「……妙ね」
コンテナの陰に身を隠しながらアリサたちが様子を窺っているのは、ルーレの郊外に立つ第五開発部の工場だ。
シャロンの話によると厳戒な警備が敷かれているという話だったが、外から眺めた限りでは人気がしなかった。
工場の入り口に警備の兵が立っていないばかりか、見回りすら確認できない。
訝しげな表情で、どういうことかとシャロンに尋ねるアリサ。
しかし、シャロンもまったく心当たりがない様子で、首を左右に振る。
「サラ教官とガイウスが領邦軍を惹きつけてくれたお陰で、こちらの警備が手薄になったのではないか?」
「だと良いんだけど……」
ラウラの言うことにも一理あると認める一方で、それだけでは説明が付かないとアリサは訝しむ。
「巡回の警備員すら一人も見当たらないって言うのはね……」
元々ここは工場が軒を連ねる区画の中でも特に警備の厳重なエリアだ。
ラインフォルト社の所有する研究施設や工場も数多くあり、二十四時間体制で警備兵が詰めているはずなのだ。
なのに、この状況。なんらかの罠の可能性が高いとアリサは考えたのだが――
「フィー? ちょっと、そんな無防備に……」
隠れるのを止め、工場に向かってスタスタと歩き始めたフィーに驚き、アリサは慌てて呼び止める。
幾らなんでも、そんな真似をすれば確実に発見される。
どんな罠が用意されているか分からないのだ。
アリサが慌てるのも無理はなかった。
しかし、
「ん……大丈夫。誰もいないから」
「え?」
慌てるアリサに対して、フィーは振り返りながらそう答える。
「本当に……大丈夫なの?」
「恐らくは、フィー様の仰るとおりかと……」
「うむ。人の気配が一切しない。少なくとも、近くに誰かが隠れていると言うことはなさそうだ」
シャロンとラウラからも大丈夫だと言われ、周囲を警戒しながらコンテナの陰から飛び出すアリサ。
だが、何も起きる様子はない。フィーの言うように無人のようだった。
「どういうことよ……幾らなんでもおかしいわよ」
シャロンが工場の様子を確認してから、まだ二時間ほどしか経過していないのだ。
アリサたちの動きに気付き、撤収したのだとしても動きが早すぎる。
「……微かに血の臭いがする」
そう言って工場の中へ入っていくフィーの後を、アリサたちは追い掛ける。
そして、恐る恐ると言った様子で工場の中へと足を踏み入れた、次の瞬間――
アリサは両手で口を押さえ、顔を青ざめた。
「……これは酷いな。フィー?」
「ダメ。全員、死んでる」
顔を顰めて確認を取ってくるラウラに、フィーは首を横に振る。
血を流し、床に横たわる死体の数はざっと五十を超えていた。
作業服を着ていることからも、恐らくはこの工場で働いていた作業員だろうと察せられる。
そのなかには、警備兵と思しき者たちの姿も確認できる。残念ながら生存者は一人もいなかった。
「……どう見る?」
「……使われた武器は火薬式の銃火器。手口から判断するなら、たぶん猟兵の仕業。それも相当に手慣れてるね」
現場を検証しながら、ラウラの質問に答えるフィー。
使用された武器は導力式のものではなく、昨今では珍しい火薬式の銃。こうした武器を好んで使うのは猟兵に多い。
それに不意を突かれたのか? 死体には、ほとんど抵抗の後が見られなかった。
一方的に短時間で殲滅していることからも並の練度ではない。
トップクラスの猟兵団の仕業だと、現場の状況からフィーは推察する。
「まさか……〈赤い星座〉じゃ?」
訝しげな声で、フィーにそう尋ねるアリサ。
昨年クロスベルで起きた猟兵団によるテロ事件が頭を過ぎったのだろう。
そのテロを主導したとされる一団が、西風の旅団と双璧を為す西ゼムリア大陸で最強の一角と噂される猟兵団――〈赤い星座〉だった。
確かにアリサの言うように、赤い星座は火薬式の武器を好んで使っている。
一人残らず殺害している躊躇のなさを考えれば、赤い星座が関与している可能性は十分に考えられる。
しかし、
「……たぶん違うと思う」
確証がある訳では無いが、これをやったのは〈赤い星座〉ではないとフィーは感じていた。
幾度となく戦場でまみえた相手だからこそ、感じ取れる違和感のようなもの。
仮にこれをやったのが〈赤い星座〉であるのなら、この程度≠ナ済んでいるはずがない。
シャーリィの父親、あのシグムント・オルランドのことだ。不意を突くのなら――
「〈赤の戦鬼〉なら建物ごと破壊してる」
証拠を残さない意味でも、建物ごと中の人間を押し潰すくらいのことは平然とやる。
だが、関係者を皆殺しにする残忍性を持っているかと思えば、工場の周辺にはそれを悟らせる形跡を一切残していない。
手口が〈赤い星座〉の仕業にしては、綺麗すぎるとフィーは感じていた。
「では、一体何者がこんなことを……」
凄惨な光景を目に焼き付けながら、怒りと不快感を顕にするラウラ。
ラウラ自身も先の内戦で、多くの人間を手に掛けている。だから殺しそのものを否定するつもりはない。
それでも武器を持たない人間まで容赦なく、ただの一人も残さずに命を奪った犯人に不快感を覚えていた。
見慣れた光景とはいえ、フィーもまったく何も感じないと言う訳ではない。
とはいえ、
「ラウラ、アリサ。ショックなのは分かるけど、先を急ごう。ゼノたちが一緒だから大丈夫だとは思うけど……」
フィーに言われて、ここにきた理由をラウラとアリサは思い出す。
誰がこんなことをやったのかなど気になることはあるが、ここにはイリーナと話をするためにやって来たのだ。
フィーの言うようにゼノとレオニダスが一緒だと言っても、もしかしたらという不安がアリサの頭を過ぎる。
「お嬢様。フィー様の言うように、会長は恐らく無事だと思います。それを確認する意味でも――」
「……そうね。先を急ぎましょう」
シャロンの励ましに不安を押し隠すように、アリサは気丈に振る舞うのだった。
◆
工場の中は何処も最初の場所と同じように凄惨な光景が広がっていた。
文字通り、全滅。誰一人として生き残りはいなかった。
だが、
「ここで最後。……見当たらないね」
不幸中の幸いと言って良いのか分からないが、ゼノやレオニダスは勿論のことイリーナの姿も確認できなかった。
工場の中にいないと言うことは、恐らくはゼノとレオニダスがイリーナを連れて逃げたのだろうとフィーは察する。
「ん……」
「フィー? どうかしたのか?」
落ち着きなく周囲を見渡すフィーを訝しみ、声を掛けるラウラ。
「ちょっとね。この辺りかな?」
壁のレンガに手を当て何かを探るように、フィーはコンコンと壁を叩いて回る。
そして僅かに音の違う箇所を発見すると、フィーはそのレンガを押し込むように手の平に力を込めた。
その動きに連動するように床の一部がスライドし、地下へ続くと思われる階段が姿を見せる。
「よく分かったわね。こんなの……」
「まあ、トラップや仕掛けを見分けるのは慣れてるから」
感心するアリサに当然のように答えると、フィーは危険がないかを確かめるために階段を覗き込む。
薄暗く先を見通すことは出来ないが、階段に靴跡と思しきものをフィーは見つける。
そしてよく観察してみると、靴跡の近くには血痕と思しき黒ずんだ血の跡が確認できた。
(……まだ、真新しい)
恐らくは、最近ここを通った者が残した足跡だろう。
それも、そんなに昔の話ではない。
ほんの三十分か、一時間ほど前のことだと血の渇き具合からフィーは推察する。
だとすれば、考えられることは一つしかなかった。
「ここを通って、ゼノたちは逃げたのかもしれない。一応、聞くけど……行くよね?」
「当然」
アリサならそう答えるだろうと、わかっていての質問だった。
◆
階段を下りた先には、坑道が広がっていた。
造りはしっかりとしているが、かなり古いものだとフィーは推察する。
「古い坑道みたいね。たぶん、随分と昔に封鎖された坑道の一つだと思うわ」
そんなフィーの疑問に答えるように話すアリサ。
ルーレの郊外には『ザクセン鉄鉱山』と呼ばれる鉄鉱石が採れる鉱山がある。
帝国で最大の産出量を誇る鉱山だけに、その内部は迷路のように入り組んでいて、このように封鎖された区画が現在も随分と残されていた。
「ん……なら、ここを通っていけば貨物列車のところまでいける?」
「ええ、たぶん……あ、もしかして」
何かに気付いた様子で声を上げるアリサに、フィーは頷き返す。
状況から言って、イリーナたちがここを通って逃げたことは間違いない。
恐らくは鉄鉱石を運び出すために用意された列車を使い、ルーレを離れるつもりなのだと察することが出来たからだ。
「でも、それならもう母様は……」
とっくにルーレを離れているはずだと考え、アリサは複雑な表情を滲ませる。
イリーナが無事だったことを喜ぶ一方で、サラとガイウス。それにラウラにまで協力してもらって、ここまでやってきた理由がなくなってしまったからだ。
覚悟を決めてきたと言うのに、何とも言えない肩透かしを食らってアリサは肩を落とす。
しかし、
「いまからなら、急げばギリギリ追いつけるかもしれない」
「え……」
「ゼノとレオのどっちかだと思うけど、怪我をしてるみたいだから」
怪我人を連れて、それほどスピードをだせないはずだ。
それにゼノとレオニダスだけならともかくイリーナが一緒となると、どのみち無茶は出来ない。
全速力で追い掛ければ、いまからでも追いつける可能性は十分にあるとフィーはアリサに伝える。
「怪我って、大丈夫なの?」
「ん……たぶん」
「たぶんって……」
嘗ての仲間だと言うのに余りに軽い反応を返され、アリサは呆れる。
とはいえ、別にゼノとレオニダスを嫌っていると言う訳ではない。
団を抜けたとはいえ、まだ二人のことを家族≠セとフィーは思っていた。
それだけに、二人のことはよく知っている。
あの二人が多少の怪我を負ったくらいで簡単に死ぬとは思えない。
どちらかと言えば――
「それより急ごう。ラウラ、アリサのことをお願いしてもいい?」
「心得た」
「え、ちょッ! また、こんな扱いなの!?」
ゼノとレオニダスの二人に手傷を負わせた相手のことが気掛かりだった。
アリサには心配ないと言ったが嫌な予感がすると、フィーは足跡を頼りにイリーナたちの後を追い掛ける。
そんなフィーに置いて行かれまいと、アリサを肩に抱えたラウラとシャロンもスピードを上げるのだった。
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