ。
 当然、人間の言葉を話すことは出来ないが、ゼオの言っていることをガイウスは大凡理解していた。
 ガイウスの報告を聞き、丁度良いタイミングだとサラは笑みを溢す。

「そう、ならここからは少し派手≠ノ行きましょうか」

 そう口にするとサラは踵を返し、追って来る兵士に向かって懐から取り出した閃光弾を投げつける。
 直後、真っ白な光が辺り一帯を染め上げる。
 その光に紛れ、サラとガイウスは兵士との間合いを一気に詰めるのだった。


  ◆


「B班との連絡が途絶えました。恐らく、全滅したものと思われます!」
「――何!?」

 部下の報告に驚愕の声を上げる指揮官。
 一瞬で追跡していた兵士たちが倒されたなどと俄には信じがたい話だったからだ。
 しかも、報告はそれだけでは終わらなかった。

「続けて、D班から襲撃を受けているとの報告が入っています! は!? 全滅――」

 次々と司令部に寄せられる報告。
 それは追っていたはずの自分たちが、いつの間にか逆に狩られる立場に変わっているという意味の分からない報告の数々だった。
 彼等は気付いていなかったが、サラとガイウスも闇雲に街中を逃げていた訳では無い。
 ルーレの街は工場やビルが建ち並んでいることから、路地裏などは迷路のように入り組んだ構造をしている。
 道は狭く、そうした場所に部隊を投入しようにも一度に送り込める数は限られる。精々が数人と言ったところだろう。
 包囲を広げ、逃げ道を塞ぐことで一気に捕らえようとしたのだろうが、それこそがサラとガイウスの仕掛けた罠だったのだ。

 さすがに百を超す兵士を相手にするのは、サラとガイウスと言えど楽な仕事ではない。
 しかし、狭い路地で満足に身動きの取れない数人の兵士であれば話は別だ。
 ゼオが空から兵士の位置をガイウスに伝え、その誘導に従ってサラが兵士を気絶させていく。
 獲物を追っているつもりで、逆に狩り場へ誘い込まれていたと言う訳だった。

「……やはり、こうなったか」

 すべての部隊を投入することに彼は反対だった。
 しかしハイデルからの命令で仕方なく、すべての兵士をサラたちの追跡に向かわせたのだ。
 数に物を言わせた強引な追跡。罠を警戒していない時点で、こうなることは結果として予想できたことだった。

「ハイデル様から進捗状況の確認が来ていますが――」
「……放って置け」

 こうなったのは無能な上官、ハイデルの所為だ。
 ハイデルが現場に余計な指示をださなければ、もう少し上手く立ち回ることも出来ただろう。
 もう、付いていけないとばかりに指揮官は投げ遣りな答えを返す。
 どのみち、この作戦が失敗すれば自分は切り捨てられると理解していてのことだった。


  ◆


「どうなっている!? 何故、誰も通信にでないのだ!」

 ホテルの一室で怒りの声を上げるハイデル。しかし、誰も彼の疑問に答えてくれるものはいない。
 それも当然だ。この結果は彼自身が招いたことでもあった。
 いまはハイデルに従っているとは言っても、彼等は元々ノルティア領邦軍に所属する兵士だ。
 それぞれ思惑があってハイデルに従っていたに過ぎず、今回の件が明るみになれば彼とて無事では済まない。
 聡い者は作戦の失敗を感じ取って、ハイデルに見切りを付けて離反を始めている兵士も出て来ていた。

「おのれ! あの親子の所為で――」

 作戦が失敗したことにようやく気付き、自分のことを棚に上げながら喚き立てるハイデル。
 しかし、このままここにいては拙いと言うことくらいは、彼にもわかっているのだろう。
 手早く現金と金になりそうな物をトランクに詰めると、荷物を引き摺るようにして部屋のドアを目指す。

「まだ終わった訳では無い。そうだ。バラッド候に連絡さえ取れれば――」

 再起を望める。
 自分に都合の良い考えを口にしながら、ハイデルがドアノブに手を掛けようとした、その時だった。
 ハイデルが扉を開けるよりも先に、外側から扉が開かれたのだ。

「そこまでだよ。叔父上」
「ア、アンゼリカ――どうして、お前がここに!?」
「その台詞……聞くのは二度目≠ゥな?」

 一度目はラインフォルトの本社ビルで、そして二度目は今日このホテルでだ。
 まったく懲りていない様子の叔父の姿を見て、アンゼリカはやれやれと溜め息を吐く。

「この調子では、バイクで旅にでるのは随分と先になりそうだ」

 アンゼリカは士官学院を卒業後、侯爵家の娘として責務を果たすためにログナー候の仕事を手伝っていた。
 まだバイクで大陸を横断するという夢を諦めた訳ではないが、貴族の責務を優先せざるを得ない状況に立たされたためだ。
 その原因の一端を担っているのが、いまアンゼリカの目の前にいる叔父――ハイデルだった。

「無駄なことだ! 仮にここで私を捕まえたところで、またすぐに釈放される!」
「……イリーナ会長に助けを求めるつもりなら無駄だよ? 叔父上がアリサくんを人質に取ろうとしていたことは既に発覚済みだ。兵士からの証言も取れている。幾らイリーナ会長とはいえ、自分に二度も逆らった人物を助けようとは思わないだろうさ」
「フンッ、それがどうした。私の価値≠ヘバラッド候が保証してくださっている。次期カイエン公と目されるバラッド候のお力があれば、そのくらいの罪――」
「ああ、そっちを期待しているのか。それは無理≠ネ話だ」
「……は?」

 ログナー候の弟という自分の立場を考えれば、まだ十分に交渉の余地はあるとハイデルは思っていた。
 実際、イリーナの口添えがあったとはいえ、一度は助けられている。
 バラッド候も利用価値があると思ったからこそ、自分を助けたに違いないとハイデルは考えていたのだ。
 なのに何が無駄なのかと、心の底から意味が分からないと言った顔を見せるハイデルに――

「少し前、帝都から報せが届いた。紫の猟兵≠フ襲撃を受け、現在バラッド候は意識不明の重体だそうだ」

 と、アンゼリカは告げるのだった。



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