「アリサは?」
「お母さんには会えたみたいけど、帰ってきたからずっとあんな感じ……」

 そう話すフィーの視線をラウラが追うと、ベッドの上で枕に顔を埋めるアリサの姿があった。
 イリーナとの間に何かあったのだと察して、ラウラは溜め息を吐く。
 そして、

「ラウラは決めた?」
「うむ。そなたたちと共に行かせて欲しい」

 迷いなくそう答えるラウラに「よろしく」と短く一言返すフィー。
 自分の身体のことやノーザンブリアで起きていること、話せることはすべてラウラにフィーは打ち明けた。
 ノーザンブリアの人々をどうするかとまで具体的な内容は説明していないが、あとの判断はラウラに委ねたのだ。
 そして、ラウラのだした結論がフィーたちに協力をすることだった。
 少なくともリィンやフィーが、ノーザンブリアの人々に理不尽な真似をするとは思えない。二人のことを信用してのことだった。

「説明したと思うけど、リィンからも口止めされてるから――」
「わかっている。誰にも見聞きしたことを話すつもりはない。勿論、父上にもな」

 本来であれば黙っていればいいところを信じて話してくれたのだ。
 その信頼に応えるのは当然だとラウラは考えていた。
 とはいえ、フィーの話でも不老不死≠ノなったなど言う話を、最初は俄に信じることは出来なかった。
 しかし〈闘神〉の件もある。死者が蘇るくらいなのだから、不死者がいても不思議はないと納得することにしたのだ。
 実際、フィーの怪我が自然と治っていくところを目にしている。

「フィー。そなたは私に、強くなるためなら人間をやめられるかと聞いたな」
「ん……ラウラが望むなら頼んであげてもいいよ? ただし、うちの団に入るのが条件だけどね」

 リィンからも釘を刺されたことだが、これ以上は団員でないものに教えられないとフィーは話す。
 クイナやノルンの存在は〈暁の旅団〉にとって最重要機密と言ってもいいからだ。
 実際どうやって不死者の力を手に入れたかは、フィーはラウラに一切話していなかった。

「しばらく返答は待ってもらえるだろうか。私はまだ限界≠ヨ達したとは思っていない。せめて、皆伝へと至らぬことには――」

 答えをだすことはできない、と話すラウラに「分かった」とフィーは頷く。
 元より答えを急いでいる訳では無かった。むしろ、納得が行くまで考えてからでも遅くはない。
 いまのラウラが団に入ったとしても、自分と同じように不死者とならなければ早死にするだけだとフィーは考えていた。
 強いとは言っても、ラウラ程度の強さなら代わりを務められる人間は大勢いるからだ。

 暁の旅団はリィンやシャーリィを始め、隊長格がほぼ全員超一流の使い手であることが知られているが、末端の団員も弱くはない。
 普段からシャーリィの相手をさせられたり、ヴァルカンの指導を受けているのだ。現在では〈赤い星座〉の団員に迫る練度にまで成長していた。
 勿論、それでもヒラの団員と比べれば、ラウラの方が実力は上だろう。しかし、ラウラが得意とするのは剣術だ。
 それも仲間と一緒に戦うよりも、多対一を得意とするタイプの剣士だ。そうである以上、他の団員と同じようには扱えない。
 ならば、最低でも皆伝へ至るのが最低条件と言ってよかった。
 とはいえ、剣の腕は既に皆伝クラスへ至っている。ラウラに足りないのは実戦経験だ。

(ラウラなら何か切っ掛けがあれば、一気に化ける可能性がある)

 まだ追い付かれるつもりはない以上、自分も気を抜けないとフィーは気を引き締めるのだった。


  ◆


「はあ……」

 あれから数時間。食事を終え、まだ上の空と言った様子で宿泊しているホテルのラウンジで溜め息を吐くアリサの姿があった。
 勇気をだして会いに行けば、手切れ金だと言われてクロスベルにある支社の全権利を渡され、絶縁を言い渡されたのだ。
 しかも何も言い返せずに帰ってきたのだから、アリサが塞ぎ込むのも無理はなかった。
 いや、正確には何も言えなかったのだ。イリーナの言葉には有無を言わさせない覚悟があった。
 どうしてそこまで――と、アリサはグルグルと思考を巡らせる。

「随分と落ち込んでおるみたいじゃな」
「え……」

 声を掛けられてアリサが顔を上げると、そこにはよく見知った顔があった。
 グエン・ラインフォルト。ラインフォルト社の創設者にして、アリサの祖父にあたる人物だ。

「イリーナから、絶縁状でも叩き付けられたか?」
「どうして、そのことを――」
「何を隠そう、儂も同じようなことを言われたからの!」

 そう言って胸を張るグエンを見て、アリサは指で眉間を押さえる。
 実の娘に勘当されたなどと、胸を張って言うようなことではなかったからだ。

「お祖父様。いまは一人に……」
「そうして悩んでおると言うことは、イリーナの真意に実は気付いておるのではないか?」

 一人にして欲しい、そう言おうとしたところで核心を突かれ、アリサは表情を歪める。
 母の真意。イリーナがどうしてあんな風に突き放すようなことを言ったのか?
 グエンの言うように、本当はアリサも気付いていたのだ。

「ラインフォルト≠フため……」
「うむ。まあ、これを見れば納得が行くじゃろう」

 そう言ってグエンは小型の導力端末を起ち上げると、表示した画面をアリサに見えるようにテーブルの上に置く。
 そこには見る者が見れば理解できるデータが記録されていた。
 イリーナ・ラインフォルトの名前でサインがされた幾つもの書類。最後のものは今日の日付になっている。
 あの時だ、とアリサは気付く。アリサの目の前で処理していた仕事。あれが、このデータだったのだと――

「ラインフォルト社が独立採算制を取っているのは知っておると思うが、幾つかの製作所を完全に本体から独立させることで会社を分割する計画が密かに進められていたことが、このデータからは分かる」

 そのうちの一つが、イリーナから渡された封筒の中身なのだとアリサは理解する。

「儂にも経営権を返すと言って、こんなものを渡してきおった」

 グエンが鞄から取り出したもの。それはアリサがイリーナから渡されたものと同じ封筒だった。
 ラインフォルトは大きく分けて、三つの製作所と二つの開発部に分かれている。

 鉄鋼や大型機械全般を取り扱う第一製作所。
 銃器や戦車と言った兵器全般を取り扱う第二製作所。
 導力列車と飛行船の製造や開発を手掛ける第三製作所。
 導力通信やオーブメントの開発を手掛ける第四開発部。
 そして、第五開発部。機甲兵の設計と開発を手掛け、その生産を一手に担っているとされる部門だ。

 アリサがイリーナから渡されたのは、このなかで第四開発部に関する権利だった。
 クロスベルに支社をだすと決めた時から、第四開発部の移設を決めていたのだろう。
 その権利のすべてをアリサに譲渡したと言うことだ。
 現在グエンの手元には、第三製作所の引き継ぎが終わったことを証明する書類があった。
 となれば、残りの第一・第二製作所及び第五開発部がイリーナに従っていると考えられる。

「第一製作所は貴族派。第二製作所は革新派。第五開発部の機甲兵にしても、何れも兵器≠フ開発や製造に深く関わっている部門ね」

 ラインフォルトがこうした幾つもの部門に分けられ独立採算制を取っているのは、競争させることによって技術力を競わせる狙いがあった。
 なかでも第一製作所と第二製作所は貴族派と革新派に分かれ、以前からも事ある毎に対立が起きていたのだ。
 グエンが引き継いだ第三製作所は、そのどちらにも与さない中立派。
 そしてアリサが任された第四開発部は、本来は会長直轄の部門だった。

「……兵器をラインフォルトから切り離すことで、非難が集中するのを避けるのが狙い」

 恐らくイリーナは、バラッド候やフランツの計画が失敗すると見越しているのだろう。
 そうなれば、内戦以前から深く計画に関わっていたラインフォルトも一蓮托生と見做される。
 これまで以上に、世間から厳しい非難を浴びせられるのは確実だ。なんらかの処分が下る可能性は高い。
 しかし、それまでに少なくとも他の部門を独立させてしまえば受けるダメージは最小限で済む。
 最悪の事態を想定して、以前から準備を進めていたのだろう。
 ラインフォルトが抱える闇。そのすべてを自分一人で背負って終わらせるつもりなのだと、アリサはイリーナの考えを察する。

「でも、私は……」

 イリーナの真意を察しても、いまの自分には何も出来ないとアリサは顔を伏せる。
 そんな元気のない孫娘の姿に、やれやれと言った様子で溜め息を漏らすグエン。

「確かに一人では、どうすることも出来んじゃろう。個人で解決するには、手に余る問題じゃ。だが――」

 御主には頼れる仲間がいるはずだ、とグエンはアリサを諭すのだった。


  ◆


「なるほど……」

 アリサの話を聞いて納得した様子を見せると、少し逡巡するリィン。
 いつもの定時連絡で、アリサから相談があると話を持ち掛けられたのだ。
 そこでイリーナとの間にあったやり取りや、グエンから聞かされた話を打ち明けられたのだが――

「それで、お前はどうしたいんだ?」

 結局はアリサ次第だとリィンは考え、尋ねる。
 イリーナの真意はどうあれ、ラインフォルト社の一部門が手に入るのだ。
 しかも、戦術オーブメントの開発を手掛ける部門となれば、今後〈ユグドラシル〉の研究もしやすくなる。
 アリサにとって悪い話ではないし、リィンからしても棚からぼた餅と言える話だった。

『私は……このまま母様一人にすべての責任を負わせて、黙って見ているのなんて嫌。だから、お願い』

 私に力を貸して、とアリサはリィンに頭を下げる。
 そんなアリサに対してリィンは――

「分かった。協力してやる」
『え? いいの? そんなにあっさり……』

 あっさりと了承を得られ、意外な顔を見せるアリサ。
 リィンのことだ。何かしら対価を要求されるとでも思っていたのだろう。
 リィンもそこは否定するつもりはないが、どうせアリサのことだ。
 協力を拒んだところで一人でも、どうにかしようと行動を起こすことは目に見えていた。
 勝手に暴走されるよりは、まだ手綱を握っておいた方がリスクは少ない。
 それに――

「ビルごとラインフォルトの部門の一つが手に入るんだろ?」

 報酬はそれで十分に釣り合っていると、リィンは答える。
 どうせ、アリサとシャロンは〈暁の旅団〉に入ることが決まっているのだ。
 いや、イリーナの許可を得た時点で、既に二人は団員の資格を得ていると言っていい。

『リィンのものになる訳じゃないんだけど……』
「アリサのものにはなるんだろ? なら、同じことだ」

 身勝手な持論を持ちだされ、アリサは呆れた様子で溜め息を吐く。
 しかし、そもそも信頼をしていなければ、アリサとシャロンを団に入れようなどとは考えない。
 同じようにアリサが仲間から協力を持ち掛けられたなら、なんだかんだと言っても断ったりはしないだろうとリィンは確信していた。
 なら、

「団員の願いに応えるのも、団長の役目だしな」

 同じように団長も、団員たちに声に応える義務がある。
 互いに認め合い、助け合って生きていく。
 それが家族と言うものだと、リィンは考えていた。
 猟兵団をただの仲間ではなく家族と呼ぶからには、家族を助けるのは当然のことだ。

「しかし、そうなると少し急いだ方がいいな」
『どういうこと?』
「まだ襲撃される可能性は残っていると言うことだ。これで終わりとは思っていないんだろ?」

 襲撃が失敗に終わっている以上、またイリーナが狙われる可能性は残っている。
 まだゼノとレオニダスの二人がついていれば安心できるが、その二人も契約を解除されたという話だ。
 しかもゼノは現在のところ行方知れず、レオニダスは大怪我を負っていて戦えるような状態ではない。
 なら、イリーナの安全を確保するためにも新たな護衛が必要だろうと、リィンは話す。

「一番確実なのは問題が解決するまで何処か≠ノ避難させることだが、大人しく従う性格には思えないしな」

 誰かさんそっくりだな、とリィンに言われ、アリサは不満げな表情を浮かべながらも反論できずに唸る。
 認めたくはないが、自覚はあるのだろう。
 避難先の候補と言えば、一番安全なのはセイレン島で間違いない。しかし、これもリスクがある。
 幾らアリサの母親とはいえ、団の秘密を軽々と漏らす訳にはいかないからだ。

『でも、それを言ったら護衛だって、素直に言うことを聞いてくれる人じゃないわよ?』

 護衛を付けると言ったところで間違いなく断られるだろうと、アリサは確信を持って話す。
 そうした母親の性格は、誰よりもよく知っているからだ。
 当然リィンも上手く行くとは思っていなかった。

「護衛を付けると言ったが、どちらかと言えば監視に近い。〈ユグドラシル〉には便利な機能があるだろ?」

 リィンが何を言っているのかを察して、アリサは「あ……」と声を漏らす。
 空間倉庫や通信機能の他に、ユグドラシルにはもう一つ便利な機能がある。
 それが〈隠者の腕輪〉を解析することで再現を試みた透明化≠フ能力だった。
 姿を消せるだけで気配まで隠すことは出来ないが、そこは使い手次第で幾らでも補える。
 フィーやリーシャが使えば、限りなくオリジナルに近い能力を発揮できる代物だ。
 しかし、

『……まさか、母様を囮≠ノ使う気?』
「元凶を断つのが一番早いしな。他に案があるなら聞くが?」

 リィンの思惑を察して尋ねるも、逆に質問されてアリサは返答に窮する。
 イリーナの性格を考えれば、リィンの策が最も効率的だと本音ではわかっているからだった。

「異論はないみたいだな」
『……他に良案はないしね。リィンを信じることにするわ。フィーを呼んだ方がいい?』
「いや、その必要はない」
『え?』

 ルーレにいる戦力で一番隠密や護衛に適したスキルを持っているのはフィーだ。
 なのに必要ないとは、どういうことなのか? と通信越しに首を傾げるアリサに――

「イリーナ・ラインフォルトを乗せた飛行船が帝都の空港に到着したそうだ」

 リィンは端末に表示されたティオ≠ゥらのメールを見ながら、そう告げるのだった。



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