「思っていた以上に人が多いな」
軍の施設を利用して作られた仮設の観客席をモニター越しに眺めなら、リィンはそう呟く。
観客席は満員御礼。会場の外も、少しでも近くで試合を観戦しようと街頭モニターの前には人が溢れて帰っていた。
それに――
『本日は特別ゲストとして、アーベントタイムでお馴染みのミスティさんにお越し頂きました!』
『はーい、ミスティです。今日はよろしくお願いします』
ラジオから流れてくる声。それはミスティことヴィータ・クロチルダの声だった。
いつの間に帝都へ来ていたのかは知らないが、試合のパーソナリティを務めることになったようだ。
何をやってるんだアイツは……と、リィンは呆れた様子で瞼を押さえる。
「帝国中の人々が注目している試合ですから。ラジオや街頭のモニターを使って中継もされるそうですよ」
「……それも、オリヴァルトの発案か?」
「えっと……」
乾いた笑みを浮かべるエリゼを見て、大方想像通りなのだろうとリィンは察する。
実際、賭けの胴元はオリヴァルトがやっているとの話だった。
(もう少し吹っ掛けるべきだったか?)
とはいえ、皇家の財政は切迫しているという話だ。
先の内戦から未だに復興が終わっていない地域も少なくなく、四ヶ月前の事件を発端とする各国への賠償も残っている。
こうした金は帝国政府や四大名門。ラインフォルトグループが賄うことが決定しているとはいえ、かなりの負担を皇家も求められていた。
リィンに支払う報酬でオリヴァルトが頭を抱えていたのは、そうした事情が背景にあったからだ。
だからこそ、このお祭り≠ナ少しでも負担を減らしたいという思惑も少なからずあるのだろう。
「そろそろ時間だな」
「兄様」
「……ん?」
様々な思惑の絡んだ試合ではあるが、勝負をする以上は手を抜くつもりはない。
やるからには、勝つ。負けるつもりなど、一欠片もリィンはなかった。
だから、
「大丈夫だ」
リィンは不安げな表情を見せるエリゼの頭を、そう言って撫でる。
オーレリアは確かに強い。以前に戦った時と比べても、随分と腕を上げていることは見て取れた。
しかし、成長しているのはオーレリアだけではない。リィンもあの頃≠ニは違う。
「相手が誰であろうと俺は負けない。何せ――」
最強の猟兵だからな。
そう言って、リィンはニヤリと笑うのだった。
◆
ルグィン家に代々伝わる宝剣を携え、オーレリアはリィンが現れるのを演習場の中央で静かに待っていた。
挑戦者として戦いに臨むのは、いつ以来だろうか? だからこそ、愉しみで仕方がない。
全身全霊をぶつけても、なお届かない高み。そこへ至った強者との戦いを彼女はずっと待ち望んでいたからだ。
そして真の最強とは、英雄とはどういうものなのか? それを教えてくれたのもリィンだった。
人の身では勝てぬとされた聖女。そんな聖女を退けたリィンも、人では敵わない存在なのかもしれない。
それでも――
「……きたか」
鷹のように鋭い双眸を現れた対戦者――リィンに向けるオーレリア。
全身に覇気を漲らせ、準備万端と言った様子のオーレリアを見て、リィンも腰の武器に手を掛ける。
「ふむ……例の変形する武器か」
「別に武器の機能と言う訳じゃないけどな」
ゼムリアストーンで作られていると言うだけで、構造は猟兵が好んで使う極普通のブレードライフルと変わりは無い。
リィンの能力を活かすのに都合が良いと言うだけの話だ。それに――
「まだ〈オーバーロード〉を使うつもりはない」
「……舐めている、と言う訳ではなさそうだな」
二本のブレードライフルを構えるリィンを見て、ただの挑発ではないとオーレリアは受け取る。
確かに前回の戦いでは敗北を喫したが、剣術の腕ではオーレリアの方がリィンの上を行っていた。
しかし、あれから凡そ一年。異能ばかりではなく、リィンも剣の腕を磨いてきた。
ヴィクターやアリアンロードと言った達人との戦いを乗り越え、得た経験を糧に力を蓄えてきたのだ。
それに――
「不満はあるだろうが納得してくれ。俺にも理由≠ェあるんでな」
この試合。誰もが納得するカタチで、文句の付けようがない勝利を得る必要がリィンにはあった。
プリシラ皇太妃との契約。そしてクレアとの約束を果たすには、絶対に必要な条件と言って良いからだ。
間合いの外から飛び道具を使って勝利したとしても、オーレリア自身はともかく周りは納得しないだろう。
特にリィンのことを快く思っていない貴族たちは、確実にケチをつけてくるはずだ。
そうした口を塞ぐには正面から正々堂々と挑み、オーレリアを近接戦で凌ぐ必要があった。
「いや、不満はない。猟兵が戦いに報酬≠求めるのは当然のことだろう」
オーレリアの言葉に目を丸くするリィン。
プリシラ皇太妃と交わした約束は、まだ誰にも話したことがなかったからだ。
「……知ってたのか?」
「ただの勘≠セ。そなたなら、どう動くかを予想しただけのこと」
そう答えるオーレリアの言葉に、リィンは勘が良すぎるだろうと呆れる。
だが、理に通じる達人は謀にも通じ、未来を見通すとも言われている。
オーレリアは剣士でありながら将≠フ器に足る英雄だ。ただの武人ではない。
リィンの性格を捉え、どう動くかを推察したのだろう。
「あの方≠ルどではないがな」
「まあ、あれと比較するのはな……」
それでもミュゼには遠く及ばないと、オーレリアは自己評価する。
リィンも、そんなミュゼの能力は高く評価していた。
話を持ち掛けてきたのがミュゼだったから、条件付きで手を組むことにしたのだ。
しかし、
「確かに指し手≠ニしての能力はギリアスに匹敵すると言ってもいい。だが――」
心までは怪物≠ノなりきれない。非情に徹しきれない甘さ≠ェミュゼにはあるとリィンは話す。
そもそも指し手≠ノ徹するのであれば、自分の身を危険に晒すのは愚かな行為と言っていい。
腕に自信があるのならともかく、お世辞にもミュゼは腕が立つとは言えない。才能はあるのだろうが、あくまで普通の人間≠ニ比べればだ。
しかし、ミュゼはリィンに依頼をしておきながらも、敢えて自分自身すらも餌≠ノ使うような真似をした。
その理由は察せられる。身を隠すことで女学院の生徒たち――大切な人たちに害が及ぶのを恐れたのだろう。
「だから、なんだろ?」
貴族派に『堕ちた英雄』とまで揶揄されながら、オーレリアがミュゼにつくことを決めた理由。
それは貴族としての責務や、公爵家の未来を憂いたと言う訳ではない。
次期カイエン公として、こうあるべきだと理想の為政者を演じるミュゼという少女を昔の自分≠ニ重ね合わせ――
ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンを放って置けなかったのだと、リィンはオーレリアの本心を見抜いていた。
「妙だと思っていたんだ。貴族でなくなったからと言って、突然団≠ノ入りたいと言われた時からな」
オーレリアの語った話が、すべて嘘だとは思っていない。しかし、本心を語ってもいないとリィンは感じていた。
ミュゼもそうだ。恐らくは、まだすべてを打ち明けてはいない。
リィンだけでなく、オーレリアにすら隠していることがある。
だからこそ、オーレリアは賭け≠ノでることにしたのだろう。
自身のすべてをチップに差し出すことで、リィンを舞台に引き摺りだすと言う賭けに――
「フフッ、さすがだ。だからこそ、私のすべてを賭ける価値≠ェそなたにはある」
ミュゼをカイエン公にすることが、オーレリアの真の目的ではない。
何を期待されているかを察して、リィンはやれやれと溜め息を吐く。
この戦いは謂わば、オーレリアの我が儘だ。
すべてを託すに値する人物かどうかを見極め、そして自身の価値を示すための戦いなのだとリィンは察する。
「前に言った言葉を取り消す。お前は確かに英雄≠セ」
ただ最強に憧れ、強くなるために剣を振っていたあの頃と違い、いまのオーレリアには守るべきもの≠ェある。
覚悟を伴った剣は強い。オーレリアの剣には、確かに彼女の信念が籠もっていた。
以前のようには行かないだろう。こちらも本気≠ナ挑まなければ勝てないと、リィンも覚悟を決める。
「だが、それでも最強≠フ座を譲るつもりはない」
確かに一年前のオーレリアとは違う。それでも、勝ちを譲るつもりはなかった。
最強とは、最も強い者を指す言葉だ。故に敗北は許されない。
猟兵王を名乗ると決めた時から、リィンは一つの覚悟を決めていた。
「王を名乗る以上、俺に敗北≠フ二文字はない。力を示したければ、決死の覚悟で挑んで来い。お前の前に立つのは――」
――最強の猟兵だ。
それが、新たな猟兵王リィン・クラウゼルの覚悟だった。
◆
――皇帝だって人の子だ。道を間違えることもあるだろう。
だが、それが許される立場かどうか、もう一度しっかりと考えてみるんだな。
リィンの言葉が、セドリックの頭から離れないでいた。
難しい話ではない。理解はしているのだ。
ユーゲント三世が犯した罪は、決して赦されることではないと。
どういう事情があれ、ギリアス・オズボーンを宰相に任命したのは先代の皇帝であるユーゲント三世だ。
彼がもたらした騒乱によって、帝国だけでなく様々な国で大勢の人々が悲劇に見舞われ、多くの命が奪われてしまった。
為政者に間違いは許されない。リィンの言うとおりだ。
失敗は次に生かせばいい。
過ちは正せば良いと言ってくれる者もいるだろう。
しかし、そうして失われた命は帰っては来ない。
ならば、どうするべきなのか? 何が正しいのか?
「僕は……」
静寂の中、演習場の中央で向かい合うリィンとオーレリアを、セドリックはガラス越しに特別席から眺める。
闘気や気配と言ったものを感じ取れない一般人ですら息を呑み、声一つ発せられずにいるほどの緊張感が場を支配していた。
「これが……リィンさんの本気」
戦闘の余波に巻き込まれないように距離を開けているはずなのに、はっきりと感じ取れる。
二人の間で漂う闘気のせめぎ合いが――
これが、史上最強クラスの達人。
英雄と讃えられる者たちの力。
「陛下。そろそろ御時間です」
衛兵に開始の時間を告げられ、思わず息を呑むセドリック。
そんなセドリックの緊張を解きほぐそうと、プリシラ皇太妃は母≠ニして声をかける。
「皆が待っています。大丈夫……しっかりと自分の役目を果たしてきなさい」
母親の言葉に後押しされ、セドリックは覚悟を決めて席を立つ。
ガラスの前に立ち、マイクを手に取ると大きく息を吸い込み――
「よくぞ、集まってくれた。我が愛する帝国の臣民たちよ」
静寂の中に響くセドリックの声に、頭を垂れる会場の人々。
観客だけでなくリィンやオーレリアも今だけは戦いを忘れ、若き皇帝の声に耳を傾ける。
「まずは皆に謝らせて欲しい」
謝罪から始まったセドリックの話は、先の内戦から四ヶ月前の事件。そして、皇帝家の責任へと発展していく。
皇帝自らが認め、謝罪したことで会場からは困惑と驚きの声が上がる中、セドリックはこう話を続ける。
「どうか、明日への希望を――光を見失わないで欲しい」
悲しい出来事がたくさんあった。
いまも帝国を取り巻く情勢は予断を許さず、不穏な動きがあることは確かだ。
しかし、暗い話ばかりではない。希望の光はある。
だからこそ――
「時代を切り拓く若き英雄たちの戦いを、その目に焼き付けてくれ」
裏の思惑はどうあれ、人々の心に残るような戦いを見せて欲しいとセドリックは願う。
「エレボニア帝国皇帝、セドリック・ライゼ・アルノールの名において」
セドリックが右手を上げるのと同時に、リィンとオーレリアは向かい合いながら互いの武器を構える。
息を呑むような緊張感が漂う中、セドリックは意を決して言葉を口にする。
「獅子心皇帝と女神に誓い、正々堂々と力の限り戦うことを望む――始め!」
試合開始の合図と共に腕を振り下ろすセドリック。
その直後、演習場の中央で衝突するリィンとオーレリア。
帝都の空に大気を震わせるような轟音が響き渡るのだった。
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