「間違いありません。瘴気に心を侵蝕されています。恐らくは――」
呪いの影響だと説明するエマ。
性格に難のある人物だとしても、ワッズの言動や行動には不可解な点が目立つ。本来、商人というのは臆病で慎重な生き物だ。ナインヴァリのアシュリーやジンゴのような特殊な例を除いて、猟兵を率いて戦場に自ら足を運ぶ商人など聞いたことがない。
幾ら結果を見届けるためと言ったところで、ワッズは力を持たないただの人間だ。戦場に慣れている様子でもなかった。
普通なら恐怖に負けて、そんな大胆な行動を取ることは出来ないはずだ。
そのことから妙な引っかかりを感じたリィンは、エマにワッズの診察を依頼していたのだ。
「やはりな」
そして、その予感は当たった。
あの時のワッズは欲望が恐怖に勝り、まるで理性のタガが外れているかのようだった。
それもローゼリアの言っていた呪い≠フ影響を受けていたのだとすれば、納得が行く。
実際、情報を聞き出そうにも、いまのワッズは言動が支離滅裂で会話にならない状態にあった。
たいした情報をそもそも持っていないと言うのもあるだろうが、本人も自分がどうしてそんな真似をしたのか?
そして、いま自分が何をしているのか? 本当のところはよく理解していないのだろう。
「治療は可能か?」
「時間は掛かると思いますが……治療するんですか?」
リィンの意図を探りながら、訝しむように尋ねるエマ。
リィンの性格を考えるなら、なんのメリットもなくワッズを助けると言った真似はしないだろう。
生きてさえいれば利用価値はある。そんな風に考えているものと思っていたからだ。
「今後、同じようなケースが出て来ないとは限らないしな。なら、いまのうちに可能な限り試せることは試しておきたい」
「ああ……そういうことですか」
治療は可能だとエマは見ているが、実際に試して見なければ、はっきりとしたことは言えない。
瘴気を完全に払うには、どの程度の時間が掛かるのか? 呪いを解除して副作用はないのか?
など、やってみなければ分からない点も多いからだ。
その被験者にワッズを利用するつもりなのだと、エマはリィンの考えを察する。
とはいえ、非人道的などと口にするつもりはエマもなかった。
むしろ、このまま放って置かれるよりは治療の見込みがあるだけ、ワッズにとっても悪い話ではないからだ。
「では、このまま里でお預かりします。あそこなら治療に使える薬草や道具も揃っているので」
エリンの里でワッズの身柄を預かるというエマに、リィンはよろしく頼むと答える。
実のところワッズだけでなくハーキュリーズや銀鯨のメンバーも、エリンの里に匿われていた。
結界に覆われたエリンの里へ自由に出入り出来るのは、里出身の魔女もしくはローゼリアに認められた者だけだ。
匿うにも軟禁するにも、これほど都合の良い場所はない。
そこで当分の間、彼等を預かって欲しいとリィンはローゼリアに話を持ち掛けたのだ。
今更、抵抗する気はないようで、ハーキュリーズの隊員たちも大人しくしていると言う。
自分たちの隊長――リーガン大尉の命が救われたことで、少しは恩義も感じているのだろう。
「それで、こちらはどうするつもりなんですか?」
話が一段落したところで、気になっていたことをリィンに尋ねるエマ。ラクウェルを包囲している領邦軍の件だ。
街の人たちを避難させようにも、山道は領邦軍が封鎖している。
デアフリンガー号を使うにしても、他の街へと続く線路も領邦軍に押さえられていた。
「最初に言っておきますが、里で受け入れるのは無理ですよ?」
魔女の使用する転位陣にしても、それほど便利なものではない。
転位は術の対象となる人数や距離に比例して、消費する魔力が増していく。
街の人間すべてを転位させるなど、エマの魔力でも不可能だ。
ましてや、エリンの里にはラクウェルの住民を受け入れられるだけのキャパシティがない。
しかし、そんなことはエマに言われるまでもなく、リィンも理解していた。
「そこは問題ない。最初から、ここを動くつもりはないからな」
「それは……領邦軍と一戦を交えると言うことですか?」
街を捨てて避難するつもりもはないと言うことは、徹底抗戦をすると言うことに他ならない。
どのみちワッズたちを引き渡す気がない以上、領邦軍と事を構えるのは確実だ。
そう考えれば、どちらにせよ戦いは避けられないと考えても良いだろう。
しかし、そうなったら確実に街にも被害がでる。
幾らリィンが強いと言っても、手の届く範囲には限界がある。
シャーリィやアリサたちの力を借りても、被害をゼロに抑えることは難しいだろうとエマは考えていた。
「何を心配しているのかは察せられるが、犠牲をゼロにすることは不可能だ。お前もそれが分かっているから、先の内戦でカイエン公の味方をしたんだろ?」
「それは……」
リィンに痛いところを突かれて、苦い表情を浮かべるエマ。
どちらにせよ戦争を避けられないことや、多くの犠牲がでることは分かっていた。
だから被害を最小限に食い止めるために、カイエン公の計画に協力したと言う部分は確かにあった。
大を救うために小を切り捨てる。未来を知るが故に、その判断をせざるを得なかったのだ。
それだけに、お前はどうなんだと言われると、エマは何も言い返せない。頭では理解しているからだ。
「すべてを救うなんて、女神にも不可能だ。だから俺は優先順位≠間違えるつもりはない」
それは大切なものを守るためであれば、他を切り捨てることも厭わないと言うことだ。
仮に仲間の命とラクウェルのどちらかしか救えないとなったら、リィンは迷わず仲間の命を取るだろう。
ワッズやハーキュリーズのこともそうだ。
街を危険に晒すと分かっていても、彼等を領邦軍に引き渡すべきではないと判断した。
それは大事を為すために、小事を切り捨てたのと道義だった。
「とはいえ、アッシュとの約束もあるしな」
街を守るのに協力すると口にした以上、その契約は今も生きているとリィンは考えていた。
だから自分たちだけなら逃げる手立てはあるにも関わらず、こうして今も街に残っているのだ。
必要なら、それ以外のものを切り捨てるのが猟兵だ。
しかし、猟兵にとって契約とは軽いものではない。
一度口にした以上は、自分の方から約束を反故にするつもりはなかった。
だから――
「安心しろ。いまはまだ、軍と一戦を交えるつもりはない。そのための手も打ってある」
そう言ってニヤリと口元を歪めながら、リィンはエマの疑問に答えるのだった。
◆
「彼の予想通り、どうやら痺れを切らせたみたいですね」
街へと向かってくる戦車と機甲兵の部隊を双眼鏡で覗きながら、やれやれと肩をすくめるトマス。
領邦軍の動きから、ただの脅しでは済まないだろうと言うことはトマスも予想はしていたのだ。
しかしそうと分かっていても、本来であれば守るべきはずの民に軍が武器を向けるなど呆れるしかない。
女神の信徒としても、人としても、決して看過の出来ない所業だった。
「本来であれば、他国の問題に我々が干渉するのは後で問題となりかねないのですが……」
黒の工房が、この件の背後にいるとすれば話は別だ。
直接的に手を貸すことは出来ないが、間接的に助けるくらいはしても言い訳は立つだろう。
いや、ここでリィンに貸しを作っておくと言う意味でも、関わらないという選択肢はないとトマスは考える。
「少し時間稼ぎをさせてもらいますよ」
なんの警告もなしに街へ向かって放たれた砲弾を、前面に展開した匣≠フ力で受け止めるトマス。
続けて放たれる砲弾すべてを無数に展開された匣で、トマスは次々に防いでいく。
「この嫌な気配。なるほど、そういうことでしたか」
領邦軍の部隊を観察しながら、何かに気付いた様子を見せるトマス。
だが、トマスとて人間だ。彼一人で守れる範囲など限られている。
トマスの背後で鳴り響く砲撃音。
街を挟み込むように展開された別働隊が、街へ向かって砲撃を放ったのだろう。
しかし、その砲弾が街を襲うことはなかった。
「どうやら間に合ったみたいですね」
嘗て、クロスベルを覆った結界。それと同じ魔法障壁が、ラクウェルの街を囲うように展開されていく。
キーアに出来たことが、同じ〈零の至宝〉の力を持つノルンに出来ない道理はない。
こうなったら、もはや通常兵器でラクウェルの街を傷つけることは不可能だ。
空の女神より与えられし、至宝の力。
その一端を目に刻みながら、トマスは戦いの行く末を見守るのであった。
◆
「この結界、どのくらい保つの?」
「維持するだけなら、ずっと可能だよ。準備に少し時間が掛かるのと、ここから離れることが出来ないのが難点なんだけどね」
ノルンの説明に「チートね」と呆れた様子を見せるアリサ。
外部からの侵入を防ぎ、ありとあらゆる攻撃を防げるというのは十分過ぎるメリットだ。
術者が常に結界の近くにいないといけないという問題はあるが、デメリットと言えるほどの内容ではなかった。
守りに徹するのであれば、これほど都合の良い術は他にないだろう。
「まさに聖域≠ヒ」
女神より与えられし至宝の力によって生み出された障壁。
何人さえ踏み入ることの出来ないそれは、まさに聖域≠ニ言っても差し支えないだろうとアリサは考える。
「聖域か。じゃあ、今度から『零の聖域』って呼ぼうかな」
「……そんなに適当でいいの?」
「術の構築に一番大切なのは、イメージだしね」
ノルンの説明に、アリサは微妙に納得の行かない表情を浮かべる。
科学者の端くれとして、そんないい加減でいいのかとアリサが考えるのは当然であった。
導力魔法も理術も適性に差はあるとはいえ、誰にでも使うだけなら使うことは出来る。
それは理論が解明され、一つの技術として確立されているからだ。
それだけにイメージだけでこれだけの結界を展開できるノルンは、アリサからすると理解しがたい存在だった。
「うーん。リィンの方が凄いと思うけど……」
「あれは例外よ」
そもそも比較するような対象ではないと、ばっさりとノルンの言葉を切り捨てるアリサ。
ノルンも非常識と言える力を持ってはいるが、リィンと比べれば周囲に被害を及ぼさないだけ、まだマシだ。
リィンはシャーリィのことを戦闘狂だなんだと言っているが、五十歩百歩だとアリサは考えていた。
むしろ、周囲に及ぼす被害の大きさと言う意味では、リィンの方が酷いとさえ思っている。
「でも、これでまだしばらくは時間を稼げそうね」
ノルンの張った結界の前に為す術のない領邦軍を見て、一息吐くアリサ。
しかし、この状況がいつまでも続く訳ではない。
街道を押さえられている以上、生活に影響がでるのは時間の問題だろう。
相手が領邦軍では、籠城したからと言って外からの救援を見込むことは出来ない。
とはいえ――
(こちらから仕掛けるのは相手の思う壺。となれば、あちらの出方を待つしかないか)
リィンが動かない理由を察しながら、アリサは次の動きに備えるのだった。
◆
「まだ街を落とせんのか!」
苛立ちを募らせ、怒りに震える将軍の声が野営地に響く。
戦車百両。機甲兵二十体の大部隊で街を取り囲んでいるのだ。
普通であれば、とっくに片の付いている簡単な作戦のはずだった。
なのに――
「こちらの攻撃が通らないとは、どういうことだ……」
兵士から上がってきた報告は、俄には信じがたいものだった。
街を覆う巨大な障壁。その障壁に阻まれ、外からの攻撃が一切通じないと言うのだ。
ならばと機甲兵の部隊を向かわせても壁を通り抜けることが出来ず、街に近付くことが出来ない。
これではまるで――
「大変です!」
一年前のクロスベルのようだと呟きを漏らしたところで、割って入った兵士の声が将軍の声を掛け消す。
随分と慌てた様子で天幕の中へと駆け込んできた兵士に、苛立ちを募らせながら「何事だ!」と尋ねる将軍。
「オルディスでクーデターが発生しました。彼等は決起軍と名乗っており、ウォレス准将他、オーレリア元将軍の姿も確認されたとのことです」
「何!? 海上要塞には監視を付けていたはずだ! どうなっている!?」
「それが監視の目を掻い潜って、忽然と街中へ現れたとのことで……」
「そんなバカな話があるか!」
陸地と海上要塞を結ぶ橋は一つしかない。監視の目を欺いて部隊を動かすことなど不可能。
それがオルディスに忽然と現れたなどと言われて、素直に信じられるはずもなかった。
だが、事実としてクーデターは起きていた。
既に公爵家の城館もウォレスの手に落ちたとの報告を受け、将軍は顔を青くする。
「まさか、こちらが誘いだったと言うことか? くッ、侯爵閣下になんと報告すれば!」
こんなことをバラッド候に伝えれば、間違いなく自分の首は飛ぶ。
そう考えた将軍は顔を青ざめながら、何か起死回生の一手はないかと考える。
「いや、まだだ。こちらには千を超す兵と戦車。機甲兵がある。相手がウォレスと言えど、これだけの戦力を前にすれば……」
「……難しいと思います。オルディスの動きに呼応するかのように各地の駐屯地で叛乱が起き、オーレリア元将軍の呼び掛けに応えた領邦軍の兵士たちがオルディスに集まりつつあるとのことです。その数は既に五千を超えていると……」
「なん……だと?」
五倍の兵がオルディスに集結しつつあると聞いて、将軍は目を瞠り、言葉を失う。
まさかこの短時間で、そのような事態にまで発展しているとは思ってもいなかったからだ。
何が起きているのか理解が及ばず、将軍はフラフラと椅子に腰を下ろす。
そして――
「決起軍を率いる指導者の名は、ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。自身のことを公爵家の正当な後継者であると民衆に訴え、イーグレット伯他、複数の貴族が公女の支持に回っているとのことです」
茫然自失とする将軍に向かって追い討ちを掛けるように、兵士は報告を続けるのだった。
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