無機質な鉄の壁で囲まれた部屋に、手錠のようなもので両手を縛られたアッシュの姿があった。
 生きてはいるが、顔や身体には幾つもの痣が目立つ。恐らく随分と痛めつけられたのだろう。

(ヘマをやらかしちまったな……)

 ブラッドたちを追って街の外へ飛び出したアッシュは、恐らく網を張っていると思われる猟兵の目を掻い潜るために、表山道から大きく外れた獣道を迂回するルートを取った。しかし、それがかえって不運を招く結果へと繋がったのだろう。同じく山道の様子を窺うために偵察へでていた謎の武装集団と遭遇し、捕らえられてしまったのだ。
 本当ならリィンを頼るべきだったのだろうが、ブラッドたちの暴走は自分にも原因があるとアッシュは責任を感じていたのだ。だが、もっと大人を頼れと諭されたばかりだと言うのに、暴走した仲間を止めようと先走った行動を取って、この有様だ。
 これでは、ブラッドたちを責めることも出来ない。何一つ言い訳の出来ない状況だと、アッシュは自分の浅はかさを痛感していた。

(しかし……連中、何者だ?)

 自分を捕らえた連中が、街の外で銃撃戦をやらかした武装集団の片割れだろうと言うことはアッシュも察していた。
 あんな場所にいたと言うことは、山道を封鎖している猟兵と思しき集団とは別の集団と考えて良いだろう。
 まるで軍人のように統率の取れた動き。黒一色で統一された装備。そして、このガンシップ。
 捕らえられたアッシュが運び込まれたのは、共和国のガンシップだった。それも見たこともない最新式の機体だ。
 そこらの猟兵が持っているような代物ではない。となれば、敵の正体にも大凡の察しは付く。

(……共和国軍の特殊部隊ってところか)

 そんな連中がどうして帝国にいるのかは分からないが、相当にまずい状況だと言うのはアッシュも理解していた。
 仮に今の予想が当たっているとすれば、このままアッシュを生かしておく理由が彼等にはないからだ。
 恐らくは〈銀鯨〉との関係を疑いアッシュを捕らえたのだろうが、たいした情報を得られないと分かれば躊躇なく始末するだろう。
 だからと言って逃げる余力など、アッシュには残されていなかった。
 運が悪ければ、このまま何もせずに殺されてしまうのだろうが、

(まだ、終わった訳じゃねえ)

 アッシュ・カーバイドは悪運には自信があった。伊達に『ラクウェルの悪童』とは呼ばれていない。
 それに――あれから随分と時間が経っていることを考えれば、リィンの耳に入っているはずだ。
 無償で助けてくれるほどお人好しではないだろうが、リィンのことだ。この機会を逃すとは思えない。
 敵の尻尾を掴んで大人しく逃がすほど甘い男でないことは、アッシュもよく理解していた。
 なら、確実にチャンス≠ヘ訪れる。

(とにかく、いまは堪えるしかねえな……)

 少しでも体力を回復するため、アッシュは身体を休めることを優先する。
 とっくに身体の方は限界が来ていたのだろう。
 瞼を閉じると、アッシュは眠るように意識を手放すのだった。


  ◆


「共和国軍の特殊部隊だって!?」
「ああ、恐らく『ハーキュリーズ』と呼ばれる潜入や破壊工作を得意とする部隊だろう」

 リィンから謎の武装集団の正体を告げられ、驚きの声を上げるレオノーラ。
 ヴェルヌ社製のライフルを使用していたことから共和国との繋がりを疑ってはいたが、まさか本当に共和国軍の特殊部隊だとは思ってもいなかったからだ。
 だが仮にリィンの推測が正しいとすれば、一つの疑問が浮かぶ。

「なんで共和国軍の特殊部隊がラクウェルの街を襲おうとしてるんだい?」

 他国の街を自国の兵士を使って襲うなど、宣戦布告に等しい行為だ。
 ましてや帝国と共和国の関係は良好とは言えない。領土紛争など、長年に渡って対立を続けてきた相手だ。
 このことが帝国政府の耳に入れば、百日戦役の再来となりかねない。いや、あの時以上の大きな戦争へと発展する可能性が高かった。
 レオノーラがどうしてそんなバカな真似を――と疑問を抱くのも無理はない。

「そもそもアルスターを襲ったのは、本当に奴等なのか?」
「あ……」

 それもそうだと、レオノーラは自分が大きな勘違いをしていたことに気付かされる。
 アルスターを襲った謎の武装集団がラクウェルの街を襲おうとしていると話を聞いただけで、実際に街を襲っているところを目にした訳ではないのだ。

「アルスターを襲ったのが連中じゃないとすれば、街の破壊工作が目的じゃないってことかい?」
「さてな。そこまでは俺にも分からない。だが、お前等に〈ハーキュリーズ〉を始末させようと企んでる奴がいるのは確実だ」

 裏があるとは思っていたが、自分たちが利用されたと知ってレオノーラは不快げな表情で拳を強く握り締める。
 軍を動かすのではなく〈銀鯨〉に態々依頼したと言うことは、表沙汰に出来ない――密かに解決したい理由があるのだろう。
 だとすれば、クライスト商会と〈ハーキュリーズ〉には何かしらの接点があると言うことだ。

「でも、なんでアンタはそんなことを知ってるんだい?」

 リィンの話は確かに筋が取っている。
 嘘を吐いているとは思わないが、どうしてそこまで事情に詳しいのかとレオノーラは訝しむ。
 共和国軍の特殊部隊が帝国に潜伏していることなど、レオノーラたちも始めて耳にした情報だからだ。
 領邦軍が動いていないと言うことは、恐らく軍にも情報が回っていないのだと推測が立つ。
 幾らリィンが凄腕の猟兵であっても、どこでそのことを知ったのかと疑問を抱くのは当然であった。

「共和国政府の関係者から〈ハーキュリーズ〉を捕らえるのに協力して欲しいと要請されてな」
「……はあ?」

 まさかの内容に、レオノーラの口から驚きと困惑の声が漏れる。
 リィンが共和国政府から協力を要請されたと言うことも驚きだが、どうして自国の特殊部隊を捕らえようとしているのか疑問を持ったからだ。
 政府の指示でなければ、共和国軍の特殊部隊がどうして帝国にいるのか分からない。

「俺に協力を要請してきた奴の話を信じるのであれば、大統領の指示ではないらしいな」
「……軍部の暴走ってことかい? まさか、その話をアンタは信じたいのかい?」

 クライスト商会の話も胡散臭いが、リィンが協力を持ち掛けられたという話も相当に胡散臭い。
 仮にその話が事実だとすれば、いまの共和国の大統領は下も抑えられない無能な指導者だと言っているも同じだからだ。
 だがロックスミス大統領と言えば、相当にやり手の人物だと言う噂をレオノーラも耳にしていた。
 みすみすと部下の暴走を見過ごすとは思えない。そもそも軍は何故そんな行動にでたのか――

「なるほど。軍が上の思惑を無視して動いたのは、あなたが原因ですか」
「……さすがに勘が良いな」

 リィンが何かを隠していることを察して、ラクシャは鋭い指摘をする。
 ラクシャがこのような考えに至ったのは、ロムンのエタニアに対する反応を実際に目にしているからだった。
 騎神に艦隊を壊滅させられたロムンの反応は真っ二つに分かれていた。
 エタニアの主権を認め、対話による解決を模索すべきだとする穏健派と、徹底抗戦を主張する強硬派の二つにだ。
 この世界で何があったかについては、大筋ではあるがラクシャも話に聞いている。リィンたちがしたことについてもだ。
 騎神という圧倒的な力を目にした共和国の軍部が、どのような反応を見せたかについては、そのことからも大凡の察しが付く。

「まあ、あの狸≠フことだから敢えて軍部の暴走を見逃したってのが正解だろうな」

 共和国の大統領のことを狸≠ニ揶揄するリィンに、レオノーラは苦笑する。
 しかしロックスミス大統領の噂を聞く限りでは、気付いていなかったと言われるよりも説得力のある話だった。
 とはいえ、どうしてそんな危険な真似をしたのかが気になって、レオノーラはリィンに尋ねる。
 話を聞く限りでは、大統領自身は帝国との戦争を望んでいないと感じたからだ。

「……なんだって、そんな真似を?」
「反抗する連中の弱味を握るためって言うのもあるだろうが、抑え込みすぎて暴発でもされたらこの程度≠ナは済まないだろうしな」

 それこそ、クーデターでも起こされたら厄介だ。軍が国の実権を握れば、その先に起こるのは帝国との全面戦争しかない。
 しかし先の内戦で大きく力を落としているとは言っても、帝国はゼムリア大陸最大の軍事力を有する国だ。
 本気で帝国と戦争することになったら、共和国が勝つ可能性は三割に満たないだろう。
 それどころか、仮に〈暁の旅団〉が帝国に付き、騎神が戦場に出て来るようなことになれば共和国に勝ち目は無い。
 だからこそ、ロックスミス大統領は帝国との融和とまでは行かずとも、全面的な戦争へと発展させないために関係の改善を模索していた。
 ついでに言えば、今回の件を利用してリィンに敢えて借りを作ることで、個人的な繋がりを持っておきたいと考えたのだろう。

「なるほど、それで狸≠ナすか」

 リィンの言わんとしていることを察して、まだ会ったことのない人物のことをこう表現していいものかは迷うが『言い得て妙だ』とラクシャは納得する。
 一方で思っていたよりも複雑に政治的な事情や思惑が絡んでいると知って、レオノーラはなんとも言えない表情を見せる。
 それは、ずっと黙って話を聞いていたハーマンやマヤも同じだった。
 とてもではないが、自分たちがついていける話ではないと悟ったからだ。
 むしろ、こうした国家絡みの話に慣れているリィンやラクシャの方が異常と言えた。

「団長には悪いけど、アタシたちの手に負える話じゃなさそうだね……」
「ああ……嫌な予感しかしねえ」

 レオノーラの話に深々と頷きながら同意するハーマン。
 仮にリィンから何も話を聞かずに〈ハーキュリーズ〉と対峙していれば、碌でもない状況に陥っていたと想像が付くからだ。
 クライスト商会の思惑までは分からないが、少なくとも事情を知る人間を生かしておくとは思えない。
 ハーキュリーズ諸共、始末されると言った可能性も十分に考えられた。

「あの……少し思ったのですが、領邦軍が海上要塞に引き籠もって出て来ないのも、もしかしてそのことと関係が?」
「へえ、そこに気付くか。なかなか良い洞察力をしてるな」

 まさかそこに気付くと思っていなかったリィンは、感心した様子で声を漏らす。
 しかも、気付いたのがラクシャではなくマヤだったと言うのが驚きだった。
 いや、考えてみればマヤは既に百日戦役の真相を知っている。あのジョゼフの娘でもあるのだ。
 そこに思い至るのは、決して不思議な話ではないとリィンは考える。
 しかし、まだよく分かっていない様子のレオノーラとハーマンにも分かるようにリィンは説明する。

「恐らく〈黒旋風〉はラクウェルで起きていることに気付いている。その上で、関わらないようにしてるってことだ」

 そもそもミュゼたちを捕らえるために網を張っていたと言う時点で、街の周辺で起きている異変に気付かないなどありえない。
 だとすれば、敢えて関わらないように見逃したと考える方が自然だった。
 どうしてそんな真似をしたのかと言うのは、恐らくこの件の裏に共和国が絡んでいると察したからだろう。
 仮に領邦軍が共和国の特殊部隊を捕らえるようなことになれば、間違いなく先のアルスターの件と結びつけて考える者が出て来る。ノーザンブリアの背後に共和国がいると民衆の不安を煽り、戦端を開く口実に利用しようとする者も現れるだろう。そうした主戦派の思惑に自分たちが利用されることを嫌ったと言う訳だ。
 恐らく軍を街から引き上げさせたのも――

「最初から俺をこの件に関わらせるために、ラクウェルから領邦軍を引き上げさせたんだろう」

 最初は挑発されているのかと受け取ったが、これもすべて裏にミュゼ≠ェいると考えれば合点が行く。
 どうして、オーレリアは抵抗せずに捕まったのか? ずっと、そのことを疑問に思っていたからだ。
 恐らく捕まったように見せかけて、最初から領邦軍と繋がっていたのだろう。
 正確には〈黒旋風〉ことウォレス・バルディオス准将や、その配下と。

(まあ、そういう契約≠セしな。今更、文句を言うつもりはないが……)

 元々、注意を引くのがリィンに与えられた役目だ。
 そう言う意味では契約の範疇と言えるので、ミュゼの計画に文句を言うつもりはなかった。
 しかし、もう少し相談があってもいいのではないかと、リィンは愚痴を溢しそうになる。
 ヴィータも素知らぬ顔をしていたが、何も知らなかったとは思えない。恐らく分かっていて黙っていたのだろう。

「だが、これで分かっただろ? お前等の手に負える話じゃない。悪いことは言わないから、俺の話に乗れ」
「……仕方ないね。でも、団長を助けてくれるって話は信じて良いんだろうね?」
「ああ、約束は必ず守るさ」

 そういうことならと、レオノーラとハーマンは納得した様子で頷く。
 元よりクライスト商会には不審な点が多かっただけに、どちらの話を信じるかと言えばリィンの話の方が説得力があったからだ。
 それに自分たちだけならまだしも、団長を助けるためについてきてくれた仲間を国家絡みの陰謀に巻き込み、無駄に命を捨てさせることは出来ない。
 そんなことは団長も望んではいないと、本当はレオノーラとハーマンも分かっていたのだ。

「なら、アンタを信じるよ。でも、それなら尚更のこと早く助けに行った方がいいんじゃないか?」

 それが誰のことを言っているのか察せられないリィンではなかった。アッシュのことだ。
 状況から察するに、ハーキュリーズに捕まったと考えるのが自然だ。
 放って置けば口封じに殺される可能性が高いと、レオノーラは考えたのだろう。
 なのに――

「いや、恐らくは無事だろう」

 どんな根拠があってか、あっさりとしたリィンの態度を訝しむレオノーラ。
 それはラクシャやマヤも同じだった。彼女たちも本音を言えば、すぐにでも救出へ向かうべきだと考えていたからだ。

「悪運が強そうだしな」
「まさか、それが理由ですか?」

 ちゃんとした理由があるのかと思えば、希望的観測に基づいた話をされ、ジロリとリィンを睨み付けるラクシャ。
 やはり冗談は通じないかと、リィンは肩をすくめながら今度は真面目に答える。

「助けると言っても、どうするつもりだ? レオノーラ。お前たちは敵の数や戦力を正確に把握しているのか?」

 ラクシャとマヤの視線が向けられるが、レオノーラは首を横に振る。リィンの言うとおりだったからだ。
 それどころか山道の封鎖が精一杯で、敵のテリトリーにまで踏み込めていないのが現状だった。
 少しずつ包囲を狭めて一気に制圧するつもりでいたので、こんなにも早く事態が動くとは思っていなかったためだ。

「正面から叩き潰すのは難しくないが、そうすると人質の命はないな」

 ぐうの音も出ないリィンの正論に、ラクシャとマヤは何も言えなくなる。
 リィンが時間が必要だと言った意味を、嫌でも理解させられたからだ。
 しかしそこまで言うからには、リィンには何か具体的な案があるのだろうと一同は考える。
 五日あれば、ギリギリ間に合うようなことを口にしていたのを思い出したからだ。

「安心しろ。あと数日で、助っ人が合流する手はずになっている」
「……助っ人ですか?」

 リィンがそこまで言うからには頼れる人物なのだろうが、一体だれがとラクシャは疑問を持つ。
 戦力だけで言えばリィンとシャーリィの二人がいれば事足りると考えるだけに、恐らくはアッシュの救出に必要な人物なのだろうと察せられた。
 自分の知らない〈暁の旅団〉のメンバーの誰かだろうかと首を傾げるラクシャに――

「ひとり酒癖の悪い酔っ払いがまじってるが……まあ、大丈夫だろ」

 リィンは微妙に不安を覚える答えを返すのであった。



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