「――誰も通すなと厳命されていますので、お引き取り下さい」

 兵士の言葉に苛立ちを募らせ、眉間にしわを寄せるオリエ。
 身分を明かし、夫に取り次いで貰えないかと頼んだのだが、その返答がこれだった。
 セドリックを始めとする皇家の方々が観戦に来られている以上、警備が厳重であることは理解している。
 それでも、マテウスに取り次ぐくらいのことはしてくれるものと考えていたのだ。
 だが、オリエがマテウスの妻だと身分を明かしても、兵士の対応は取り付く島もなかった。

「少し、よろしいでしょうか?」
「なんだ、お前は? これ以上、軍務の妨げをすると言うのなら――」

 拘束するぞと兵士は恫喝するが、エマと目を合わせた瞬間、ピタリと動きを止める。
 そして、

『私たちは既に許可≠得ています。ここを通して頂けますか?』

 エマがそう尋ねるとオリエの時とは打って変わり、兵士は何の疑いもなく「失礼しました」と二人に道を譲った。
 あれほど頑なな態度だった兵士が、あっさりと道を譲ったことに驚きながらエマの後を追い掛けるオリエ。

「一体なにを……」
「催眠術……のようなものです」

 正直に言えば、聞きたいことは他にもある。
 しかしエマの態度からも、余り公言したくはない内容なのだろうとオリエは察する。
 根掘り葉掘りと追及すると言うことは、エマを付けてくれたリィンの信頼を裏切ると言うことにもなる。
 そう考えたオリエは、これ以上の追及をすることを諦めた。

「手を――」
「え?」

 差し出されたエマの左手を、促されるままに握るオリエ。
 このまま付いてきてください、というエマの言葉に頷き、オリエは後に付いていく。
 途中、巡回の兵士と何度か遭遇するも声をかけられることなく気付いていない様子で素通りする彼等を見て、またもオリエは驚かされる。
 普通じゃない。常識では到底考えられないような力を彼女は持っていると、思い知らされたからだ。
 しかし、リィンの仲間ならと思うと、自然と納得の行く話でもあった。
 それに――

(教会の秘術≠フようなものかしら?)

 魔術はともかくとして、教会が起こす奇蹟≠ノついては知る者も少なくない。
 オリエもその昔、教会のシスターが女神の奇蹟を行使するところを目にしたことがあった。
 同じような力をエマも使えると考えれば、納得の行く話だった。
 敵であれば警戒するところだが、少なくとも今は味方だ。

(暁の旅団。出来ることなら……)

 敵に回したくは無い、とオリエは考える。
 普通なら大陸一の軍事力を誇る大国に、一つの猟兵団が太刀打ち出来るとは考えない。
 しかし騎神を用いたとはいえ、共和国の空挺部隊を退けたことは事実だ。
 そして帝国軍が為す術もなかった巨神を、リィンは一人で葬り去ったという報告もある。
 帝国だけでなく共和国がクロスベルに一定の配慮をし、侵攻を思い止まっているのも〈暁の旅団〉の存在が大きかった。

 常識では推し量れない力を有する猟兵団。得体の知れなさは〈七耀教会〉や〈結社〉ともタメを張る
 そんな相手と事を構えれば、負けないまでも帝国は甚大な被害を受けることになるだろう。
 可能な限り、敵に回したくはない相手だ。
 帝国のためにも、このままリィンとは良い関係を続けたいとオリエは考えていた。

(宰相閣下も、こんな思いだったのかもしれませんね……)

 オリヴァルトがリィンを特別視していることは周知の事実だ。
 貴族や政府のなかにはそれを快く思っていない者も少なくないが、それでもオリヴァルトはリィンとの関係を重視していた。
 いまなら、その考えがよく分かるとオリエは思う。リィンの持つ非常識な力は、この数日で嫌と言うほど理解させられたからだ。
 しかも、未だに底が見えない。オーレリアとの戦いで少しは真価が見られるのではないかと期待しているが、それでもリィンが敗北するところだけは、まったくと言って良いほどイメージできなかった。
 恐らくは帝国最強の剣士と謳われる〈光の剣匠〉でさえ、本気のリィンと戦えば勝ち目はないとオリエは見立てていた。
 リィンがその気になればマテウスを無力化することも、そう難しくないだろうと考える。
 しかし、

(出来ることなら、この手で……)

 マテウスを止めたい、とオリエは覚悟を決めて、ここへ来ていた。
 いまなら会場の熱気と音で、多少の騒ぎを起こしても気付かれる心配は少ない。
 ならば、もしもの時はこの手でマテウスを――と、オリエは腰に下げた双剣の柄を握り締める。
 この剣は、オリエにとって思い出の品。マテウスからプロポーズの際に託されたものだった。

 ヴァンダールの開祖たる伝説の剣士、ロラン・ヴァンダール。
 彼が愛用したとされる双剣。それが、オリエが腰に下げている宝剣の正体だった。
 ずっと行方知れずになっていたのだが、いまから十七年前――まるで剣に導かれるように立ち寄った武器屋で発見したとマテウスは言っていた。
 そんな剣を御守り代わりに託してきたマテウスに、彼らしいと苦笑したのは今となっては良い思い出だ。
 だからこそ、オリエはマテウスから託されたこの剣で、彼を止めたいと考えていた。

「……止まってください」

 廊下の突き当たりで足を止めるエマ。
 エマの視線の先には、他の部屋とは明らかに違う重厚な扉があった。
 恐らくは――

(この先にあの人が……)

 マテウス・ヴァンダールがいると、オリエは察しを付ける。
 しかし、その場から一歩も動こうとしないエマをオリエは訝しむ。

「この瘴気……まさか……」

 部屋の中から感じ取れる気配に、エマは覚えがあった。
 忘れようとしても忘れられるはずがない。
 魔女の力に目を付けてエマを誘拐し、人体実験を主導した研究者。
 リィンが〈王者の法〉を覚醒するに至った元凶とも言える人物。
 D∴G教団の関係者にして、自身のことを〈探求者(シーカー)〉と名乗っていた男。
 その男と同じ気配を、エマは扉の向こうから感じ取っていた。
 しかし、あの男が生きているはずがない。エマの目の前でリィンに消されたからだ。

「どうした? 入って来ないのか?」

 ――まさか、と言った驚きの表情を浮かべるエマ。
 エマは今、隠者の腕輪と同じように気配や音を断ち、認識を阻害する魔術を行使していた。
 リィンやシャーリィほど勘が鋭ければ別だが、常人に気付けるはずもない。
 だが、扉の向こうの人物は確かにエマとオリエの存在を認識していた。

「行きましょう。覚悟は出来ています」

 オリエに促され、エマも覚悟を決めて頷くのだった。


  ◆


 赤い絨毯が敷かれた広い部屋。
 壁には剣≠ニ盾≠フ紋章が入った第一機甲師団の旗が掲げられている。

「久し振りだな、オリエ。壮健そうで何よりだ」

 その奥で執務机の前に立ち、エマとオリエの二人を出迎えたのは帝国正規軍将校の軍服を纏った中年の男性だった。
 服の上からでも察せられるような鍛え上げられた肉体。
 分厚い胸板。身長は二アージュ近くあるだろうか?
 腰に大きな剣を携え、すべてを見透かすかのような鋭い双眸を向けてくる男を、エマは最大限に警戒する。

 雷神の異名を持つヴァンダールの家の当主。
 ヴィクター・アルゼイドと互角の力を持つと噂されるヴァンダール流最強の剣士。
 それが彼、マテウス・ヴァンダールだった。
 噂通り――いや、それ以上の使い手だと、エマはマテウスの実力を見定める。
 何より――

「その全身から染み出す黒い気配……普通≠ナはありませんね。何に憑かれて≠「るのですか?」
「ほう、これが視える≠フか?」

 マテウスの全身を覆う黒い気配。
 まるでリィンの〈鬼の力〉に似た気配を、エマはマテウスから感じ取っていた。
 しかし、グノーシスで魔人化した人々のように、正気を失っていると言った感じには見えない。

「これは呪い≠セ」

 マテウスの口からでた呪い≠ニいう言葉を耳にして、目を瞠るエマ。
 巨イナル一がもたらしたとされる呪い。それが帝国で争いが絶えない原因の一つだとローゼリアから話を聞いていたからだ。
 しかし、リィンの放った浄化≠フ力が帝国に満ちていた呪いの力を弱めたともエマは聞いていた。
 一時、ギリアス・オズボーンが各地に放ったグノーシスの影響で帝国の呪いは再び活性化したが、それも今は収まっているという話だった。
 なのに、どうして――という疑問がエマの頭に過ぎる。

「あなたが道場を去り、バラッド候の下に付いたのも、それが理由ですか?」
「そうだ。突然呪い≠ネどと言われても、理解は出来ぬであろうがな」

 呪いに蝕まれている身だからこそ理解できるが、オリエに察しろというのは無理だとマテウスも思っていた。
 それに、すべてを呪いの所為にするつもりはない。
 敢えて呪いに抗うことをせず、バラッド候に協力したのも事実なのだ。

「……私にも理由を明かせないのですか?」
「ああ」
「そう、ですか」

 マテウスが道場を去ったあの日もそうだった。
 何か理由があるのなら話して欲しい。そう本心では願っていたのだ。
 マテウスを信じたいという気持ちは、いまもオリエの中にある。
 しかし、ヴァンダール家に嫁いだ者として、ヴァンダールの剣を振う一人の剣士として――
 これ以上、皇家に仇なす彼を見過ごすことは出来なかった。

「ならば、やることは一つです」
「お前なら、そう言うだろうとわかっていた」
「皇家の盾となり、剣となり、魔を払うはヴァンダールに課せられた使命。あなたが魔≠ノ魅入られたと言うのなら、それを払うのが私の役目です」

 腰から剣を抜き放ち、両手に構えるオリエ。
 嘗て自分が託したロランの双剣を見て、オリエが本気であるとマテウスは悟る。
 あの時から、いつかこんな日≠ェ来るのではないかと予感を覚えていたのだ。
 思えば、この剣が二百五十年の歳月を経てヴァンダールの元へと帰ってきたのは偶然などではなく、この日のため――
 開祖ロランの導きだったのかもしれないとマテウスは考える。

「よかろう。だが、この首を易々と取れるとは思わないことだ」

 しかし、まだオリエに討ち取られるつもりはなかった。
 一触即発と言った様子で全身に闘気を漲らせ、向かい合うオリエとマテウス。
 加勢しようと杖を構えるエマだったが、そんな彼女をオリエは制止する。

「これはヴァンダール家の……いえ、夫婦の問題です。どうか、私に任せてください」

 そう言われては、エマも口を挟むことは出来なかった。
 それにリィンに頼まれたのは、オリエをマテウスの元へ案内するまでだ。その先については、何も言われていない。
 だとすれば、こうなることが最初からリィンにはわかっていたのかもしれないとエマは考える。

(仕方がありませんね)

 心の中でそう呟き、杖の先端を地面に打ち付けるエマ。
 すると、エマの足下を中心に魔法陣のようなものが展開され、淡い光が部屋全体を包み込む。

「音と気配を遮断する結界を張りました。これで、しばらくは気付かれることはないはずです」

 そう話すエマに驚きつつも「感謝します」と、礼を言って双剣を構えるオリエ。
 マテウスもそんなオリエの動きに合わせるように大剣を構える。

(あの頃と変わらない。いや、むしろ――)

 オリエは若かりし頃から、マテウスも認めるほどの天才だった。
 真の武人は得物を選ばないと言うが、彼女は戦場で剣、薙刀、弓と――多才な武器を使い分けていた。
 風御前の異名は、そうした武芸百般を得意とするところから来ている。
 オーレリアがアルゼイド流を学びながらも更に剣を極めるため、ヴァンダールに師事したように――
 オリエもまた強くなるため、貪欲に異なる流派の技術を習得して行き、更にはヴァンダールの双剣術さえも物にしてしまった。

 才能だけであれば、オリエは〈光の剣匠〉は勿論のこと自分をも上回っているとマテウスは認めている。
 その才を受け継いだクルトもまた、高い潜在能力を秘めているとマテウスは見ていた。
 だからこそ、安心して道場を去る決意を固めることが出来たのだ。
 ヴァンダールの剣はこれからも、クルトやミュラー。息子たちに受け継がれていく。
 ならば、もう――

「ヴァンダール家当主、マテウス・ヴァンダール」
「ヴァンダール流師範、オリエ・ヴァンダール」

 心残りはない。
 この身がどうなろうと、己が信じる道を進むのみだとマテウスは全身から闘気を放つ。
 そんなマテウスの心に応えるように、鮮烈な闘気を身に纏うオリエ。

『参る!』

 同時に声を発した次の瞬間、二人は言葉を交わすように剣を重ねるのだった。



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