――パンタグリュエル号。
 元貴族連合の旗艦にして、全長二百五十アージュを超える帝国最大級の飛行船だ。カレイジャスの全長が七十五アージュであることを考えると、その大きさが実感できると思う。
 元が公爵家の所有する豪華客船とあって内装は絢爛豪華そのものだが装備も充実しており、機甲兵や戦車。飛空艇などを多数搭載し、大砲にミサイルと言った強力な武装が施されていた。
 これに並ぶ大きさの船と言えば、帝国軍の保有する〈ガルガンチュア級飛行戦艦〉や共和国の〈バテン=カイトス級飛行戦艦〉を除けば、結社の開発した方舟――グロリアスくらいのものだろう。即ち、世界でも有数の戦闘力を備えた巨大飛行船と言う訳だ。
 そんな船の甲板から土砂に埋もれた山道を見下ろす、青いドレスに身を包んだ黒髪の美女がいた。
 ヴィータ・クロチルダ。『蒼の深淵』の異名を持つ〈結社〉の魔女だ。

「ある程度、結果は予想していたけど……相変わらず理不尽な強さね。クロウが戦いを避けるのも納得できるわ」

 クロウが本音では、もうリィンとの決着を付ける気がないと察していての言葉だった。
 無理もない。この惨状を見れば、生身での戦闘では万が一にもクロウに勝ち目がないことは第三者の目からも明らかだ。
 だからと言って騎神なら勝ち目があるかと言うと、僅かに確率が増すくらいでクロウが勝利する可能性は一パーセントにも満たないとヴィータは考えていた。
 実際リィンは先日の戦いでも〈金の騎神〉を圧倒し、山脈の一部を消失させたばかりだ。
 リィンのラグナロクによって空けられた穴には川の水が流れ込み、湖と見紛うばかりの巨大な池が出来ていた。
 地図を書き換えるほどの力。まさに人の身では決して届かない――人智を越えた力と言っていい。
 それでも巨神を討滅した時の力と比較すれば、リィンがまだ全力をだしていないことにヴィータは気付いていた。
 その証拠にノルド高原には、ヴァリマールとエレボニウスの戦いの爪痕が今も残っているからだ。

「クロウがその気なら、俺はいつでも受けて立つんだがな」

 不意に後ろから声を掛けられ、溜め息を交えながら振り返るヴィータ。
 何者かと問う必要すらない。こんな真似が出来るのは、結社の人間を除けば限られているからだ。
 そう、リィンとエマだ。
 転位を使ったのが自分の妹弟子だと言うことにもヴィータは気付いていた。

「……分かっていて言ってるでしょ?」

 クロウが戦いを避けていることにリィンが気付いていないはずがない。
 それ故に呆れるヴィータだったが、リィンは別にクロウを侮っているつもりはなかった。
 確かに今のクロウの実力はリィンに遠く及ばないし、フィーやシャーリィにも届かない程度でしかない。
 とはいえ、比較対象が悪いだけで、彼自身の力は達人クラスの域に達しているのだ。
 蒼の騎神の起動者と言う部分を加味しても、決して弱い訳ではない。

「まあ、アイツのことなら心配は要らないだろ。少なくとも牙を失った訳じゃなさそうだしな」

 ギリアス・オズボーンが死んで復讐という目的を失ったが、闘争本能までは失われていない。
 むしろ、守るべきものが出来たことで以前よりも強くなったとリィンは感じていた。
 出会った頃のクロウは、どこか死に場所を求めているようなところがあったからだ。
 しかし、いまのクロウは違う。
 リィンとの戦いを避けているのも、いまは勝てないと自身の弱さを認めているからだ。
 大切なものを守るためならリィンとでも戦うだろうが、無駄に命を落とすつもりはないのだろう。
 そうした人間が最も手強いことをリィンは誰よりもよく知っている。
 自分たち(猟兵)ほど生き汚く、しぶとい人間は他にいないと自負しているからだ。

「少し意外だわ。クロウのことをよく見ているのね」
「そう言うお前も気付いているんだろ? アイツが守ろうとしている大切なもののなかに、自分も入っていることを」
「うっ……」

 リィンの言葉に珍しく動揺を見せるヴィータ。
 互いに「それはない」と以前ノイエブランでも言っていたが、まったく意識してないと言う訳ではないのだろう。
 恋人という関係ではないのかもしれないが、惹かれ合っていることだけは間違いなかった。
 クロウにとっては姉。ヴィータにとっては、手の掛かる弟のような感覚なのかもしれない。

「クロウも素直じゃないからな」
「ああ、なんとなく分かります。姉さんも昔からそういうところがありましたから」
「似た者同士ってことか」

 突然現れて言いたい放題の二人に、プルプルと肩を震わせるヴィータ。
 しかし何も言い返さないのは、本人も多少の自覚はあるのだろう。

「……あなたたち、私に喧嘩を売りに来たの?」
「いや、捕虜の件もあるからな。ここの責任者と会いに来ただけだ」

 少なくともヴィータがこの船の責任者でないことは、リィンとエマも察していた。
 いまは〈結社〉から離れていると言っても、彼女は〈蛇の使徒〉の一人だ。あくまで外部協力者に過ぎない。
 となれば、パンタグリュエルの艦長は他にいると考えたのだ。

「案内を頼めるか?」

 そう言ってニヤリと笑うリィンに何を言っても無駄と諦め、ヴィータは頷くのであった。


  ◆


「この船の艦長を任されているセオドア・イーグレットだ。まあ、あくまでウォレス准将の代理ではあるがね」

 いまはオルディスを動くことが出来ないウォレスの代わりに自分がきた、とイーグレット伯は説明する。
 見た感じヴァンダイク学院長と同じか、それより少し上と言ったところだろう。
 しかし、年齢を感じさせない覇気を纏っていた。

「イーグレット? じゃあ、ミュゼの?」
「うむ。ミュゼの祖父だ。キミの話は孫娘からも、いろいろと聞いているよ」

 落ち着いた装いではあるが、言葉の節々から油断のならない老獪さ伝わって来る。
 イーグレット伯のことはリィンも事前にある程度ではあるが資料に目を通していた。
 カイエン公爵家の相談役を務めていたこともある伯爵家の当主で、ラマール州でも屈指の大貴族の一人だ。
 亡きアルフレッド公の忘れ形見とはいえ、何の実績もないミュゼがバラッド候と公爵家の次期当主の座を競って争えていたのは、イーグレット伯の後ろ盾が大きく影響していたと言える。実際、爵位としては侯爵の方が伯爵よりも上だが、これまで公爵家に仕えてきた実績や経験を考えれば、バラッド候とて無視できる相手ではないからだ。
 ラマール州の治政にも深く貢献してきた貴族だけに、ルグィン伯爵家のように廃絶に追い込むと言った真似も難しかったのだろう。
 そのため、派閥を二つに割ると言った事態を招き、次期カイエン公の選出が難航していたのだ。
 それでも、現状ではバラッド候が優勢であることに変わりは無かったのだが――

(今回の件は、次期カイエン公を決める領邦会議にも影響を及ぼすだろうな)

 領地のなかで起きた問題は、領主の責任と見られるのが通例だ。
 そして代行とはいえ、バラッド候はラマール州の治政を預かる立場にいる。
 なのに領内の治安を悪化させ、その事態を上手く収めることが出来なかったと知られれば、大きく評価を下げることは間違いない。
 結果的に領邦軍の暴走を諫めたのは、ミュゼとイーグレット伯と言うことになるからだ。
 仮にバラッド候がクーデターだと騒いだところで、あくまで領地の問題はその領地を統括する貴族の責任と返されるのがオチだ。
 この手の血で血を洗う後継者争いは、どこの領地でも珍しい話ではないからだ。
 それが分かっていて、今回の行動にでたのだろう。
 それだけに――

「クラウゼル団長。いや……婿殿≠ニ呼んだ方がいいかな?」

 油断のならない人物だと思いつつ、ミュゼの身内で間違いないとリィンは確信するのだった。


  ◆


 ラクウェル郊外にある今は使われていない古い集積所には、一時的に捕虜となった兵士が集められていた。
 武装解除も済み、既に抵抗する気力も失っているとはいえ、彼等が街に攻撃を仕掛けたことは間違いない。
 そのため、住民の不安を考えると、街の中へ彼等を招き入れる訳には行かなかったからだ。
 とはいえ、

「少し痛みますが我慢してください」

 少なくない怪我人も出ていることから仮設のテントが設置され、デアフリンガー号も仮の司令所として活躍していた。
 そんななか傷ついた兵士たちを治療するロジーヌの姿と、それを手伝う若い女たちの姿があった。

「あの人たちは?」
「ん……ロジーヌが連れてきた」

 ラクウェルの住民らしいとサラの疑問に答えるフィー。
 その護衛というか、捕虜となった兵士たちの監視をリィンから頼まれたのだと話す。
 元々人手が足りないことは分かっていたので、協力者を募るつもりでいたのだが――
 オルファの協力を得て、ロジーヌが下町から人を集めてきたのだ。
 こうなることを最初から予見していたのだろう。

「戦争に直接介入は出来ませんが、傷ついた人々を癒すのは教会の領分ではありますからね」
「――トマス教官!?」
「お久し振りです。サラ教官」

 二人とも既に士官学校を退職しているので教官ではないのだが、当時の役職で呼び合うトマスとサラ。
 犬猿の仲と言うほどではないが、教官時代からトマスのことをサラは少し苦手としていたのだ。
 しかし、それもトマスが教会の守護騎士であったことを考えると、今更ながらに納得が行く。

「リィンから話は聞いてるけど……星杯騎士団の副長様が猟兵と手を組んだりして大丈夫なの?」
「それを言うならギルドも同じでしょう? 遊撃士協会と猟兵は犬猿の仲というのは子供でも知ってる有名な話ですから」

 お互い様だと言われれば、サラも何も言い返せなかった。
 リィンと手を組むと決めたのはギルドの意向と言うよりは、個人的な事情が大きかったからだ。
 とはいえ、表立って支援することは出来ないが、ギルドもサラの行動を黙認しているのは〈黒の工房〉の動向を危惧してのことだ。
 戦争に直接介入できないのは遊撃士協会も同じだが、民間人の安全を確保するためにも蚊帳の外では困る。
 そのため、当事者であるリィンと共にサラやガイウスを行動させた方が、一早く情報を得られると考えたのだろう。

「結界が張られるまで街への砲撃を防いでたのってアンタでしょ?」
「さて、なんのことでしょうか?」

 とぼけるトマスを見て、確信を得るサラ。
 戦争に介入しないと中立を謳っていながら、いろいろと裏で暗躍するのが教会のやり方だ。
 それで何度か煮え湯を飲まされた経験があり、サラがトマスを警戒するのは当然であった。
 疑いの眼差しを向けてくれてるサラを、どう対処すべきかと考えていたところで――

「副長」
「ああ、ロジーヌくん。丁度いいところに……」

 ロジーヌに声を掛けられ、嬉々とした表情を見せるトマス。
 一緒に言い訳を考えてもらおうとでも考えたのだろう。
 しかし、

「ここには怪我人がいるんですよ? お二人とも、喧嘩をするなら外でやってください」

 味方となるどころか、トマスはサラと共にテントを追い出されるのだった。


  ◆


「なんていうか……大変だね」
「分かって頂けますか?」

 フィーに同情めいた言葉を掛けられ、ハアと深い溜め息を吐くロジーヌ。
 守護騎士の従騎士という立場だけでも若いロジーヌにとっては重責なのに、相手はあのトマス・ライサンダーだ。
 副長の補佐という立場は、周囲が考えている以上にロジーヌの負担となっていた。
 更に言えば、リィンの監視という重要任務を任され、可能な限りのサポートを一任されているのだ。
 仕事を命じた本人から邪魔をされれば、ロジーヌが怒るのも当然であった。

「悪い方ではないのですが……」
「それはサラも同じ。でも……」

 本人に悪気がなくとも周囲に迷惑を掛けていれば同じだと、フィーはバッサリ切り捨てる。
 サラがトマスを苦手としているのは、ある意味で似た者同士というのも理由の一つにあるのだろう。
 仕事は出来るのかもしれないが、それ以外の面が致命的なほどにだらしなく、問題行動が多いと言うことだ。

「それで、リィンさんから連絡は?」

 ロジーヌの問いに、首を横に振るフィー。
 リィンがエマを伴い、パンタグリュエルへ向かって既に四時間が経過している。
 捕虜の引き渡しやラクウェルの今後の扱いを巡って、交渉が行なわれていることは間違いないが――

「交渉が長引いていると言うことでしょうか?」

 相手はあのリィンだ。
 貴族が相手でも遠慮したりはしないだろう。
 それだけにロジーヌの頭には不安が過る。
 また報酬をつり上げて、吹っ掛けたりはしていないだろうかと心配になったからだ。

「リィンだしね。相手の弱いところくらいは突くと思うけど……たぶん、大丈夫」

 まったく安心の出来ない話に、ロジーヌの口からは大きな溜め息が漏れる。
 出来ることなら何事もなく、平和的に解決して欲しいと願っているからだ。 

「まあ、交渉が決裂しても、実力行使へ発展することだけはないんじゃないかな?」

 少なくともリィンがミュゼに雇われている限りは、それはないだろうとフィーは考えていた。
 そして、ミュゼもリィンを相手に強気な交渉は出来ないはずだ。
 となれば、交渉で値切る程度のことはしても、決起軍が実力行使にでると言ったことはないと見ていい。
 問題はリィンと交渉をしている相手がそのことを理解しているかと言うことだが、そこはミュゼの人選を信じるしかなかった。

「噂をすれば、って奴だね」

 胸元で着信音が鳴り、ARCUSをジャケットのポケットから取り出すフィー。
 予想通り画面を確認してみると、リィンからの通信が入っていた。
 すぐに通話のボタンを押して、通信にでるフィー。

「交渉は終わったの? え、うん。ロジーヌなら、ここにいるけど?」

 フィーの口から自分の名前がでたことで、ロジーヌは目を丸くする。
 まさか、自分に用事があるとは思っていなかったからだ。
 嫌な予感を覚えながらも、ロジーヌは静かにフィーの言葉を待つ。
 そして――

「リィンがパンタグリュエルまでヴァレリーを連れてきて欲しいって」

 ノーザンブリアに関係する何かがあったのだと察し、ロジーヌは頷き返すのだった。



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