恐らくは離宮を訪れた際、プリシラ皇太妃が滞在で使っている部屋なのだろう。
 どこか女性らしさを感じる花の香りが漂う部屋で、リィンはプリシラ皇太妃とテーブルを囲んでいた。
 プリシラ皇太妃が手ずから淹れた紅茶を口にしながら、ドアの前で待機するクレアにリィンは声を掛ける。

「そんなところに立ってないで、お前もこっちへきたらどうだ?」
「リィンさんの仰るとおりです。クレアさんも一緒にお茶会を楽しみませんか?」

 そんなリィンの話に、これ幸いと乗っかるプリシラ皇太妃。こういうところはアルフィンの母親だな、とリィンは実感する。
 元々プリシラ皇太妃は下級貴族の出身で、ユーゲント三世の側仕えをしていたという話だ。
 中央で官職に就く貴族なら羽振りの良い生活をしている者はいるが、大半の貴族は平民とそう変わらない暮らしをしている。
 田舎の領主などは農民と一緒に畑を耕したり、狩りで生計を立てている者もいるくらいだった。
 だからこそ皇太妃という立場でありながら下級貴族出身の彼女は、平民に対しても隔たりがないのだろうとリィンは考える。
 ユーゲント三世が四大名門から妃を娶るのではなく、彼女を選んだ理由がリィンは少し理解できる気がした。

「いえ、私はここで……」

 セドリックと違い、プリシラ皇太妃は女性だ。
 外聞的にもリィンと二人きりにする訳にはいかないと考え、護衛を兼ねて部屋まで同行したが、クレアは同席をするつもりはなかった。
 さすがに畏れ多いと固辞するクレアを見て、プリシラ皇太妃は寂しげな表情で溜め息を吐く。
 そして、

「実家から取り寄せた茶葉を使っているのですが、お口に合いましたか?」
「ああ、ほっとする良い味だ」
「よろしかったら、こちらの焼き菓子もどうぞ」
「これも、皇太妃が?」
「はい。その昔、側仕えをしていた頃に先皇陛下が褒めてくださったこともある自信作なのですよ」

 昔のことを思い出しているのか?
 どこか哀愁を漂わせながら話すプリシラ皇太妃を一瞥し、リィンは焼き菓子に手を伸ばす。
 ふんわりとした食感と程よい甘さが口の中に広がる。
 微かに紅茶の香りがするところを見ると、生地に茶葉を練り込んであるのだろう。

「美味いな。クレアも、こっちへきて食べたらどうだ?」
「そうです。クレアさんも是非!」

 パッと表情を花開かせ、再びリィンの話に乗っかるプリシラ皇太妃。
 お淑やかそうに見えて、やはりアルフィンの母親だとリィンは再確認するのだった。


  ◆


「さてと、クレアをからかうのはこのくらいにして、そろそろ本題≠聞かせてもらえますか?」

 やっぱり態とだったと知って睨み付けてくるクレアを無視して、リィンはプリシラ皇太妃に尋ねる。
 リィンが会場から抜け出すタイミングを見計らって声を掛けてきたことからも、恐らくは人目を避けたのだと想像が付く。
 セドリックとの会談のことも、恐らくは最初から知っていたのだろう。
 こうした席を用意した以上、内密な話があると考えるのが自然だった。

「……私は席を外した方がよろしいでしょうか?」

 そう尋ねるクレアに、プリシラ皇太妃は首を横に振って答える。
 リィンと内密に話がしたかったと言うのは確かだが、元よりクレアに隠すつもりなら席を外してもらっている。
 それにリィンとしたかった話とは、あくまで個人的な話だった。

「まずは感謝と謝罪をさせてください」

 そう言って頭を下げるプリシラ皇太妃を見て、クレアは目を瞠る。
 帝国の皇太妃が平民に――それも猟兵に頭を下げるなど、普通は考えられないことだったからだ。
 非公式な席とはいえ、こんなことが貴族たちに知れれば大問題となる。
 だからこそ公の場ではなく、リィンとの秘密裏な会談をプリシラ皇太妃は望んだのだ。

「薄々と気付いてはいたが、すべてお見通し≠ニ言う訳か」

 プリシラ皇太妃が頭を下げた事情を、リィンは最初から察していた。
 こういうことになるだろうと予想した上で、彼女の誘いを受けたからだ。

「最初の感謝はアルフィンとセドリックのこと、あとの謝罪はユーゲント三世のことだと受け取っても?」
「はい」

 頷くプリシラ皇太妃を見て、リィンはやれやれと言った様子で溜め息を漏らす。
 プリシラ皇太妃には理由があっても、リィン自身に頭を下げられる理由がなかったからだ。
 だから、返すべき答えは決まっていた。

「どう感じようと、俺は俺のしたいようにやっただけだ」

 内戦の頃からそうだが、アルフィンは出来る限りセドリックに悪意が向かわないようにと行動をしてきた節がある。
 貴族連合に参加したカイエン公子飼いの貴族たちを粛清した時もそうだ。
 暁の旅団との繋がりを一切隠さず、むしろ自分が依頼したことを強調するかのような態度を示していた。
 クロスベルの総督となってからも、その行動に変化はない。
 貴族たちに疎まれ、恐れられ、厄介者扱いされることすらアルフィンは計算に入れて動いていたのだ。
 すべて、セドリックに彼等の悪意を向けさせないためだ。
 アルフィンなりに弟のことを、そして帝国の未来を憂いての行動だったのだろう。

 だからこそリィンはアルフィンの考えを汲み取って、誰の目にも分かり易い悪役≠演じて見せたのだ。
 今回のこともそうだ。貴族派・革新派を挑発することで、彼等の悪意が自分に向くように仕向けた。
 リィンを重用する皇家にも不満は集まるだろうが、それでもリィンに集まる注目ほどではない。
 ましてや、彼は猟兵だ。どちらに多くの悪意が集まるかは、考えるまでもないことだった。
 しかし、リィンはプリシラ皇太妃に感謝されるようなことをしたとは考えていなかった。

 自分が望んでしたことだ。打算が無かった訳ではない。
 オリヴァルトにも言ったことだが、相応の対価は受け取っている。
 それに、そもそも猟兵というのは他人から恨まれ、嫌われるのが仕事のようなものだ。
 戦争屋などと揶揄されるが、実際その通りだ。そして、それは別に誇れるようなことでもない。
 争いの絶えない世界だからこそ必要とされる存在であり、また逆に言えば必要とされるべき職業ではないとリィンは考えていた。

「それにユーゲント三世のことについても、皇太妃に謝罪をされる理由が俺にはありません」
「ですが、オズボーン閣下にすべての責を負わせ、あの人は……」

 結果的にそうなったことは確かだ。
 ギリアスは帝国の歴史に大罪人として名を残し、ユーゲント三世は帝位を退いたとは言っても名誉は守られた。
 皇帝が協力者だったとするよりは、宰相の暴走として片付けた方が帝国のダメージは少ないと言う思惑が働いたからだ。
 実際、真実を知らない者たちにはユーゲント三世は信頼していた側近に裏切られた哀れな皇帝というイメージが付いている。
 同情の声があるだけ、死んで大罪人となったギリアスよりは遥かにマシだろう。
 リィンのこともその大罪人の息子と罵る輩はいるが、本人はまったくと言って良いほど気にしていなかった。
 というのも、最初からギリアスのことを父親などと認めてはいないからだ。

「俺はあの男≠父親だなどと一度も思ったことはありませんよ。ただ一つ言えることがあるとすれば――」

 国や仕える主君のために、すべての罪を背負って死んでいったのだ。
 最後に帝国の宰相らしいことをやれたのではないか、とリィンは話す。
 もし、ユーゲント三世も処罰されていれば、この国は泥沼の戦争へと突入していた可能性が高い。

 皇家に取って代わって帝国を牛耳ろうとする貴族たち。
 そんな彼等と相容れない考えを持つ革新派。
 漁夫の利を得ようと画策する共和国。

 そうなったら先の内戦などとは比較にならない血が流れていただろう。
 ギリアスのしたことは赦されないことだが、最後に彼は自分の名を汚すことで帝国を守ったのだ。
 いや、帝国だけの問題ではない。周辺諸国にも、その影響は波及していた可能性が高い。
 世界を破滅に導こうとした男が、皮肉なことに世界を救ったとも言える。

(とはいえ、それで納得はしてくれないか)

 若くして皇帝となったセドリック。
 オリヴァルトもよくやってはいるが、正直に言ってギリアスと比べればまだまだだ。
 夫の分までもそんな子供たちを支えていこうと、慣れない政治に奔走してきたプリシラ皇太妃の苦労は窺える。
 身体の疲れもそうだが、心労も相当に溜まっているはずだ。
 こうしてリィンに謝罪をすることも、彼女にとっては必要なことだったのだろう。
 母親として、妻として、プリシラ皇太妃はリィンに深い負い目を感じていると言うことだ。
 だからクレアも何も言わず、黙って話を聞いているのだとリィンは察する。
 その上で、

「……わかりました。なら、謝罪と感謝の代わりに一つ、お願いを聞いて頂けますか?」

 プリシラ皇太妃に、そう提案する。
 互いに妥協できる点を考えれば、それが一番角が立たないと考えたからだ。

「お願いですか? 勿論、わたくしに出来ることであれば――」

 なんでも仰ってください、と身を乗り出して尋ねてくるプリシラ皇太妃。
 クレアの視線が鋭くなったのを感じながら、リィンは深く息を吸い込んで答える。

「なら、クレアを俺にくれませんか?」

 まさかのお願いに、目を丸くするプリシラ皇太妃。
 何より一番驚いたのは、クレア自身だった。


  ◆


「なるほど。リィンさんはパートナーを放って、他の女性を口説いていたと……」

 そう言って、帰りのリムジンの中で向かい合わせに座るオリエに睨まれ、リィンは酷い誤解だと溜め息を吐く。

「相手はプリシラ皇太妃だぞ?」
「それを言うなら、私も人妻ですけどね」

 ぐうの音も出ない反論に、リィンは押し黙る。
 とはいえ、オリエも本気で言っている訳ではなかった。
 敵には容赦のない性格をしているが、基本的にリィンは優しい。
 特に女子供には、少し甘いところがあると思っての忠告だった。
 男が思っている以上に、女は強かな生き物だと知っているからだ。
 それに――

「誰にでも優しくしていると、そのうち後ろから刺されますよ?」

 自然と相手の望むことが出来るというのは、確かにリィンの美点だ。
 一方で、よかれと思ってしたことでも、面倒な誤解を招くことがある。
 猟兵という職業に理解のある女性からすれば、リィンは優良物件と言っていいからだ。
 強く、優しく、資産もある。美青年と言うほどではないが、容姿も悪くない。むしろ整っている方だ。
 そんな男性に優しくされれば、好意を抱かない女性はいないと言うのがオリエの見立てだった。

「……肝に銘じておく」

 改善できるかどうかは別として、オリエの忠告を素直に受け取るリィン。
 リィンとて、別に自分から問題を引き起こしたい訳ではなかった。
 どうしてこうなるのかと、それなりに女性関係では悩みも抱えているのだ。
 自覚がないから何度も同じことを繰り返すのだが、こればかりは注意をしても難しいことだった。

「それより、収穫はあったのか?」
「何人か、味方に引き込めそうな方々と話をしました。ですが……」

 有力な情報は得られなかった、とオリエは答える。
 出来ることならマテウス本人か、バラッド候に近しい人物が出席していることを願ったのだが、そう上手くは行かなかった。
 欠席の理由も建て前で、皇族派と距離を置くのが狙いだったのだろうと考えられる。
 ノーザンブリアへの侵攻を提言していたバラッド候が重症を負ったことで、貴族たちの間にも動揺が広がっている。
 だからこそ、オリヴァルトの誘いに乗らなかったのだろう。

「そのことだが、一月の三日に新年の催しで御前試合≠することになった」

 帝都では毎年、一月一日から新年を祝う催しが三日間続けて開催されている。
 夏至祭ほどの規模ではないが政府や企業が主催するイベントの他、屋台なども建ち並び、それを目当てに外国からも観光客がやってくるそこそこ大きな行事だ。前回は内戦の影響で開催が見送られ、今年もノーザンブリアへの侵攻が噂されていることから開催が危ぶまれていたのだが、国民が不安な毎日を過しているこういう時だからこそ、むしろ大々的にやるべきだとオリヴァルトが主張し、開催が決定したものだった。
 その最終日に御前試合をすると聞かされ、オリエは「え?」と目を丸くする。

「オーレリアと試合をする話は前にしただろ? アレを新年の催しでやるそうだ。謂わば、ガス抜きの一環だな」
「……なるほど、そうなりました。ですが、よろしいのですか?」

 見世物となることに抵抗はないのか、と言った意味でオリエに尋ねられるも、リィンは肩をすくめる。
 まったくないと言えば、嘘になる。しかし、元より覚悟を決めていたことだ。
 それに――

「場所は当初の予定通り第一機甲師団≠フ演習場を使うそうだ」

 相手の出方を探るには丁度良い。
 オーレリアとの戦いは正直なところ気が進まなかったのだが、いまとなっては好都合だとリィンは思っていた。
 一度、マテウス・ヴァンダールとは顔を合わせておきたいと考えていたからだ。
 御前試合と言うからには、セドリックも試合を観戦すると言うことだ。
 だとすれば、第一機甲師団の司令官が立ち合わないということはないだろう。

「……わかりました。こちらも覚悟を決めておきます。ですが〈黄金の羅刹〉と本気でやり合うおつもりですか?」
「あっちは手を抜いてくれないだろうしな……真剣にやるさ。それに賞品≠烽ナることだしな」

 リィンは〈黒の工房〉の件を抜きにしても敵が多い。
 オーレリアとの戦いで消耗したところを、刺客に狙われると言った展開も十分に予想される。
 リィンの身を案じての質問だったのだが、まったく予想しなかった答えが返ってきてオリエは首を傾げる。

「賞品ですか?」
「ああ、上手くことが進めば、団の強化にも繋がりそうだしな」

 当日が楽しみだ、と言ってリィンはニヤリと笑うのだった。



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