途中で教会に寄って回収したライフルのケースを肩に背負い、リィンの後ろを浮かない表情で歩くマヤの姿があった。
 まさかハーメルの事件に自分の父親が関わっていたとは思ってもいなかっただけに、ショックが大きかったのだろう。どうして今まで話してくれなかったのかと言った父親に対する呆れや怒りもあるが、それよりもリィンへの申し訳なさで頭の中は一杯だった。
 あの事件が切っ掛けでリィンは母親を失い、自身も命に関わる大きな怪我を負ったのだ。その上、実の父親に捨てられ、猟兵として戦場を転々とする厳しい生活を強いられてきた。十三年前のこととはいえ、謝って赦されるようなことではないと考えたのだろう。父親のしたこととはいえ、娘のマヤがリィンに負い目を感じるのは無理がなかった。
 そんなマヤの心情を察してか、リィンは溜め息を溢しながら声を掛ける。

「もう終わったことだ。それに、お前が気にするようなことじゃないだろ?」
「ですが……」
「十三年前のことも、俺は別に気にしちゃいない。自分が不幸だったとも思ってないしな」

 ルトガーに拾われたことや〈西風〉の皆に育ててもらったことを感謝こそすれ、リィンは自分が不幸などと考えたことはなかった。
 むしろ、運が良かった思っているくらいだ。ルトガーに拾われなければ、魔獣の餌となっていた可能性が高い。
 それに〈西風〉の皆からは、生きるための術を教えてもらった。これほど恵まれた環境は他に無いだろう。
 とはいえ、何を言ったところでマヤは納得しないだろうと言うことは分かっていた。しかし、

「ハーメルの犠牲者と言う意味では、お前も同じだろ? 人生を狂わされ、十三年も辛い思いをして生きてきたんだからな」

 マヤだって母親を亡くしている。
 その上、酒に溺れる父親と十三年もの間、理由も分からず向き合ってきたのだ。
 彼女と比べれば、自分の境遇などマシな方だとリィンは思う。
 少なくとも家族≠ノ恵まれていたと胸を張って言えるからだ。

「もう、楽になっても良いんじゃないか?」

 そう言って、優しくマヤの頭を抱き寄せるリィン。

「それでも自分を赦せないのなら、俺がお前のすべてを受け止めてやる」
「団長さん……」
「リィンでいい。親父さんと一緒に、うちの団に入るんだろ?」

 ――なら、今日からお前は俺の家族≠セ。
 そんなリィンの言葉に胸を打たれ、マヤの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
 裏道で子供のように泣きじゃくる少女の声が、歓楽街の喧騒に掻き消されるのであった。


  ◆


「あの……ありがとうございました」

 気にするなと一言返すと再び記憶を頼りに裏道を進むリィンの後を、小さく苦笑を漏らしながらマヤは追い掛ける。
 そうして下町通りにある一軒の店の前でリィンが足を止めるのを見て、

「ここって……」

 マヤは戸惑いの声を漏らす。
 下町通りにある古ぼけた外観の店。そこは昔から彼女も良く出入りしている質屋≠セったからだ。
 表向きは普通の質屋だが、裏では高価な美術品や豪邸向きのアンティーグ家具。更には猟兵が使うような武器や弾薬まで、手広く扱っている裏社会ではそれなりに名の知られた店だった。
 その昔、父親に連れられて店へ来てから、マヤも何度かライフルの備品を調達しに訪れていたのだ。

「爺さん、まだ生きてるか?」
「ピンピンしとるわ……って、リィンじゃないか。久し振りじゃな。三年振りくらいか?」
「四年振りだ。やっぱり少しボケたか?」

 親しげな様子で、店の奥でカウンターに立つ老人と軽口を叩き合うリィン。
 老人の名はマッケンロー。この質屋の店主だ。リィンとは〈西風〉時代からの顔見知りだった。
 この店にリィンが初めて連れて来られたのが十歳の時なので、かれこれ十年来の付き合いになる。

「ジョゼフのところのお嬢ちゃんも一緒か。ラインフォルト社製の良いライフルが入ってるんだが、よかったら見て行くかい?」
「いえ、私は……」
「そうだな。見せてもらえるか? ついでにこいつも頼む。必要な備品のリストだ」
「え?」

 ただの付き添いだからと遠慮しようとしたところでリィンが割って入り、目を丸くするマヤ。
 ライフルを新調する予定など丸っきりなかったのだから、その反応は当然であった。
 しかし、

「いま使っているのは、親父さんのライフルだろ?」
「……あ、はい」
「大切に使っているみたいだが、相当に銃身が痛んでるだろ?」

 リィンにライフルの不備を指摘されて、マヤは驚きに目を瞠る。
 元々、父親が使っていたものを譲り受けたとあって、状態は余り良くなかったのだ。
 それを騙し騙しに使っていたのだが、最近はお金がなくて満足に整備をすることも出来ずにいた。
 それを、たった一度目にしただけで見抜かれるとは思ってもいなかったのだろう。

「命を預ける武器がそんなのじゃ、自分だけじゃなく仲間も危険に晒すからな」
「うっ……」

 そう言われては、返す言葉もない。
 リィンの言っていることはもっともだと認めつつも、マヤは苦い顔を浮かべる。

「でも、ライフルを新調するようなお金は……」
「金の心配ならするな。団員の装備を整えるのも経費の内だ。それに分かってて、この爺さんも勧めてるんだろうしな」

 そこまでは考えが及ばなかった様子で驚きに目を瞠りながら、マッケンローへと視線を向けるマヤ。
 そんなマヤの視線を浴びて観念したのか、マッケンローは肩を小さくすくめる。

「なんじゃ気付いておったのか」
「どうせ、俺がここへくることも察していたんだろ?」
「まあの。御主がラクウェルにきていることは分かっておったしな。そろそろ来る頃だとは思っておった」

 裏社会に顔の利く老人が、この街にリィンが来ていることを知らないはずがない。
 当然ファフニールがリィンと接触したことや、最近この街の付近で起きていることも掴んでいるはずだ。
 なら、ここへ自分がやって来ることも予想していたはずだとリィンは考えたのだ。
 その証拠に、敢えて猟兵向け≠フ商品を補充して待っていたのだろうことが窺える。

「まあ、お前さんのことを待っていたのは儂だけではないがな」
「それは奥≠ノ隠れている奴のことか?」
「……本当に驚かしがいのない奴じゃの」

 最初から気付いていた様子のリィンに呆れながら、メモを片手に店の奥へと消えるマッケンロー。
 そんな彼と入れ替わりに店の奥から、十代前半と思しき赤毛の少女が顔を覗かせる。
 その少女の顔を見て、予想通りと顔でリィンは溜め息を溢すと、

「懐かしい気配がすると思ったら、やっぱりお前か。ジンゴ=v
「なんだよ。少しは驚けよな」

 軽い口調で挨拶を交わすのであった。


  ◆


「で? なんで、お前がここにいるんだ? アシュリーさんも一緒……ってことはないよな?」
「ママならいないぞ。大口の仕事がこっちであってな。ジンゴも十二だから丁度良い機会だろって任せてもらったんだ。凄いだろ」

 周囲を警戒しながら尋ねてくるリィンに、自慢するように胸を張ってそう答えるジンゴ。
 リィンだけでなく名のある猟兵であれば大抵は顔馴染みと言う――ある意味でシャーリィ以上にとんでもないお子様。
 それが彼女――ジンゴだった。
 それもそのはず。彼女はクロスベルに店を構えるナインヴァリの店長、アシュリーの一人娘だった。

「だが、丁度良い。いま、この界隈で活動している猟兵団について何か知らないか?」
「あー、例の銃撃戦絡みか? うーん……リィンはママのお得意様だし教えてやってもいいんだけど、でもなあ」
「お前、まさか……」

 大口の仕事と言っていたのを思いだし、もしかしてと言った表情でジンゴに訝しげな視線を向けるリィン。
 そんなリィンの視線を感じ取って、何を疑われているかを察したジンゴは首を横に振りながら答える。

「ジンゴだって、この街には昔から世話になってるんだ。商売だからって不義理はしねえよ。それに、この街には〈ノイエ・ブラン〉の姉妹店があるだろ? ジンゴの売った武器で、あの店に何かあったらママに殺されちまうよ……」

 実に説得力のある話に、この件にジンゴが関わっている可能性は低いとリィンも納得する。
 彼女が最も尊敬し、最も恐れているのが母親だと言うことをよく知っているからだ。
 西風の頃からの縁もあって〈暁の旅団〉で使う武器や弾薬の類は、基本的にナインヴァリを通してリィンは仕入れていた。そして、そのリィンは〈ノイエ・ブラン〉のオーナーだ。ついでに言うと〈ノイエ・ブラン〉を利用している客の中には、アシュリーと付き合いのある軍の高官や猟兵も少なくない。
 この街を利用したことがあって、そのことが分かっている猟兵であれば、この街の近くでバカな真似はしない。
 リィンを敵に回すこともそうだが、ナインヴァリのアシュリーを怒らせると言うことが、どういうことを知らない猟兵はいないからだ。
 当然そのことを一番良く理解している娘のジンゴが、母親の怒りを買うような真似をするはずもなかった。

「あ、でも仕事の内容は言えないからな!」
「分かってるよ」

 簡単に口を滑らせるようなら、ナインヴァリと取り引きをしたりはしない。
 仮に喋らなければ殺すと脅されても、ジンゴが口を割ることはないだろう。
 子供だからと言って、リィンはジンゴのことを侮るつもりは無かった。
 アシュリーと比べれば、まだまだ経験不足なところはあるが、そうしたプロ意識の高さは認めているからだ。

「そっちの奴は見ない顔だな? リィンの新しい女か?」
「ふえ!?」

 話の流れについて行けずに見守っていると、突然ジンゴに話を振られて顔を真っ赤にして狼狽えるマヤ。
 そんな初々しいマヤの反応に脈あり≠ニは察しつつも、まだ違うのかと子供らしからぬ感想を漏らす。

「お前、意味分かってて言ってるか?」
「バカにすんなよ。ジンゴはもう十二だからな。そのくらい知ってて当然だろ?」

 自信満々なジンゴの表情を見て、絶対によく分かってないなとリィンは悟る。
 裏社会の人間が相手でも物怖じすることなく商売の話が出来る彼女だが、こうしたことに疎いのを知っているからだ。
 こう見えて、どこぞの開発主任のようにみっしぃが好きという子供らしい一面も持っているのだ。
 本人も言っているように、ジンゴはまだ十二だ。理解していないのであれば、敢えて教える必要もないかと、リィンはツッコミを控える。以前ゼノが余計なことをジンゴに教えようとして、アシュリーに簀巻きにされているところを見ているだけに、危険な橋を渡るつもりはないというのも理由にあった。

「あ、そうだ。ママから伝言があるんだった」
「……アシュリーさんから?」

 突然思いだしたかのように母親の話を持ちだすジンゴに、何か嫌な予感を覚えつつもリィンは聞き返す。
 ゴソゴソと上着のポケットをあさって、ようやく見つけた一枚の紙をリィンに手渡すジンゴ。
 それは――

「請求書? しかも、なんだこの出鱈目な金額は……」

 ナインヴァリからリィンに宛てた請求書だった。
 しかも紙に書かれている請求金額を見て、リィンの頬が釣り上がる。
 アッシュに用意しろと言ったミラの倍近い金額が、そこには記されていたからだ。

「お前んとこの戦鬼……ああ、いまは〈鬼神〉って呼ばれてるんだっけ? なんか店にきて、しこたま武器や弾薬を仕入れていったらしいぜ?」

 誰のことかを察して、「あのバカ……」と天を仰ぐリィン。
 なかなか売れずに残ってた商品も売れてママ凄く喜んでたぞ、とジンゴに聞かされ、更にどんよりとした暗いオーラを背負う。
 しかし、そういうことならもう少し安くならないかと値段交渉を持ち掛けようとするリィンだったが、

「団員の装備を整えるのも経費の内なんだろ?」

 マヤに言った台詞をそのままジンゴに返され、何も言い返せずに項垂れるのであった。


  ◆


「ラインフォルト社製の最新式導力銃。しかも特注のカスタマイズモデル……」

 遠慮をしていたとは思えないほど目の色を変えて、銀色に輝くライフルを抱きしめながら頬ずりするマヤ。
 十六歳の少女が喜ぶような代物ではないのだが、そう言う意味では彼女も例に漏れず、リィンの周りにいる他の女性と同様に少し変わっているのだろう。

「あの……本当によかったんですか? こんなに高いものを……」
「気にするな。その分、しっかりと働いてもらうつもりだしな」

 確かに安い買い物ではなかったが、シャーリィの使った金額と比べれば誤差の範囲だとリィンは考えていた。
 それに実際、市場でも滅多に出回らないレベルの高性能なライフルだ。買って損はないとの判断でもあった。
 エプスタイン財団で設計された魔導杖の技術を取り入れ、ラインフォルト社で開発された魔導銃。試験的に何本が製造されたものの一つで市販はされてなく、銃身の横には『U』を現すシリアルナンバーが刻まれていた。どうやって手に入れたのかは知らないが、性能だけでなく稀少価値から言っても買いだったのは間違いない。
 とはいえ、

「スコープはそっちを使うんだな」
「あ、はい。こっちの方が慣れてて……ダメでしょうか?」
「いや、好きにすればいいさ」

 新しいライフルに古いスコープを付けているマヤを見て、リィンは小さく苦笑する。
 本来ならスコープも新しいものを使うのが一番良いのだろうが、こうした験担ぎを大切にする軍人や猟兵というのは少なくない。
 マヤにとって父親から譲り受けたライフルは、それほど大切なものなのだと察せられる。

「気に入ったみたいじゃな。メンテナンス用の道具はおまけしといてやろう」
「ありがとうございます」

 マッケンローからメンテナンス用の道具が一式入ったケースを一緒に渡され、満面の笑みを浮かべるマヤ。
 以前に使っていたものは古くなっており、更には交換用のクォーツやクリーナーなどの消耗品も残りが心許なくなっていたので本当に嬉しかったのだろう。
 一緒に注文した商品は〈ノイエ・ブラン〉に運んで貰えるように手配を終え、店を後にしようとした、その時だった。

「いた! ちょっと、アンタどういうつもり!?」
「ようやく見つけました! きちんと説明してください!」
「リィンさん、酷いです! 私の両親にも挨拶してくださいよ!」

 店の扉が勢いよく開かれたと思うと、ユウナ、ラクシャ、レイフォンの三人が凄い剣幕でリィンに詰め寄る。
 状況を理解できないまま三人の迫力に気圧されて、思わず後ずさるリィン。
 呆気に取られるマヤと、何処か面白いものを見たと言った表情でニヤニヤと笑うマッケンロー。

「リィン、準備できたぞ……って、増えてるし……」

 そして、大きなリュックを背に店の奥から顔を覗かせたジンゴは――

「これが修羅場って奴か」

 と男女の関係の複雑さを学び、大人の階段をまた一つ上るのであった。



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