「俺のことを団長≠ニ呼ぶってことは、入団希望者か?」
「……は?」

 まさかの返しをされ、目を丸くして呆ける金髪の男――アッシュ。
 しかも、

「悪いが力量不足だ。もう少し鍛え直して来い」
「ああ!?」

 返事をする前に駄目出しをされ、アッシュは怒りを顕にする。
 そして、背中に隠していた武器に手を掛け、怒りに身を任せてリィンに詰め寄ろうとした、その時。

「な……ッ!?」

 自分の喉元に突き立てられたレイピアの先端に気付き、息を呑んだ。
 リィンに意識を集中した一瞬の隙を突いて、ラクシャが間合いを詰めたのだ。

「事情はよく分かりませんが、武器を抜くと言うのなら覚悟をすることです。彼はわたくしのように甘くはありませんから」

 そう言って、ラクシャはアッシュの喉元に突きつけていたレイピアを下げる。
 仮にアッシュが武器を抜いてリィンに迫っていれば、そこで彼の命は終わっていたとラクシャは考えていた。
 リィンがどう言う人間かを理解はしているが、さすがに目の前で人が殺されるのを黙って見ているようなことは出来ない。
 救える命があるのなら、殺さずに済むのであれば、それに越したことはない。
 だから警告の意味を込めて、リィンが武器を抜く前にアッシュに攻撃を仕掛けたのだ。

「俺をシャーリィと一緒にしないで欲しいんだが……」

 そんなラクシャの言葉に、微妙に複雑な表情を浮かべながら抗議するリィン。
 ここが戦場であれば、敵を殺すことに躊躇しない。
 しかし街中で襲われたからと言って問答無用で殺すほど、血に飢えているつもりはなかった。

「わたくしから見れば、どっちもどっちです」
「まだ、あの時のことを気にしてるのか?」

 あの時――と言うのが、キルゴールのことを指しているというのは、ラクシャにもすぐ察することが出来た。
 確かに、まったく気にしていないと言えば嘘になる。人が目の前で殺されるところを見たのは、あれが初めてだからだ。
 忘れられるはずがない。しかし、

「あのことで、あなたを責めるつもりはありません。誰かがやらなければ、きっと他の誰かが殺されていた。あれはそういう事件だったと納得していますから」

 リィンを責めるつもりなど毛頭なかった。
 むしろ、リィンは悪くないと分かっているのにあんな態度を取ってしまった自分に呆れ、自己嫌悪に陥っていたくらいだ。

「ですが弱い者イジメ≠ヘ看過できません」

 そこそこ腕に自信があるようだが、どう見てもアッシュは武術を習っていると言う風には見えない。
 実戦経験豊富な猟兵と言った感じでもないし、喧嘩慣れした街の不良と言った程度だろう。
 言って見れば、リィンからすれば五十歩百歩――素人と大差ない。完全に格下の相手だ。
 ラクシャの言っていることは何も間違ってはいないのだが、

「言ってくれるじゃねえか」

 完全に頭にきたようで、ピクピクと頬を動かしながら武器を手に取るアッシュ。
 そんなアッシュの様子を見て、やっぱりこうなったかとリィンは溜め息を漏らす。

「親切で忠告したと言うのに武器を抜いて、あなたはバカなのですか!?」
「うっせぇ! ここまで虚仮にされて引き下がれるか!」

 ハルバードのような形をした複雑な機構の武器を手にしてリィンに挑もうとするアッシュを、叱り付けて制止するラクシャ。
 当然アッシュも黙って従うはずがなく、反発して口論となる。
 そんな二人のやり取りを眺めながら、付き合ってられないと言った顔で肩をすくめるリィン。
 その緊張感に欠ける子供のような喧嘩を前にして、レイフォンやユウナまで生温かい視線を二人に向けるのだった。


  ◆


「……ここなら邪魔は入らないはずだ」

 そう言って、リィンたちを部屋に通すアッシュ。
 狭い路地の先にひっそりと佇む古い石造りの建物。家賃が安いことくらいしか取り立てて特徴のない共同住宅。
 ここは、アッシュが借りているアパートの部屋だった。
 意外と綺麗に整理整頓されている部屋に、驚いた様子を見せる女性陣。
 これまでのアッシュの態度や言動を見るに、もっと散らかっている部屋をイメージしていたからだ。

「よく掃除が行き届いてる。意外と豆なんだな」
「お袋の手帳理がメシマズでな。自分でも料理を覚えている内に、自然と家のことは俺がやるようになっただけだ」

 そんな苦労を感じさせるアッシュの話を聞き、親近感を覚えるリィン。
 西風にいた頃は、ほとんどリィンが炊事や洗濯と言った雑務を担当していたのだ。
 特に料理に関しては食べられれば良いと言った大雑把な猟兵が多いため、基本的にリィンの仕事となっていた。

「お前も苦労してるんだな」
「ああ……」

 同類を見るような眼差しをリィンから向けられ、微妙に反応に困った様子を見せるアッシュ。
 しかし、リィンの周りにいる女たちを見て、そういうことかと一人納得した様子頷く。
 そんなアッシュの態度に何かを察した様子で、レイフォンは抗議する。

「失礼なことを考えてない? 道場では炊事洗濯は当番制だったから、これでも結構手慣れている方なのよ」
「わたくしだって! まあ、彼ほど得意と言う訳ではありませんが……」
「あ、私は結構得意です。よく弟や妹の面倒を見て、母さんの手伝いをしていたので」

 レイフォンに張り合って自分も料理くらい出来るとラクシャが主張する横で、意外な才能を覗かせるユウナ。
 レイフォンやユウナと違い胸を張れるほどの自信はないようで、ラクシャは悔しそうに肩を落とす。
 そして、

「もしかして、この方がお母様≠ナすか?」

 ふと棚の上に置かれた写真立てが目に入る。
 写真には、胸元の開いた大胆なドレスに身を包んだ綺麗な女性で写っていた。
 女性と一緒に写っている生意気そうな少年は、恐らく子供の頃のアッシュだろう。
 しかし、こんなに大きな子供のいる母親には見えない。二十歳前後でも通用しそうな若々しい容姿をしていた。

「ああ、病気で亡くなったがな」
「それは……」
「気にするな。六年も昔の話だ」

 アッシュの口振りから予想できたことだけに、またやってしまったと言った後悔がラクシャを襲う。
 つい先程も酒場でリィンに無神経な質問をしたばかりだったからだ。
 気にするなと言われても、やはり気にならないはずがない。
 ちゃんと謝罪しようと顔を上げたところで、

「なるほど、そういうことか。あの坊主が大きくなったもんだ」

 話に割って入ったリィンの言葉を聞き、「え?」とラクシャは驚きの声を漏らす。
 まるで、写真の女性を知っているかのような口振りだったからだ。

「もしかして、こちらの女性と面識が?」
「ああ、何度かこの街を訪れたことがあると言っただろ? その時よく利用してた高級クラブのホステスでな。ゼノの奴がしつこくアピールして上手くあしらわれてたっけ」

 知りたくもなかった話を聞かされて、ラクシャだけでなくアッシュも複雑な表情を見せる。
 息子として母親の色恋を聞かされても、反応に困るのは当然だろう。

「と言うことは、もしかして彼とも会ったことが?」
「いや、直接会うのはこれが初めてだ。ただ、自慢の息子だって写真を見せて回ってたからな。当時の客で知らない奴はいないだろ」
「……あのババア!?」

 母親のことをババア呼ばわりするアッシュに、生温かい視線を向ける女性たち。
 普通なら注意するところなのだろうが、それが照れ隠しのようなものだと察せられたからだ。

(根は悪い人ではなさそうですね。少しだけ、彼に似ている気がします)

 出会いは最悪に近いカタチだったが、アッシュに対する警戒心はかなり薄れていた。
 善人とは言わないが、基本的に口が悪いだけで根っからの悪人ではないと感じたからだ。
 そう言うところは少しだけ、リィンと似ているとラクシャは感じる。
 そこまで考えて、ふと頭に過ぎった疑問というか、違和感のようなものをラクシャはリィンに尋ねる。

「話を聞いている感じだと随分と親しかったようですが、ただの客とホステスの関係ではなかったのですか?」
「昔の仲間が迷惑を掛けたって言うのもあるが、いろいろと世話になったからな」
「……いかがわしい関係ではありませんよね? まさか、アッシュさんの父親って……」
「そうなんですか!?」
「お前等、俺をなんだと思ってやがる!? 大体、こいつと俺はそう歳が変わらないだろ!」

 ラクシャの発した言葉に反応し、様子を見守っていたレイフォンまで会話に入ってくる。
 さすがにその誤解は看過できないと、反論するリィン。
 そもそもリィンとアッシュは、三つほどしか歳が変わらない。
 どう考えてもリィンがアッシュの父親というのは、ありえない話だ。
 だが、

「ゼノはないにしても、もしかすると親父なら……そこのところ、どうなんだ?」
「んな訳ねえだろ。お袋だって、生みの親と言う訳じゃねえしな……」

 ルトガーであれば十分にありえると考えての質問だったのだが、意外な答えが返ってきてリィンは目を丸くする。
 そんなリィンの反応に、不思議そうに首を傾げるアッシュ。

「お袋から俺のことを聞いてたんじゃねえのかよ」
「ああ、聞いていた。お前の自慢話≠な」

 当時のことを思い出しながら遠い目でそう話すリィン。
 そんなリィンの様子に何があったのかを察して「お袋……」と肩を落とすアッシュ。
 リィンの聞いた話と言うのが、他人からしたら本当にどうでも良い子供の自慢話ばかりだったと悟ったからだ。

「ですが、話を聞いている限りだと、良いお母様だったみたいですね」
「ですよね! この写真からも息子さんを大切にしていたのが伝わってきますし」
「というか、リィンさんの昔の仲間って〈西風の旅団〉の人たちですよね? その人たちを引かせるくらい息子の自慢話をするって相当凄い人のような……」

 肩を落とすアッシュを励まそうとフォローを入れるラクシャとユウナに対して、微妙なツッコミを入れるレイフォン。
 確かに〈西風の旅団〉と言えば嘗ては〈赤い星座〉と並び、西ゼムリア大陸・最強の一角と噂されていた猟兵団だ。
 その団員を息子の自慢話に付き合わせるなど、なかなか出来ることではない。
 母は強しというか、かなり肝の据わった女性であったことが窺える。

「まあ、確かにいろいろと凄いオバハンだったが……感謝してる。馴染みの客に押しつけられたガキを、八年も面倒を見てくれたんだからな」

 普通ならそこまではしない、と小さく苦笑しながら話すアッシュ。
 血は繋がっていないと言うが、その表情を見れば彼が母親のことをどう想っているかは察せられる。

「そんな顔も出来るんだな」
「くッ……ああ、やめだやめ! お袋のことを知ってるアンタと話をしても分が悪いからな」

 一方的に話を打ち切るアッシュ。
 反論したところで、この手の話ではリィンに敵わないと悟ったからだ。
 それよりも、リィンたちをここまで連れてきた用件を、さっさと済ませようと話を切り出す。

「俺がアンタに声を掛けたのは、確かめたいことがあったからだ」

 真剣な表情でそう話すアッシュを見て、なるほどなとリィンは頷く。
 最初から何かあるとは察していたからだ。

「アイツ等を放って街を離れる訳には行かなかったからな。アンタの方からこっちへ来てくれて助かったぜ」
「……アイツ等?」
「そこは後で説明する。どのみち、そっちも手詰まりになってたからな。出来れば、アンタの力を借りたい」

 アッシュの物言いから、この街で何か面倒なことが起きているのだとリィンは察する。
 レイフォンには昼間だからこんなものだと返したが、それにしても街の人間が少ないことにリィンは奇妙な違和感を抱いていた。
 この街が活気づくのは夕方から夜遅くに掛けてと言うのは間違いではないが、高級クラブはともかくカジノや小劇場は昼間でも開いている。それを目当てにやって来る観光客も少なくないのだ。なのに、今日はそう言った観光客をほとんど見かけていない。この街に何度か訪れたことがあるからこそ、気付くことの出来た些細な違和感だった。

「回りくどい話はなしだ。ストレートに聞かせてもらう。アンタ……俺と会ったことがないか?」
「……は?」

 相手が女であれば口説き文句にも聞こえる質問をされ、意味が分からないと言った表情を見せるリィン。
 先程も答えたことだが、母親から息子の自慢話を聞かされたことはあっても、アッシュと直接顔を合わせたことはない。
 だが、アッシュの物言いから言って、まるで以前からの顔見知りだったと言わんばかりの口振りだ。

「お袋に預けられる前の話だ。俺もはっきりと覚えている訳じゃない。その頃は、三つくらいだったしな」

 いまから十三年ほど前の話かと、リィンはアッシュの話を聞きながら記憶を探る。
 十三年前と言えば、丁度リィンがルトガーに拾われた頃の話だ。帝国とリベールの戦争――百日戦役があったのもそのくらいだ。
 だが生憎と、その頃の記憶はリィンもない。この身体は確かにリィンのものではあるが、その時に一度リィンは死んでいるからだ。
 いまここにいるリィンは、この世界のリィンであってリィンではない。別世界から魂だけを引っ張ってきた別人だと、リィン自身は認識していた。
 勿論まったく記憶が残っていないと言う訳ではない。時々ではあるが、見たことのない光景を懐かしく感じることがある。
 若い頃のギリアスの顔も朧気ではあるが覚えているのだ。
 恐らくはこれが、この身体の元の持ち主――この世界のリィンの記憶なのだろう。
 しかし、

「悪いな。俺も昔のことは良く覚えていないんだ。親父に拾われる前の記憶は曖昧でな」

 会ったことがないかと聞かれても、覚えていないとしか答えようがない。
 少なくともリィン自身はアッシュと出会った記憶がないのだから、そうとしか答えようがなかった。
 だが、

「いや、待てよ?」

 もしかしたらと言った考えが、リィンの頭に過ぎる。
 以前、偶然ではあるがエマはリィンの記憶を覗き見たことがある。
 あの時と同じような方法を使えば、自分が覚えていないようなことでも記憶を引き出せるかもしれないと考えたのだ。
 試したことはないが、一考の価値はある。それにアッシュの件を抜きにしても気になることがあった。
 もしかしたら〈黒の工房〉の本拠地に繋がるヒントが、自分の記憶のなかに眠っているかもしれないと考えたからだ。

「何か、心当たりがあるのか?」
「確実なことは言えないけどな。もしかしたら、お前の知りたいことを知る方法があるかもしれない」
「なんだ、そりゃ……」

 要領を得ない曖昧なリィンの答えに、意味が分からないと言った表情を見せるアッシュ。
 エマのことや魔術なんてものを知らなければ、その反応も当然だろう。
 とはいえ、まずはエマに確認を取ってからでなければ確実なことは言えない。
 しばらく時間をくれ、と言ってリィンはアッシュを納得させる。
 それで完全に納得した訳ではないが、しつこく聞いたところでリィンは絶対に口を割らないだろう。
 むしろ、これからのことを考えるとリィンの機嫌を損ねるのは得策ではないと考え、アッシュは了承する。

「それじゃあ、もう一つの話を聞かせてくれるか? この街で、何が起きている?」
「……分かった。どのみち、アンタたちにも無関係な話ではないだろうからな」

 そう言ってアッシュは渋々と頷きながら、リィンの質問に答えるのだった。



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