「お会い出来て光栄です――クレア・リーヴェルト少佐。まさか、あなたが軍を辞めて〈暁の旅団〉に入るとは思ってもいませんでした」
リィンの交友関係≠フ広さはレポートに目を通して事前に知っていたつもりでも、実際にはカエラの想像を超えていた。
あの〈氷の乙女〉までもが軍を辞め、リィンの元へ身を寄せているとは思ってもいなかったからだ。
「クレアで構いませんよ。もう、少佐ではありませんから」
「……では、クレアさんと。私のことも、カエラで構いません。噂に聞く〈氷の乙女〉の手腕、期待させて頂きます」
生真面目な軍人らしいカエラの返答に、クレアは苦笑を返す。
少しだけ、リィンと出会う前の――昔の自分を見ているようだと思ったからだ。
しかし、相変わらずリィンは自分では思いつかないようなことを考えると、クレアは感心していた。
帝国の問題に共和国の手を借りようなどと、どんな事情があっても帝国の軍人なら考えることすら普通はしないからだ。
だが、リィンは軍人ではなく猟兵だ。何処かの国に仕えている訳ではない。
利用できるものは、昨日の敵であっても利用する。猟兵らしい実に合理的な考え方をしていた。
それに――
「それにしても、よくこんな方法を思いつきますね」
「情報戦なら、お前等だってやってただろ?」
「……否定はしませんけど」
嘗ては鉄道憲兵隊を率いる者として、貴族派と革新派の対立を煽る立場にいた事実があるだけに、リィンの言葉にクレアは何も反論できなかった。
ギリアス・オズボーンの指示だったとは言っても、それを実行に移したのはクレア自身だからだ。
いまの帝国政府もやっていることは、何一つ変わっていない。帝国時報を通じて流されている情報の多くが、軍の検閲を受けている事実があるからだ。
帝国にとって都合の悪い情報は一切流されず、聞こえの良い部分だけが強調されて市井に届けられる。
背後にいる者たちの思惑によって、帝国臣民の不安を煽ることで戦争の気運を高めようとしていることは明らかだった。
だからだ。目には目を歯には歯を――リィンは帝国の情報封鎖に対抗して、情報戦を仕掛けようとしていた。
ただでさえ先の内戦の影響によって、この国の貴族や政府は国民の信用を大きく損ねているのだ。ならば、その綻びを突いてやればいい。
帝国時報などの大手通信社は政府によって押さえられているが、人の口にまで戸は立てられない。だから、リィンは市井に噂≠流すことにした。
「それに俺は何一つ嘘≠吐いている訳じゃないしな」
そう、何も嘘は吐いていない。
ただ正しい情報≠、リィンは真実を知りたがっている人々に届けているだけだった。
オリエの他にも、協力者にはクロスベルタイムズのグレイス・リンなども含まれていた。
カレイジャスを通してリィンから届けられた依頼に、「ジャーナリストの血が騒ぐわ!」と二つ返事で乗っかったほどだ。
まず間違いなく良い仕事をしてくれるだろうと、リィンは確信していた。
これで帝国だけでなく周辺諸国にも情報を届けるための手はずが整った。それも〈ユグドラシル〉の通信機能があってこそだ。
これで多少の時間は稼げるはずだ。確かな証拠がないままにノーザンブリアへ侵攻すれば、周辺諸国の反発は避けられないからだ。
そうなれば、帝国は今度こそ世界から孤立することになる。
それに経済活動に制限が掛かり、実際に自分たちの生活に影響が出て来れば、帝国の人々も嫌でも考えさせられるはずだ。
果たして、政府の言っていることは本当に正しい≠フかと? それなれば、先に流した噂が効いてくる。
「ただ、それでも流れは止められないだろうがな」
「……呪い≠ナしたか」
深刻な表情でそう呟くクレアに、リィンは頷き返す。
帝国の歴史は血に塗れている。二百五十年前の獅子戦役。そして、いまから十四年前に起きた百日戦役。
すべてが、呪いなどという非科学的なものの仕業とは思えないが、原因の一端を担っていることは間違いない。
リィンはこれを、一種の強制力のようなものではないかと考えていた。
至宝の力を借りて、嘗てベルたちがやろうとしていたことと、この呪いの効力は何処か似ていると感じたからだ。
「そっちは俺たちの方でどうにかする。だから――」
「はい。それ以外のことは、お任せください」
状況に応じて計画の修正や細かい指示をだせるほど、自分が優秀だとはリィンも思っていなかった。
餅は餅屋と言ったように、この手の仕事を任せるのであればクレアほどの適任者は他にいない。
だから彼女にカエラと力を合わせて、帝国政府に仕掛ける情報戦の指揮を頼んだのだ。
噂を流すと決めたのは、時間を稼ぐことだけが目的ではない。
行方を眩ませている共和国の特殊部隊〈ハーキュリーズ〉の耳に入れることも狙いの一つにあった。
「俺の予想が正しければ、これで〈ハーキュリーズ〉にも何かしらの動きがあるはずだ」
「……ご協力、感謝します」
「分かっていると思うが――」
リィンが何を望んでいるかを察して、カエラは無言で頷く。
ハーキュリーズの存在が公のものとなれば、帝国に大義名分を与えることになる。ノーザンブリアだけでなく共和国との戦争ともなれば、百日戦役の比ではない犠牲者がでるだろう。最悪の事態を避けると言う意味で、カエラとリィンたちの目的が一致していることは確かだが、だからと言って無条件で協力する理由にはならなかった。
特殊部隊の派遣を決めたのは共和国政府だ。一部の高官がしたこととはいえ、それを抑えきれなかった大統領にも責任はある。
その尻拭いに協力させられるのだ。リィンが相応の対価を求めるのは当然のことだとカエラも納得していた。
とはいえ、高額な報酬を約束しても支払えるはずもなく、一介の軍人に過ぎないカエラに出来ることなど限られている。
そんななかでリィンがカエラに求めたのは、とある人物との仲介だった。それは――
「ですが、どうして室長を紹介して欲しいと? もしかして、アリオスさんの件ですか?」
ロックスミス機関の室長――キリカ・ロウランを紹介して欲しいと、カエラに依頼したのだ。
それをカエラは、ロックスミス機関に引き抜かれたアリオス・マクレインに関することだと考えたのだろう。
しかし、
「風の剣聖が何処で何をしていようと俺には関係ない」
「……なら、どうして?」
そんなカエラの考えを、あっさりとリィンは否定する。
だからこそ、カエラはもう一度理由を尋ねる。
リィンが取り引きと称してだしてきた条件に、どうにも腑に落ちないものを感じたからだ。
しかし、
「さてな」
正直に答える気はないのか? と、リィンはシラを切るのだった。
◆
「記者のお姉さんじゃん! やっほー! 久し振り」
「げッ!? シャーリィ・オルランド!」
街中でシャーリィに声を掛けられ、いま最も会いたくない人物に見つかったとばかりにグレイスは嫌な表情を浮かべる。
「機嫌が良さそうに歩いてたけど、何かあったの?」
「ぐ……」
シャーリィに会いたくなかった最大の理由。それは、この嗅覚の鋭さにあった。
最も隠しておきたい――秘密にしておきたい内容に、あっさりと直感だけで踏み込んでくる。
シャーリィ・オルランドという少女は、記者や捜査官にとって羨ましい――ある意味で天敵とも言える能力を持っていた。
「でも、今日は邪魔させないわよ! アンタたちの団長からの依頼で動いてるんだから!」
「ん? リィンからの依頼?」
どういうこと?
と首を傾げるシャーリィに、グレイスは余裕の笑みで鼻を鳴らす。
「知りたかったら直接、団長さんに聞きなさい。とにかく私は忙しいの。フューリッツァ賞が掛かってるんだから!」
今年こそ、逃がしてなるもんですか!
と、叫んでシャーリィに背を向けると、グレイスは脇目も振らずその場から走り去るのだった。
◆
「うーん」
中央広場で空を見上げながら腕を組むシャーリィの姿があった。
そこに丁度、近くのデパートで買ったばかりの服に着替えたラクシャとノルンが現れる。
珍しく考えごとに耽るシャーリィを見て、訝しげな表情で声を掛けるラクシャ。
「そんなところで空を見上げて、どうかしたのですか?」
「さっき、知り合いにあってね。話を聞こうと思ったんだけど逃げられちゃって」
それだけの説明で、こちらの世界でもそうなのか、と大凡の事情をラクシャは察する。
リィンに面倒を頼まれたと言うのも理由にあるが、セイレン島で生活する中でシャーリィに最も振り回されていたのはラクシャだからだ。
恐らくはその逃げたという人物も、シャーリィに振り回されてきた人だろうとラクシャは見知らぬ相手に同情する。
実際ここにラクシャがいるのも、シャーリィに無理矢理連れて来られたからだ。その所為で旅支度を調える余裕もなかったのだ。
しかし、こちらの世界は一月。雪も降ろうかという季節だ。南国の島からやってきたラクシャの格好では薄着過ぎた。
だから恥を忍んでノルンからお金を借りて、デパートで防寒着一式を揃えることになったのだった。
「借りたお金は絶対に返しますから……」
「気にしないで。リィンから一杯お小遣いを貰ってるしね」
お金の心配はしなくて良いとノルンに励まされ、何とも言えないやるせなさがラクシャを襲う。
しかし、この世界の通貨をラクシャが所持しているはずもなく、いまはノルンに頼るしかないことも理解していた。
本当ならラクシャを連れてきたシャーリィが生活の面倒を見るべきなのだろうが――
「ノルンがお金を持ってて助かったよ。お財布、あっちの世界に忘れてきちゃったんだよね」
「本当に……あなたと言う人は……」
怒りに震えながらも何を言っても無駄と分かっているだけに、ガクリと肩を落とすラクシャ。
「でも、お金ならカレイジャスに行けば、だして貰えるんじゃ?」
「いま船に残ってるのって、スカーレットでしょ? なんか面倒臭いことになりそうだから、余り近付きたくないんだよね」
ノルンの疑問に、頭の後ろで手を組みながら答えるシャーリィ。
スカーレットのことは嫌いではないが、何かと小言が多いのでシャーリィは少し苦手としていた。
それに、いま船に戻れば島へ連れ戻されてしまうかもしれない。
そうなる前に、さっさとリィンと合流してしまおうと考えたのだ。
「だから、シャーリィの分もお願い。お金はリィンと合流したら、ちゃんと返すから」
「うん。それはいいけど」
少しの躊躇いもなくノルンの財布をあてにするシャーリィに、ラクシャは自分の方がおかしいのかと悩む。
しかし、シャーリィも一応は自分の財布を持ち歩いていると言っても、お金の管理は基本的にリィンが行なっていた。
赤い星座にいた頃もシャーリィの報酬は副官のガレスが預かり、その都度小遣いとして渡していたのだ。
無駄遣いが過ぎると言うほどでもないのだが、計画的にお金を遣うことをシャーリィは苦手としているからだった。
腹が減ったら飯を食い、欲しいものがあったら我慢などしないで手に入れる。お金がなくなったら、また稼げばいい。
刹那的な生き方と言えばいいのか、明日死ぬかも知れない猟兵にはありがちな生活感だが、シャーリィの場合は特にそれが顕著だった。
「すぐにリィンのところへ向かう?」
船に戻らないのであれば、そもそもクロスベルに立ち寄った意味も余りない。
まあ、旅支度を調えると言う意味ではちゃんと意味もあるのだが、その気になればリィンと合流するのは難しくなかった。
そもそも、現在のノルンはリィンの眷属だ。リィンとは魂で繋がっている。
その気になれば〈精霊の道〉を使って、リィンのいる場所へ直接〈転位〉することも可能だった。
「んー。その前に、ちょっとだけ寄りたいところがあるんだよね」
寄りたいところ? と首を傾げるノルンに――
「ナインヴァリ」
シャーリィは簡潔にそう答える。
その名前には、ノルンも覚えがあった。
正確にはキーアだった頃の記憶。ロイドたちも世話になっているという旧市街の交換屋だ。
「そう言えば、リィンも利用してるって聞いたことがあるような……」
「猟兵御用達の店の一つだしね」
その実は、裏社会に通じた闇ブローカー。猟兵たちも利用する武器商人の店だった。
荒くれ者と恐れられる猟兵たちですら、店の中では決して揉め事を起こしたりはしない。
シャーリィを『お嬢ちゃん』と呼ぶ店主が、娘と二人で切り盛りしている店だ。
「なんだか、胡散臭そうな店ですね……」
「良い店だよ? なんでも頼んだものは揃えてくれるしね」
シャーリィが良い店≠ニ断言する時点で、絶対に普通の店じゃないとラクシャは確信する。
そんな店に一体なんの用があるのかと尋ねるラクシャに――
「ほら、いま手元に武器がないから」
代用の武器を仕入れに行くと、とシャーリィは答える。
自分たちの考えている旅支度とシャーリィの考えている準備とでは、考えに大きな隔たりがあることをラクシャは再確認するのだった。
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