「……何やってんだ?」
と、若干呆れた様子でヴィータを睨み付けるリィン。
そんなリィンの視線に少し気圧されながら、ヴィータは言い訳をする。
「クロウの反応を目印に跳べば、ここへ転位できると思ったのよ……」
「……俺の所為だって言うのか?」
「厨房で盗み食いをしてるなんて想像しないもの」
「盗み食いじゃねえ!? ただ料理と酒が切れたから、自分で取りに行ってただけだ!」
仲が良いのか悪いのか?
目の前で喧嘩を始めた二人を眺めながら、面倒臭い奴等だなとリィンは溜め息を溢す。
とはいえ、やはりなんらかの対策が必要だなと考えるリィン。
自分たちも同じようなことをやっておいてなんだが建物内へ直接転位されると、どれだけ防備を固めても意味がない。
今回は相手がヴィータだったから良かったものの、これが敵だったら厄介な問題と言えた。
「転位を防ぐ手段はないのか?」
「そうね。結界を張るのが一番簡単で確実かしら?」
リィンの質問にそう答えるヴィータ。
彼女の話によると〈転位陣〉や〈精霊の道〉と言った瞬間移動系の魔術は、結界を素通りすることが出来ないらしい。
外から中へ侵入できないだけで、結界の中へ入ってしまえば普通に転位陣で移動することは可能らしいが、取り得る対策としては最も現実的だ。
実際クロスベルにはノルンの張った結界が邪魔をして、街へ直接転位することは出来ないのだと言う。
結界が張られていることは知っていたが、そんな効果があるとは知らなかっただけにリィンは驚かされる。
「結界か……それは、どんなものでもいいのか?」
「ええ、外敵の侵入を報せるだけの簡単な結界でも、直接の転位を防ぐだけなら十分ね」
ヴィータの説明を聞き、なら後でエマに相談してみるかとリィンは考える。
いざとなれば、ベルに結界を張る魔導具のようなものを開発してもらうと言う手もある。
転位の対策は目処が立ちそうだなと少し安心したところで、リィンは緊張した様子で固まっている二人に声を掛ける。
「さてと、昨日の話の続きだったか? それで金≠ヘ用意できたのか?」
アッシュたちから力を貸して欲しいと頭を下げられ、リィンがだした条件。それは、取り敢えず二千万ミラ≠用意しろと言うものだった。
名の通った猟兵を雇うのであれば、最低限の金額と言って良い。
団を直接動かす訳ではないし、アッシュたちに協力するにしてもリィン以外ではラクシャと、後は船に残っているシャーリィとエマくらいだろう。入団を希望しているとはいえ、レイフォンはまだ正式な団員と言う訳ではない。クルトとローゼリアに至っては、ただの協力者だ。ラクシャも団員と言う訳ではないのだが、アッシュたちに同情しているのか今回の件には妙に積極的だったりする。それにアッシュの母親には、昔いろいろと世話になった恩≠ェある。そうしたことから最大限に譲歩した金額が二千万ミラだったと言う訳だ。
とはいえ、
「……これで全部だ」
アッシュが机の上に広げた紙幣を見て、やっぱりなと言った表情を浮かべるリィン。
スラムの住民がそんな大金を持っているはずもない。金が返ってくるあてもない連中に、大金を貸してくれる奴もいないだろう。
信用もコネもない彼等では、一晩で集められる金額など高が知れている。百万ミラも集られれば良い方だと思っていたのだ。
そう言う意味では、ざっと見ただけで三百万ミラもの金を集められたことは驚きと言っていい。
しわくちゃの紙幣に小銭も多いことから、掻き集められるだけの金を用意してきたことが窺える。
少しでも目標の金額に近付けようと、彼等も相応の身銭を切ったのだろう。しかし、
「足りないな。こんなはした金じゃ、半人前だって雇えない」
予想できていたリィンの言葉に、ギュッと怒りを堪えるように拳を握り締めるアッシュ。
確かに言われた金額には到底足りない。リィンから見れば、はした金であることは事実だ。
それでも、皆で精一杯だしあって集めた金だ。
この金には金額以上の――生まれ育った街を守りたいという人々の切実な思いが込められている。
だが、そんな感情論を持ちだしたところで、同情で動かせるような相手ではないとアッシュには分かっていた。
だから――
「足りない分は働いて返す。だから、俺を雇ってくれねえか?」
そんな提案をアッシュはリィンに持ち掛ける。
しかし、それも予想できていた提案なのだろう。
退屈そうに溜め息を溢すと、リィンはアッシュを睨み付けながら尋ねる。
「お前にそれだけの価値があると?」
団に入りたいなら腕を磨いて出直して来いと言ったのは、冗談などではなく本気だ。
腕に自信があると言っても、所詮は街の不良だ。お山の大将でしかない。
そこそこ才能はあるのかも知れないが、まだまだ経験と実力が伴っていない。
生意気で口は悪いが、仲間思いで度胸のあるところはリィンも一定の評価をしている。それでも、まだ足りない。
覚悟や根性だけでどうにかなるほど、猟兵の世界は甘くないからだ。
いまのアッシュでは、二千万ミラを稼ぐ前に戦場で命を落とすだけだ。それでは不足分の穴埋めにはならない。
「俺ならスラムや裏の人間にも顔が利くし、アンタの欲しい情報を集めることだって出来る」
そうきたか、とアッシュの話に少し感心するリィン。
一流の猟兵ほど情報の大切さをよく知っている。
敵の戦力を見誤るだけでも、部隊が壊滅する恐れがあるからだ。
リスクを最小限に抑えるため、少しでも多くの情報を必要としていることは確かだが、
「目の付け所が悪くないが、裏へのツテがあるのが自分だけだと思ったのか?」
この街に来るのは初めてではないのだ。西風の頃から贔屓にしている情報屋だっている。この〈ノイエ・ブラン〉もそうだ。
赤い星座から譲り受けてからは、帝国の内情を知る上で〈暁の旅団〉の貴重な情報源の一つとなっていた。
そう言う意味で、アッシュに頼らなければならない理由はない。
二千万ミラもの価値がある情報をアッシュが持っていると言うのもないだろう。
そんな飛びきりの情報を持っているのであれば、こんな金策などせずとも最初から交渉に使っていたはずだからだ。
「もう終わりか? なら――」
「待ってください!」
交渉を打ち切ろうとしたところで、マヤが会話に割って入る。
そして覚悟を決めるように一呼吸いれ、リィンと目を合わせると――
「彼がダメなら……私を……私を買ってください!」
そう叫ぶ。余りに唐突な――マヤの大胆発言に目を丸くするリィン。
面白いものを見たと言った顔でクロウはニヤニヤと笑い、ヴィータも興味深そうに様子を見守る。
そんななかカウンターテーブルの方で、大きな物音が響く。
カウンターの裏に隠れていたのは、ラクシャとレイフォン。それにユウナの三人だった。
「お前等……そんなところで何やってるんだ?」
最初から三人が隠れていることには気付いていたのだが、敢えてスルーしていたのだ。
なのに自分たちから姿を晒した三人に呆れての問いだった。
そんなリィンの問いに、我に返ったユウナが顔を真っ赤にして答える。
「アンタがいかがわしい取り引きをしないように見張ってたのよ! って、それよりも今の!」
いかがわしい取り引きってなんだ、とユウナの言葉に思わずツッコミを入れそうになるリィン。
必死に笑いを我慢するクロウを一瞥して、まずは誤解を解こうとリィンはユウナに声を掛ける。
「お前、何か誤解していないか? いまのは――」
恐らく昨日のスカウトの件だろうと、マヤの真意をリィンは見抜いていた。
誤解を生むような言い方だったのは確かだが、その場にはユウナたちも一緒にいたのだ。
少し考えれば分かるようなことだけに、リィンがユウナの早とちりに呆れるのも無理はない。
実際、ラクシャとレイフォンはそれほど戸惑っていないところからも、なんとなく察しているのだろう。
とはいえ、普段の行いを考えると、リィンにも非がないと言う訳ではない。
面倒なことになる前にユウナを落ち着かせて誤解を解こうとしたところで――
「お願いします! 団長さんになら……身も心も捧げる覚悟は出来ていますからッ!」
そんなマヤの声がVIPルームに響くのだった。
◆
「え? 違うんですか? 団に所属する女の人は皆、団長の愛人だって……」
「誰だ? そんなデマを吹聴している奴は……?」
眉間にしわを寄せながら、マヤに噂の出所を聞き出そうとするリィン。
一方、床には気を失ったクロウが転がっていた。
マヤの一言がトドメとなって腹を抱えて笑いだしたクロウを、リィンが一撃で昏倒させたのだ。
「噂の出所も何も、そのくらいのことはスラムのガキだって知ってるぜ?」
「なん……だと?」
予想もしなかった話をアッシュに聞かされ、ショックを受けるリィン。
まさか、スラムの――それも子供にまで、そんな不本意な評価が広まっているとは思ってもいなかったからだ。
「因果応報ですね。すべてが嘘と言う訳ではないのでしょう?」
「ぐ……ッ!」
ラクシャの容赦のないツッコミに、何も言い返せず唸ることしか出来ないリィン。
火のない所に煙は立たないと言うが、複数の女性と関係を持っているのは事実だ。
いまのところは明確に恋人と言える関係なのはエリィとアリサくらいだが、候補は他にも大勢いる。
しかも、ほぼ全員がリィンに好意を寄せていて複数の女性を囲うことに了承済みと言うのだから、この噂も嘘とは言えなかった。
「不潔……なんで、こんな奴の言うことをティオ先輩は……」
蔑むような目をリィンに向け、ブツブツと愚痴を溢すユウナ。
その一方で、私は分かってますからと言った表情でレイフォンはリィンの肩を叩く。
「気にすることないですよ。英雄色を好むって言うじゃないですか」
そんなレイフォンの怪しいフォローに、リィンは完全にトドメを刺された様子で肩を落とす。
何を言ったところで、もはや誤解を解くのは不可能だと悟ったからだ。
「あの……!」
「これ以上、話をややこしくしないでくれ」
マヤが何かを言う前に、話の腰を折るリィン。
これ以上、問題をややこしくされては堪らないと考えてのことだった。
しかし、マヤも引き下がるつもりはないのか、尚も食い下がろうとする。
そんなマヤの頑なな態度に観念した様子で溜め息を吐き、リィンがテーブルに備えられたベルを鳴らすと――
「お呼びでしょうか?」
まるでタイミングを見計らっていたかのように、何処かの貴族の屋敷に仕える執事と言った感じの老紳士が姿を現す。
いつの間に――と言った顔で、目を瞠るアッシュとマヤ。二人が驚くのも無理はない。
いつから、そこに立っていたのか? まったく気配を感じさせなかったからだ。
その佇まいを見るだけでも、只者でないことだけは分かる。
しかし、それも当然だ。彼はこの店――ノイエ・ブランの支配人だった。
「例の物は?」
「用意できています」
リィンの問いにそう答えると、テーブルの上にアタッシュケースを置く支配人。
支配人からアタッシュケースを受け取ると、慣れた手つきで暗証番号を入力し、ケースのロックを外すリィン。
「……は?」
「……え?」
ケースの中身を見て、アッシュとマヤの口から驚きの声が漏れる。
そこに入っていたのは、二千万ミラはくだらない札束だった。
まったく事情を呑み込めない二人は、説明を求めるように支配人に視線を向ける。
そんな視線を感じ取った支配人は、確認を取るようにリィンを一瞥して二人の疑問に答える。
「皆様は猟兵≠雇うための資金を集めていらっしゃるそうですね。当店もラクウェルで営業をさせて頂いている店の一つです。何か協力できることはないかと考え、そうしたことを他の店の方々にも相談したところ多くの賛同を頂きまして、これは表通りに店を構えるオーナーの皆様から『街を守るために役立てて欲しい』とご寄付≠頂いたお金になります」
支配人の説明にポカンと呆気に取られるマヤ。
アッシュたちが門前払いを受けた店から寄付を集めてきたと言われれば、その反応も当然だ。
しかも支配人の話が事実なら、そのなかにはこの店――ノイエ・ブランも含まれているのだろう。
そのノイエ・ブランのオーナーはリィンだ。オーナーの皆から寄付を募ったと言うことは、当然この金の中には――
「……テメエ、どういうつもりだ?」
「どうもこうもない。この店のオーナー≠ニして、街のために協力するのは当然だろ?」
アッシュの問いにニヤリと笑みを浮かべながら、そう答えるリィン。
猟兵団の団長であると同時に、リィンは〈ノイエ・ブラン〉のオーナーだ。
この街に店を構える以上は、街の人たちと上手くやっていく必要がある。
そのための必要経費と考えれば、この程度の出費は痛くなかった。
「最初から、そのつもりで……」
この店を取り引きの場所に選んだのだと、アッシュはリィンの考えを察する。
自分たちの街は自分たちで守る。そんな風に自己満足に浸り、熱に浮かされている若者たちに現実を教えるため――
アッシュたちが必要な金額を集められないと分かっていて、二千万ミラという大金を提示したのだろう。
それは即ち、最初からリィンの手の平の上で踊らされていたと言うことだ。
「別にお前等の活動を笑うつもりはないが、お前等が必死に駆けずり回って集めた金や、自分たちで出し合ったと思っている金も――すべては大人≠スちの厚意によるものだ。薬草の採取に魔獣討伐。まともに領邦軍が動いてくれないのは事実かもしれないが、それこそ猟兵を雇う手だってある。無理にお前等を使う必要性はないからな」
戦争に参加することだけが猟兵の仕事ではない。
隊商の護衛や、街や砦と言った拠点の防衛。更には遊撃士のように、街の住民には手に負えない強力な魔獣の討伐を請け負うこともある。
名のある猟兵を雇うには相応のミラが必要だが、ファフニールの若者たちがやっている程度の仕事であれば半人前の猟兵にだって出来る。
リィンのように、昔からこの街には世話になっている猟兵も少なくないのだ。
新人の育成のために安くで請け負ってくれる団も探せばなくはないだろう。何も彼等に頼る必要はない。
「ただ傷を舐め合っているだけじゃ、現実は何も変えられないぞ」
リィンに厳しい指摘をされ、アッシュはギュッと拳を握り締めながら肩を震わせる。
自分たちのやっていることが、ただの自己満足に過ぎないということは彼も理解していた。
街の人たちの厚意にあぐらをかいているだけだと言うことにも、薄々は気付いていたのだ。
しかし、
「だったら、どうしろってんだよ!? スラムの出身ってだけで、まともに雇ってくれるような店はない。真っ当に生きたくたって、それが出来ねえ奴だっているんだよ!」
そんなことは彼等も分かっているのだ。
しかし、どうしたらいいのか。どうすればいいのかが、ずっとスラムで育ってきた彼等には分からない。
遊撃士の真似事を始めたのも生活のためと言うのが理由の一つにあるが、少しでもスラムをよくしたい。
自分たちに向けられている街の人たちの印象を変えたいと思ったからだ。
だが空回りするばかりで、そんな思いは通じていなかったことが、今回の件ではっきりと分かってしまった。
これ以上どうすればいいのかと、アッシュは叫ぶ。しかし、
「なら、なんで相談しない? どうして、大人を頼らない?」
リィンの口から返ってきた質問に、何も答えられずに黙るアッシュ。
今回の件も自分たちだけでやろうとせず、仮に宿酒場のモーリーを頼っていれば門前払いとはならなかった可能性が高い。
「少なくとも、そんなお前たちにも心配してくれる大人たちが、味方になってくれる人たちがいたはずだ」
そうでなければ、三百万ミラもの金を工面することは出来なかっただろう。
その金は、普段から彼等のことを気に掛けてくれている大人たちが厚意≠ナだしてくれた金だ。
同じ境遇の仲間ばかりで群れて、強がって生きるのは楽だろうが、それはただの甘え≠セとリィンは断じる。
「少し頭を冷やして、身の振り方を考えてみろ」
誰かに頼ることが悪いとは思わない。力の弱い者が、子供が大人を頼るのは当然のことだ。
なのに自分を強く見せようと粋がって、誰にも相談せず勝手に背負い込んで、自分だけの力で解決しようとする。
戦場では、自分の弱さを認められない者から命を落としていく。そうしたバカをリィンは大勢知っていた。
だからこそ、見て見ぬ振りが出来なかったのだ。アッシュたちの危うさを感じてのお節介だった。
(……こんな顔も出来るんだ)
言っていることは厳しいが、どこか気遣うような問いかけをするリィンの顔が、憧れの先輩――ロイドと重なる。
ティオがリィンに協力する理由の一端を、ユウナは垣間見た気がするのであった。
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