リィンがオリエとレイフォンの買い物に付き合わされている頃――
 ラインフォルト本社の会長室で母親と向かい合い、眉間にしわを寄せるアリサの姿があった。

「……なんで、ここにいるのよ?」

 アリサがそう尋ねるのも無理はない。
 イリーナが乗っていたと思われる貨物列車が脱線事故を起こしたという記事を、つい先日目にしたばかりなのだ。
 記事には乗客が乗っていたとは書かれていなかったが、心配してイリーナの捜索を計画していた矢先のことだった。
 祖父、グエンから連絡を貰ったのは――

 元々マカロフには最後のお願い≠ニ称して、グエンへの繋ぎをお願いしていたのだ。
 元々はイリーナの説得に失敗した時の保険のつもりだったのだが、そのグエンから連絡を貰い――
 まさかと思って本社ビルを訪ねて見れば、いつものように会長室でイリーナが仕事をしていたと言う訳だった。

「なんで、とはご挨拶ね」
「だって、列車が脱線事故を起こしたって……。それに謎の猟兵団に追われていたんじゃ」
「最初から列車に乗ってないわよ」
「……え?」
「あと謎の猟兵団≠ナはなく工場を襲撃したのは〈ニーズヘッグ〉ね」

 母親の無事を喜ぶ暇も与えられないまま、次々に語られる新情報にアリサは困惑する。
 貨物列車に乗っていなかったと言うことも驚きだが、既に襲撃者の情報をイリーナが掴んでいるとは思っていなかったためだ。
 列車に乗らなかったのは追撃を警戒してのことだろう。
 自らを囮にして相手の裏を掻く行動はイリーナの得意とするところだ。
 だが、

「それって、確かなの?」

 ニーズヘッグの仕業と聞いて、アリサは慎重にイリーナに尋ねる。
 そんなアリサの問いに答えず、電話を片手に机の上に溜まった書類を片付けるイリーナ。
 こんな時まで、いつもと変わらない母親の姿に苛立ちを募らせるアリサだったが――

「いい加減に――」

 怒声を発しようとした直後、後ろの扉が開く。
 ガチャリと扉が開く音を耳にして、母親との話を邪魔されて苛立ちを隠せない表情で振り返るアリサ。
 扉を開けて部屋に入ってきたのは――レオニダスだった。
 アリサは目を瞠る。確かに出来る限りの治療は施した。
 それでも動けるまでに快復するには数ヶ月は掛かると、シャロンから話を聞いていたからだ。

「……動いて大丈夫なの?」

 そう尋ねるアリサに「問題ない」と頷くレオニダス。
 訝しげな表情を浮かべるも、本人が言うのならとアリサは複雑な表情で納得する。

(猟兵って、どういう身体の構造をしているのかしら……)

 全治数ヶ月の怪我を負って、ほんの数日で動けるようになるなど普通ではない。
 と言うか、普通なら気合いでどうにかなる話ではなかった。
 リィンやフィーとの付き合いで理解はしていたつもりでも、改めて猟兵の非常識さをアリサは実感する。
 とはいえ、ヴァルカン辺りがアリサの話を聞けば、あんな連中と一緒にするなと怒るところだろう。

「あれ? でも、母様がここにいるってことはもう一人≠フ方は?」

 レオニダスを見て、ゼノのことを思い出すアリサ。
 だが、

「ここにイリーナ会長がいるのが答えだろう」

 レオニダスの言葉で、ゼノがいない理由を察する。
 イリーナを逃がすために囮となったと言うことだ。
 もしかしたら貨物列車にはゼノ一人で乗ったのかもしれない、とアリサは考える。

「怪我の治療をしてくれたそうだな。礼を言う」
「え、うん。そのことは別にいいんだけど……」

 レオニダスから礼を言われ、戸惑いながら答えるアリサ。
 そして、彼ならもしかして――
 と考え、先程イリーナにしたのと同じ質問をレオニダスに返す。

「あなたたちを襲撃してきた犯人が〈ニーズヘッグ〉って本当なの?」

 嘗てノルド高原で集落を襲った猟兵のなかに、ニーズヘッグと呼ばれる猟兵たちがいたことをアリサは思い出しながら尋ねる。
 リィンやフィーの話によると、西風や〈赤い星座〉と比べれば実力・知名度共に劣るもののそれなり≠ノ大きな猟兵団という話だった。
 しかし、そうすると一つ疑問が残る。フィーとラウラが戦った〈闘神〉のことだ。
 死んだはずの〈赤い星座〉の団長が、どうして〈ニーズヘッグ〉と行動を共にしているのか?
 アリサが本当に〈ニーズヘッグ〉の仕業なのかと疑問を持つのは当然だった。

「紫の装備を纏ってはいたが、戦い方を見れば分かる。あれは間違いなく〈ニーズヘッグ〉の連中だ」

 猟兵と一口に言っても、団によって特色は違う。
 北の猟兵などは特に秀でた実力者はいないが、元軍人の集まりとあって統率に長けた戦い方をすることで有名だ。
 ニーズヘッグも集団戦を得意とする猟兵団だが、北の猟兵と比べても手口は残忍で民間人にも容赦がない。
 謂わば彼等は、世間一般の猟兵に対する悪いイメージを体現したかのような猟兵だった。

「問題は、どこの隊の者たちかだが……」
「……どういうこと?」
「〈ニーズヘッグ〉の部隊は依頼の請負から実行まで、それぞれが独立した活動をしている。今回動いている部隊も、その内の一つだろう」

 隊によって特色は違うが、概ね一致しているのは〈西風の旅団〉や〈赤い星座〉と違い、団員の結束力が弱いと言うことにあった。
 目的の邪魔になるようなら仲間すらも簡単に切り捨てる。
 リィンやフィーだけでなく、あのシャーリィですら嫌悪を抱くような猟兵団だ。
 戦う術を持たない一般人を手に掛けることなど、ニーズヘッグにとっては躊躇うようなことではない。

「闘神が一緒にいた理由までは俺たちにも分からない。しかし〈北の猟兵〉になりすましていたことからも目的の察しは付くがな」
「そういうこと……」

 そうしたレオニダスの話を聞き、アリサは合点が行ったと言った様子を見せる。
 バラッド候だけでなくイリーナまでもが〈北の猟兵〉に変装した者たちに狙われたとなると、目的の察しは容易に付く。
 ノーザンブリアとの開戦。その時期を早めることが〈ニーズヘッグ〉の裏にいる者の狙いと言うことだ。
 一番怪しいのはバラッド候だが、実際に彼は襲撃を受け、意識不明の重体にあると言う話だ。
 自分の身を危険に晒してまで、そんな計画を実行に移す人物だろうかとアリサは疑問に思う。
 本人に直接会ったことはない。しかし話に聞くバラッド候の人物像からは、とてもそんな真似が出来る人物とは思えなかった。

「アリサ」
「え?」

 考えをまとめていると、突然イリーナから声を掛けられて驚くアリサ。
 ようやく仕事を終えたのか?
 席を立ったイリーナに大きな封筒を渡される。

「……これは?」
「ビルの権利書。それは今日付であなたのもの≠諱v

 一体なにを言っているのかと驚きながらアリサは封筒の中身を確認する。
 そこには確かに旧IBC本社ビル。現在のラインフォルト・クロスベル支社が入っているビルの権利書が入っていた。
 イリーナの言うようにアリサ・ラインフォルト≠ノ名義は書き換えられている。
 オルキスタワーを除けば、クロスベルで一番高いビルのオーナーにアリサはなったと言うことだ。

「ちょっと待って、私は――」
「〈暁の旅団〉に入ると言うのでしょう?」

 どうしてそのことを知っているのか、と驚愕するアリサ。
 しかし、イリーナはそんなアリサの疑問に答えることなく話を進める。

「必要な書類はそこにすべて入っているわ。元々独立採算制でやっていることもあって、グループから独立してやっていくのも難しくはないでしょう。それに第四開発部は会長直轄の部門だから、ラインフォルト家のやり方に反対する社員も少ない。あなたが代表となっても、すんなりと上手く行くはずよ。あとのことはシャロンにでも相談しなさい」

 まったく意味が分からない、と言った表情を見せるアリサ。
 ビルの権利の譲渡など、イリーナの独断で決められるようなことではない。ましてや社員のことにしても、その話が事実だとすれば随分と前からイリーナは準備を進めていたと言うことになる。まるで最初からアリサとシャロンが自分のもとを去り、暁の旅団に入ることがわかっていたかのようだった。
 いや、違う。イリーナは確信もなく、このようなことをする人物ではない。最初から、こうなることがわかっていたのだとアリサは推察する。
 だとすれば――

「母様ちゃんと答えて。父様が生きていることも知っていたの?」

 そう確信するに至った理由。それはフランツのこと意外にないとアリサは考える。
 誤魔化しは許さないと言った厳しい目でアリサに睨まれ、

「知っていたわ」

 イリーナはそう答える。

「死体は出て来なかったし、最初からそんな予感≠ヘあった。確信をしたのは、貴族連合から機甲兵の開発を持ち掛けられた時ね」
「やっぱり、あれは第五開発部の暴走なんかじゃなかったのね……」

 機甲兵の件は表向き、ハイデルがカイエン公と結託して行なったとされている。
 しかしアリサはイリーナが第五開発部の動きに気付いていなかったとは思っていなかった。
 当時まだ学生だったアリサたちでさえ、疑惑を持っていたのだ。
 敏腕で知られる会長のイリーナが、ハイデルの動きに気付かなかったというのは妙だと思っていたのだ。

「……最初から父様と結託して、二人で私を騙していたってこと?」
「そう捉えてもらって構わないわ。私は娘≠フあなたよりも、あの人を――フランツを優先した」

 と、イリーナは少しも躊躇うことなくアリサの問いに答える。
 そんなイリーナの言葉に、怒りを堪えるように唇を震わせるアリサ。

「それでいいの!? 父様に命を狙われたかもしれないのに!」

 状況から考えてバラッド候の仕業でないのだとすれば、イリーナを襲わせたのはフランツである可能性が高い。
 もしかしたら口封じに殺されようとしたのかもしれないのだ。
 それでもフランツの味方をするのかと、アリサが問い質すのも当然だった。
 しかし、イリーナは少しも迷うことなく答える。

「ええ、あの人に殺されるのなら、それでも構わないと思っているわ」

 どうして……と呟きながら、半ば放心状態と言った様子で後ずさるアリサ。
 イリーナの――母親の考えていることが、アリサには分からなかった。
 こんなものを渡してきたかと思えば、フランツと共犯だったことを明かし、裏切られたかもしれないのに殺されても構わないと話す母の考えが――

「あなたたちとの契約もこれで終了よ。報酬はいつもの口座に振り込んでおいたから」
「……了解した」

 レオニダスにそう告げると、部屋から立ち去ろうとするイリーナを――

「母様! 待って、まだ――」

 アリサは悲痛な声で呼び止める。
 聞きたいことがたくさんある。まだ話したいことが一杯ある。
 必死にイリーナを呼び止めようとするアリサだったが、そんな彼女に――

「それは手切れ金代わりよ。今日から、あなたと私は親子じゃない。もう二度と私たち≠ノ関わらないで」

 イリーナはそう言い残して、振り返らずに立ち去るのだった。


  ◆


「イリーナ会長」

 エレベーターから降りたところでイリーナは声を掛けられて、足を止める。
 一階のホールでイリーナを待ち構えていたのは、メイド服に身を包んだ一人の女性――シャロンだった。
 すぐにイリーナの到着を待っていたSPが近寄ってくるが、そんな彼等をイリーナは腕の一振りで制止する。

「あなたも、私に何か聞きたいことがあるのかしら?」
「いえ、私は……会長に最後のご挨拶と御礼≠述べたくて、ここでお待ちしていました」
「……御礼? 私はあの人が生きていることに気付いていながら、あなたを利用していたのよ?」

 元よりシャロンに負い目があるのを知っていて、イリーナは契約を持ち掛けたのだ。
 騙していたことを非難されるならまだしも、感謝される理由がないとイリーナは話す。
 しかし、シャロンは首を横に振る。

「事情はどうあれ、空っぽだった私に『シャロン』という名を与え、別の生き方を教えてくださったのは会長です」

 イリーナがどう思っていようと、シャロンが抱く感謝の気持ちに変わりはなかった。
 フランツが生きていたことを知っていたかどうかなど関係ない。
 そもそもシャロンがイリーナと交わした約束は、フランツが帰ってくるまでラインフォルト家で働くと言うことなのだから――
 そして、

「ここに契約は果たされました」

 フランツが表舞台に姿を見せたことで契約は果たされた。

「これからは、アリサお嬢様と未来の旦那様に愛≠ニ献身≠捧げさせて頂く所存です」
「……そう、それがあなたの選んだ道なのね」

 契約が果たされた時、シャロンが去ることはイリーナにもわかっていた。
 その上で、アリサのもとに残る可能性も低いと思っていたのだ。しかし、結果は違った。
 リィン・クラウゼル。彼が、シャロンの心を繋ぎ止めたのだとイリーナは察する。

(彼には、感謝しないといけないわね)

 これで心置きなく前へ進むことが出来ると、イリーナは覚悟を決めた様子でシャロンの横を通り過ぎ、玄関口へと向かう。

「会長……いままで、ありがとうございました」

 そんなイリーナの背中を見送りながら、シャロンは恭しく頭を下げるのだった。



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