廊下の陰で〈ARCUSU〉の画面を真剣な表情で見詰めるリーシャの姿を見つけて、からかうような声音でミュゼは話し掛ける。

「こんなところで、恋人からのメールですか?」
「――ッ!? 違います! リィンさんとはまだそんな!」
「まだ、ですか」

 ミュゼに言葉の揚げ足を取られ、顔を真っ赤にして狼狽するリーシャ。
 幼い頃から人里離れた場所で修行に明け暮れていたリーシャは、余り人付き合いが得意な方ではない。
 ましてや異性に恋をしたことすら一度もないのだ。
 そのため、この手の話を苦手としていた。

「なんだか、イリアさんと話しているみたいです」
「フフッ、あの〈炎の舞姫〉と似ているだなんて光栄です」

 褒めた訳ではないのだが、何を言っても無駄とリーシャは諦める。
 反応すればするほどに相手を喜ばせるだけだと、イリアで経験しているからだった。

「でも、丁度よかった。リィンさんから伝言があります」
「伝言ですか?」

 御前試合の話は聞いている。
 そのことだろうかと、首を傾げるミュゼ。

「ラインフォルト社の会長が先程、ヘイムダル空港に到着したそうです」

 リーシャの話を聞いて、ミュゼは大凡の事情を理解する。
 リィンがリーシャに伝言を頼んだ理由。
 そして、このタイミングでイリーナが帝都へやってくると言うことは――

「なるほど、狙われているのはイリーナ会長ですか。だとすると、監視と護衛を命じられましたか?」

 イリーナが帝都へやってきたという情報だけで、あっさりと核心を突くミュゼにリーシャは驚く。
 しかし、ルーレで起きた事件の内容についてはミュゼも知っていた。
 ハイデル・ログナーが私的に領邦軍を動かした罪で再び拘束されたことや、ラインフォルト社の兵器工場が猟兵と思しき集団の襲撃を受けたことなどが新聞で報じられていたからだ。そうした一連の報道と、先に報じられた貨物列車の脱線事故も無関係ではないだろうとミュゼは見ていた。
 そして、現在アリサたちがルーレにいることも考えれば、自ずと答えはでる。

「表向きは、三日の祝賀会に参加するのが目的ですか。当然、招待状も送られているでしょうから」

 三日はリィンとオーレリアの御前試合が予定されているが、その後にバルフレイム宮殿で祝賀会が開かれる予定となっていた。
 ラインフォルト社の会長ともなれば、当然そうしたパーティーへの招待状が送られているはずだ。
 そして、

「……よく、そこまで察せられますね」
「私も出席する予定ですから」

 忘れそうになるが、ミュゼはバラッド候と次期カイエン公の椅子を争う候補者の一人だ。
 本当の名前は、ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。先代のカイエン公は、ミュゼにとって叔父にあたる。
 海難事故で両親を亡くしてたからは公爵家の相談役を務めていた伯爵家に引き取られ、ミュゼ・イーグレットとして育てられてきたのだ。
 帝国政府が主催する祝賀会に招かれるだけの資格は十分に持っていると言えた。

「二代目〈猟兵王〉と〈黄金の羅刹〉の試合も楽しみにしているんですよ」

 そう言って微笑むミュゼを見て、リーシャは敵わないと悟るのだった。


  ◆


「クルト・ヴァンダールです。お噂はかねがね。公女――」
「ミュゼで構いませんよ。ヴァンダールの若き双剣使い。私もお会い出来て光栄です」

 緊張した様子で挨拶をするクルトに、ミュゼはにこやかな笑顔で応える。
 リーシャの代わりにと、女学院にやってきたのがクルトと――

「……君は何をしてるんだ?」
「リーシャ・マオに会えると思ったのに……」

 レイフォンだった。
 女学院に着いてからというものレイフォンが挙動不審に辺りを見渡していた理由を、クルトはようやく察する。
 本当はミュゼの護衛をリィンに頼まれたのはレイフォンだったのだが、彼女一人では不安だからとクルトも付いてきたのだ。
 正直、付いてきて正解だったとクルトは溜め息を漏らす。

「丁度、入れ違いになったみたいですね。もしかして、リーシャさんのファンの方ですか?」
「はい! もう一年以上、追っかけをやってます!」

 レイフォンがリーシャのことを知ったのは、昨年開かれた通商会議の時だ。
 実は彼女、ミュラーの付き添いでクロスベルを訪れたことがあった。
 正確にはレイフォンだけでなく、ヴァンダールの剣士が数人。オリヴァルトの身辺警護で同行していたのだ。
 その時、偶々アルカンシェルの舞台を目にする機会に恵まれ、リーシャのファンになったと言う訳だった。
 それからと言うものリーシャの載った雑誌の記事をスクラップしたり、ファングッズなども買い集めていた。
 サインを貰おうと思って持参したというリーシャのブロマイドを、ミュゼに見せるレイフォン。
 そして、

「リーシャさんの写真でしたら、私も色々≠ニ持っていますよ。よかったら、お見せしましょうか?」
「是非!」

 ミュゼの提案に食いつき、レイフォンは鼻歌交じりに彼女の後をついて行く。
 あっと言う間に意気投合した二人に置いて行かれ、ポカンと呆気に取られるクルト。
 ハッと我に返り、すぐに二人の後を追い掛けようと廊下へでるのだが、

「殿方ですわ!」
「しかも、美形!」
「お待ちになって、この方もしかして――」

 廊下で聞き耳を立てていた女生徒に道を塞がれ、壁際に追い込まれる。
 聖アストライア女学院は全寮制の学校だ。
 申請をすれば年末年始の帰省が認められているとはいえ、寮に残る女生徒も少なくない。
 帝国は広い。実家が帝都近郊ならともかく遠方に住む生徒などは、移動だけで随分と時間が掛かってしまうからだ。
 いま寮に残っているのは、時間的な制約や金銭的な問題から実家に帰省をせずに寮に残っている生徒たちだった。

「ヴァンダール家のクルト様!」
「え!? 以前、噂になっていたあの双剣の貴公子!?」

 クルトは知らないことだが、実のところ貴族の子女の間では彼はかなりの有名人だった。
 端整な顔立ち。しかも、あのミュラーの弟にして、卓越した双剣の使い手。淑女たちの注目を集めないはずがない。
 クルトに一目会いたい。お近づきになりたいと考えている女性は、かなりの数が存在した。
 ここにいる彼女たちもそうだ。この機会を逃してなるものかと、女生徒たちはクルトに詰め寄る。

「是非、わたくしたちとお茶を!」
「いや、待ってくれ。自分は――」

 護衛の仕事があるからと断ろうとするも抵抗虚しく、クルトは女生徒たちの勢いに流されるのだった。


  ◆


「悪かったな。急に面倒なことを頼んで」

 ヴァンダール家の食堂でオリエと向かい合い、昼食を取りながら感謝を口にするリィン。
 レイフォンとクルトはヴァンダールの剣士だ。当然、二人を動かすにはオリエの許可が必要となる。
 そうしたことから二人に話をする前に、リィンはオリエの承諾を事前に得ていたのだ。
 どのみちレイフォンに依頼をすれば、クルトも一緒に付いて行くだろうと察してのことだった。

「いえ、あの子たちにも良い経験になると思いますから。ですが、どうしてあの二人を?」

 オリエもレイフォンとクルトの実力を疑っている訳では無い。
 足りていないのは経験だけで、道場の門下生のなかでも二人の実力は上位に入る。
 いや、既に軍や近衛で活躍しているヴァンダールの剣士と比較しても、十分に渡り合える技術を備えているとオリエは見ていた。
 だからこそ、リィンからの提案は二人に経験を積ませると言う意味で、オリエにとっても渡りに船ではあったのだ。
 しかし、ミュゼと直接の契約を結んでいるのはリィンだ。二人が何らかの失敗をすれば、その責任はリィンに降りかかる。
 人手が足りないとは言っても、どうしてあの二人なのかとオリエが疑問を口にするのは無理もなかった。

「クロスベルから人を呼ぶにせよ、フィーを呼び戻すにせよ、時間が足りないからな。それに――」
「……それに?」
「共犯と言ったのは、そっちが先だろ?」

 そう話すリィンに、オリエは納得した様子で「そうでしたね」と苦笑しながら答える。
 リィンなりに信頼に応えてくれているのだと察してのことだった。
 それに、ここ最近レイフォンを鍛えるような真似をしていたのは、こうなることを想定していたからではないか?
 思えば最初にレイフォンの挑発に乗ったのも、実力を推し量るためだったのかもしれない、と――
 どこか〈鉄血〉と呼ばれた男を彷彿とさせる思慮深さを、オリエはリィンから感じ取るのだった。


  ◆


「どうして、妾がこのようなことを……」

 愚痴を溢しながらも女学院の屋上で杖を空にかざし、リィンから頼まれた仕事をこなすローゼリアの姿があった。
 実は女学院の周りには、ローゼリアの結界が張り巡らされていた。
 定期的にこうして魔力を補充する必要があるとはいえ、その効果は絶大だ。
 悪意を持つ者や、許可無き者の侵入を拒む。クロスベルを覆っていた結界の縮小版とも言えるものだった。
 その上、女学院の周囲は鉄道憲兵隊の精鋭が固めているのだ。ここは帝都で最も安全な場所と言っても良いだろう。

「ちょっと人使いが荒すぎやせんか?」

 その上、レイフォンとクルトのサポートも、ローゼリアはリィンに頼まれていた。
 というのも、確かに女学院の中は安全だが、外は別だ。
 三日に開かれる御前試合はミュゼも招待状を受け取っており、公女として観戦することが決まっている。
 その時ばかりはオーレリアも傍にいない。命を狙われる可能性が最も高いと言うことだ。
 しかし、それはミュゼも織り込み済みだった。最初から彼女は自分自身さえも餌≠ノ使うつもりでいたからだ。
 とはいえ、本当にミュゼを殺される訳にはいかない。そこで白羽の矢が立ったのがローゼリアだった。

 直接的な戦闘力はリィンたちと比べれば低いが、サポートに特化するならローゼリアほどの術者はいない。
 リィンには通用しなかったが、ローゼリアには時止め≠フ結界という奥の手もある。
 あの結界の中に閉じ込めてしまえば、誰であろうと外部から手を出すことは出来ない。
 本音を言えば面倒臭いが、働かざる者食うべからずと言われれば頷く他なかった。
 それだけにローゼリアの口からは重い溜め息が溢れる。

「エマが二人に増えたようじゃ……」

 さすがはエマの認めた騎士と言ったところか、と自分の孫娘の見る目の確かさにローゼリアは涙を堪える。
 とはいえ、彼女も良い思いをまったくしていない訳ではなかった。

「ククッ……じゃが、これでたんまりと報酬が手に入る。今回の件が片付いたら温泉にでも行くとするかの」

 笑いが止まらないと言った表情を見せるローゼリア。
 今回の件もしっかりと報酬はでているし、先にリィンから受け取った情報料もある。
 いまや底が尽きかけていた路銀は一年遊んで暮らせるほどに回復していた。
 ちょっとくらい贅沢をしても罰は当たらないだろうと、満面の笑みでローゼリアが考えていると――

「随分と楽しそうだね――お祖母ちゃん=v
「まあの。ちょっとした臨時収入があったからの。いまなら、なんでも……」

 奢ってやる、と口にしようとしたところで固まるローゼリア。
 いつもの調子で思わず返事をしてしまったが、いまの声は紛れもなくローゼリアのよく知る孫娘≠フ声だったからだ。
 壊れた機械仕掛けの人形のように、ぎこちない仕草で振り返るローゼリア。
 すると、そこには――

「エマ!? 御主、どうしてここに!?」
「それは、こっちの台詞なんだけど。どういうことか、説明してもらえるかな? お祖母ちゃん」

 鬼(エマ)がいた。



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