「ロゼとは会ったのか?」
「はい。お祖母ちゃんがいろいろ≠ニご迷惑をお掛けしたみたいで……」
申し訳ありません、と頭を下げるエマにリィンは「気にするな」と答える。
ローゼリアのお陰で〈黒の工房〉の情報が手に入ったと考えれば、十分に許容できる範囲だ。
それに――
「子供なんて、あんなもんだろ」
「……お祖母ちゃんの実年齢を知ってて言ってますよね?」
「いや、だってなあ……」
実際の年齢がどうであろうと中身が子供なら同じことだ、とリィンは話す。
身体に精神が引っ張られると言うのはリィンも経験しているが、ローゼリアのあれは性格もあるだろうと思っていた。
そんなリィンの話に苦笑を漏らしながらも、同意するかのように頷くエマ。
ローゼリアの性格を良く理解し、一番迷惑を被っているのがエマだったからだ。
ヴィータもどちらかと言うとローゼリアよりの性格なので、昔からエマは苦労させられていた。
「でも、よく帝都にいると分かったな?」
「力を解放しましたよね? あれでリィンさんが帰ってきていることが分かったので」
そう言えば、とリィンはエマの話に納得する。
列車砲からアイゼングラーフ号を守るために〈王者の法〉を解放した時のことを思い出す。
しかし、
「解放したのは一瞬だったはずだが、よく気付いたな」
エマは帝国南西部にあるという魔女の隠れ里に帰っていたはずだ。
列車を使っても帝都から数日はかかる道程だ。
フィーですら、それほど遠くの気配を察知するのは無理だろう。
魔女とはいえ、よく探知できたなとリィンが驚くのも無理はなかった。
「お忘れですか? 騎士と魔女の誓い≠交わしたことを」
「は?」
なんのことだと首を傾げるも、思い当たることがあるのか?
まさか――と、何かに気付いた様子でリィンは目を瞠る。
至宝の力を完全に制御するにはノルンの助けが必要だが、巨神を倒せたのはノルンの力だけでなくエマとセリーヌの協力も大きかった。
あの時、ノルンだけでなくエマやセリーヌとも意識を共有するような――戦術リンクにも似た感覚を覚えたのは確かだ。
同じようなことが、つい最近もあったことをリィンは思い出す。イオと盟約≠結んだ時だ。
「ちょっと待て。じゃあ……」
「はい。私たちは魂で繋がっています。謂わば、いまの私はリィンさんの眷属≠ナもあると言うことです」
それは即ち、ノルンやイオと同じ状態に現在のエマはあると言うことだった。
だからこそ、リィンの存在を強く感じ取ることが出来るのだと、エマは話す。
それに――
「あれ以降、魔女の力も強化されているみたいで……」
同じ世界にいれば、どれだけ距離が離れていようとリィンの居場所は分かる。
その気になれば、一瞬にしてリィンのもとへ〈転位〉することも可能だと、エマは説明する。
まだまだヴィータやローゼリアと比べれば、未熟なところはある。
しかし魔力量に限って言えば、現在のエマは歴代の魔女を凌ぐほどの力を得ていた。
「もしかして眼鏡をかけていないのも、それが理由か?」
「あ、はい。元々、視力はそれほど悪くはなかったのですが……」
少し視界がぼやける程度の軽い近視ではあったのだが、リィンの眷属となった影響でエマの視力は完全に快復していた。
それにエマが愛用していた眼鏡は普通の眼鏡とは違う。魔力の制御を補助する効果が付与された特別製だった。
しかし急激に力を増したエマの魔力に、眼鏡の方が耐えられなくなってしまったのだ。
レンズにヒビの入った眼鏡を見せられ、リィンは納得した様子で頷く。
とはいえ、
「大丈夫なのか?」
これまでよりも魔力が強くなったと言うことは、より制御が難しくなったと言うことだ。
眼鏡が壊れてしまって、ちゃんと力を使えるのかとリィンが心配するのも当然だった。
「私もこの数ヶ月。何もせず、遊んでいた訳ではありませんから」
まだ少し持て余しているところはあるが、それでも普通に魔術を使う分には影響はないとエマは答える。
ローゼリアから手紙を貰って素直に故郷へ戻ったのは、その辺りの事情もあったのだろう。
とはいえ、
(まさか、エマまで眷属化してたとはな……)
眷属となったと言うことは、リィンと同じように普通の人間ではなくなったと言うことだ。
この先、歳を重ねて老いることも、寿命で死ぬようなこともない。
巨神を倒すために必要なことだったとはいえ、リィンが責任を感じるのも無理はなかった。
「なんて言えば良いのか分からないが……」
「謝らないでくださいね。私自身が望んでしたことです。それに騎士を導くのは魔女の務めですから」
と言われれば、リィンも納得するしかなかった。
ここで謝ってしまえば、エマの決意を踏みにじることになると思ったからだ。
「覚悟してくださいね。リィンさんが道を誤らないように、これからも見守っていくつもりですから」
「……程々にな。言っておくが、俺は猟兵≠セ」
「理解しています。でも、信じていますから」
そう言って微笑むエマを見て、ローゼリアの気持ちが少し理解できた気がすると、リィンは溜め息を吐くのだった。
◆
「すみません。私まで、ご馳走になってしまって……」
恐縮した様子で頭を下げるエマにオリエは苦笑を漏らし、
「リィンさんから話は伺っています。自分の家だと思って寛いでください。それに――」
手伝いはしたが、テーブルの上に並んでいる料理の大半を用意したのはリィンだと、正直に話す。
そして、
「美味しい……リィンさん、また料理の腕≠ェ上がっていませんか?」
「そうか? 特に変わったことはしていないつもりなんだが……」
スープを一口飲んで驚くエマに料理を褒められ、リィンは頬を掻く。
「女としての自信を無くしそうです……」
「そう言われてもな……」
レイフォンも同じようなことを言っていたが、リィンからすると普通にやっているだけだ。
ただレシピ通りに作っているだけで、これと言って特に変わった工夫を凝らしていると言う訳ではなかった。
敢えて言うのなら手間暇を惜しまないことだが、これは料理に限った話ではない。武器の手入れと謂わば同じことだ。
このくらい経験を積めば誰にでも作れるはずだと、リィンは本気で思っていた。
まあ、実際リィンと同じか、それ以上の料理を作れる人間は世界を探せばそれなりにいるだろう。
しかし、それはプロの世界に限っての話だ。少なくともリィンの料理の腕は、プロの料理人に決して引けを取るものではなかった。
「確か、前に喫茶店を経営されていたのですよね?」
「ああ、よく知ってるな」
そう尋ねてくるオリエに、オリヴァルトやミュラーから聞いたのだろうとリィンは察しを付けながら頷く。
「なるほど、それならこの味にも納得が行きます」
「店をやってたと言っても、だしてたのはサンドイッチやパスタとか、ただの軽食だぞ?」
「シンプルな料理ほど難しいと言いますから。お店が繁盛していたのは、リィンさんの腕が良かったからだと思いますよ」
自慢できるような料理はだしていない、と話すリィンに腕が良いからだと答えるオリエ。
とはいえ、リィンは反応に困った様子で複雑な表情を見せる。
猟兵稼業が休業中だったからやっていたことで、リィンの本業は喫茶店のマスターではない。
褒められて嬉しくないと言えば嘘になるが、料理で生計を立てるつもりは今のところなかった。
「リィンさん」
「なんだ? まさか、レイフォンみたいに料理を教えて欲しいとか言う気じゃ……」
「そちらも気になりますが……それよりも先に、明日のことで少し相談したいことがあります」
明日のこととオリエに言われ、すぐに御前試合のことだと察するリィン。
元々オリエとは、マテウス・ヴァンダールの件で協力をするという約束で手を組んだのだ。
そしてオリエには、ミュゼの護衛の件でも世話になっている。
義理を果たすと言う意味でも、求められればリィンに協力を拒むことは出来ない。
しかし、
「可能な限り協力するとは言ったが、どうするつもりだ?」
マテウスと二人きりで話をする機会を作るのは、正直なところ難しいだろうとリィンは考えていた。
先の晩餐会を欠席していたことからも、警戒されていることは間違いないからだ。
それにリィンはオーレリアとの試合が控えている。
オリエに協力したいとは思うが、そちらも手を抜く訳にはいかない事情があった。
「正面から一度、あの人と会ってみるつもりです」
ノープランと言う訳だ。しかし、現状では一番可能性の高い方法かとリィンは考える。
リィンは無理でもオリエであれば、少なくとも門前払いはないはずだ。
家に帰ってきていないとは言っても家族が訪ねてくれば、余程の事情がない限りは面会を拒んだりはしないだろう。
とはいえ、保険は必要かとリィンは考え、エマに声をかける。
「エマ。オリエについて行って、力を貸してやってくれるか?」
「それは構いませんが……いいんですか?」
リィンが何を期待しているかを察して、エマは聞き返す。
今更、魔女であることをエマは隠すつもりはないが、無闇矢鱈と公言するつもりもなかったからだ。
信用できるのか、と言う意味で尋ねられているのだと察して、リィンは首を縦に振る。
「この件に関しては一蓮托生だ。俺たちに不利な情報を漏らしたりはしないだろう。それにマテウスの件は、可能な限り協力すると約束しているしな」
「わかりました」
リィンが信用すると言うのなら、それに異を唱える気はエマにはなかった。
それに、こうして接して見た限りでは、オリエは信頼を裏切るような人間には見えない。
どことなくラウラに似ているところがあると、エマは感じていた。
「話は聞いての通りだ。明日はエマを一緒に連れて行くといい」
話しについて行けず、戸惑いを表情に滲ませるオリエ。
しかし、リィンがこう言う以上は彼女には何かあるのだと察し、
「……ご厚意に甘えることにします。エマさん、明日はよろしくお願いします」
そう言って頭を下げるオリエに、エマは「はい」と短く答えるのだった。
◆
ヘイムダル中央駅のホームに、少し怪しい雰囲気の眼鏡をかけた男の姿があった。
ジロジロと列車から降りてくる乗客を眺める姿は、どこか挙動不審に映る。
そうこうしていると、
「ちょっと、キミいいかな?」
駅員に声をかけられ、慌てる眼鏡の男。
詰問され、そのまま駅員に連れて行かれそうになる男を見つけて、呆れた様子で溜め息を漏らす軍服の女性がいた。
クレア・リーヴェルトだ。
「その人は私の知り合いです。身元は私が保証します」
「鉄道憲兵隊の――」
畏まった様子で敬礼すると、駅員は男を解放して足早に立ち去って行く。
「申し訳ありませんでした。職務に忠実なだけで悪気はないのですが……」
「いえいえ、私が怪しかったのは事実ですから……でも、助かりました。クレア・リーヴェルト少佐」
「いえ、それよりもこんなところで何をされているのですか? ――トマス・ライサンダー°ウ官。いえ、元教官でしたか」
怪しいと自覚があるのなら、もう少し態度を改めれば良いのにとクレアは呆れる。
彼の名は、トマス・ライサンダー。トールズ士官学院で歴史学を教えていたこともあるアリサたちの恩師の一人だ。
だが、その正体は星杯騎士団の副長。〈匣使い〉の異名を持つ、守護騎士の一人だった。
当然、クレアもトマスの正体を掴んでいた。
学院を辞め、法国に戻っていたはずのトマスが、どうしてここにいるのかと訝しみながらクレアは尋ねる。
「実は人を捜していまして――」
「……何をやっているのですか?」
そんな二人の会話に割って入ったのは、旅行鞄を手にした一人のシスターだった。
トマスと同じ星杯騎士団に所属する従騎士、ロジーヌだ。
恐らくは、先程の列車に乗っていたのだろう。
「おや、ロジーヌくん。いやあ、キミを迎えにきたのですが、不審人物に間違われそうになりましてね」
クレア少佐に助けて貰った、と話すトマスに呆れ、ロジーヌは溜め息を吐く。
そして心の底から申し訳なさそうに、ロジーヌはクレアに頭を下げる。
「大変、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、たいしたことはしていませんので……」
ロジーヌの態度に毒気を抜かれ、なんとも言えない表情を浮かべるクレア。
しかし、礼を言って何事もなく立ち去ろうとする二人を、このまま見逃すクレアではなかった。
「不躾ですが、このタイミング≠ナ帝都へいらした理由をお聞きしても?」
星杯騎士団に所属する二人が、何の用事もなく帝都へやってきたとは思えない。
素直に答えて貰えるとは思っていないが、帝都の治安を預かる者としてクレアは確認をしておく必要があった。
鋭い視線を向け、尋ねてくるクレアに――
「ただの観光≠ナすよ。明日の試合、楽しみにしていると彼≠ノお伝えください」
眼鏡を指で持ち上げながら、トマスはそう答えるのだった。
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