ラマール州の西端に位置する州都――オルディス。
 人口は四十六万人。青く彩られた美しい街並みから、別名『紺碧の海都』とも呼ばれている巨大海港都市。
 帝国最大の貴族、カイエン公爵家の財政を支える富の源泉とも言える街だ。
 オーレリアと共に領邦軍に捕まったミュゼは、そんな街の中で最も煌びやかで大きな建物。
 ラマール州の治政を司る公爵家の城館に軟禁されていた。

「なるほど……。さすがはリィン団長ですね」

 領邦軍がラクウェルを包囲したとの報告を受けて、すべてを理解した様子で頷くミュゼ。
 その様子からも、こうなることを最初から予期していたのだろう。
 リィンなら上手く囮役≠こなしてくれる。そう信じていたからだ。

「それに、お祖父様が上手く貴族たちを焚き付けてくれたみたいですね」

 千を超す兵を動かしたと言うことは、貴族たちがそれだけ焦っている証拠だ。
 そして、その背景にはイーグレット伯の働きが大きかった。
 嘗てはカイエン公爵家の相談役を務めていたこともある大貴族。
 ミュゼにとっては、母方の祖父に当たる人物だ。

「ご協力感謝します」
「いえ、こちらこそ身内の恥を晒してしまいお恥ずかしい限りです」

 そして、ミュゼに領邦軍の動きを報せた協力者と言うのが、クライスト商会の御曹司ヒューゴ・クライストだった。
 一年早く学院を去ったアリサたちと違い、つい先日学院を卒業したばかりなのだが――
 既に商会の代表を務める父の右腕として、その辣腕を振っていた。
 学生時代から類い稀な商才を発揮し、営業部長として商会の成長に寄与してきた実績が認められたのだろう。
 そんな彼の働きもあって、いまやクライスト商会は帝国を代表する大商会の一つに数えられるほどの成長を見せていた。

 だが、そんな急成長を続ける商会に陰りを見せる問題が、このラマール州で起きていた。それがワッズの件だ。
 オルディスの担当を任されていたワッズが、バラッド候の派閥に所属する貴族たちと結託して不正に手を染めていたことが発覚したのだ。
 身分制度のある帝国で商売を続けるには、皇族もしくは貴族の後ろ盾が必要不可欠だ。だからこそ、ヒューゴも情勢を見極めながら貴族との関係には細心の注意を払っていたが、幾ら貴族の後ろ盾が必要だからと言って自ら犯罪に手を染めるような真似をすれば、問題が発覚した時に真っ先に切り捨てられるのは当事者である商会だ。事実、貴族たちは責任のすべてをワッズを押しつけるつもりで領邦軍の派遣を決定した。
 余計な横槍を入れさせないため、ウォレス准将や彼を慕っている兵を海上要塞に閉じ込め――
 自分たちに忠実な貴族出身の兵を各地から募って動かしたのだ。
 それが、ラクウェルを包囲している領邦軍の正体だった。

 このままではクライスト商会はワッズと同様に、貴族たちの不正を隠すためのスケープゴートとされるのは確実だ。
 そうなったら共和国と内通していた罪で、商会は取り潰し。その資産は没収されることになるだろう。
 当然、ヒューゴは勿論、代表を務める彼の父も裁判に掛けられる可能性が高い。
 貴族が絡んでいる以上、弁護の機会など与えられない一方的な裁判となることは明らかだった。
 だからこそ、ヒューゴはクライスト商会を守るためにミュゼの誘いに乗ることにしたのだ。

 正直に言って、分の悪い賭けだ。
 バラッド候は人格にこそ問題はあるが、貴族としては有能≠ネ人物だ。
 根回しが上手く、金回りが良いことから彼に味方をする貴族や商人は多い。
 一言も相談がなかったことは問題だが、ワッズがバラッド候の側についたのも利に聡い商人であれば、特別おかしな話ではなかった。
 次期カイエン公に最も近い人物は誰かと問われれば、誰もが口を揃えてバラッド候だと答えると分かっているからだ。
 亡きアルフレッド公の忘れ形見とはいえ、ミュゼとバラッド候では貴族社会への影響力に差があり過ぎる。
 いまのままなら六月に開かれる領邦会議で、バラッド候が次のカイエン公に指名されるのは確実だ。
 しかし――

(……底の見えない女性(ひと)だ。はたして、どこまで未来が見えているのか)

 ミュゼを敵に回すくらいなら、まだバラッド候と対立する方がマシだとヒューゴは感じていた。
 出入りの商人を装い、危険を冒してまでミュゼとの会談に臨んだが、その予感は確信に変わったと言ってもよかった。
 今回の件。すべてミュゼが仕組んだことだとは考えていないが、少なくとも彼女の思惑£ハりに事が進んでいることは間違いないからだ。

「それで、次はどうされるおつもりですか?」

 その上で、敢えてヒューゴは尋ねる。
 自身も相応のリスクを負う以上、ミュゼの決意を本人の口から確認しておきたかったからだ。
 そんなヒューゴの思惑を察し、苦笑を漏らすミュゼ。
 そして、

「大叔父様から公爵家の実権を返して頂きます」

 ヒューゴの問いに、はっきりとそう答えるミュゼ。それはヒューゴの望んだ答えだった。
 ワッズに責任を押しつけ、テロリストの仕業に見せかけて問題を収拾しようと躍起になっているが――
 逆に言えば、それだけ彼等も追い詰められていると言うことだ。
 バラッド候の派閥の力を削ぎ、彼を領主代行の立場から引き摺り下ろすことが出来れば、状況は一変する。
 そしてミュゼであれば、それが可能であるとヒューゴは考えていた。

「それに公爵家を継がないことには、暁の旅団に報酬を支払えませんから」
「報酬ですか? まあ、確かに彼等ほど高ランクの猟兵団を雇うには、それなりの金が必要でしょうが……」

 高ランクの猟兵団を雇うには、高額な報酬が必要だ。
 一般的に高ランクの猟兵団と契約するのに必要なミラは数千万。
 今回のようなケースでは、一億を超す金額を提示されても不思議ではない。
 ましてや、相手は帝国や共和国と言った大国が一目を置くほどの猟兵団――あの〈暁の旅団〉だ。
 彼等を味方につけることが出来るのであれば、相場の十倍を払っても高くないとヒューゴは考えていた。
 しかし、

「ええ、百億ミラはやっぱり高いですよね」
「……ひゃ、百億!?」

 相場の十倍どころか、百倍とも言える金額を耳にして、驚きの声を漏らすヒューゴ。
 無理もない。下手をすると小国の国家予算レベルの金額だ。
 貴族の中でも最大の財力を誇るカイエン公爵家と言えど、簡単に支払えるような金額ではない。
 そのことから、ミュゼが自分を引き込んだ本当の理由を察するヒューゴ。
 そして――

「まさか……」
「期待していますよ。ヒューゴ・クライストさん」

 貴族たちだけではない。嵌められたのは自分も同じだと、ミュゼの笑顔を見てヒューゴは理解するのだった。


  ◆


「ミルディーヌ様の見立て通りになったようだな」

 軟禁されている海上要塞の部屋から地上を見下ろし、そう呟くオーレリア。
 ラクウェルと同様、海上要塞と陸を繋ぐ橋の出入り口にも二百余りの兵士が配置されていた。
 ウォレスとその部隊を海上要塞に閉じ込めておくための見張りと言ったところだろう

「だが……」

 ミュゼの計画は上手く行っている。
 だが、バラッド候はともかくアルベリヒが背後にいることを考えると、些か上手く行きすぎている気がしてならない。
 恐らくミュゼもそこは不審に感じているはずだと、オーレリアは考えていた。
 しかし、計画が失敗したのならともかく上手く行っている以上、途中で中止すると言った真似は出来ない。
 いまを逃せば、バラッド候から公爵家の実権を取り戻すのは困難になると分かっているからだ。

「ミルディーヌ様のことだ。上手くやるだろう。ならば――」

 自分は与えられた役目をこなすだけだと、オーレリアは考える。
 そのためにも――

「閣下。準備が整いました」

 軟禁されているはずの部屋から外へでると、扉の前にはウォレス准将の姿があった。
 そんな昔と変わらないウォレスの態度に苦笑を交えながらオーレリアは答える。

「私はもう帝国貴族ではないのだがな」
「そうであったとしても我々≠フ上に立つのは、閣下を置いて他にいませんから」

 皆もそれを望んでいます、と話ながら階段を見下ろすウォレス。
 赤い絨毯が敷き詰められた階段の下には百を超す兵士が集められ、オーレリアの言葉を待っていた。
 全員、ウォレスと志を同じくする領邦軍の精鋭たちだ。

「たいした人望ね」
「ああ、剣を振ることしか芸のない私には勿体ない部下たちだ」

 不意に掛けられた声に、オーレリアはそう言って笑い返す。
 オーレリアを挟んでウォレスと対象の位置には、青いドレスに身を包んだヴィータの姿があった。
 クロウと違って話に乗って来ないオーレリアに、ヴィータは溜め息を漏らす。
 リィンとは別の意味で、オーレリアは彼女にとってやり難い相手なのだろう。

「それで魔女殿。ミルディーヌ様の方は?」

 ちょっとした苦手意識を持ちつつも、オーレリアの問いにヴィータは答える。

「手はず通り、お姫様には騎士(ナイト)≠つけておいたわ」
「そうか、礼を言う。ならば、こちらも気兼ねなく役目を果たせるというもの」

 ミュゼの安全を確認すると、オーレリアは兵士たちの前へでる。
 そして――

「皆、よくぞ今日まで耐えてくれた! だが、それも今日までだ。これより、計画を次の段階へと移す!」
『イエス・マイロード!』

 ミュゼの願いを叶えるため、作戦開始の号令を発するのであった。


  ◆


「どうなっている! あれから、もう丸二日は経つのだぞ!? いまだ返答はないのか!」

 ラクウェルの山道を封鎖している領邦軍の陣地に、丸々と太った貴族と思しき男の声が響く。
 バラッド候の派閥に所属する貴族の一人で、この領邦軍の指揮を任されている将軍だ。
 ラクウェルにテロリストの引き渡しを通告して二日。
 未だに返答一つないことに、将軍は焦りと苛立ちを募らせていた。

「はい。こちらからの要求は届いているはずなのですが……」
「くッ! 猟兵如きが、バカにしおって……!」

 副官の報告を聞き、怒りで顔を真っ赤に染める将軍。
 貴族の中には、高貴な血を引く自分たちこそが特別な存在だと考える者は少なくない。
 彼もその一人で、ウォレスのことも蛮族上がりの男と誹っていた。
 だからこそ、今回の話に乗ったのだ。
 ウォレスを失脚させ、自分が領邦軍のトップに就くチャンスだと考えたからだ。
 なのに――

「こちらには千を起こす兵と、戦車に機甲兵もあるのだぞ! それを……!」

 少し脅せば、すぐにワッズたちを引き渡すはずだと考えていた将軍にとって、いまの状況は予期せぬものだった。
 カレイジャスがクロスベルから動いていないことは調べが付いている。となれば、街にいる〈暁の旅団〉のメンバーはリィンを含めても少数。戦車と機甲兵を配備した千を超す軍と、まともにやり合えるはずもないというのが将軍の見立てだった。
 数の差は圧倒的。常識で考えれば、戦いを避けるのが普通だ。
 だと言うのに領邦軍の要求を無視するというのは、自分たちの置かれている状況を理解していないとしか将軍には思えなかった。

「戦車と機甲兵の部隊を街へ向かわせろ」
「それは……! よろしいのですか?」
「自分たちの立場を理解していないのであれば、理解させてやればいい」

 砲弾の一発でも街へ打ち込んでやれば、嫌でも理解するだろうと将軍は笑みを溢しながら話す。
 しかし、テロリストを匿っているという大義名分があるとはいえ、さすがに街を攻撃するのは気が咎めるのか?
 躊躇いを見せる副官に将軍は眉をひそめ、諭すように説得する。

「テロリストを匿っている猟兵を放置しているのだから街の人間も同罪だ。なあに、平民共に少し分からせてやるだけだ」

 分かったなら行け、と追い立てる将軍に敬礼で応え、部隊に命令を伝えるべく立ち去る副官。
 そんな副官の煮え切らない態度に「あいつは駄目だな」と不満を漏らしながら、将軍は酒瓶を呷る。
 しかし、これが上手く行けばバラッド候の覚えもよくなるはず。
 そうなればウォレスを失脚させ、領邦軍のトップに立つことも夢ではないだろう。

「あんな蛮族上がりの男ではない。儂こそが領邦軍のトップに相応しいのだ」

 そんな夢想を抱きながら、クツクツと邪な笑みを浮かべる将軍。
 将軍の身体から黒い靄のようなものが漏れていることに、誰一人として気付く者はいなかった。



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